ヤマハコミュニケーションプラザは12月15日、1960年代にヤマハ発動機の二輪開発/レースライダーや四輪レースで活躍した長谷川弘が12月12日に89歳で逝去したことをSNSで公表した。
1934年に静岡県で生まれた長谷川は、1960年代にヤマハのファクトリーチームでテスト/開発ライダーとして活躍。1963年のマン島TTレース250ccクラスに初出場すると、いきなり4位を獲得し、同年の250ccクラスでランキング14位に入る成績を残す。
その後も長谷川は、1966年に富士スピードウェイで開催されたロードレース日本グランプリの250ccクラスに参戦すると、ヤマハエースライダーのフィル・リードを抑えて優勝する才能をみせる。また、同年には二輪ライダーの活動と並行し、ミツビシワークスからコルト1000で四輪レースデビューを飾った。
1967年にはマカオで行われた二輪のモーターサイクルグランプリを制した長谷川は、四輪レースでもコルトのF3AやF2A、F2Bで活躍。1969年の日本グランプリでは風戸裕とともにポルシェ910を駆り総合8位、GP-IIIクラス優勝を獲得している。現役引退後はモーターサイクルショップの『ハセガワカンパニー』を経営し、全日本選手権ロードレースに参戦するチーム監督を務め、後進の指導と育成などに尽力した。
ヤマハコミュニケーションプラザは「ここに故人の功績を讃え、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います」と結んでいる。