長時間労働が常態化してきたような業種でも、「定時帰りを否定する」ようでは時代遅れだ。北海道の30代男性(専門職/年収450万円)は「専門学校を出て最初に入った土建会社」で、
「残業代無しで初任給は手取り12万8000円だった」
と激務薄給を強いられた。耐えきれず転職したところ
「半年で前会社の年収を超える」
という成果をあげたというが、転職前からささやかながら抵抗もしていたようだ。
「普通は定時で帰れないよ」と言われたが、無視して帰宅
当時の仕事は「現場代理人・現場所長」と呼ばれるもので、工事の現場管理だけでなく書類仕事も膨大な量に及んだ。特に完了検査の前は書類をまとめるため「時間外作業ありきだった」という。しかし
「いくら時間外作業をしてもお金が付かないので、『若いんだから先輩の手伝い(をしろ)』と言われない様に自分が何も無い時は午後から同部署の先輩(土木)に『何か手伝える事無いですか』と聞き、あれば手伝い、終われば定時で帰る様にした」
自分の部署の仕事が終われば、さっさと帰宅したのだ。当然と言えば当然のことだが、社内では不興を買ったらしい。
「専務(社長の息子)には嫌味を言われ、他部署(建築)の人には『普通は定時で帰れないよ』と言われたが、まともに飯食えない給与だったし大分心が荒んでイケイケだったので無視して定時で帰っていた」
と、抵抗した当時を振り返る。
あるとき計算したら…「最低賃金の50%~60%だった」
平日のサービス残業に加え、「土曜は何もやる事なくとも、半日出勤だった」と当たり前のように土曜出勤を強いられていたが、男性はこれにも黙ってはいなかった。
「専務の嫌味にカツンと来てたので社長を捕まえて、『何も仕事なければ休んでいいですか?』と直接交渉し、案の定『若いんだから先輩の手伝いとか~』って始まったので、『イヤイヤそれ込みで何も無ければいいデスネ?』と言って土曜も休む事にした」
それでも労働時間に対する給与に納得がいかなかった男性は、
「ある時自分の総支給額を時間で割ってみたら、最低賃金の50%~60%だった」
という事実を知る。つまり時給400円未満だったのだろう。これでまた仕事へのモチベーションが急降下したらしく、「労働基準法糞w」と罵りつつ、こんな行動に出る。
「どんどん心は荒み、もう首にしてくんねーかな~と自分の現場無い時は『下痢して出勤出来ない』と電話して休んだりして自分の中でパランスを取る様にした」
単なるサボリではなく、仕事に穴はあけないようにしながらなんとか精神を保っていたのだ。だが、そんな男性がさらに苦境に陥ることになる。(後編に続く)
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