Text by 大石始
Text by 山元翔一
Text by 渡邉隼
世界に対してどのように日本文化を発信していくことができるのだろうか。
多くの文化活動が直面するテーマであると同時に、そこには多くの落とし穴が存在する。たとえば欧米から求められるステレオタイプをみずから体現することは、セルフオリエンタリズムという穴に陥ることにもなる。本質から離れた「Japan」を演じ、アジアに対する彼らの妄想を満足させることは、「日本文化の発信」という目的を達成していることになるのだろうか。
2019年以来、3度にわたって大規模なヨーロッパツアーを実施し、各地の巨大フェスティバルで熱狂を生み出してきた民謡クルセイダーズ。日本にまつわるさまざまなイメージを確信犯的に用いながら、民謡とさまざまなトロピカルミュージックの融合を図る彼らの方法は、国際舞台におけるひとつの成功例ともいえるだろう。
2017年12月の前作『Echoes Of Japan』から6年ぶりとなる新作『日本民謡珍道中(英題:Tour of Japan)』は、まさに全世界待望の一枚である。東京西部の米軍基地の町、福生を拠点としながら、マイペースに活動を続けてきた彼らはなぜヨーロッパで——本人たちでさえまったく予測していなかったほどの——成功を収めることができたのだろうか。中心メンバーである田中克海、そして新作のアレンジ面において重要な役割を担った大沢広一郎のふたりに話を聞いた。
民謡クルセイダーズ(ミンヨウ クルセイダーズ)
「日本民謡」をもう一度「民の歌」として蘇らせるため、クンビア、ラテン、アフロ、レゲエなどさまざまなダンスミュージックとの融合を試みるバンド。東京西部、福生在住のギタリスト田中克海と民謡歌手フレディ塚本を中心に2011年に結成。横田基地周辺に点在している築70年の米軍ハウスの一棟、通称「バナナハウス」をスタジオとして、セッションをスタート。数回のメンバーチェンジを行ないながら、1stアルバム『Echoes of Japan』を完成させ、国内外から高い評価を得るとともに「民謡」の存在を世界に知らしめる。2023年11月、2ndアルバム『日本民謡珍道中』をリリースした。
―民謡クルセイダーズ(以下、民クル)の海外での活動がはじまったのはロンドンのワールドミュージックレーベル「Mais Um」から1stアルバム『Echoes Of Japan』がリリースされた2019年以降ですよね。
田中(Gt):そうですね。その前にコロンビアではライブをやってたんですけど、その年の11月、プロモーションのためのヨーロッパツアーをやることになって。それがはじまりでした。
―「Mais Um」からはどういう経緯でオファーがあったんですか。
田中:「民クルの音源を出さないか」と、Facebook経由で「Mais Um」のルイス(・ロビンソン)から連絡がきたんですよ。そのころ、ほかのレーベルからもコンタクトがあったんですけどルイスが一番熱心だった。
―なぜヨーロッパから続々とオファーがあったんでしょうね。それまでの「Mais Um」ってルーカス・サンタナなどブラジル音楽の作品をリリースしていて、突然民クルを出したような感じが正直したんですよ。
田中:アジアのものをおもしろいと思っていたのかもしれませんね。民クル以降、OKIさん(※)とかアジアのものを出していますし。でも、なんで民クルだったのか、ルイスからはあまり聞いてないですねえ。細かい話をすっ飛ばして「お前ら、最高だ!」みたいなノリだったので(笑)。
大沢(Sax):ルイスも南米に親戚がいたりとか、そちらのルーツもあるのかな? ラテン音楽としておもしろがっていたのかもしれないですね。
―民クルの結成当初から海外での活動は視野にあったんですか?
