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時代とともに移り変わる「理想の体型」。米で起こる「細身主義」回帰とスーパーモデル・リバイバル

2023年12月13日 18:10  CINRA.NET

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Text by 辰巳JUNK
Text by 後藤美波

さまざまな身体を肯定するボディポジティブの意識は、日本を含めてこの10年でだいぶ浸透した。同時に、世間における「理想の体型」はつねに存在し、振り子のように移り変わるものでもある。このサイクルを象徴するものこそ、2010年代ボディポジティブ旋風の発信地となったアメリカ合衆国における近年の細身主義の復活気運だろう。

日本でも糖尿病治療薬オゼンピックの減量用途での接種が問題化しているが、その本拠地たるアメリカでは、SNSで「拒食症派」といった意味のハッシュタグが乱立。専門機関から摂食障害を助長するようなコンテンツの増加を警告されたTikTokが、該当タグを規制するに至っている。

細身主義復活と同時進行しているのが、「スーパーモデル・リバイバル」だ。1990年代に「主張するゴージャスな美女」として一世を風靡し、50代になった現在、キャリアを総括するドキュメンタリーをApple TV+で共同製作し、雑誌やランウェイも飾っている彼女たちの立場は、複雑に変化しゆく大衆の「理想」の鏡でもあるかもしれない。

「現代であろうと19世紀であろうと(中略)我々の文化、社会はサイズに執着している。身体のサイズが、人間としてのアイデンティティに結びついているのです」(*1)。2018年にニューヨーク州立ファッション工科大学で展覧会『体型:ファッションと体格(The Body: Fashion and Physique)』を企画したエマ・マクレンドンが語るように「理想の体型」の歴史は長い。

アメリカを中心とする西洋において、女性にとっての「理想の体型」として細身が固定されたのは「贅沢の象徴としての豊満」の魅力が減っていた20世紀だという。決定的なのは、ヒップを細く見せるガードルによって中性的な美を表現したフラッパー(※)人気に火がついた1920年代。その後、反動するようにマリリン・モンローなどのめりはりあるボディが人気になったが、1960年代に入ると、人気モデル、ツィッギーのような中性的スレンダーが復活する(*1,2)。

そこからビデオテープによるエアロビ人気と肥満への懸念、および減量へのプレッシャーが広まった1980年代に入るにつれ、男女ともに筋肉質で健康的な身体が人々の「理想の体型」へと変化していった。

スーパーモデルの栄華が始まったのは、じつは1980年代のこと。180cm近い長身によって神話的な美しさを誇りながら自然体を打ち出していった彼女たちは、当時の引き締まった「理想の体型」を体現していたのだ。特に「ビッグ5」の一角であるシンディ・クロフォードは、男性人気も高い「親しみやすいアメリカンガール」だったし、イギリス出身のナオミ・キャンベルにしてもダンス技術に裏づけられた身体的動作を得意とするモデルだった。

「ファッションだけじゃない ヘアやメイクでもない 主体は女性」 - (Apple TV+『ザ・スーパーモデル』より、スーパーモデル人気を決定づけた1990年1月号の英『VOGUE』表紙について、シンディ・クロフォード)シンディとナオミに、「伝統的美人」とされるクリスティ・ターリントン、「ファッションカメレオン」と評されたリンダ・エヴァンジェリスタ、そしてクラウディア・シファーが加わって「ビッグ5」が完成する。『VOGUE』表紙のモデルたちがこぞってジョージ・マイケルの“Freedom! '90”(1990年)ミュージックビデオに出演するやいなや、ロックスターや俳優に並ぶスーパースターになった。

有名ファッションライターのデレク・ブラスバーグによると、いまより世間のファッション熱が高かった1990年代の熱狂とは、こんな感じだったという──「あのとき、女優に関心ある人なんていた? 超ゴージャスなスーパーモデルに夢中になるしかなかったよ!」(*3)。破竹の勢いを表すかのように、この頃のナオミのギャラは一件あたり30万ポンド(当時約7,700万円)近かったという。

スーパーモデルたちはこうして「主張するゴージャスな女」として地位を確立した。このことは、ある面で「理想の体型」の体現者として「もの言わぬマネキン」のイメージも根強かった女性モデルが、大々的に自我を発信するセレブリティとなった転換期かもしれない。たとえば、黒人であるナオミはファッション界の人種差別について当時から公言していたし、その親友であったクリスティとリンダは「彼女を雇わないなら我々もショーに出ない」と訴えて連帯していた。

ただし、スーパーモデルの時代は案外短い。1990年が終わる頃にはリンダの「私たちは一日一万ドル(当時約144万円)以下しか稼げないなら起きあがれない」発言がひんしゅくを買い、「わがままな女」バッシングに拍車がかかった。ブランド側にしても、服ではなく人気モデルばかり注目を集める状況を良しと思っていなかったという。

そして、世間の「理想の体型」願望の変化が訪れた。1992年、ケイト・モスがトップに君臨するかたちで、グランジブームとともに薬物依存(による痩せこけた体型)を美化するかのような「ヘロインシック」といった「反グラマー」路線が台頭していったのだ。

