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『セクシー田中さん』問題から考える、映像化のトラブルと作家の権利を代弁する「出版エージェント」の必要性

2024年02月08日 20:10  CINRA.NET

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Text by 小田切博
Text by 生田綾

『砂時計』や『セクシー田中さん』などで知られる漫画家・芦原妃名子さんが、1月29日に遺体で発見された。生前、『セクシー田中さん』の実写ドラマ制作をめぐりトラブルが起きていたことが明らかになっており、原作者が亡くなってしまうという事態に、悲しみの声が広がっている。

『キャラクターとは何か』や『戦争はいかに「マンガ」を変えるか:アメリカンコミックスの変貌』などの著者で、漫画業界の事情に詳しいフリーライターの小田切博氏が、この問題が浮きぼりにした漫画などの映像化の現状、そして出版エージェントの必要性について綴る。

2024年1月29日、漫画家の芦原妃名子氏が遺体で発見されたことが報じられた。

亡くなる直前、芦原氏はXや自身のブログでベリーダンスをモチーフにした最新作『セクシー田中さん』(小学館刊)の実写ドラマについて、最終2話の脚本を自ら執筆した経緯を説明する声明を発表していた。それ以前にドラマの制作スタッフ側が、原作者(芦原氏)の要望によって原作者が脚本を執筆したことをSNS上で明かしており、声明は、芦原氏側の事情を説明せざるを得なくなったために紡がれた文章だったと思われる。

芦原氏のテキストそのものは亡くなる直前、本人によって削除されたため、故人の遺志を尊重する意味で直接の引用は避けるが、内容的には
・「必ず漫画に忠実に」ドラマ化すること
・漫画は完結していないため、ドラマ最終話周辺のプロット、キャラクターの台詞は原作者が用意したものをそのまま用いること
・これらが守られない場合は原作者自身が脚本執筆する可能性があること
をドラマ化を承諾する際の条件としていたことを明かし、実際のドラマ制作にあたってはこれらの条件が守られているとはいえなかったため、やむを得ず脚本執筆に至ったことが書かれていた。

このため芦原氏は、彼女自身が執筆したシナリオの完成度には満足していない旨も述べており、そもそも書かれた動機がドラマ制作スタッフ側の動きに対するリアクションだったとみられることをふまえると、これはドラマそのものや制作スタッフを批判する意図で発表されたものではなかったことはあきらかだ。

原作コミックスの出版元である小学館との協議の上で公開したという声明の公開後、ドラマを制作した日本テレビからリアクションは一切なく、28日、芦原氏は「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」とのコメントを投稿し声明を削除。29日に彼女の自死が報道されるに至った。

事件が明らかになると、日本テレビは追悼コメントを発表。そこには「原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をうかがいながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定稿とし、放送しております」と書かれていた。さらに2月2日、同社は改めて「日本テレビとして、大変重く受け止めております」とするコメントを発表している。

芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております - 漫画家・芦原妃名子さんが死亡 「セクシー田中さん」など連載|日テレNEWS NNN

芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。日本テレビとして、大変重く受け止めております。ドラマ『セクシー田中さん』は、日本テレビの責任において制作および放送を行ったもので、関係者個人へのSNS等での誹謗中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます -
漫画家・芦原妃名子さんを追悼 ドラマ『セクシー田中さん』の出演者らが胸の内明かす|日テレNEWS NNN

こうした漫画原作作品の映像化にまつわるトラブルはじつはこれまでも何度も起きてきたことだ。

1997年にフジテレビ系で放映された高橋しん『いいひと。』(小学館)を原作とする同題のドラマシリーズは、原作者の高橋氏がキャラクターの改変を理由に「原作」のクレジットを外し「原案」に改め、この一連の経緯を理由に作品自体を終了させた(*1)。

2004年からフジテレビ制作で映画、ドラマが展開された佐藤秀峰『海猿』(小学館)はフジテレビ側が無断で関連書籍を制作、販売したことなどを理由に佐藤氏側が版権を引き上げ、現在では映像作品の放映、配信、ソフト化などはできなくなっている(*2、3)。

ほかにも漫画原作企画として企画されながら原作者の許諾が下りず、別タイトルのオリジナル作品として放映された例などもある。

このようなトラブルは通常表立って報道されることはないが、インターネットの普及以降は表面化することが多くなってきている。

思いがけず不幸な結末となってしまったことで、今回あらためてマンガ作品の映像化における問題に注目が集まることになった。

実際に、1月30日には日本映画製作者連盟(映連)が記者会見でこの事件に触れ、そこではおもに映像制作者の立場から原作者の尊重と映像化にあたってのコミュニケーションの重要性が強調された。同じく30日には漫画家の職業団体である日本漫画家協会と同協会理事をつとめる複数の漫画家が「契約等の悩み」が生じた場合は、協会に対して相談するように呼びかけを行なっている。