田中:いやいや、まったく考えてなかったんですよ。でも、ヨーロッパツアーを3回もやってるので、さすがに少し意識するようになりました。ツアーを重ねるたびに向こうのオーガナイザーのあいだで少し知られるようになった感じもするし、土壌ができつつある気がします。
―ヨーロッパツアーはどうやって運営しているんですか。あれだけの大人数で細かくツアーするのはなかなか大変だと思うんですけど。
田中:2019年の最初のツアーから、日本とヨーロッパでの慣習の違いもあって、つねに手探りでの運営が続いていたんですけど、特に2022年のツアーはまだコロナ禍だったので、(ヨーロッパの現地スタッフと)コロナに対する意識のズレから企画がうまく進まなかったんですよ。そこで2019年のコロンビアツアーから海外ツアーをサポートしてくれていて、日本と海外の事情を理解している「スキヤキ・オフィス」(※)のニコラ・リバレさんに仲介してもらいました。基本はライブの出演料と物販の売り上げで割り振っているんですが、ツアーに必要な経費確保や企画によって文化機関のサポートを得ながら進めています。
民クルは「BACANA」っていうバルセロナのブッキングエージェンシーに登録されていて、ここが各地のフェスに「おもしろいバンドがいるんだけど、どう?」と営業をかけてくれているんですよ。そのなかでツアーがだんだん固まってくる。「BACANA」にはシェウン・クティやエルメート・パスコアール、アーネスト・ラングリン、ジルベルト・ジルなんかも登録されてますね。
―ちょっと生々しい話ですけど、そういうことって知りたい人は結構いると思うんですよ。民クルみたいな活動を目指してるアーティストは少なくないと思いますし。
田中:たしかにね。僕ら自身、日本のコンテンツが外に出ていくきっかけになればいいとも思ってるんですよ。なんですけど、まあこれ以上のことは有料で(笑)。
田中克海(民謡クルセイダーズ)
―民クルがヨーロッパでブッキングされているのは、いわゆるワールドミュージック界隈のフェスが中心ですよね。そういった舞台で日本の民族的記号をどのように表現するか、意識していることはありますか。ワールドミュージックのフェスは時に国の看板を背負った万博的なものになりかねないとも思うんですが。
田中:お面や法被みたいに印象的なビジュアルをフックにしているので、自分たちでも利用しているところはありますね。ただ、いま出ているフェスには万博感というか、各国の看板を背負わされるような感覚はないかもしれない。
大沢:『WOMAD』(※)のワークショップで出演者が各国の料理をつくるコーナーがあって、そこで焼きそばをつくらされたぐらいですかね(笑)。
田中:そういえば最初のツアーでインタビューを受けたとき、「お前らは三島由紀夫から影響を受けてるのか?」と聞かれたことはありました(笑)。全力で否定しましたけど、それ以降、日本人のアイデンティティーを問われるようなことはほとんどないですね。いま世界的にはそうしたテーマは前提としてすでにあるものとして、それを抱えた個人が外にどうコミュニケーションしていくか? というフェーズにきているのかもしれません。
左から:大沢広一郎(民謡クルセイダーズ)、田中克海(民謡クルセイダーズ)
―ヨーロッパが望むアジアの姿をみずから演じることをセルフオリエンタリズム(※)とも言いますけど、民クルのアートワークや衣装には、そのあたりを巧妙に避けている感じがします。たとえば、普段着ているわけでもない着物はわざわざ着ないけれど、法被は着るとか。
田中:たしかに。そもそもの話でいえば、自分たち自身が民謡を知らないわけですからね。半分は西洋的な文化様式で育った『ベストヒットUSA』世代ですから「日本」どころか「民謡」の看板も背負えない。
大沢:民謡のことはメンバーみんな好きですけど、海外へ伝えたいという強い思いよりも単純に音楽そのものが好きで演奏しているという部分が大きくて、そのあたりは結構ライトで自由、ある意味無責任なんです。
―ただ、ヨーロッパの舞台に立つ以上、結果的に「日本」や「民謡」を代表することになる場合もありますよね。民クルの活動を追ったドキュメンタリー映画『ブリング・ミンヨー・バック!』を観ていると、そのことに対する照れみたいなものを感じさせる瞬間もありました。
田中:流暢に英語を話せない結果、MCで「民謡は死んだ」と言ってしまっているのも、私的な音楽史のなかで、自分が感じた民謡が抱えている問題に対しての発言だったりするので、そういう意味でも無責任ではあるんですけど。それこそ民謡の世界のことを知っていたらもっと責任感は出てくるのかもしれない。
―でも、「民謡を知らない」と言いきることもまたひとつの誠実さですよね。だって、田中さんは民謡のことを知ってるじゃないですか。知らないのに知っているフリをして、なおかつ日本代表みたいな顔をしているのが一番タチが悪い(笑)。
田中:自分が民謡に対して感じていること、関心を持っていることって特別なものじゃなくて、一般的な日本人と一緒だと思うんですよ。民謡を聴いて育ったわけでもないし、伝統のなかにいるわけじゃないけれど、「炭坑節」や「会津磐梯山」ぐらいだったら何も見ずに少しは歌えたりする。その距離感というかね。
