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中学1年で自らエホバに入信、禁じられた「大学進学」を突破してたどりついた「欲望の歓楽街」

2023年12月09日 09:31  弁護士ドットコム

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旧統一教会の宗教2世とされている人物による安倍元総理銃撃事件を受け、様々な宗教の元信者から虐待や被害の告白が相次いでいる。主に宗教2世、3世からの発信が多い中、自らの意思で所属した人は、何を思っているのか。自分から入信し、離れられないその心、葛藤とは——。


【関連記事:元エホバの証人、牧師となった男性「カルトの支配構造はブラック企業、毒親と同じ」】



中学生でエホバの証人の宗教1世となり、自力で脱会。現在はプロテスタントの牧師として活躍し、カルト宗教問題に取り組む齋藤篤氏と対話を重ね、信じるということと抜け出すことについて話してもらった。(取材・文:遠山怜)



●バブルではしゃぐ世の中で、なぜ自分だけが

齋藤氏は中学1年生の時に自ら、宗教団体であるエホバの証人に入信。その背景には幼い頃に父親が多額の借金を抱え、蒸発したことが大きく関与している。



母親一人の稼ぎで生計を立てなくてはならないため経済的な困窮に陥り、頼れる父親がいない寂しさも心の中でずっとわだかまっていた。当時はバブル絶頂期だったこともあり、友人や同級生は景気の良い話ばかりで、お金がないことを友人や学校の教師からも揶揄されていた。母親が働いて養ってくれていることに感謝しつつも、なぜ自分はこんな目に遭うのかと理不尽さを感じていた。



そんな時にエホバの証人の信者が家庭を訪問し、「聖書を読んでみないか」と誘われた。



「当時は『ノストラダムスの大予言』(著・五島勉、シリーズ累計600万部超)が大流行し、そこには聖書との関連も書かれていたため、原典である聖書も読んでみたいと思っていました。家計を支えるため、自分も新聞配達のバイトをしていたため、そこで働いていたエホバの証人の信者の方とも親しくしていました。そのため、特段彼らを警戒しなかったのです」



元々本が好きで人文社会や自然科学など、興味があるものは何でも読んでいたため、聖書に触れることも苦ではなかった。何より、自分が感じていた寂しさや不満を解消してくれる何かを探していた。



「そこで学んだ聖書には、なぜこの世で悪いことが生じるのかが書いてありました。悪魔がこの世の中を支配しているので、悪いことが起きるのだと。そしてその世界から逃れるには、エホバの証人になる必要がある。エホバの証人にならないと救われないとあったのです」



エホバの証人では、キリスト教が拠り所としている聖書を独自に解釈して、それを教材としている。その解釈は齋藤さんが感じていた不条理を説明するには、都合が良かった。心の引っ掛かりに一筋の光を与えてくれた解釈に、徐々に心が揺り動かされていった。



勉強会に参加することで、信者から温かく迎え入れてもらえた経験も大きい。この手がかりを手繰っていくことで、自分の人生も開けるかもしれない。聖書研修生としてエホバの証人の教えを学ぶようになった。



●周囲の忠告を無に返す「悪魔の囁き」

親や周りの人は反対しなかったのか、と筆者が聞くと「もちろん反対された」と言う。



「しかし、エホバの証人では予防策が用意されています。この世の中の悪事は、悪魔がいてこの世を支配しているから起こるのだと。助かりたいのなら、悪魔と戦わなくてはならない。悪魔が神の教えから引き離そうと、あらゆる誘惑をするから負けるなと言われます。さらに、神様と悪魔のどちらを取るのかと迫られるため、周囲を悪魔の側だと思い込み、周りの声に耳を貸せなくなる」



この構造は宗教に限らず、どのカルト団体でもよく使われる手だと言う。



最初から「必ず反対に遭うが、それは間違った意見なので耳を貸すな」と言われているため、本来、中立的な第三者の意見でも一律に「間違った方向に向かわせる悪魔の囁き」に聞こえてしまう。忠告を論理的に考えずすべてに耳を塞ぐようになるため、本来考える力が備わっている人でも考えることを放棄してしまう。



齋藤さんの母親は息子の強固な態度に負けて、悪いことをしないならば自分の責任でやりなさいと一旦、静観する姿勢を取った。



研究生になると、生活の余暇の時間のほとんどは宗教活動に費やすようになった。高校生らしく友人と遊んだり恋人を作ったり、部活に励むといった時間は全て個別訪問に消えていく。遊びたいという気持ちは湧かなかったのか、と聞くと「終末が近いのだから、宗教活動を今しなくてはという気持ちの方が強かった」と答えた。その時は辛くはなかったそうだ。



「自分の場合は、自分から望んで入信したので、強制されていない、自分の意思でやっているんだと思っていました。何より、個別訪問で配布したパンフレットをもらってくれる家もあるので、それが嬉しかった。営業マンが何かを売って、嬉しくなるのと同じ。自分もそれで救われているという感覚もあった。カルトにいると、自分がしていることが最も崇高に見え、それ以外は低俗に見える。周りが何か忠告したかもしれないが、耳には入らなかった」



齋藤さんはその状態をこう説明する。「一人の人間としては信者でない人とも付き合える。でも信者としての自分になると、すべてが切り替わる。信者のモードになるとエホバから離れるように仕向けられるのはすべて悪魔の仕業であって、自分は攻撃されているとしか思わなかった」。