日本の場合、特に漫画は持ち込みや新人賞への応募などで出版社とのつながりができると、映像化や商品化の許認可・契約などを出版社に委託することが慣例になっている。しかし、出版社と漫画家の利害は必ずしも一致しない。

ドラマ化や映画化のようなメディアミックス展開はその事実だけで出版社にとっては自社商品の広告宣伝としての意味を持つが、作家にとっては自作のブランドイメージの維持、構築のため制作された映像作品のクオリティが問題になる。クリエイターにとっては、ある作品が「その作品である」ことには内的な必然性があり、多くの作家にとってそのような必然性を担保できないなら、じつは自作として当該の映像作品を認める必要が本来ないのである。もちろんそのようなこだわりを持たないクリエイターもいるだろうが、いずれにせよそれは著作権を有する原作者が判断する権利を持つものだ。

今回の芦原氏の事件を受けて、先に挙げた『海猿』の映画化、ドラマ化をめぐる経緯について作者である佐藤秀峰氏は「死ぬほど嫌でした」と題する手記(*3)を公開したが、そこには自作の映画化について「詳しい話は聞かされず、ある日映画化が決まっていました」という実情が書かれていた。

ここで指摘されているのは、著作権者の意向を置き去りにして出版社と映像制作を担当する企業のあいだで映像化企画がひとり歩きしているという事実なのだ。

佐藤氏の例を見ればわかるように、今回「漫画家の職業団体」である日本漫画家協会が漫画家に対して相談を呼び掛けている「契約等の問題」とは、映像制作会社と漫画家との「契約」ではなく、これまで慣例としてなんとなく容認されてきた、原作者を置き去りにして映像化企画などが勝手に進められてしまうような、出版社と漫画家のあいだで交わされる「代理人契約」に対するものなのだ。

いっぽうで『アンナチュラル』などのヒット作で知られる脚本家の野木亜紀子氏は、自身のX(旧Twitter)アカウントへの2月2日のポスト(*4)で、映像制作サイドの事情として、原作のある企画を担当する際に脚本家は原作者と「『会えない』が現実で、慣例だと言われています」と明かしている。

このような「慣例」が自明視されてしまっているのも(特に現在進行形の連載作品の場合は)マンガの作品制作や販売を優先する出版社が、映像化に関してマンガ家の代理人になっていることと無関係とはいえないだろう。

一定以上の経済的成功を収めたマンガ家は、映像化権や商品化権などの財産権を出版社から引き上げ、自身のプロダクションで版権管理を行なうケースが多いが、これは必ずしも商業的な理由だけでなく、作家的な動機が根底にあってのことなのである。

新人賞や専属契約による雑誌媒体での新人マンガ家育成は、これまで日本マンガの特徴、強みとして語られることが多かったが、インターネット配信の普及やSNS出身のマンガ家の登場などによって、職業マンガ家としての唯一の入り口ではなくなっている。

小説家、漫画家、イラストレーターなどの著作権者と契約し、その意向や利害を代弁する立場で出版社や映像制作会社等と交渉し、出版契約や映像化権契約の契約実務を代行する専門家を出版エージェント(代理人)という。

日本ではあまり耳慣れないこの仕事だが、近年日本の出版業界でもボイルドエッグスやコルクなどこの業務を専門に行なう業者が増えてきた。

このようなエージェントが出版社や編集プロダクションと異なるのは、出版や映像化の対象となるコンテンツに対して100%作家の利害を代弁する立場で交渉を行なう点だ。先にも述べたが、出版社や編集プロダクションはすでに作品の制作や出版というかたちで当該コンテンツに対して作家自身とは異なる利害関係を持っている。

たとえば映像化企画が持ち込まれた場合、エージェントも出版社も作者の意向を受けて企画に対する諾否を伝える点では変わらない。しかし、作家が映像作品の監修を希望し、それが連載中の作品だった場合、出版社や編集プロダクションは監修作業のスケジュール調整やそのためのギャランティーの交渉を、自社の担当する作品の制作や販売に優先して行なうだろうか。

グローバル化やインターネット配信、メディアミックスの増加などによってビジネスとしての規模が増大し、流通経路やメディア展開が多様化している現在、出版者と雑誌主導で発展してきた日本のマンガ界でも、今後は出版エージェントの活躍が求められていくと考えられる。

2023年4月に経団連はクリエイター育成を重視すべきだという趣旨の政策提言「Entertainment Contents ∞ 2023」を発表している(*5)が、本気でクリエイター育成を重点政策と考えているのであれば、今後はこうした既存の業界慣習を見直し、クリエイター自身の利害や意思を直接反映させていけるような制度、仕組みづくりをきちんと考えるべきだろう。