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刑事弁護のレジェンドに学んだ元裁判官の「名弁論」 吉田京子弁護士、法令違憲を勝ち取っても歩みは止めず

2024年01月13日 10:11  弁護士ドットコム

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最高裁で「名弁論」といわれた。海外にいる日本人が最高裁判事について審査する「国民審査」の投票ができないことについて、戦後11件目の法令違憲判決を2022年5月、勝ち取った裁判で吉田京子弁護士(41)がおこなったもの。木下昌彦神戸大教授が詳細を記している(https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/146175/df646cff62cfebd3f0a6bf4c83044490?frame_id=667499)。


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吉田弁護士はこの大きな仕事をなし得てすぐに、とどまることなく受刑者の選挙権を求める国家賠償訴訟へと向かった。



20年前、東京大学で行われたあるパーティーでベテラン弁護士が言った。「階段をのぼってドアを開けると今より広い世界が広がっている。ドアを開け続けることですよ」。少しでも社会を良くしようとしてきた先人がいる。不安になった時も、この言葉を思い出して進んでいけるという。裁判官を経て、刑事弁護の世界へ。2人の子どもを育て、米国留学も果たした。前進し続ける吉田弁護士の原動力を聞いた。





●裁判官からの転身

カルロス・ゴーン氏の弁護団の一人でもある高野隆弁護士の事務所に約10年前に入所した。2011年に裁判官をやめて研究者になろうとしていたころ、高野氏が覚醒剤密輸事件で無罪判決を取った法廷を傍聴し、震えた。尋問や弁論を「法廷技術」として後進指導をしている高野氏の弁論は「名物」とされている。



傍聴席で一言一句を聞き漏らすまいとメモを取った。走り書きの文字で「一生けんめいやってこの人になれるか――なれない じゃあどうするんだ私」と書いていた。まだ子どもも幼く、不安もあった。でも判決の日、被告人から「ありがとうございました」と言われた。無罪を信じて最前列に座っていたのが見えたのかもしれない。刑事弁護には、相当の覚悟が必要だった。考え抜いて「それでも自分にやれることがあるのではないか」と信じて弁護士の道に舵を切った。





●選挙権への思いの原点

思えば、人との出会いが、人生をつくってきた。愛知県の進学校・岡崎高校に進んだものの、いわゆる試験の勉強には身が入らずにいた。しかし、担任の中西満貴典先生は「勉強しちゃあかんよ」と言って、フーコーや吉本隆明の著作を勧めてきた。



見識が深まるにつれ、東大で勉強したいとの思いが募り、3年時に学年2番になった。後日、親に聞いたところ、先生は「吉田さんは勉強しろと言われれば反発する」とわかっていたらしい。法律や社会にまつわることを学びたいと法学部に進んだ。



東大1年生の時の2001年、司法制度改革を知る。ロースクールに行こうと、旧司法試験は受験しなかった。そのぶん、「法律相談所」というサークルでのびのびと活動し、人のつながりが広がった。



20歳になったころ、地元の愛知県に住民票を置いていた。衆院選がおこなわれたが、東京では投票はできないと思い込んでいた。すると、選挙に詳しい友人が「不在者投票」という制度があると教えてくれた。



「初めての国政選挙投票の経験でした。これ以降、一度も投票権を無駄にしていません。留学前に、当事者として在外投票権の訴訟に加われたのも、ここが原点かもしれません」



ロースクールでも出会いがあった。多様な人材を確保しようと学生を集めていた創成期で、出版社の社員や公務員など年上の友達と議論をしたり、飲みに行ったり、映画を見たりと幅広い経験を得ることができた。



なかでも、学生主体ではじめた「法律出張教室」は印象的だったという。それぞれのロー生の母校で「いじめ」「契約」など身近な法律トラブルを分かりやすく解説することを目的としていた。その後東大の総長賞を取るほどの取り組みとなった。 



「社会と関わろうという気持ちが強かったように思います。同世代はもう社会で働いているのに、まだ学生をやっているモラトリアムだという負い目のようなものがあったのかも。新潟中越で地震が相次いだ時期でもあり、そのボランティアにも協力しました」 



