Text by 羽佐田瑶子
Text by 後藤美波
Text by 小林茂太
映画『春原さんのうた』で『第32回マルセイユ国際映画祭』グランプリを含む3冠を獲得し、国内外で高い評価を得る杉田協士監督による最新作『彼方のうた』が公開中だ。
映画に登場する人物たちは、それぞれに喪失感や悲しみを抱えているように見える。その理由について劇中ではっきりと説明されることはないが、互いを気にかけ、手を差し伸べようとする姿が84分の映像に満ちている。なにかを抱えながらも相手を想う、その姿から観客は多くのことを想像し、映画と重ねるように自らの過去の出来事に思いを馳せることになるだろう。
この日、『ポレポレ東中野』で行なわれた舞台挨拶は満席。登壇した、俳優の小川あん、中村優子、眞島秀和、そしてメガホンをとった杉田協士監督に「喪失」とどのように向き合ったのか、話を伺った。
左から:眞島秀和、中村優子、小川あん、杉田協士
─本作は小川あんさんの出演が先に決まっていて、中村優子さんと眞島秀和さんに関しては当て書きした脚本を用意してオファーしたと舞台挨拶で伺いました。眞島さんと中村さんは、脚本を読んだときどんな印象を受けましたか?
眞島:監督が持っている独特の穏やかな空気感が、現場だけでなく脚本の段階から感じられました。ただ、余白の多い脚本だったので、この人物は何を生業にしているのか、このやり取りは何を意味するのか、といった具体的なところがわからず、だからこそ惹かれていったのかもしれません。
眞島秀和(ましま ひでかず)
1976年生まれ、山形県出身。1999年、『青~chong~』(李相日監督)に主演し俳優デビュー。近年の主な映画出演作に『劇場版 おっさんずラブ ~LOVE or DEAD~』(瑠東東一郎監督)、『破戒』(前田和男監督)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(市井昌秀監督)、『“それ”がいる森』(中田秀夫監督)、『ある男』(石川慶監督)など。2023年はドラマ『大奥』『しょうもない僕らの恋愛論』『Dr.チョコレート』への出演のほか、舞台『My Boy Jack』で主演を務めるなど幅広く活躍。2020年より『日経スペシャル ガイアの夜明け』のナレーションを担当。2024年1月期は、MBS/TBSドラマイズム『#居酒屋新幹線2』主演のほか、テレビ朝日 金曜ナイトドラマ『おっさんずラブ-リターンズ-』にも出演。
─眞島さんは杉田監督の映画学校の修了作品や、次作の『河の恋人』(2006年)にも出演されるなど20年以上のお付き合いがあると聞きました。
眞島:久しぶりに杉田組に参加するということで、とても嬉しい気持ちはありつつも、繊細に人を描いている映画なので、役者としてどういう状態で作品に入っていくのが正しいのか悩ましいところはありました。
杉田:現場では、そんな雰囲気は一切感じませんでした。
眞島:なんて言うんですかね……監督と僕は同年代だから、ということもあるかもしれませんが、これまでの人生で積み重ねてきた「なにか」を試されているような感覚になりました。
杉田くんはそんなつもりないでしょうけど、静かなプレッシャーを感じていました。僕をイメージして書いてくれたと言うけれど、作品があまりに繊細で優しいから、僕のことをものすごく勘違いしているんじゃないかと(笑)。
杉田:(首を振る)そんなことないです。撮影で印象的な出来事があったのですが、あるシーンで脚本にはなかったけれど物語の助けになるようなセリフを足すかどうか迷っていたときに、眞島さんから「杉田映画はそんなセリフ言わなくていいでしょう」と提案してくださったんです。
眞島:そんなこと、言いました?(笑)
杉田:はい。前にご一緒してからずいぶん時間が経ってしまいましたけど、そのあいだに撮った映画も観てくださっていて、映画や私たちのことを考えたうえで発してくださった眞島さんの言葉には勇気づけられました。
杉田協士(すぎた きょうし)
東京都出⾝。『ひとつの歌』(2011)、『ひかりの歌』(2017)がそれぞれ『東京国際映画祭』などへの出品を経て劇場公開。『春原さんのうた』(2021)が『第32回マルセイユ国際映画祭』にてグランプリを含む3冠を獲得、『第70回マンハイム=ハイデルベルク国際映画祭』ではライナー・ヴェルナー・ファスビンダー賞特別賞を受賞し、他にも『サン・セバスチャン国際映画祭』、『ニューヨーク映画祭』、『釜⼭国際映画祭』、『サン・パウロ国際映画祭』、『ウィーン国際映画祭』、『FICUNAM』、『⾹港国際映画祭』など世界各地の主要な映画祭を巡り、2022年に劇場公開。『第36回⾼崎映画祭』にて最優秀監督賞受賞。今作が⻑編4作⽬となる
中村:私も、脚本から余白を感じました。まるで、詩や短歌のようだなと。その余白からさまざまなことを想像して、自分自身に重ねて読むことは、映画と観客という関係性であれば成立すると思うのですが、役者としてはこのまま演じてしまうと杉田さんと私の思う雪子(※中村が演じた役名)が、どれだけでも離れてしまう可能性があると思ったので、監督には役について質問させていただきました。
─ふだんはあまり、そういうことはされませんか?
