2023年12月31日 11:11 弁護士ドットコム
ギャラリーストーカー。画廊や展示施設で、作家につきまとう人たちのことを指す。つきまとわれた作家は追い詰められ、創作活動をやめるなど、深刻な被害につながるケースもある。
【関連記事:セックスレスで風俗へ行った40代男性の後悔…妻からは離婚を宣告され「性欲に勝てなかった」と涙】
以前より、美術業界でその存在は知られていた。ある作家は、ギャラリーストーカーに遭うのは、「若い女性作家にとっては洗礼のようなもの」と話す。華やかなアートの舞台の裏で、その被害は軽視されて問題とされていなかった。
しかし、近年、その「沈黙」が破られて、社会から注目を集めている。その大きな理由の一つには、美術大生を中心とした若い世代が声を上げ始めたことがある。
ギャラリーストーカーの被害に遭うのは、若い女性が多く、美大や藝大の学生も例外ではない。学内で作品を展示する機会を狙い、ギャラリーストーカーは出没するのだ。
そのため、学生たちは声を上げ、大学を超えてつながり、自ら対策に乗り出すなどの動きが今、広まっている。
あらためて、ギャラリーストーカーの被害とはどのようなものなのか、どのような対策が求められているのか。2023年の出来事を振り返るとともに、考えてみたい。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
ギャラリーストーカーは、美術業界で長年知られた存在だった。やっと近年、SNSで作家たちが自らの体験を語るようになり、少しずつ認知されるようになっていった。
その被害の深刻さが明るみに出たのは、アートや演劇・映像など、さまざまな表現活動に関わる人に対するハラスメントについての調査結果をまとめた報告書「『表現の現場』ハラスメント白書2021」が2021年3月に公表されたことが大きい。
・表現の現場でハラスメント横行 「アニメ監督にホテルに連れ込まれた」「レッスン室でレイプ寸前」 https://www.bengo4.com/c_5/n_12864/
・「20代で展示したとき、アート好きというおじさんから、しつこくデートなどの誘いを受けた」(30代、女性、デザイナー)・「展覧会に来た男性客から無料のキャバ嬢として作品に関係ない話の相手をさせられることが多々ある。女性というだけで見下しマウンティングしてくる男性客が多い」(20代、女性、美術家)・「打ち合わせと称してギャラリーオーナーの家に呼ばれ、何度も性的関係を求められた」(20代、女性、美術家)
どの証言も被害は深刻だった。もともと現代アートのファンで、以前勤めていた新聞社でも文化部に在籍し、公私にわたり美術館やギャラリーに足繁く通っていた筆者は、衝撃を受けた。ギャラリーで作家が滞在し、訪れた人に応対することを「在廊」と呼ぶ。
プライベートでは、応援の意味をこめて、若い女性作家の作品を購入することが多かったが、在廊している作家と何度も話していたにもかかわらず、彼女たちが笑顔の裏でこんな被害に遭っていることに気づけなかった。
そうした中、2020年7月、千葉市にある企画画廊「くじらのほね」がSNSで、「作家さんにプライベートなお誘いをする」「作家さんに執拗に連絡先を尋ねる」などの迷惑行為を禁止することを公表して反響を呼んだ。
取材すると、やはりオーナーも作家たちが「在廊するのが怖い」という不安を抱えていることを知り、ギャラリーストーカーの対策を立てたという。
・展覧会でつきまとい、筆を折る作家も…ギャラリーストーカー被害、画廊が対策乗り出す https://www.bengo4.com/c_23/n_13916/
筆者は少しでもこの問題を社会に知ってもらおうと、美術業界の伝手をたどって被害者たちに取材を重ねた。その取材は、2023年1月に『ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害』(猪谷千香著/中央公論新社)としてまとめた。
この問題に興味を持った方は、本書の一部が無料で読めるのでぜひご一読をお願いしたい。その被害の酷さが伝わると思う。
・「運命だと思った」 勝手に彼氏ヅラ、20代女性作家に迫る中年ギャラリーストーカー https://www.bengo4.com/c_18/n_16304/
