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「古い/新しい」の尺度では測れないもの。歌舞伎俳優・尾上右近インタビュー

2024年02月09日 19:10  CINRA.NET

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写真
Text by 九龍ジョー
Text by 山元翔一
Text by 山口こすも
Text by 株式会社金斗喜

人の気持ちも、物事の流行り廃りも、とにかく移り変わりの激しく、あらゆることが瞬く間に過去に押し流されてしまう現代。その真っ只中で生きる私たちの足元を照らしてくれるもの、心の拠りどころとなり得るものなんてあるのだろうか。そんなことを考える。

たとえば、伝統芸能が備える「変わらないもの」は、そのひとつとして挙げていいかもしれない。

17世紀初頭に起源を持つといわれる歌舞伎は、400年前からその時代ごとに流行りものを取り入れながら変遷し、文化として存続し続けてきた。歌舞伎とその文化は、変化が激しく先行きも見えない現代を生きる私たちにとって、ヒントをもたらしてくれるかもしれない。以下、『伝統芸能の革命児たち』(2020年、文藝春秋)の著者、九龍ジョーによる歌舞伎俳優・尾上右近へのインタビューである。

変わっていくものと、変わらないもの。伝統芸能を考えるときに、「古い/新しい」という概念が馴染まないのは、いつもそこに「変わらないもの」があるからだ。

江戸時代、浮世絵の一ジャンルとして「役者絵」が流行した。人気歌舞伎役者の舞台上での姿や表情を描いた、いまで言うブロマイドのようなもので、ファンが役者への支持を表現する方法のひとつとしてそれを所有する、という構図に、今日の「推し」文化のルーツを見ることもできるだろう。

動画や写真が当たり前となった現代、歌舞伎俳優が役者絵に描かれる機会は少ないが、昨年、歌舞伎界気鋭の若手・尾上右近を、現代の浮世絵師・塩崎顕が役者絵に描き、それを団扇にするというプロジェクト「KABUKUMONO」が、右近の自主公演『研の會』にあわせて実施された。

塩崎顕から団扇を直接手渡されたばかりの尾上右近に、いま自身が役者絵に描かれることの意味、さらには歌舞伎のこれからについて聞いた。

尾上右近(おのえ うこん)
1992年5月28日生まれ。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。曾祖父は六代目 尾上菊五郎、母方の祖父は俳優 鶴田浩二。7歳のとき、歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で本名の岡村研佑として初舞台。12歳で新橋演舞場『人情噺文七元結』の長兵衛娘お久役ほかで、二代目 尾上右近を襲名。2018年1月、清元栄寿太夫を襲名。

―自身が役者絵となった団扇を手にされて、感想はいかがですか。

右近:僕たち歌舞伎役者には、広告塔という一面もあります。今回みたいな話をいただいて嬉しいのは、その可能性に塩崎さんのようなクリエイターが光を当ててくれたことなんですよね。そして、こうして実物を手にしてみて、やはり嬉しいのと同時に、不思議な感じもするんです。

まず、生きた俳優の役者絵を見る機会が、ほとんどないわけじゃないですか。でも、よく考えれば、役者絵ってもとは生きている役者を写したものなんですよね。

―現代のブロマイドのような役割を果たしたとも言われていますね。

右近:僕も、描いていただく参考に、自主公演(第7回『研の會』)の宣伝のために撮り下ろした『京鹿子娘道成寺』『夏祭浪花鑑』の拵えをして、振りをしている写真をお渡ししたんです。

なので、舞台上でその場面がきたときに、絵と重ね合わせて見るお客さまもいるだろうなと思いました。また、普段の舞台でも、まるで絵のようだった、と言ってくださる方もいます。そういう円環のなかに自分が入っているというのは、とても不思議な気分がします。

『夏祭浪花鑑』(左)と『京鹿子娘道成寺』(右)の尾上右近の拵え

尾上右近の役者絵を用いた団扇。『夏祭浪花鑑』(左)は「伊場仙」、『京鹿子娘道成寺』(右)は「小丸屋住井」という伝統ある会社がそれぞれ製作した(外部サイトを開く)

「KABUKUMONO」のプロジェクトで役者絵を手がけた日本画家の塩崎顕と尾上右近(関連記事を開く)