中村:書かれていないことも、自分なりに想像して役に近づこうと試みるほうだと思います。ただ、今回は雪子がまとうものを杉田さんと一緒に探したいと思ったので、少しお手紙のやり取りをさせていただいて、実際にお会いしました。それからは、ときどきメールで思いついたことを質問して。
中村優子(なかむら ゆうこ)
1975年生まれ、福井県出身。2001年、『火垂』(河瀬直美監督)で『ブエノスアイレス映画祭』主演女優賞を受賞。2007年、『ストロベリーショートケイクス』(矢崎仁司監督)で『ヨコハマ映画祭』助演女優賞を受賞。その他、近年の出演作として『野火』(塚本晋也監督)、『太陽』(入江悠監督)、『九月の恋と出会うまで』(山本透監督)、『ユンヒへ』(イム・デヒョン監督)、『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱監督)、『ゆめのまにまに』(張元香織監督)、『エゴイスト』(松永大司監督)、BBC Two / Netflixドラマ『GIRI/HAJI』、TXドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』、ドラマW『フェンス』などがある。
杉田:たまに中村さんから雪子に関する質問が届くんです。「雪子はどういう色が好きですか?」など。そのやり取りが新鮮でした。やり取りを重ねるなかで、中村さんには聞かれていないことも含めて、雪子がここに至るまでの半生をまとまった文章で書いたほうがいいだろうと思い、文面を渡しました。
─監督は事前の打ち合わせやすり合わせのようなことをされないと伺ったことがありましたので、それは珍しいことですね。
杉田:そうですね。いつも撮影してくださっている飯岡幸子さんともこれまでに事前打ち合わせをしたことがなかったのですが、飯岡さんも「今回はわからないことは全部聞きます」とおっしゃっていたので、そういう作品だったのかもしれません。飯岡さんにも雪子に関する文章を渡しましたし、中村さんのおかげで、いままでと少し違うアプローチができました。
『彼⽅のうた』 ©2023 Nekojarashi Inc.
─春(小川あん)、雪子、剛(眞島秀和)からは、言葉にせずともニュアンスとしてそれぞれの抱える喪失や悲しみを感じ取れて、蓋をしてきた心の扉にそっと触れるような心地になりました。映画で描かれた「喪失」というテーマについて、演じられたみなさんはどんなふうに考えていましたか?
小川:たしかに、私たちはそれぞれ違う喪失を抱えていました。ですが、私はあえて「喪失」についてあまり考え込まないようにしていました。
やっぱり人は、失ったまま落ちていくのではなくて、それでもなにかを手に入れようとする強さを持っているというか。失ったものは置き換えられないはずだけれど、もっとポジティブなものを掴もうとする反動が無意識にあると思うんです。
小川あん(おがわ あん)
1998年⽣まれ、東京都出⾝。2014年に『パズル』(内藤瑛亮監督)で映画初出演。以降、『天国はまだ遠い』(濱⼝⻯介監督)、『あいが、そいで、こい』(柴田啓佑監督)、『スウィートビターキャンディ』(中村祐太郎監督)などに出演。2023年は『PLASTIC』(宮崎⼤祐監督)、『4つの出鱈目と幽霊について』(山科圭太監督)、『犬』(中川奈月監督)と主演作が立て続けに公開。公開待機作に、ベルリン映画祭などに出品された『⽯がある』(太⽥達成監督)など。『DVD&動画配信でーた」』にて連載、『週刊文春CINEMA』への寄稿など執筆活動も行なっている。
─喪失を乗り越えるという感じではないけれど、もっと強いエネルギーを求めるようなイメージでしょうか。
小川:そうですね……私自身も失ったものを乗り越えたり置き換えたりすることは難しいと思っていて、それでも春は生きるために何を頼りにするのか、どんな瞬間に幸せを感じるのか、そういう春の思考について考えを巡らせました。
杉田:いまの話を初めて聞いて、私の中で腑に落ちたシーンがありました。じつは、ラストの春の表情は2テイクあるんです。2テイク目を映画に使ったのですが、たしかに1テイク目はそういう顔をしていました。喪失に対して、前向きに向き合うスイッチを入れている表情だったんだと。
小川:ああ、そうかもしれません。
─2テイク目を選んだのはどうしてだったのでしょうか?