●傍聴席にも訴えかける

そして2011年、高野弁護士との最大の出会いを迎える。しかし、最初からうまくいったわけではなく、刑事弁護士になってはじめて受任した強制わいせつ致傷事件では無罪主張が認められなかった。塞ぎ込んでいたら、同僚の趙誠峰弁護士が「ここで刑事弁護やめたら、これから先、吉田さんの手によって無罪になるべき人が有罪判決をもらうことになっちゃうからそうならないようにがんばってほしいです」とメッセージをくれた。師匠や同僚に支えられ、2019年には実際に無罪判決を得た。



仕事に全身全霊をかけるから、負ければつらい。受刑者の選挙権を求めた訴訟では2023年7月、東京地裁で棄却された。不覚にも、記者会見で泣いてしまった。それでも報告しようと、長谷部恭男早稲田大学大学院法務研究科教授にメールを書いた。控訴審に向けて、意見書を書いてくれた。



2023年10月、控訴審では語りかけるような、こんな弁論をおこなった(一部抜粋)。今年3月13日に判決を控えている。



「どうして受刑者は選挙ができないんですか」この訴訟を知った人から、もっとも多く尋ねられた質問です。昨日、娘に聞いてみました。彼女は小学校2年生です。なんで、刑務所にいる人は選挙ができないの?だって捕まってるから。なんで、捕まっている人は、選挙ができないの?んー、悪いことしたから。悪いことした人は、どうして、選挙ができないの?知らない。なんでだと思う?わかんない。答えがないというのが答えです。私の娘の答えはまったく正しかったのです。答えはない。わからない。それが正しい答えです。どうして答えがないのか。「受刑者」という人はいないからです。いま刑の執行を受けている人がいる、というだけです。ホームレスの状態の人はいるけれどホームレスという種類の人がいるわけではありません。受刑者も、ずっと受刑者なのではない。彼らは、本を読むのが好きで、熱心に手紙を書き、壁に貼られた新聞を毎日眺めています。私たちと同じように期待し、失望し、また立ち上がろうとしているただの人です。彼らを無理やりひとくくりにして、彼らのすべてを選挙から遠ざける理屈など、見つかるはずがないのです。家があってもなくても、法律上の家族関係がどうであっても、病院にいる人も元気な人も、言葉に詰まって泣き出す弁護士であっても、もちろん刑務所にいる人たちもまた、誰もがこの国の主権者です。主権者から選挙権を奪うことはできません。



●人に出会い、影響しあってきた

高野弁護士から法廷技術は学んだが、20年後、高野氏はいないかもしれない。「吉田流」を編み出していく必要がある。対話劇にしたのは、一方的な訴えにならないようにするためでもあるが、傍聴席に座る一般市民にも伝えたいとの思いがあるからだ。司法に興味のない人からもらった素朴な疑問をヒントに作り上げた。



しかし、国賠訴訟は労も多い。もちろん収入も得にくい。それでも、弁護団を組んで取り組むことに意味があると吉田氏は強調する。



「弁護団で知恵を出し合いながら、より良いものを作っていく作業は、RPG(ロールプレイングゲーム)みたいで楽しいです。パーティーのそれぞれが、得意分野を生かして、たまには喧嘩もするのが面白い。はちゃめちゃな私みたいな人が、元気に楽しく仕事しているということだけでも知ってもらえれば、若い人にも興味を持ってもらえるかな」



人に出会い、人の言葉を吸収し、成長し続けてきた吉田弁護士。自然と彼女の周りには、やはり人が集まるのかもしれない。






【取材協力弁護士】
吉田 京子(よしだ・きょうこ)弁護士
愛知県出身。東京大学法学部、同大法科大学院修了。2011年に裁判官退官後、弁護士登録。2020年 UC Hastings College of the Law 卒業。2023年には学習院大学法科大学院特別招聘教授に就任している。2022年5月、原告代理人を務めた在外日本人の国民審査権訴訟では、最高裁大法廷が全員一致で法令違憲判決を出した。

事務所名:高野隆法律事務所
事務所URL:https://takanolaw.jp/