Text by 生田綾
Text by 荘司結有
丸山正樹による同名小説が原作で、ろう者社会で起きた事件を追う社会派ミステリー『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』が、NHKにて12月16日、23日(前後編)に放送される。
草彅剛が演じる主人公・荒井尚人は、ろう者の両親と兄をもつ聴こえる子ども、コーダ(Children of Deaf Adults)という設定。法廷での手話通訳をきっかけに、過去に自身が関わった事件と対峙することになり、複雑な事情が絡み合った「真実」へとたどり着く。
本作では、ろう者や中途失聴者、難聴者などの役のほぼすべてに当事者の俳優を起用。数多くのドラマで手話監修の経験を持つスタッフや、コーダのスタッフなども制作陣に加わり、ろう者のコミュニティやコーダの葛藤をリアルに映し出している。制作統括を務めるNHKエンタープライズの坂部康二氏に、当事者キャスティングの意義や撮影の舞台裏、ろう者を題材とした作品のあり方について語ってもらった。
NHK提供
―まずは小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』のドラマ化に至った背景について教えていただけますか?
坂部:KADOKAWAのプロデューサーである伊藤学さんから、小説の映像化について打診されたのが始まりでした。私も小説を読ませていただき、ろう者のコミュニティやそのなかで生きるコーダの葛藤など「こんなに知らない世界があったのか」と気づかされまして。ろう者の社会の課題を扱いながら、エンターテイメントでもあるという点が、非常に挑戦しがいのある題材だと思ったんです。
―坂部さんご自身はそれまでろう文化に対してどのような認識を持っていたのでしょう。
坂部:じつはもう「無」に近いといいますか、身近に手話を使っている方もいないので……。ただ、国内外の手話を描いたドキュメンタリーは見ていて、音がないなかでのコミュニケーションはとても映像的な表現、言語だなと感じていました。
幸いなことにこのプロジェクトは2021年の春に始動して、長い準備期間を得られたので、色々な当事者の方に取材でお話を伺うことができました。さらに今回の作品は20人以上のろう者・難聴者・コーダの役を当事者が演じています。エキストラを含めると30人以上の当事者の方に出演していただきました。ただ当初は、ほぼすべてに近いかたちで起用できるとは思っていなかったんです。
―初めから当事者のキャスティングを意識していたわけではなかったのですね。
坂部:当初はろう者劇団の存在もぼんやりと認識しているくらいで、そもそもどのくらいの当事者の方たちがお芝居に興味があるのかもわかりませんでした。ただ、実際にお会いしてオーディションで演技を見たら「これは頼まない理由が逆にないよね」と思いました。
ろう者劇団の方たちはもちろんですが、あまり演技経験が無くても「この役に合うだろう」と思える方にたくさん出会うことができました。
―ろう者の方々のオーディションを通して、印象的だった場面はありましたか?
坂部:こちらから決まった原稿をお渡しして、それをどう手話で表現するかは自由ですと伝えたときに、たとえば「殺してしまいたい」という言葉の表し方も人によって違うんです。それぞれ手話の表現に個性が感じられて、それがとても興味深かったですね。
印象的だったのは、参加した皆さんがほぼ口をそろえて「こういう場があること自体がうれしい」と言っていたことですね。当事者の俳優の方々はそもそもオーディションという機会がないのが実情なのだなと感じました。
―出演されたろう俳優は舞台経験者が多く、ドラマや映画への出演経験がある方は少なかったそうですね。撮影現場ではどのような配慮をしていたのでしょうか?
坂部:我々も撮影を円滑に進めたいと思ったときに、そもそもどんな問題や課題があるのかもわかりませんでした。そこでクランクイン前に「模擬撮影」という日を設けて、ろうの俳優さんたちやドラマスタッフがほぼ全員集まり、本番を想定したシミュレーションを行なったんです。
たとえばスタッフが「よーい、スタート」と言っても、ろうの俳優さんたちには聴こえませんよね。それならば「手を回して合図しましょう」とか「この位置だったら見やすいのでは」と細かいところを詰めていきました。この機会によって、俳優さんたちには「ドラマってこんなふうに進むんだな」というのを理解してもらえたと思いますし、スタッフ側もどんなところに気をつけるべきかを考えることができたのではないでしょうか。
―当事者の俳優を現場に迎えるにあたり、スタッフ側が意識したことはありましたか?
坂部:特にプロデューサー側で大事にしたいと思ったのは、俳優の皆さんに「お客さん」だと思ってほしくないなと。僕たちに遠慮するのではなく、みんなで良い作品をつくり上げていくうえで「やりにくいことや気になることは言ってほしい」と思っていましたし、そうした雰囲気をつくるようにしていました。やはり早い段階からみんなで一緒にやっていく機会を持てたことで「こういう作品を目指そう」という意識はすごく共有できたのかなと思います。
本番の現場では、たとえば飛行機の音とかで撮影が止まったときに、どうしてもスタッフはカメラの後ろにいるので、ろう者の俳優さんたちに伝えきれない場面もありました。ただ、そんなときは近くにいる聴者の俳優さんたちが状況を伝えてくれたり、色々な人が色々な形で助け合えたと感じています。
NHK提供
―聴者の俳優の手話演技もとても胸を打つものがありました。コーダの主人公を務めた草彅剛さん、ろう者支援のNPO団体の代表・手塚瑠美を演じた橋本愛さんのキャスティングの意図について教えていただけますか?
