グラフィックの美麗さは、ゲームの本質とはあんまり関係ないと思っている。これは僕が線画だけで構成されたダンジョンを冒険するゲームの面白さを、骨身にしみて知っているからだ。
しかしグラフィックが美麗だと、ふとしたプレイの合間に画面内に広がる風景を楽しんだりもできる。これもいくつかのタイトルで遊んだ中で知った事実だ。
特に僕は夜明けの映像表現だとか、波打ち際のグラフィックに目を奪われやすい。近年の人気タイトルはこういった部分にも力を入れているので、遊んでいる際についつい遠回りして、そういった景色を眺めてしまうことも多い。
そう考えると、やっぱりグラフィックはゲームの世界観を補填するためにはもう欠かせない存在なのかも。(文:松本ミゾレ)
初代プレステからPS2になったときって凄かったよね
先日、2ちゃんねるに「ゲーム機をPS2からPS5にアップグレードした結果www」というスレッドが立っていた。スレ主は「なんだこりゃ 神かww」と驚いている。
PS2。つまりプレイステーション2は2000年に発売されている。来年40になる僕が、まだ中学生だった頃のハードと考えると、かなり古い機種に思えてくる。初代プレイステーションからの移行期には、PS2のあまりの映像表現の進化に驚いたという古いゲームファンも多かったはず。
もちろん、今の肥えた目で見ればポリゴンやCGムービーは稚拙に見えるだろうけど、やっぱりリアルタイムでこの進歩を目の当たりにしたときは衝撃も大きかった。それから6年後の2006年にはPS3が発売となる。これも映像面の進歩は実感できたが、初代プレステからPS2に進化したときほどの衝撃は得られなかった。
2013年にはPS4がリリースとなる。これもやっぱり、映像も綺麗は綺麗だけども、もうこの辺になると映像よりもいかにゲームとしてそもそも面白いのかということに意識がいった人は多いのではないだろうか。
国内大手のゲーム会社が威信を賭けて送り出した、映像美の極致! ゲーム内に登場するおにぎりにリヴァイアサンと同じ程度の熱量を注いでいます! みたいな感じのビジュアルがウリのゲームよりも、海外メーカーの出すグラはそこそこだけど、自由度とやり込み要素の多いタイトルの方が長く遊べたりするものだ。
まあちょっと話が脱線したけど、とにかくスレ主は23年前のハードから、いきなり現行のPS5にモデルチェンジしたことで驚いている。ここ20年ばかしずっとソシャゲをしていたそうで、据え置き機の進化には無頓着だったと書き込んでもいる。そりゃびっくりするよね、という話だ。
ハードの進化で人物造形がますますリアルになった
またまた話を意図的に脱線させてみたい。これは主に海外メーカーのタイトルに近年見られるようになった特徴なんだけども、登場人物に関してだ。それこそ主役からその辺のNPCに至るまで、最近は普通の顔立ちのキャラが多くなっているように思える。
これは近年の多様性だか何だかに配慮した結果なのかもしれないし、良く思わないゲーマーもいるのかもしれない。
ただ、これによってゲームの世界が間違いなくリアルになっていると思う。つい先日『グランド・セフト・オート6』のトレーラー映像を確認したら、マジで実写というか、登場人物もモブも本当にその辺にいそうな造形なのである。
いかにもゲームゲームしたキャラが見当たらない(このシリーズは大体そうだけどね)。箱庭を移動して遊ぶタイプのこういうタイトルでは、この方向性のキャラ造形は正解だと感じる。
よりリアルなゲーム体験をしたい。あの世界でドーナツ屋に押し入って警官隊と銃撃戦をやりたい。そういう人にとっては、臨場感はさらに増すに違いない。ここ10年ぐらいのFFみたいに仲間になるキャラがほとんど美男美女ってやっぱりなんか冷めるし。
だから個人的にはこうした、現実に必ずしも近づけなくてもいい要素まで現実に即する造形にしちゃう傾向は嫌いではない。もっともこれは僕がおっさんになったことで、ゲームの登場人物を見る目が変わったことも大きいんだろうけど。
ハードが進化したことで、登場人物の顔が普通だったり、ちょっとブサイクだったりすることにあれこれ言えるようになるなんて。スーファミ世代の僕からすると、返す返す驚くほかない。