大沢:「自分たちはこうだよ」ということなのかもしれない。私個人としては民謡だから特別という訳でもなく、単純に音楽を人前で演奏することはいまの自分たちと目の前のお客さんの関係でしかなくて、そこは日本でも海外でも変わらないんです。
田中:ただ、とあるミュージシャンと話をしていたとき、自分たちの「血の話」になったことがあるんですね。その人は自分たちの民族をいやがおうにも背負わざるを得ない、と。それに対して、こっちは日本人としての「血の話」で返せないんですよ。スクラムを組んで「俺たち日本人は~」と返すこともできないじゃないですか。
―できないですね。
田中:「血の話を血の話で返せない」のがいまの日本だと思うんですね。それってなかなか説明しづらい話ではあって。
―民族的なアイデンティティーが複雑になっているのは日本だけじゃないですよね。そもそも日本のなかでもアイデンティティーのあり方は多様化していて、だからこそ守らないといけないものもある。そういう時代の「ワールドミュージック」はどのようにあるものなのか。僕は民クルみたいにふわふわと揺れ動くルーツミュージックもまた、いまの時代の「ワールドミュージック」だと思うんですよ。
田中:そう思ってもらえると嬉しいですね。民謡のアップデートにもいろんなやり方があると思うし、そこに挑む人が増えると一番おもしろいわけで。中西レモンさんみたいにおもしろいアプローチしてる人もいるし、新しいトライの時期だと思っています。
―そろそろ新作の話を聞かないといけないですね(笑)。
田中:そうでした(笑)。
―今回のレコーディングも福生の「バナナハウス」でやったんですか。
田中:そうですね。去年末にスタートして、全部バナナハウスでやりました。今回のレコーディングでエンジニアをやってくれた韓雄万くんが福生在住で、やっぱりバナナハウスをやったほうがいいだろうと。
大沢:「秋田大黒舞」(※)を録ったときも雄万くんにエンジニアをお願いしたんですけど、いい感じだったので今回も頼もうと。「秋田大黒舞」もメンバー全員なかなか揃わないので、バンドでの一発録りではなく、メンバーごとにバラバラで録ったんですよ。
通称「バナナハウス」と呼ばれる、米軍ハウスを改築したデザインスタジオにして、民謡クルセイダーズの練習拠点でのレコーディング風景 / 映画『ブリング・ミンヨー・バック!』より (C)Yuji Moriwaki All rights reserved
田中:今回はこうちゃん(大沢)がデモのトラックや楽譜を用意してくれて、そこから固めていくというやり方で進めました。コロナ禍で集まれなかったり、ツアーがあってみんなで音を出せなかったり、メンバーチェンジがあったりして、なかなかアレンジが固まらなかったんですけど、そこをこうちゃんが仕切ってくれた。
―そういうつくり方の違いがあるのか、前作よりも明らかにアレンジが練り込まれていますよね。
田中:まあ、前作は元ネタありきで、そこに民謡が乗るような感じでしたから。
―ブーガルー、クンビア、フレンチカリブのビギンとか、ベースになるトラックのアイデアがわかりやすかった。
田中:そうそう、シンプルというかね。でも、今回はフックが多かったり、アイデアが詰め込まれていたり、いくつかの方法が混在しているんですよ。
大沢:あとから「ここにエフェクトを足したい」とか「ここに鍵盤を入れたい」とか細かい調整もだいぶやりました。
田中:各パートを別々で録ったからこそ、あとから考えられたというか。わりといろんなことにトライできたんですよ。
―民謡は基本的に西洋音楽的な発想でつくられていないものも多いので、バンドのリズムとズレが生じることもあると思うんですが、そうしたズレについてはどう考えていますか?
大沢:たいていのポップミュージックであれば4小節、8小節で構成されるところ、民謡だと3小節で進んだりしますからね。
田中:そうするとリズムが裏返っちゃうんですよ。帳尻を合わせるために間を空けるようなことはわりとやってますね。リズムが裏返ったままやるとどうなるか、毎回トライしてみるんですけど、そうするとどうしても踊れない。
―ラテンやアフロのグルーヴと合わず、気持ちいいポイントがズレてしまう。
大沢:そうなんですよ。でも、フレディさんはできるだけ元の民謡そのままのかたちで歌いたくて。
民謡歌手で民謡クルセイダーズのボーカル、フレディ塚本 / 映画『ブリング・ミンヨー・バック!』より (C)Yuji Moriwaki All rights reserved
田中:「フレディさん、ここはすいません」と受け入れてもらうことが多いですね。やっぱり踊れないといけないし、リズムが裏返っちゃうとどうしても音楽的に違和感が出てきちゃう。民謡らしい進行のアレンジもおもしろいし、本当はやってみたいんですけど。
―このあいだHARIKUYAMAKUという沖縄民謡をダブ化しているミュージシャンにCINRAで取材したんですが、彼は最初民クルと同じようにズレを調整していたというんですね。でも、このあいだ出たアルバム(『Mystic Islands Dub』)ではそのままにしたというんですよ(※)。なぜかというと、西洋音楽的な解釈ではズレや揺れに感じる部分にこそ沖縄民謡のアイデンティティーがあるんじゃないか、HARIKUYAMAKUはそういうことを言っていて。