救いになるかもしれない周囲の声は、当時の齋藤さんには忌まわしい呪いごとにしか聞こえなかった。



●神の怒りと同等に怖い「仲間からの排除」

研究生の段階から、徹底的に自分の頭で考えず教えに従順になることを求められる。批評をしたり疑問を持つことも許されない。信仰に最初に亀裂が入ったのは、大学入学禁止の教えだった。学問は悪魔の側、エホバの証人の教えから離れてはいけないと禁止事項に盛り込まれていた。なぜダメなのかと聞くこともできない状態だった。



それでも進学への思いを諦めきれず、隠れて受験すると見事、志望校に合格。すると、その情報を聞きつけた指導者から進学しないようにと告げられる。



筆者が「それはさすがに反発しようと思わなかったのか」と聞くと「反発心はありました」と言う。それでもなぜ振り切れなかったのかと尋ねると、「神に滅ぼされること、自分を受け入れてくれているコミュニティから外されるのが怖かった」と答えた。



エホバの証人には忌避という考えがある。教義に反することをしたり、脱会した人間を避けるように推奨することを指す。エホバの証人を辞めずとも、周囲の人間からは排斥され、声もかけられずそこにいないものとして扱われる。



1日の大半を費やすようになっていた場所から外されることに恐怖を感じていた。コミュニティ内で生きるように勧められていたため、それは生まれ育った母国から突然追い出されるような感覚と似ていた。



苦悩の末、進学を一旦諦めることにした。齋藤さんが受かった大学は私立の有名校だったため、周囲の人もこれには反対した。「高校の先生からは考え直したらと説得されました。同級生からは入りたくても入れない大学に受かったのに、それを蹴るなんて馬鹿じゃないのかと言われました」。



齋藤さんのエピソードには「被害者」としての話が多い。しかし、同時に自身も被害者でありながら加害者であったと語る。



例えば、エホバには子どもを持つ母親も参加しており、今問題として注目を集めている宗教2世に対する鞭打ちの体罰の場面にも出くわしたという。「齋藤さん自身は体罰を受けていないのに、鞭打ちを受けている子どもを見ておかしい、可哀想だと思わなかったのか?」と素朴な疑問をぶつけると「何の疑問も抱かなかった」と話した。



「自分もマインドコントロールされていたから、信仰上正しい、愛あるしつけだと思っていた」。自分も将来家族ができて子どもが生まれたら、同じようにするのかとも思わなかったのか?と重ねて聞くと「結婚を推奨されていなかったし、当時はまだ高校生だから考えなかった」と胸の内を明かしてくれた。



「細かいことを考えず、教義に忠実であることが正しいことだった」。滅ぼされる恐れ、集団から課されるノルマと恐怖から、次第に頭は動かないようになっていった。



●「止まることの安心」「離れることの恐怖」

心がないまま宗教活動は続いた。エホバの証人が禁止している「この世的」な仕事をして、お金を稼いで大成することにもピンとこないし、なりたいものもない。週3回個別訪問を行い、毎日勉強会に出る日々。心はすでに宗教からは離れていたが、コミュニティから離れること、自分の核なるものを失う恐れが齋藤さんを引き留めていた。



虚無に満ちた心を大きく突き動かしたのは、大学進学への夢だった。隠れて勉強し、またもや有名私立校に合格。団体に報告せずに黙って引越しの準備を進め、一人で上京した。



その時はどんな思いだったのかと聞くと、「東京に出てくることでエホバから逃れられるなら、それでいい」「バレたとしても大学に行く」「でも(大学進学と信者であることを)両立できるのではとも思っていた」と話す。



神奈川の新居に住み始めて2週間後、東京のエホバの証人の信者が自宅を訪問してきた。エホバの証人内に友人もいたため、友人経由で知れ渡ったようだ。エホバの証人からはその地域の集会場を教えられ、転籍するようにと勧められる。その時の心情は「そうだろうな」と納得し、行きたくない、嫌だとも思わなかったという。



ここで筆者が「なぜ友人とはいえ住所を伝えたのか。繋がりを持てば必ずまた接触がある。嫌だから離れたのにまた関わりを持とうとするのか」と聞くと、少し考えた後こう答えた。



「エホバから離れたい自分がいた。同様にそこに止まり続けたい自分も。どこかの段階でスパッと離れられるという区分けがない。ぐちゃぐちゃに思いが入り乱れている」。



それはブラック企業に勤めている人と同じ心境かもしれない。苦しい労働環境から逃れたいが、そこに留まり続ける安心感と他の企業でやっていけるのかという不安、自分がこれまでした苦労を無駄にしたくないという思いで心は裂かれ、次第に動けなくなる。



混乱した思いを抱いたまま東京の街を彷徨い歩くと、出てきた田舎では考えられないようなネオンで夜が光っていた。排除されるかもしれない恐怖と神の怒りを買う不安に満ち、暗闇ばかり見つめてきた目が眩んだ。今まで押さえつけられていた欲望が、一気に噴き出した。



どうせ滅ぼされるなら、禁止されていたことを全てやってしまおう。あれだけ行きたかった大学には行かず、宗教活動からは離れ、酒をあおりあらゆるギャンブルに手を付け、女性にハマった。



念の為、「それはキャバクラですか?」と聞いたら、「いいえ、風俗です」と答えが返ってきた。「当時はようやく手に入れた快楽を楽しむのに夢中だった。そしてその後に来たのは、ハルマゲドンではなく借金取りの猛烈な取り立てだった」。



(後編へ続く)