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大谷翔平が能登半島地震に寄付表明、3.11で自身も経験した被災者としての想い

2024年01月17日 06:00  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

大谷翔平

《復興活動に参加してくださった方々に感謝するとともに、今後も私たちが団結していき被災された方々を支援していきたいと願っています》

 1月1日に発生した能登半島地震の被災地支援のため、所属するドジャースと共同で寄付を行うと発表した大谷翔平

金額はドジャースと、そのオーナー会社は100万ドル(約1億4500万円)、大谷選手も金額は明らかにしていませんが、個人で寄付を行うようです」(スポーツ紙記者、以下同)

「震災後はもっと周りのことを考えようと」

 これだけの支援を行うのは“3・11”で自身も被災者となった経験からだろう。

「大谷選手は、岩手県の花巻東高校の1年生だったときに東日本大震災を経験しています。地震発生時は練習中で、すぐに避難。校舎にヒビが入り、野球部の寮は停電になったそうです。内陸の奥州市にある大谷選手の実家は大きな被害は受けなかったのですが、チームメートには実家が津波で流された人もいました

 この未曾有の災害が、大谷を成長させたよう。

「当たり前のことが当たり前でなくなったことで、チームの団結力が強くなりました。大谷選手も“それまでは自分中心だったと思う。でも、震災後はもっと周りのことを考えようと思いました”とインタビューで語っていました。大谷選手は震災でつらい思いをしたチームメートに積極的に話しかけ、励ましていたのが印象的です」(大谷の知人)

“野球と震災はこじつけるものではない”

 震災から10年がたった2021年には、

《月日とともに薄れていくことも多い中で“忘れてはいけない事”“忘れられない事”も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるように、まだまだ頑張っていきたいと思っています》

 と、当時所属していたエンゼルスを通してコメントを発表したが、実は震災について語る場面は少ない。

「大谷選手は“野球と震災はこじつけるものではない”と考えているようです。震災によって苦しむチームメートを目の当たりにしたからこそ、簡単に口にすることができないのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

 東日本大震災を経験し、能登半島の被災者の苦しみにも“共鳴”した大谷。地元・岩手の人の目にはどう映っているのか。奥州市の『ふるさと応援団』の顧問を務め、大谷の実家近くに住む立花公夫さんに話を聞くと……。

 

翔平くんはすごいことをしたなと。ここは内陸ではありますが、震災当時は大変でした。それを思い出すと、今の能登の人たちは、なお大変だろうなと思います。そういった大変な人たちにも想いがいくのが翔平くんらしいですね

 二刀流で日本に元気を与える大谷は、これからも被災者の心に寄り添い続ける。