世の中の「理想」を体現していたスーパーモデルを「女性たちに達成困難な規範と抑圧をもたらす負の象徴」とするフェミニズム的解釈も強くなっていった。1998年、化粧品メーカー「THE BODY SHOP」が大々的に打ち出した広告には、プラスサイズの女性ドールとともにこう書いてあった。「スーパーモデルのような見た目じゃない女性は30億人……そう見えるのはたった8人」。この広告に見られるように、1990年代は、プラスサイズモデルのエミ(Emme)が注目されるなど、いまでいうボディポジティブブームの片鱗も表われていた。

反動を求める時代の常なのか、2000年代には「ヘロインシック」もプラスサイズファッションも世間の「理想」から外れていった。人気モデルの座は筋肉美を誇るジゼル・ブンチェンに移り、ファッションでは「薄い体型」が求められるローライズジーンズが流行した。ゴシップメディア全盛期でもあったため、ブリトニー・スピアーズら女性セレブが厳しくジャッジされた「ボディシェイミング(体型中傷)時代」としても悪名高い。

2010年代には「反ボディシェイミング」として「多様性」の時代が幕を開けた。当時普及していったソーシャルメディアは、ボディイメージにまつわる不安を高める問題も懸念されているが、それでも多様な美しさの概念を広めた画期的技術革新とされる。大衆文化において「理想の体型」のアイコンとなったのは有色人種のビヨンセ、カーディ・Bといったセクシーな曲線ボディの持ち主だ。後半期には、さまざまな体型を肯定するボディポジティブ旋風が巻き起こり、アシュリー・グラハムらプラスサイズモデルたちが時の人となっていった。

「私たちは奇妙な時代に生きている。ファッションの包括性のような問題をとても詳細に取り上げることは、いまや時代遅れかのようだ」 - (*4、ロザリンド・ジャナ、ライター)しかし、またしても振り子のように「理想の体型」トレンドが反転しつつある。2023年春に行なわれた『パリ・ファッションウィーク』では、US基準ミドルサイズ以上のウィメンズモデルが四分の一ほど減少し、ゼロサイズの起用が目立った(*5)。パンデミック危機下の健康意識の高まりとY2Kファッション人気を背景に、2020年代版とも言うべき細身主義ブームが観測されているのだ。

決定打とされたトレンドアイテムは2022年春夏コレクションから登場したMIUMIUによる露出の多いミニスカートセットで、少なくない数のファッション好きから「細くなくては着こなせないスタイル」として受け止められた。対面イベント需要がブーストされたこの夏、ダンスに陶酔するトロイ・シヴァンの楽曲“Rush”(2023年)のMVが「出演者の体型に多様性がない」と指摘されて議論も呼んだ。トレンド傾向と個々の表現は別のものだが、結果的に、この作品はユースカルチャーの新たなる欲望と「理想」を示していたともとらえられる。

当然、人の体型を「ファッショントレンド」とすること、それを促すような企業活動には問題がある。同時に、人々、とくに若き消費者間の欲求が社会的良識でコントロールしきれないものだからこそ「理想の体型」問題は根深いものなのだ。

また、このような細身主義回帰のさなか、スーパーモデル・リバイバルが起こっているのは興味深いかもしれない。体型維持を含めた「プロ主義」として知られる彼女たちはいまでもスーパーな存在として、圧倒的な美貌とスタイルを誇っている。

明るい面を見るなら、スーパーモデルの復活は、いくばくかの時代の進歩も内包している。シンディいわくトレンドが永遠に移り変わりつづける業界を「生き抜いて」50代となった彼女たちが大々的なかたちで第一線に戻ったことは、若さ至上主義のモデル業界において意義があるはずだ。35年以上にわたってランウェイを歩きつづけきたナオミに至っては、いまだ少ない有色人種モデルとして生涯現役を貫いている。

さらに、彼女たちはいまでも「主張するゴージャスな女性」の象徴だ。ナオミはアフリカや中東の若年クリエイター支援活動をつづけており、シンディもいまや成功した起業家となった。クリスティは学位を取得して世界中で安全な出産を支援する慈善活動を行なっている。そしてリンダは、美容整形の後遺症により容姿が変化した苦しみを告白することで、世間の「プロ主義」偶像に一石を投じた。

「スーパーモデルたちは、パワフルな美女の存在を知らしめました。ファッションやビューティーといった分野の超越を可能にし、モデル、そしてファション業界にフェミニズムを持ち込んだ。つまり、美とパワーは排他的なものではなく、両立可能であることを示したのです」 - (*6、『ザ・スーパーモデル』監督ラリッサ・ビルズ)Apple TV+で配信中の『ザ・スーパーモデル』より。左からリンダ・エヴァンジェリスタ、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、クリスティ・ターリントン

明確なのは、THE BODYSHOPの広告のような「普通の女性とゴージャスな女性」を隔てる分断意識が薄まったことだろう。スーパーモデルたちは、いまや不思議がられることなく「ポップ・フェミニズム」のアイコンになっている。「理想の体型」を売り物にするかのようなモデル業には議論がつきものだが、パワフルな女性として闊歩するスーパーモデルたちが人々に勇気を与えたことも確かだ。抑圧を形づくる「檻」のシンボルとされながら、それを身にまとう人々に「解放」の気分も与えてきたファッションそのものと同じように。