―実際に舞台上でも、絵のように見えることを意識されますか。

右近:これは以前、横尾忠則さんと対談させてもらった際に横尾さんがおっしゃっていたことで、歌舞伎の舞台は立体的ですけど、決まる瞬間は絵面なんですよね。『研の會』のポスターにも、その感覚を反映してくださいました。もっとも僕自身は、絵を意識するというよりは、もっと潜在的な部分で掴んでいる感覚として、それがあるような気がします。

―昨年8月、浅草公会堂で2日間にわたって開催された自主興行『研の會』では、演目からポスター、グッズに至るまで、ストレートな歌舞伎愛に貫かれているのが印象的でした。

右近:そう感じていただけたのならば、嬉しいですね。今回で7回目でしたけど、僕が目指す「ポップになりすぎず、盛り上がる」という方向性がうまく噛み合うようになってきたかなと。

―ポップになりすぎず、とは?

右近:歌舞伎の興行では「(歌舞伎の)入り口としてわかりやすいものをお届けします」という狙いでポップにしすぎて、歌舞伎通や歌舞伎ファンにとってはミスマッチ、みたいなことがわりと起きがちというか。そういう経験は自分でもあります。

僕としては、10代の若者にも「歌舞伎、めっちゃおもしろい!」と思ってもらいたいし、同時に、ずっと歌舞伎を観ている80代の方にも納得してもらいたいんです。そこのバランスといいますか、いろんな立場や視点を持った方たちに、自分が「歌舞伎のため」と思ってつくりあげた内容がしっかり伝わるようにしていきたいという思いがあります。

―『研の會』も7回目です。歌舞伎の自主公演は、舞台上のことだけではなく、スタッフや集客、会場など興行面のこともあるので、かなり大変だとも聞きます。

右近:いや、大変なのは、全然ありがたいんですよ。僕としては、好きでやっていることですから。そのうえで何が大変かといえば、やはり周りの人たちを大勢巻き込むことなので、そこの責任ですよね。

ただ、そこでケアの目を行き届かせるとか、そういうこともあるわけですが、僕としては、いちばん大事なのは僕自身が「やりたいことをやりきる」ことだと思っています。つまり、僕がやりたいことをセーブせずに全力でやる、というのが、責任に応えることでもあると考えています。

―役者絵のような表現にも顕著ですが、歌舞伎の場合、観客は演目の役柄と同時に、その役を演じている役者を見ているところがありますね。

右近:次々に演じる役が替わる「早替わり」の演出なんて、まさに一人の役者が複数の役を演じ分ける様を見せるわけです。そういう意味で、「型」が残っているというのもおもしろいですよね。型どおりにやれば、誰でもある程度まではよくできる、というのはそうなんですが、役者自身の個性や感じているものが型にどう滲むかで、その「よさ」は変わってくると思うんです。

―お目当ての役者を見にいく、という意味で、歌舞伎はいまで言う「推し」文化の原点とも言われます。

右近:「推し」というのは、いい表現だなと思います。「ファン」よりも、距離感が近すぎない感じがします。昔で言えば、「贔屓(ひいき)」ですよね。「推し変」なんていう言葉もあるくらいで、お互いに個がある状態で「選び/選ばれる」関係というか。

―右近さんは何かを推しているものはありますか。

右近:ありますよ。僕自身、わりとどんなジャンルでも人から入るようなところがあるので。……うーん、でも、いちばんの推しは、やはり「歌舞伎」でしょうか。昨年、新作歌舞伎『刀剣乱舞』に出たことで、よりそれを強く思いました。

―『刀剣乱舞』こと『とうらぶ』といえば、まさに現在の推し文化の代表ともいえるコンテンツのひとつですね。

右近:そうなんです。たとえば、僕は小狐丸という刀剣男士を演じました。なので、カーテンコールで写真撮影OKの時間があったんですが、その際も、僕ではなく、お客さまの多くは小狐丸を見ているということを意識しました。それは、ほかの役者も同じ気持ちだったと思います。

右近:そんなこともあり、打ち上げでは、「『とうらぶ』ファンは推しの刀を観に来てくれているけど、オレたちの推しは、あくまで歌舞伎だからね」なんて話をしていたんです。

