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「洗濯物干せない」「飼い猫はどこへ?」 能登半島地震、復旧遅れる被災地の"格差"

2024年02月14日 11:51  弁護士ドットコム

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元日の能登半島を襲った大地震では、建物の倒壊や火災が相次いだほか、津波被害もあり、今も約1万4000人が避難生活を余儀なくされている。発災から約1カ月、筆者は東京から関越道、上信越自動車道、北陸道を経て被災地に入った。道中は、東日本大震災のときほど、大型車やボランティア車両が目立たないように感じた。取材を振り返る。(ライター・渋井哲也)


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●大規模な断水が「復旧」に影響を与えている

まず感じたのは、想像以上に"復旧が遅れている"ことだ。1月31日に石川県に車で入ったが、東日本大震災とは違い、被災地に向かう車両が常にあるわけではなかった。もちろん半島という地理的条件や被災規模の違い、発災から1カ月ということもある。ただ、東日本大震災のときは、1カ月経っても多くの車両が東北道や常磐道を行き来していた。



被災地に入って、その一因に思い当たった。水道の寸断だった。いまだに断水が続いている地域が多い。



東日本大震災の当時は、津波の被災地近くでも、被害の少ないコンビニや飲食店、宿泊施設が営業していた。しかし、能登半島地震の被災地、特に輪島市や珠洲市では、地震の影響で水道管が寸断されて水が使えなくなっていた。支援拠点に寝泊まりしているボランティアもいるが、各自治体から派遣された職員などは、水道が使える七尾市以南に宿泊拠点を設けるケースが多いようだ。



筆者も取材するにあたり、初日は金沢市内で宿泊したが、2日目以降は七尾市内のネットカフェで夜を過ごした。そのネットカフェはシャワーやトイレが使えた。ただ、近くのコンビニでは下水が復旧しておらず、トイレが使えなかった。



市内の飲食店の一部は水道が使えなくても提供できるメニューを出していたが、ほとんどの飲食店が閉まっていた。同じ七尾市内でも地盤の影響か、少し地域が違うだけで、水道が使えるところもあった。こうした事情もあり、七尾市以南から支援・ボランティアに通う人が多かったとみられる。大規模な断水は間違いなく復旧のスピードに影響を与えていた。



ちなみに、震度6程度の地震に耐える水道管の耐震適合率は全国平均41.2%。石川県は平均36.8%で、県庁所在地の金沢市は60%、七尾市は21.6%、珠洲市は36.2%にすぎない。輪島市は52.6%と平均より高いが、それでも水道復旧の作業が続いている。



●津波が来るかもしれないという「意識」はあった



今回の能登半島地震では、東日本大震災ほど広範囲ではないが、津波が押し寄せた地域がある。2月2日、珠洲市三崎町寺家の下出地区を訪れた。35戸に90人ほどが暮らしていたところに津波が押し寄せた。区長の出村正広さん(76)はこう話す。



「新聞を読むと、高さ4メートル(の津波)とか書いてあるけど、俺は高さ5メートルくらいだと思っている。1メートルくらい地盤が隆起しているから。自分の家は津波による被害は少なかった。玄関まで砂は来たが、床上までの被害はない。一つ道路を超えただけで津波被害があった」



この地域では毎年、津波を想定した避難訓練をしていたという。



「あまり来ないかな、と思いながら(避難訓練を)しとったんです。訓練では多いときは2、30人参加していたけれど、少ないときは10人くらいしかおらんかった。ところが、今回の津波のときは、地域の人がみんな来ていた。それをみると、(津波が来るかもしれないという)意識はあったんじゃないかな」



津波を意識した住民は、集会所のある高台へ避難した。



「ちょうど地震のときは堤防の近くに立っていたんです。2回目の地震が来たときはすごかった。すごく揺れたが、おさまってくれた。なんか、テレビでやっていたみたいで、みんな外に出てきた。だから、慌てて高台に車で向かった。車だから5分もかからない。すでに高台には何人か避難していました。



集会所を開けたりしていたときに、みんながフェンスから海を見ていて、『津波が来た』という声が聞こえたので、海を見たら、潮が引き始めていました。でも、また、波が戻ったりしたんです。そしたら、また潮がひいて…。そしたら今度、また津波が来て。何回かわからないけど、次から次へとまた来て…」



この地域の周辺には「津波が来る」というような言い伝えなどはあったのだろうか。東日本大震災の被災地では、津波の教訓を刻んだ石碑が見られたが、能登ではそうした石碑は見られなかった。



「昔は(津波が来るとは)言われてなかったけど、話を聞くと、(この地域にも)100年くらい前には来ていたらしい。東日本大震災で、行政のほうも、津波に関して敏感になっていたんですよ。ここは高さ13.5メートルという想定でした。少し行くと18メートル。津波の恐ろしさは、東日本大震災をはじめ、外国でもあるんじゃないですか。そういう報道がみんなの頭にあったと思います」



