ムツゴロウこと畑正憲さんが心筋梗塞のため、この世に別れを告げた。
「福岡県に生まれ、東京大学ではアメーバ研究に励んだ後、出版社に就職して作家として活動するようになりました。1971年には北海道に移住し、翌年に『ムツゴロウ動物王国』を設立。1980年からフジテレビ系『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』がスタートすると、20年以上続くヒット番組に。動物と触れ合う姿が注目を集めて、ムツゴロウさんはお茶の間の人気者となりました」(スポーツ紙記者、以下同)
ムツゴロウさんの勝負師の顔
動物とじゃれ合っている印象が強いムツゴロウさんだが、勝負師の顔を持っていた。
「高校2年生から始めた麻雀が大好きでした。プロ雀士の資格を持っていて、『日本プロ麻雀連盟』の最高顧問を務めるほどでした」
雀卓を囲んだときのムツゴロウさんはどんな人だったのか。『日本プロ麻雀連盟』名誉会長の灘麻太郎さんに話を聞いた。
「ムツさんとは50年来の付き合いでした。プライベートでもタイトル戦でもよく一緒に麻雀を打ちましたが、かなり強かったです。彼の麻雀はしつこくて粘り強い。あと、研究熱心でした。こちらのプレースタイルや傾向をノートにメモをして分析していました。勝ちたいという執念は私より彼のほうが上でしたね」
一度始まると、なかなか終わらせてもらえなかった。
「5日間寝ないで打ったことも」
「仕事が落ち着いて、時間ができると、すぐに麻雀に誘われましたね。打ち始めると彼が勝つまで終わらないんです。ひどいときは5日間寝ないで打ったこともありました。あるとき、一緒に打っていた人が一晩たったところで“そろそろやめましょうか”と言ったら“そんなにやめたいなら最初から打つな!”と激怒したことも(笑)。私には怒らないので、ムツさんが勝ってきた、ちょうどいいタイミングでやめるのが私の役割でした」(灘さん、以下同)
ムツゴロウさんの自宅で雀卓を囲んだことも……。
「『雀魔王戦』というタイトルがあって、過酷な場所で人間の限界に挑戦するという企画。北海道のムツさんの家まで行き、3日間くらい寝ずに、体重や血圧をはかりながら麻雀を打ちました。これがかなり大変で、まず家に入って歩こうとすると、犬が邪魔をしてくる。スタートしても気の強いシャム猫に引っかかれ、窓を開けたら虫が入ってきて口の中に飛び込んできたり。ムツさんは大丈夫でしたけど、こちらは苦労しました。かなりのハンディを背負って打っていましたね」
灘さんは麻雀とムツゴロウさんについてこう話す。
「とにかく麻雀が好きだった。生きがいだったと思いますね。私もムツさんがいれば今ごろ一緒に麻雀を打って、楽しい時間を過ごしているのに、と思うこともあります」
天国でも動物たちに囲まれながら、楽しく雀卓を囲んでいるだろう。