真船一雄「スーパードクターK」シリーズの通算100巻到達を記念したトークショー&サイン会が、2月10日に東京・Mixalive TOKYOで開催された。
【大きな画像をもっと見る】「スーパードクターK」シリーズは、“K”の名のもとに集いし医師たちが、万病に挑むメディカルエンタテインメント。1988年から1998年にかけて週刊少年マガジン(講談社)で「スーパードクターK」および「Doctor K」が連載され、その続編となる「K2(ケーツー)」が2004年にイブニング(講談社)でスタートした。同誌の休刊にともない2023年からはコミックDAYSで連載されている。この日のイベントには、真船とともに、シリーズを支えてきた歴代編集者4人も登壇した。
まずは真船が100人の観客に向けて「『K2』が始まってから20年経つそうで、単行本もシリーズ通算で100巻を迎えました。これもひとえに皆さまのおかげと感謝しています」と感謝の言葉を述べる。続けて「今日は編集さんをお呼びしてます。なかなか厳しい戦いになると思いますので、どうか応援してください(笑)」と客席に笑いかけると、登壇者である歴代の編集者を1人ずつ紹介しながら呼び込んだ。「厳しい方だけど、感謝してる」と真船が話すのは、初代担当である梶原和哉氏。新入社員だったころから真船を担当していたという梶原氏は「サラリーマン生活そのものという感じ」と真船と過ごした時間を説明する。
続けて同じく初代担当である林田慎一郎氏が登場。真船が「ムードメーカーの明るい方。僕の結婚式の司会もお願いしました(笑)」と紹介すると、林田氏も「今日はそのまま結婚式にいけるような格好できました(笑)」と軽快に返し観客の笑いを誘う。3人目は前担当である畑山真弓氏。真船が「一見か弱い女性ですがガッツのある方。取材力が素晴らしく、僕が絵を描くことに集中できるのは畑山さんのおかげ」と褒め称えると、畑山氏は恐縮しながらも「褒められちゃったので、倍以上に褒め返していきたいと思います」と意気込む。そして最後に登場した現担当編集・塩崎哲也氏について、真船は「とても真面目で誠実な方。以前テレビの仕事をしていたという変わった職歴をお持ちで、イシさんが東京に行くエピソードを考えてくれた人」と紹介した。
1時間という限られた時間のイベントということもあり、早々にトークがスタート。まずは「あなたの好きなエピソードは?」というテーマで語り合われた。最も担当歴が長いという畑山氏は「応召」と「スペース・オペレーション」の2話をあげ、「『応召』は、一也が医師国家試験の当日に交通事故に巻き込まれる話で、『スペース・オペレーション』は、地上ではできないオペを宇宙空間でするといういわゆる神回」と説明。どちらも共通してて、Kの面白さが凝縮されたエピソードだと述べる。特に「応召」については「打ち合わせで決められたことからどんなネームができるか想像するんですけど、真船さんはそれを超えてくるんですよ」と、“真船節”が炸裂していたと語ると、真船は「打ち合わせにない何かを入れるというのは『K2』になってから意識しました。ネームで編集さんをびっくりさせたいと思って」と明かす。
さらに「スペース・オペレーション」について、真船は「もともと宇宙開発に関して個人的に興味があって、スペースシャトルの資料はたくさん持ってたんですが、ここでこの資料が役に立ってしまうのかと(笑)」と苦笑い。当時担当していた梶原氏も、「思いっきりスケールをでかくしてやろうって(笑)。現実でできるかはわからないですけど」と振り返った。そんな梶原氏があげたエピソードは「カメラ小僧」。好きな女の子を盗撮していた中学生がその女の子の内腿にあったほくろが大きくなっているのに気づき、悪性黒色腫だと発覚する……というもの。梶原氏は「(『スペース・オペレーション』と比べると)すごいスケールダウンというか(笑)、身近なネタですが、オー・ヘンリーの金庫破りの話を参考にうまくまとめてくれて、読後も爽やかでよかったなと思ってます」と語る。すると真船は「『カメラ小僧』では際どいアングルの絵を描くために、そういう雑誌を買いに行くのが恥ずかしかった記憶があります(笑)」という裏話も披露した。
続くトークテーマ「真船先生との思い出で特に印象深いことは?」では、真船、梶原氏、林田氏が、ともに原案協力の中原とほる氏に会いにいった出来事をピックアップ。愛媛で整形外科医として働き、マンガを描く経験もあるという中原氏のもとを訪れた際、宴会の最中に急患が入ったことがあったという。真船は「まるで絵に描いたように顔が変わって、『ああ、お医者さんの顔になった』と。あのときは身震いしました」と振り返る。林田氏、梶原氏も「本当に人相が変わるぐらいの変わり方だった」「プロとはなんなのかを教えられた」と言葉を続けた。
一方、畑山氏はイブニング編集部に医師から電話がかかってきたというエピソードを語る。「お医者さんから問い合わせが来たと言われて、お叱りでも受けるのかとヒヤヒヤしたら、『この話に出てくる手術をすることになったので、その説明のために患者さんに読ませたい』と言われて」と、作品が思わぬ形で役に立ったことに喜びを感じたという畑山氏。さらに「医療情報は極力間違いないように細心の注意を払ってますが、日々変わっていきますし、医学にもいろんな解釈があるので、どれが正しいとも言えない。そんな中で資料を作って真船さんが描かれている」と説明する畑山氏に続き、真船も「どうしても想像で埋めなきゃいけない部分があるので、毎回ヒヤヒヤしてます。もし間違いがあったら真摯に受け止めるしかない」と医療をテーマにした作品を描く難しさも語った。