―それはアツいですね。

右近:そしたら、千穐楽の日に象徴的な出来事があったんです。『刀剣乱舞』は、三日月宗近という刀剣男士を演じた尾上松也さんにとって、自身が中心になって生み出した初めての新作歌舞伎でした。なので、最後にお祝いをしたいという気持ちもあり、カーテンコールで松也さんにサプライズケーキを用意したんです。

これを『とうらぶ』ファンもいる前でやるのはどうなんだろう? とも思ったんですが、そこは僕たち一同の気持ちでもあったので。すると、松也さんがお客さんにこう言ったんです。「これからも歌舞伎をよろしくお願いします!」と。それを聞いて、そうだ、オレたちの推しは歌舞伎なんだ、とあらためて思いました。

―現代における歌舞伎の推しポイントはどこにあるとお考えですか。

右近:まず、舞台芸術の多くが、日常を忘れさせる——つまり非日常を提供するものですよね。歌舞伎はまさにその典型的なものです。さらに、歌舞伎は演劇であるという側面と同時に、庶民の娯楽でもあると思うんです。

すごく精巧につくられたもの、整理整頓されたプロフェッショナルなものもいいですが、歌舞伎にはどこかバタバタした手づくり感があって、そのマンパワーがゆえの魅力にも溢れています。そういったニュアンスを込めて、「芝居」という言い方もしっくりくるので好きですね。

―右近さんは、他ジャンルの舞台やミュージカル、映画などにも出演されますが、力の入れ方は変わりますか。

右近:基本的にすべておもしろいですし、そのときは歌舞伎のことなんて忘れて、どれも全力で楽しんでいますよ(笑)。でも、歌舞伎に戻ってくると、ここを一生の居場所として選んだ子どもの頃の気持ちに間違いはなかったとも思える。

右近:海外旅行が好きなやつ、みたいな感じでしょうか。「カレー美味い! インド最高~!」と現地で言ってるときは、日本人であることを忘れてしまう、みたいな(笑)。

―ただ、いろんな人に歌舞伎を知ってもらうチャンスでもありますよね。

右近:ええ、歌舞伎の世界にどっぷり身を置きながらほかの世界にも繰り出して、歌舞伎を知ってもらうきっかけになれたら、とは思います。ただ、それは歌舞伎の広告塔になるということではなく、僕の歌舞伎を観に来てください、ということなんです。あくまで僕の身体を通して、僕自身の説得力で、歌舞伎の素晴らしさを伝えていく必要があると思っています。

―時代にあわせた変化についてはどうお考えですか。

右近:ご存じのとおり、歌舞伎には「時代を超えてそのままの形で残ってるもの」もあるし、「時代とともに変化しているもの」もあります。まず、その歴史を眺めるだけでも、とてもおもしろいです。そのうえで、未来に向けて、変わっていくであろうものも、変えてはいけないものもある。

それを判断するのは難しいことですが、僕が目を向けたいのは、歌舞伎という樹木を育んできた土壌のほうなんです。まだ健康に根を張っているのだろうか、養分は足りているのだろうか、と。それがあってこそ、枝葉も繁り、花も咲き、多くの方に気づいてもらえるわけですから。

『第7回「研の會」』より、尾上右近(左:『夏祭浪花鑑』、右:『京鹿子娘道成寺』) / 撮影:田口真佐美

―土壌を肥やす必要があると。

右近:そういう意味で、同時代のクリエイターの方との出会いは養分のひとつなんです。今回、塩崎さんに役者絵を描いていただくという機会をいただいた。たとえば、歌舞伎座の正面にその月の演目をあしらった絵看板が立てられていますけど、僕が歌舞伎座で何か演し物をやるときには、塩崎さんに絵看板を描いてもらってもいいと思うんですよ。

―それができたら画期的ですね。

右近:そういうところでも役者の個性が出たら、楽しいじゃないですか。CINRAはいろんなジャンルのクリエイターの方が参加しているメディアだと聞きました。であれば、尾上右近という歌舞伎俳優はいろいろアイデアを持ちかけやすいヤツなのかも、と思ってもらえたらいいなと。

よく、「歌舞伎の人なのに、こんなに何でも喋ってくれるんですね」と言われるんですよ(笑)。どうも世間では、歌舞伎の敷居っていろいろと高く思われているようで、そういうイメージも変えられるような発信をしていきたいです。