坂部:じつは企画が生まれた段階から、主人公の荒井尚人はぜひ草彅さんに演じてほしいという思いがありました。草彅さんはやはり表現力が素晴らしいですし、たとえば韓国語をマスターされていたり、音声で話す日本語以外のセリフの表現がきっと豊かなものになるのではという期待がありました。ドラマの成立に大きな役割を果たしてくれたと思っています。
橋本愛さんが演じる手塚瑠美は、色んな面を感じさせる人物ですよね。ときに冷たかったり、毅然とした部分があったり、その一方でろう者を支えるという温かみがあったり。純粋に橋本さんの俳優としての魅力に当てはまるのかなと思いました。あと個人的には、社会的な問題意識もしっかりと持っている俳優さんのひとりだなと思っていて。ご本人が今回の撮影を通じて、「今後も手話はやっていきたい」と話していたのも印象的でした。
―昨年、『アカデミー賞』作品賞を受賞した映画『コーダ あいのうた』が話題になりましたが、国内ではコーダの人物を取り上げたフィクション作品は少なかったように思います。
坂部:このプロジェクトが動き始めた段階では、まだ『コーダ あいのうた』もヒットしていなかったですし、自分自身もコーダという存在に理解が深いわけではありませんでした。ただ、海外にルーツのある人々にも少し似たところはあるのかなと思っています。
異なる世界・コミュニティの狭間で思い悩み、自分の居場所やアイデンティティを確立することに難しさを感じている。彼らの気持ちを完全に理解することは難しくとも、誰しもが多かれ少なかれそうした葛藤というのは想像できるのではないでしょうか。
今回、手話指導を務めてくれた米内山陽子さんは、ろうのご両親に育てられたコーダなんです。彼女は「これは自分の物語だ」と思ってくださったようでした。
―ドラマで語られるセリフからも、コーダが抱えているであろう葛藤が感じられました。
坂部:そうですよね。ただその一方で、主人公のように幼い頃から通訳をしてきた人もいれば、まったく手話を使わない人もいると聞きました。あくまで今回の主人公は多様なコーダのうちの「ひとり」であり、当事者にもグラデーションがあるということは、今後色々な表現が増えていくことで伝わっていくのだと思います。
―『デフ・ヴォイス』という作品は、ろう者を「かわいそうな存在」という視点で描いているのではなく、コーダである主人公の目を通して、ろうの世界を生きる人々の実情やさまざまな問題を映し出していると感じました。
坂部:いわゆる「感動ポルノ」と呼ばれるものとそれ以外の作品の違いはなんだろうと考えたときに、明確なラインを引くのは難しいことだと思うんです。ただ、今回の作品に関しては聴こえない人たちにとって「自分たちの作品」だと感じてもらえたらうれしいですし、当事者が搾取・消費されたと傷つかないようなものでありたいと思っています。
―ドラマ化に寄せた手話指導の米内山さんの「ろう者の役は、ろう者の俳優に演じてほしいという長年の悲願が叶いました」というコメントや、監修に入られている方々のコメントを読んで、胸が熱くなりました。日本では聴者の俳優がろう者を演じることがほとんどですが、当事者不在の作品づくりにはどのような問題点があると感じていますか?
坂部:聴者から見たステレオタイプが広まるなど、誤解のあるかたちで伝わりかねないという危険性はあるのではないでしょうか。当事者が見て「なんか違うな」と感じるのが一番問題ではないかと思います。
雇用機会という面から見ても、そもそもろう者の役自体が少ないのに、それを非当事者の俳優が演じたら、ろう者の俳優はなかなか活動の場を広げることができません。やはり当事者がその役を演じることで見えてくるもの、描かれる説得力というものは大きいと思います。
今回の作品を見て、若い世代や子どもたちが「自分も俳優になりたい」と思ってくれたらうれしいですし、出演された俳優さんたちもそうした覚悟を持って臨んでいるようでした。
―ドラマ『デフ・ヴォイス』は、すべての音声日本語と手話に字幕をつけて放送されます。これも地上波ドラマとしては新しい試みではないでしょうか?
坂部:通常の番組でも字幕ボタンを押したら見ることはできます。ただ、「なぜろう者はこのひと手間をしなければいけないのか」と考えたときに、すべてに字幕をつければ障害の有無に関わらず、みんなで同じものを見られるのではと思ったんです。
また、Eテレではドラマに手話通訳をつけて放送します。ろうの方々は第一言語が「手話」なので、日本語の文章を読むのが得意な人ばかりではないのだそうです。それならば、彼らの言語ですべてのセリフを翻訳しようと考えました。
―お話を聞いていると、こうした作品や取り組みがもっと広がっていくといいなと感じます。
坂部:今回の作品の試みとして、多くの当事者の方々に出演してもらいましたが、これが理想形でも完成形でもないなと思っています。というのも、当事者の俳優をキャスティングするのは、必ずしも手話やろう者の世界を題材にした作品じゃなくていいのではないかと。
僕は『エターナルズ』というマーベル作品が好きなのですが、ヒーローのひとりは耳が聴こえない設定なんです。たとえば戦隊ヒーローのひとりが手話を使うとか、ろう者が当たり前のように作品に登場するのがインクルージョンなのではないでしょうか。今回の作品もろう者を「真ん中」に据えているわけではなく、あくまで彼らのコミュニティで起きた事件を追うミステリー・サスペンスであると捉えています。
自分としては、マイノリティとされる人々をたくさん取り上げていきたいと思いつつ、それを主題としたものだけではなく、当たり前のように社会に溶け込んでいる世界が描かれることも大事なのではないかと思っています。いまは実現できていない社会を描くことで、それを見た人たちがそんな世の中に近づけたいと思ってくれたり、それをまた上手く反映した作品をつくったり、というのが続いていったらいいなと思っています。
あと個人的には、制作者側の当事者がもっと関わるというのは今後考えていきたいですね。より発言力のあるプロデューサーや監督、脚本家を当事者が担ったり、それ以外の照明や撮影、衣装など、多様なパートを担ったりすることで、表現というものがきっと変わってくると思います。