●風呂やトイレ、洗濯に困っている避難者の女性



この日、能登町立鵜川小学校の避難所で、寺下祐香里さん(31)に出会った。1月1日の夜から避難しているという。



「(当日は)こたつに入ってゆっくりしていましたが、(地震発生後は)両親と一緒に高台にある寺に逃げました。車で行けば5分とか10分ですが、歩いて行きました。一番近い高台ですが、徒歩で30分かかりました。渋滞はしませんでしたが、2、30台の車が並んでいました。結局、津波は来ませんでした。夜になり寒くなったので、この小学校で一晩過ごそうと思いました」



一晩過ごしたあと、自宅に戻ったところ、屋根の瓦がずれたり、玄関の窓が割れていた。また、近くの道路にもヒビが入っていた。



「また大きな地震があったら、逃げられなくなるのではないかと思って不安だったんです。それで、この避難所に来ました。両親は自宅に戻っています。住めないこともないので。家族では私1人でここにいます。食事も一応出ています。お店も開き始めているので、父が運転する車に乗って買い出しに行ったりしています」



水道が寸断されているため、避難生活はとても不便だという。



「一番困るのは、トイレとか風呂とかです。地震から5日くらい経って、仮設トイレができましたが、それまでは携帯トイレを使っていました。(もともと)持っていたのもあるし、支援物資で届いたものもありました。地震がちょこちょこあったので一応、自宅に備えていました。シャワーも設置されましたが、私は、自衛隊の支援で入浴ができる他の地区で入っています。ただ、遠いので、毎日は利用できません。2、3日に1回ですかね」



仮設のシャワーは避難所の入り口にあり、利用時間ごとに男女別になっている。シャワーの中は見られないようになっているが、周囲の視線を気にする人は少なくない。洗濯も不便で「手洗いするしかないです。給水車が来ているので、その水を汲んで手洗いです」。他の地域では洗濯支援のボランティアが来るところもあるが、この避難所には来ていないという。



女性として、避難所で過ごす不安はなかったのだろうか。



「ありましたよ。私は視線を気にしました。最初はプライバシーがなかったので、(プライベート空間を)作ろうとなったんです。今はダンボールで個室のようにしているので、プライバシーが守られるようになりました。1週目くらいからでしょうか。ただ、洗濯物を干すスペースはありません。私の場合は、自宅に戻って干しています。他の人も家がある人は持って帰って干しています」



●被災地で飼い猫を探す女性「どこかに行っていると思いたいけど」

2月4日、津波の被害を受けた珠洲市の鵜飼川右岸では、倒壊した自宅などの片付けのために多くの住民が訪れていた。近くには「軍艦島」とも呼ばれる見附島がある。この地域には50人ほどが住んでいた。鵜飼川左岸のほうが津波被害は大きく、重機ボランティアが車を移動していた。右岸側で片付けや飼っていた猫を探している中島由紀さんに会った。



「東北ほどはひどくないかもしれないけど、どうしても日本海側ですから。能登半島なので、富山とか新潟であった地震のほうが津波の意識があったんですよ。富山や佐渡で地震があったら、一番先に津波が心配と言われていました。昔の人に聞くと、福井とか新潟の地震のときは、(津波が来る前に)川の底が見えたとか、(波が)ひいたよ、とか聞いたことがあります。



今までの能登半島沖の地震では津波がなかったので、太平洋ほどは来ないかなと思ったけど、今回、『(津波が)来るぞ』と言われても、みんな歩いて逃げた。避難所の高台まで、年配の人の足なら25分。うちらだったら小走りをして15分以内で着くかなと思うんです。ただ、(漁港近くにある)橋は渡れない前提なので、避難所までは遠回りして逃げたことになります。避難所の体育館もちょっと崩れていて、外でテントを貼って夜を過ごしていました」



ちなみに警察や自衛隊は、ペットの捜索までしてくれない。話をしていると、地域の誰かが飼っている猫が数匹現れた。



「うちの猫は普通の雑種。名前は『ノラ』。多分、(崩落した家の下に)埋まっているのかな。1回目の揺れのときには、潰れたあたりにいましたから。それはたしかなんです。2回目の揺れで走り回って出ようとしたんでしょうけど、多分ダメなんじゃないかな。どこかに行ってると思いたいけど」



●避難所にも「格差」が生じている

避難所への支援も格差がある。これは東日本大震災のときも生じていたことだ。



発信力のありメディアが取り上げる"メジャー避難所"と、さほど取り上げられない"マイナー避難所"があり、どうしても大きな差ができてしまう。



今後は仮設住宅の入居が始まる。希望の通りに入れればよいが、必ずしもそうでもない。地域の人々が日常を取り戻すまでは、まだ相当の時間がかかりそうだ。