杉田:脚本を書いているときに思っていたのは、そういう方向ではなかったからです。私の中では、結局喪失や悲しみは埋められない、という感覚があり、1テイク目も素晴らしかったのですが、おそらくそれでは私自身がこの映画を終われないと思いました。それで、小川さんに「ちょっといいですか」と声をかけました。
中村:どこも見ていない目をしてください、とおっしゃっていましたよね。
杉田:覚えてくださっているんですね。
中村:とても印象的だったんです。脚本を読んだとき、自分が雪子を演じるという意識もありながら、最後の春とのシーンで完全に読者になっていて「この子(春)は、このままだとどこか知らないところに行ってしまうから、止めなきゃ」と思ったんです。たぶん監督は、春にその顔を求めていらっしゃったのかなと思います。
小川:春はずっと、人肌の温もりを求めていたんだと思います。1テイク目の春は雪子さんが与えてくれた温もりを無理に肯定しようとするというか、それを受け入れる理想の自分を演じようとする感じがありました。そうすると結局、心のうちに蓋をしてごまかしてしまうことになってしまう。でも、2テイク目のときは、ザワザワする心の中を開けたままの状態で演じられたと思います。
杉田:観ていただくとわかると思います。同じ集中力のお芝居ですが、1テイク目と2テイク目でははっきり違いました。とくに目がぜんぜん違っていて、この表情に出会うために(映画を)やってきたな、と私はそこで確信しました。
─雪子がどれだけのものを抱えているのか、最も想像が難しかったです。中村さんはどう「喪失」と向き合って演じられたのでしょうか?
中村:私自身は、喪失は時の流れとともに形が変わっていくものだと思っています。まだ、時間が浅いと鋭いけれどどこか浮遊するように現実味がなくて、時間が経つと鋭さはなくなっていくけれど反比例するように、深さは増していくと思うんです。
─身体のなかに棲み着く感覚はあります。
中村:雪子はどういう状況なのか、それを探していたときに、杉田さんからいただいた文章に雪子が失ったものにまつわるエピソードが書かれていたんです。私がぼんやり想像していたものよりも遥かに壮絶で、散弾銃で撃たれたくらいの衝撃を受けました。
─そんな壮絶な過去を、杉田監督は話さないつもりだったんですね。
杉田:基本的に、聞かれないと言わないタイプなので(笑)。
中村:聞いてよかったです(笑)。そこから、雪子の喪失はより深くて重みのあるものになりました。
─次第に、雪子の雰囲気が変わっていったように感じたのですが、演じるうえで喪失の深さや重みが変わっていく感覚はありましたか?
中村:スタートが、身体も動かないほどずっしりと重たく、深淵に絡め取られかねない状態だったのですが、「春」という新しい風が自分に入ってきたことで少しずつ変化したのかもしれません。
喪失そのものは変わらないですし、つねに雪子のなかにあるものなんですが、それを抱えながら歩く。そして、彼女は「食べること」をとても大切にしているんですね。それは大事な人から受け継いだことなのですが、生きていく基本である「食べる」ができているかぎり、彼女は元気になっていけると思っていました。
─眞島さんはいかがでしょうか?
眞島:自分なりの解釈ではありますが、喪失は重さも大きさも人それぞれ違う。だから、映画で具体的に明かさないのでしょうし、「人と比べるもんじゃない」というのは演じながら感じていました。
喪失に対する向き合い方も、すごく現実的だったと思うんですよね。ふとしたことで、誰かがそっと寄り添ってくれて救われることもあれば、そうじゃないこともあると、言われているような気がしました。
─救われることもあれば、そうじゃないこともある。
眞島:こういう解釈になるのは、僕がちょっとネガティブな性格だからかもしれません(笑)。ただ、人間は孤独な生き物だし、なにかを抱えていて当たり前だと思っているところはあります。
みんながみんな救われるわけじゃないけれど、ひょっとしたら人生の先には希望のようなものがあって、そういうぼんやりとしたものを感じさせてくれる。『彼方のうた』は、優しいだけの映画じゃない、という気がします。
─杉田監督は「喪失」をどう考えながら映画に向き合っていたのでしょうか。
杉田:映画をつくっているあいだは、じつはそんなに喪失について考えていませんでした。たまたま、自分が映画で選び取ったことが「喪失」だったという、そんな距離感です。
ただ、最近この映画の始まりについてよく聞かれるようになり、あまり言葉にできないと思っていたのですが、みなさんの話を聞いて思い出したことがあります。学生の頃、たまたま街で見かけた程度のまったく面識のない方だったのですが、その人の一瞬の表情がすごく心に残っていて。もしかしたら……いま自分が声をかけなかったら、この人はいなくなってしまうかもしれないとふいに思ったんです。ですが、何も声をかけられませんでした。だって、声のかけようもないから。
─そうですよね。
杉田:気になったまま私は、その場を去ってしまいました。結果、私はたびたびその場面を思い出しちゃうんです。なんであの時、わけのわからない感じでもいいから、話しかけなかったのだろうと。
まさに映画の冒頭の中村さんの佇まいは、当時見かけた方の表情そのものでした。喪失とまではいきませんが、自分の人生で経験してきた「あのときできなかったこと」を、私は映画にしようとしているのかもしれないと、ふと思いました。
─映画をつくるときは、どういったことを起点に物語をつくっていくのでしょうか?