3つ目のトークテーマ「連載開始当時の話を聞かせてください」では、梶原氏が「スーパードクターK」の第2部として「K2」をスタートさせた経緯を明かす。当時を「電車内でマンガを読む人より携帯を見る人が増えていた時代」と振り返った梶原氏は、電子書籍化も進まずマンガ誌がどんどん潰れていく中、まずはマンガ誌を読んでほしいという思いでどこの編集部もヒット作の第2部を始めようとしたと解説。「正直言って、真船さんはストイックな制作態度なので、売るために描いてほしいというお願いをするのは心配でした。でも引き受けてくれるということで非常に喜んだ覚えがありますし、そのおかげでイブニングがうまくいったので感謝してます」と、梶原氏は真船への感謝を口にする。一方の真船は「僕は週刊誌で2度失敗しました。悔しい思いをして、僕はもうここまでなのかと思ったところでいただいたのが『K2』の話」と振り返り、「今でも思い出すんですが、1話目は全部の線に気を込めたというか、魂を込めたというか……そういう記憶はあります。すべてを注ぎ込んだという気持ちは残ってます」と、「K2」が並々ならぬ強い思いを持ってスタートしたことを語った。
さらに話が「スーパードクターK」の連載が始まった経緯におよぶと、真船は「僕は高校生の頃に体を壊して入院した経験があるんですが、先日古い資料を整理していたら、高校時代に描いたプロットみたいなのが出てきて、そこに医者ものがありました」と振り返り、梶原氏から「医者ものを描かないか」と誘われたときはうれしかったと明かす。そんな提案をした梶原氏は「始めたときは『北斗の拳』で『ブラックジャック』をやろうみたいな発想だったんで(笑)」と歓客の笑いを誘いながらも、「今日初めて高校時代のお話を聞いたんですが、運命の導きがあったのかなと感じてます」とうれしそうな笑顔を浮かべた。
最後のトークテーマは「真船先生に聞きたいこと言いたいことは?」。塩崎氏からの「逃げたいと思ったことはありますか?」という質問に、真船は1度だけあると回答。「少年誌のときですが『もう辞めてもいいや』と思って、それをアシスタントさんに言ったんですね。そしたらアシスタントさんが『ご苦労さん』と。僕がどれだけストレスを溜めてたのかわかってたらしく、『真船さんが辞めるって言ったときに居合わせられてよかった』と言ってくれたのがうれしかった。その言葉のおかげでなんとか立ち直れたという記憶があります」と長いマンガ家人生の中で経験した苦い思い出を明かす。さらに梶原氏からの「華佗の話、いつかやりますか?」という質問には観客からも笑い声が。「三国志」に出てくる世界で初めて全身麻酔で手術をしたとされる医者・華佗について丁寧に説明した梶原氏は、「華佗がKの祖先だった」という裏設定を描いてほしいと冗談めかして述べる。しかし真船には「ストーリーは今の(梶原がした)話でできあがってるので、皆さん想像してもらえたら……(笑)」と流されてしまっていた。
また残りの時間では観客からの質問に答えるコーナーを展開。昨年行われた無料公開をきっかけに起きた「スーパードクターK」シリーズのブームの影響について問われると、真船は「僕の仕事になんの興味もなかった姪っ子がいるんですが、グッズを実家に送ったらごっそり持っていったと聞きました(笑)。ようやく僕に興味を持ってくれたのかなと思ってうれしかった」と回答。また医療の知識で周囲の人たちを治療したことがあるのかという質問に、「そんなことはないんですが(笑)、身内が病気になったときに、親類にどんな手術を受けるかの説明をするのに役立ちました」と返すと、林田氏も「私にも心当たりがあります」と共感していた。
さらに真船が影響を受けた作家、作品についての質問では、真船が自身の経歴を丁寧に掘り下げた。小学生の頃は「キャプテン」の模写をし「自分ではホームランは打てないけど、マンガの中で打てる喜びを知りました」と述べ、中学生になると「あしたのジョー」を擦り切れるぐらい模写し、本気でマンガ家を志すようになった高校時代は小林まことの影響を強く受けたという。高校卒業後は大島やすいちのアシスタントとして働き「先生がどういうことをやって、どんなところをアシスタントに任せているのかを横目で見てました」と回想。「大島先生には本当にお世話になりまして、『おやこ刑事』という名作があるので、できれば読んでいただきたい。僕の師匠ですので、どうかよろしくお願いします」と思いを明かした。
そして最後の挨拶で真船は「1つの作品を長く続ける喜びを強く感じてます」と、読者はもちろんのこと、モーニング、イブニング、コミックDAYSの編集部、講談社に対する感謝を述べる。さらに先日伝えられた芦原妃名子の訃報に触れ「マンガの世界において、起きてはならない事件が起きてしまいました」と心を痛めていることを吐露。「私は先生とはお会いしたことがなく、作品を拝読したことがなく、自分の作品が映像化される機会もなく、そのため何もお力になれず、無力であったことを大変恥じております」と述べながらも、「マンガを描くことが何より好きだった1人のマンガ家が、それを辞める決断をする。そこにどんな闇が襲ったのか、想像するだけで身震いする思いがします。どうか関係各所においては、正直に誠実に調査をして再発防止に努めてほしい」と思いの丈を絞り出す。そして「皆さんも好きなマンガ、好きな作家さんがたくさんいると思いますが、その作家さんをたくさん応援してください。その応援があれば僕らはいくらでもがんばれます」と語り、イベントを締めくくった。
■ 「スーパードクターKシリーズ 通算100巻記念!! 真船一雄トークショー&サイン会」
日時: 2024年2月10日(土)開場13:30、開演14:00
会場:東京都 Mixalive TOKYO B2F Hall Mixa