・銀座の画廊で女性作家を待ち伏せする男性客、SNSでは「抱きたい」とセクハラ繰り返す https://www.bengo4.com/c_18/n_16303/
・「僕の言うことを聞いたほうがいい」女性作家に愛人関係迫るコレクター、画廊は見て見ぬふり https://www.bengo4.com/c_18/n_16314/
被害の調査が公表され、微力ながらギャラリーストーカーについての書籍も出版される中、動き始めたのは若い世代だった。
2023年2月、広島市立大芸術学部の卒業・修了作品展(卒展)が開催されたあと、卒展を運営した学生たちが、ギャラリーストーカーの被害状況を調べるため、アンケートをおこなった。
その結果、「進路やバイト先などの個人情報をしつこく聞かれる」「4年前、学内に掲示されていた女子学生の名前付き顔写真をチェックしており、卒展の際に本人に『かわいいから目をつけていた』『4年越しに会えることを楽しみにしていた』といって待ち伏せしたりプレゼントを渡そうとしたりする」といった被害が寄せられた。
女子学生が8割という芸術学部で、学生が1人になったところを狙われるケースが多かったといい、恐怖を感じて助けを求める女性学生もいたという。「警備を強化してほしい」という要望が多く寄せられていた。
・広島市立大の卒展でギャラリーストーカー出没、学生は恐怖で助け求め「警備を強化して」 https://www.bengo4.com/c_1009/n_15794/
こうした動きは、他の大学にも連鎖している。学園祭シーズンを迎えた2023年秋、武蔵野美術大学の有志学生たちが、10月に開催される「芸術祭」に向けて、「ギャラリーストーカー対策委員会」を立ち上げた。
例年のようにギャラリーストーカーの被害が学内で発生していることを受け、大学や芸術祭の実行委員会と協議し、「展示会場では2人以上で行動すること」「見通しの悪いところでは1人にならない」などの注意を呼びかけた。
・美大生に執拗に迫る「ギャラリーストーカー」、武蔵美「芸術祭」で本気の対策…SNSでは「素晴らしい」と大絶賛 https://www.bengo4.com/c_18/n_16686/
こうした動きは今、大学の枠を超えて連携し、若い世代がギャラリーストーカーの対策に本気で乗り出そうとしている。今後の取り組みに期待をしたい。
一方、画廊や大学などの動きは鈍い。先述した企画画廊「くじらのほね」のように、明確な禁止ルールを公表している画廊はまだまだ少ないし、大学も率先してギャラリーストーカーに取り組んでいる様子がみられない。
その理由はさまざまあるが、多くの学生たちがうったえるのが、「被害を大学の教員に伝えても、深刻さが伝わらない」ということだ。その背景には、美術業界の偏ったジェンダーバランスがある。
「『表現の現場』ハラスメント白書2021」をまとめた団体「表現の現場調査団」が東京藝術大学と五美大(多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京造形大学、日本大学芸術学部、女子美術大学)の教員と学生のジェンダーバランスを調査したところ、女子学生の割合は7割を超えていたが、教授職は男性が8割を超えるという「歪な状態」であることがわかった(「ジェンダーバランス白書2022」より)。
中高年以上の男性教員にとって、若い女子学生がギャラリーストーカーに感じる恐怖を理解することは難しいのだろうと推察できる。
美術業界の特殊性は、美大や藝大の教員の多くが、業界で一線で活躍する作家やキュレーター、批評家であることだ。学生が被害をうったえようとしても、彼らに逆らうことは、自分の作家としての将来が潰されてしまう可能性もある。ギャラリーストーカーの問題だけでなく、こうした構造はハラスメントの温床ともなっている。
本来であれば、美術業界が構造を変えていくことが望ましいが、時間を要するだろう。では、若い世代を守るために今、何ができるのか。
ギャラリーストーカーやハラスメントの対策をきちんとおこなっている画廊や美術館、大学を評価すること、そして対策をしていない展示空間には訪れず、作品も購入しないという態度をとることが大事だと考える。
少しずつでも、ギャラリーストーカー対策に取り組む画廊や大学が広がれば、これから羽ばたく才能ある作家たちを守ることにつながるはずだ。