少し風邪気味のときなど、近所に信頼できるかかりつけ医がいれば、安心できるもの。でも、長らく地域に根付いているクリニックだからといって、必ずしも医者の腕がよいとは限らない。
今回話を聞いた40代男性が、十数年前に住んでいた新宿区神楽坂で出会ったのは、軽い風邪と花粉症の時だけは信頼できる奇妙な個人医院だった。(文:昼間たかし)
受付にはおばちゃん一人。待ち時間は常にゼロ
その医院は、神楽坂の少しはずれにある住宅街の中にあった。
「風邪気味だった時に、自宅から一番近かったので風邪薬でも処方してもらおうと、何の気なしに訪れたのです」
その医院はリフォームはしていたものの、年季が入っていてなかなか風格のある門構え。古くから地域に根付いているようにみえた。しかし、扉をあけると、いささか奇妙な雰囲気だった。
「診療受付時間なのに待合室に患者は一人もいません。それで、受付からはエプロン姿のおばちゃんが『はい、どうしました~?』と顔を出すんです」
男性が保険証を出しながら、風邪気味であることを告げると、おばちゃんは「何日前からですか」「熱はありますか」と症状を詳細に聞いてきた。受付の軽い問診だろうと思い答えると「では、お待ちください」と、待合室のソファに座るよう促された。
「1分もたたずに診察室に通されたんですが、座っていたのは恰幅のよい、おじいちゃん先生です。かなりお年を召している感じで、少し不安になりました……」
見た感じ80歳は超えているように見えた。驚いたのは、診察室に入ってきたおばちゃんと先生の会話だった。
「おばちゃんが『先生、こちらの方は風邪だそうなので○○と○○をお出ししましょうか』と訊ねるんです。そうしたら、先生が『うん、そうだね』と一言。それで診察は終了です。一応、聴診器はあてられましたけど、先生は『うんうん』とうなずくだけです」
受付のおばちゃんは看護師か何かの資格持ちだったのだろうか。ともあれ、受付で会計と一緒に渡された薬は的確だったようで、風邪はすぐに治ったという。
「それから、風邪以外にも腹痛や花粉症の時に何度か訊ねたのですが、基本的に診察はほとんどなし。おばちゃんが、先生に処方する薬を確認するだけです。すぐに薬が貰えるので、薬局で市販薬をもらうよりは便利だとは思いました」
実質、受付のおばちゃんが診察しているようなものだが、別になにか危険な病気を抱えている患者がやってくるわけでもないので、問題なく機能してたようだ。
数年後、クリニックの付近に行くと……
ただ、男性は一度だけ真面目に診察されたことがあるという。
「やっぱり、風邪気味のときに行きましました。診察室に入ると、いつものおじいちゃん先生ではなく、若い男性の先生が座っていたんです。聞けば、普段は大学病院にいる息子さんだそうで『今日は、ぼくが代わりなんです』と、ごくごく当たり前に診察をしてくれました」
こうして、神楽坂に住んでいた5年あまり、男性は「ちょっと風邪かなと思ったら、とりあえず○○医院」という生活が続いたという。
「とにかく、滅多に患者がいないから早いんです。あんなに待ち時間のない病院は、ついぞ出会ったことがありません」
ちなみに、風格のある建物は受付のおばちゃん曰く「リフォームする前はロケに貸したこともあった」のだという。
そんな奇妙な名医(迷医?)がいたクリニックだったが、男性によれば
「先日、久しぶりに通りがかったらマンションになってました。少しさみしくなってしまいましたね」
とのことであった。