昭和30年代から40年代にかけて大人気だったクレージーキャッツ“最後の灯”が消えた。2023年10月26日、メンバーでベース担当だった犬塚弘さんが亡くなった。2012年にピアノ担当の桜井センリさんが亡くなり、存命するメンバーは1人だけになっていた。
犬塚さんは“ワンちゃん”の愛称で呼ばれ、洒脱でダンディーな振る舞いが愛された。週刊女性は2020年に犬塚さんにインタビューをしており、書き切れなかったエピソードがある。日本テレビ系『シャボン玉ホリデー』時代の話を、こう明かしてくれていた。
「給料は安かったけど(笑)」
「青島幸男とは、番組が始まる前に会った。最初は生意気な小僧って思ったけど、けっこうな物知りだとわかって仲よくなった。ザ・ピーナッツは歌がうまくて可愛いだけじゃなく、一生懸命だったよ。小松政夫はまじめで植木等さんの付き人だった。なべおさみはハナ肇の付き人だったけど、売れてくると運転手にドアを開けさせて、オレに向かって“よう、ワンちゃん!”とか言うようになった。育てた人間に似たんだね」
音楽バラエティー番組『シャボン玉~』ではコントを求められたが、犬塚さんにとってはそれが負担だった。
「植木さんは頭のいい人で切り替えができたけど、オレは不器用で……。ただ、コントのおかげでアドリブを覚えて、役者として使ってもらえた。井上ひさしさんや山田洋次監督に可愛がってもらったな。ドラマの仕事が増えてくると、そっちのほうが楽しくなって。給料は安かったけど(笑)」
名優との共演も多い。
「原節子さんはオーラがあって近寄れなかった。演技を教えてくれたのは、宇野重吉さん。後日、息子の寺尾聰に会ったら“よくうちのオヤジと一緒に仕事やれますね。怒られませんか?”なんて言われた(笑)。宇野さんは偏屈だなんて言われていたけど、オレにとってはいい人。ドラマが決まると宇野さんは“犬塚を呼んでくれ”と、いつも言ってくれていたそうです」
意外なミュージシャンとの交流もあった。
「家内の行きつけの店に『ゆず』の2人が来るようになって、仲よくしていたらしい。オレもその店に行ったら、『ゆず』が家内を囲んでワイワイやりだした。オレだけポツンと取り残されたよ。オレが芸能人なのに(笑)」
“今晩、私の部屋に来てくれない?”
森繁久彌さんからは絶大な信頼を受けていたという。
「森繁さんは、奥さんがいないところでは下ネタばかり。愛人の家まで連れていかれたこともあった。あるとき“オイ犬塚、この袋をあそこに持っていってくれ”と言われて愛人の家に届けたことがある。中身はお小遣いだったんでしょう。森繁さんが亡くなったから言うけれど、当時はいっさいしゃべらなかったから、信用してくれたんだろうね(笑)」
美空ひばりさんとも、よく酒席を共にした。
「オレは酒が飲めないからと断っても“いいから来て!”と。都心にあった自宅のマンションに呼ばれたよ。京都のナイトクラブでクレージーのショーがあったとき、お嬢がやって来た。ショーが終わると“今晩、私の部屋に来てくれない?”と囁いたんです。お嬢のおふくろまで“娘をよろしく”って(笑)。気に入っていただけるのはうれしいけど、さすがにそこまでは付き合えなかったよ」
生前「なんでオレだけ生き残ったんだろう」と、愚痴ともつかない言葉を繰り返した犬塚さんも天国へ。コミカルだけど、たしかな腕があった昭和の最強バンドは、もう誰もいない。