田中:なるほどね。民クルもまだ発展途上だと思うし、越えられていない課題もたくさんあると思うんですよ。リズムに関してはラテンにせよアフロにせよ「借りモノ」なわけで、ダンスミュージックに対する自分たちの身体感覚であったり、血肉になっているものをどうやって投影することができるのか、そこは今後トライしていきたいとも思っています。
―今回は『日本民謡珍道中』というタイトルがつけられていて、英語タイトルが『Tour of Japan』。マイティ・スパロウの“Tour of Jamaica”(※)を連想するわけですが。
田中:まさにそれが元ネタです(笑)。
―そうでしたか(笑)。タイトルどおり、今回は「旅」がコンセプトになっているわけですよね。
田中:最初は前作の続編というか、「Echoes Of Japan 2」みたいなタイトルを考えてたんですけど、テーマ性のあるものをつけたいなとも思うようになって。
田中:『Echoes Of Japan』って、かつての民謡が残していった残響音を受け取ったところからはじめたような作品でしたけど、今回はその残響音を受けて、自分たちがどう動き出すか、というようなもう少しフィジカルな意味にしたかったんですよ。
実際、1stアルバムを出してからヨーロッパでツアーをやれたり、民謡をやることでめちゃくちゃ世界が広がったんですね。自分たちなりに民謡を掘り下げる作業も「民謡の旅」だと思うし、その意味でも今回は「旅」というテーマがちょうどいいんじゃないかと思ったんですよ。
―あくまでも旅行者、というところに民クルのスタンスが出ているような気もしますね。その地域の出身者でもなければ移住者でもなく、旅行者として地域の文化に触れ、表現しているというか。
田中:たしかに。もしかしたら福生に対する距離感も同じかもしれない。福生で生まれ育ったメンバーがいるわけじゃないし、いまだに自分たちも「よそもの」なんですよ。旅行者というかね。
―なるほど。日本をレペゼンする気持ちはなくても、福生をレペゼンする気持ちはあるものだと思っていました。
田中:もちろんレペゼンする気持ちもありますが、「福生」という日本の戦後カルチャーの象徴みたいな、米軍の横田基地があることで成立している街で、生活して音楽活動をすることの日本人としての矛盾とか疑問が、ものづくりをする個人としてハズせないということかもしれません。
大沢:民クルもだんだん福生在住じゃないメンバーが増えてきたもんね。
田中:そうね。いろんな人に興味を持ってもらうための問題提起のフックとして「from 福生」と言ってるところはあるかもしれない。
―福生とひと言で言っても、住んでいる人たちは多種多様ですもんね。
田中:そうなんですよ。福生の場合、夏のお祭りにしても地元の人が昔からやってきたものもあれば、移住者が続けてきたヒッピー的なお祭りもあって、お互いのコミュニティーが分かれていて、交わることがないんです。でも、最近はじまった新しい盆踊りではふたつのコミュニティーが混じりかけているところがあって。ツアーで地方に呼んでもらうと、全国でもその流れが生まれつつあると思います。
―民謡クルセイダーズというバンド自体、異なるコミュニティーが出会う場所になっていますよね。
田中:そうなるといいなと思っています。おじいちゃんおばあちゃんも知ってる歌だから楽しめるし、若い人も踊れる。そんなフリーな空間をつくれないかと。
2019年に大和町八幡神社『大盆踊り会 “DAIBON”』に出演した際の民謡クルセイダーズ / 映画『ブリング・ミンヨー・バック!』より (C)Yuji Moriwaki All rights reserved
―それが今後のビジョン?
田中:それもあるし、民謡をアップデートするシーンができたらいいなと思ってます。もちろん民クルというバンド自体、聴いてくれる人がもっと増えたら嬉しいけど。
―いまの民クルの活動ってめちゃくちゃハードじゃないですか。ヨーロッパで厳しいツアーをやって、しかもみんな無理ができる年齢でもない(笑)。それでもこれだけの活動を続けられている理由は何だと思いますか。
田中:いまは野口くん(野口勇介、Tp)、湯浅さん(湯浅佳代子、Tb)、デジくん(藤野“デジ”俊雄、Ba)、こうちゃんなどプロミュージシャンのサポートも大きくなりましたけど、音楽以外の仕事をしてるメンバーもいるし、半分社会人バンドとしてそれぞれの生活基盤を崩さないでやってきたのは大きいかもしれない。
コロナ禍もあり今回のリリースまで6年かかっちゃったということはあるんですけど。あと、民謡ということも大きいですよ。オリジナル曲をイチからつくっていたら大変だったと思うけど、言っても「みんなで楽しもう」というパーティーバンドですからね。
大沢:そうそう。スタンダードを自分たちのアレンジで楽しみながらやってるだけというか。ジャズのスタンダードをさまざまなミュージシャンがカバーしてるとかクラシックの名曲が演奏され続けていくように、民謡を日本のスタンダードとして、音楽を楽しんでいるような感じだと思うんですよね。