杉田:私は映画を撮るときに「人」と「場所」を決めて、そこから構想を広げていくのですが、今回は小川あんさんで撮るということと雪子の部屋、その2つを決めていました。
じつは、雪子にはモデルとなる人物がいるんです。雪子にベランダで干し柿のつくり方を教えている吉川愛歩さんがモデルで、雪子の部屋も吉川さんのご自宅なんです。あそこでごはんをいただいたこともありますし、大切なお話も聞かせてもらった、私にとって大事な場所なので、自分の人生と少しつながりを持ちながらつくっていました。そうしたら、「喪失」のようなテーマにたどり着いたんですね。それはきっと私自身が、失った「なにか」をどうしても埋められないと思っているところがあるからなような気がします。
『彼方のうた』場面カット ©2023 Nekojarashi Inc.
─埋められないままだけれど、うまく付き合っていこうとする前向きな姿も感じました。たとえば雪子と春が料理をつくったり、剛と春が映画をつくったり、他人同士でも「一緒につくる」という行為が生きていくことの光になる、という印象を受けたのですがいかがでしょうか。
杉田:たしかにそうですね。言われて気がついたので無意識ではありましたが(笑)、自分がそうやって助けられてきたんだと思います。
学生の頃、子どもたちと演劇をつくるワークショップの外部スタッフとして関わっていて、会ったばかりの知らない人たちと「一緒につくる」、その可笑しさと楽しさ、そういうものに助けられてきました。
ごはんをみんなで食べるのも、一緒につくる行為に近いものがあると思うのですが、父が昔やっていた小さな製造業の会社で、給料日になると社員さんたちが仕事の後にみんなで母のご飯を食べているところに、私も混ぜてもらっていたんです。誰ひとり喋らないおとなしい方々だったので、にぎやかな食卓とは真逆ですが、そういう場面を子どもながらに見ていて、家族じゃないけれど一緒にいる人たちとごはんを食べることが、自分の原風景にあります。
小川:杉田さんの撮影現場もみんなで食事を囲む時間がありましたよね。
中村:ありました。日によりますが、食事休憩が1時間あって、3時にお茶タイム。監督やスタッフさんが出張先でその土地のおいしいものを買ってきてくださって、みんなでワイワイ食べましたね。
眞島:スタッフのみなさんはこれまで何本もご一緒されている方々だったので現場がすごく温かい空気で、その様子を僕はよく眺めていて。小川さんが舞台挨拶でおっしゃっていましたけど、僕も現場で見た人の横顔がすごく印象に残っています。
中村:たしかに、みなさんが集中して仕事をされている風景だけでなく、飯岡さんが日向ぼっこをしていたりとか、そんな風景も覚えていますね。
小川:音響の黄(永昌)さんが木にぶら下がって筋トレをしていたり。私も一緒にやってました(笑)。
中村:そんなふうに日常がある現場だから、撮影も日常のなかにカメラが置かれている、見守ってもらえるような優しさがありました。
眞島:だけど、温かいだけじゃない、というのも感じました。僕は、春が街中で一人でずっと立っている画が好きだったのですが、あそこでは彼女が何かを抱えていることが立ち姿から感じられるのに、そこをただ通り過ぎていくだけの人がいっぱいいるんですよね。
他人は他人というか、そういう人もいることを思わせてくれるあの瞬間がすごく好きで。そういうところから、「ただ優しいだけじゃないぞ、この人は」と杉田くんに思いました。
杉田:「ただ優しいだけじゃない」って言われるの、今日2回目ですね(笑)。
眞島:でも、何が正解というのはないけれど、杉田くんにはこのまま変わらずに、監督らしい作品をつくってほしいです。
杉田:そのままでいてほしい、といろんな人に言われるんですよね。
眞島:無理強いしているわけではないんだけど(笑)、この年齢まで来たら人間の根幹は変わらないだろうし、そのままのスタイルでいろんな作品をつくれる人だと思っているので、次の作品も楽しみです。