2023年11月25日 09:21 弁護士ドットコム
「温泉盗撮は和歌山が発祥地です。1980年代には始まっていました。その後、手口を真似た盗撮ビデオが爆発的に増えていきまして、風呂の盗撮はいまでも一大ジャンルです」
【関連記事:「16歳の私が、性欲の対象にされるなんて」 高校時代の性被害、断れなかった理由】
盗撮問題を20年あまり扱ってきたプロはこう語る。日本では毎日のように盗撮事件が報じられているが、源流までたどっていくと蓄積された長い歴史があることが分かった。シリーズ第三弾は日本の盗撮犯罪史をひもといてみたい。(ジャーナリスト・竹輪次郎)
明治時代、ある「のぞき男」が世間の耳目を集めていた。銭湯帰りの女性が襲われて殺害された。容疑者として浮上したのは風呂のぞきの常習犯・池田亀太郎だ。
亀太郎容疑者は前歯が前方に突き出ていたことから、〈出歯亀(デバガメ)〉とあだ名されて、亀太郎は殺害を否定していたことから事件は大きく取り上げられて、デバガメの名前は世間に知られるようになった。これ以来、変質者やのぞきをする人間の総称がデバガメというようになったのだ。
今では死語に近いが、中年以上の人にとってなじみがある言葉ではないだろうか。ちなみに英語のスラングでは盗撮をpeeping tomという。のぞきのトムという意味で、日本と同じようにトム君がのぞきをしていたことに由来する言葉らしく、日英共通なのが興味深い。
日本で盗撮が本格化するのは、1980年代。家庭用のカメラの普及にともなって増えていった。カメラ小僧、通称カメコといわれる人たちが、レースクイーンやチアリーダー、スポーツ選手を性的に切り取った写真を撮影。それをカメコたちが雑誌に投稿するようになった。
盗撮画像専門の雑誌がコンビニで売られるなど市場が広がっていった。このときは盗撮の指南本まで登場。1981年馬場憲治著「アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム」は一般書として書店でシリーズ累計170万部のベストセラーになった。
盗撮の指南本がベストセラーになるとは現代の感覚からすれば驚くが、日本に盗撮ジャンルが根付いた大きな出来事だった。いま問題になっているアスリートの盗撮やチアリーダーの下着の盗み撮りはこの時から始まっている。まだ盗撮を取り締まる条例すらなかった時代である。
1980年、レンタルビデオ店の急増とともに、アダルトビデオを専門に売るセルビデオショップも急速に増えていった。セルビデオはレンタルビデオで扱え無い過激な内容がウリで、VHS形式のビデオが販売が行われていた。こうしたビデオショップでやがて売られるようになったのが、「盗撮ビデオ」だ。馬場のアクションカメラの時代から動画に変わっていったのだ。
売られていたビデオは夜中に車にいるカップルを撮影したものや、レースクィーンが集まるイベントで盗撮を行っているものなどが多かった。中でも爆発的に売れたのが風呂の盗撮ビデオだ。露天風呂を外からのぞくようなビデオでなく、脱衣場の様子や洗い場がそのまま撮影された実録ものだった。
モザイク処理は一切ほどこされておらず、子どもが写っていようがそのままビデオとして販売されていた。ビデオの制作者は「和歌山アクション倶楽部」、販売は「なにわ書店」だ。ビデオを作成した和歌山アクション倶楽部は通称WAC(ワック)と呼ばれる盗撮組織で、和歌山を中心として、近畿地方の温泉施設のビデオを次々と作って、大きな売り上げをあげていた。
WACはどこで調べたのか知らないが、修学旅行や学生の合宿に使われるホテルや旅館の情報を得て、学生たちの入浴時間にあわせて盗撮を行っていたと見られる。ビデオのパッケージも明らかに学生を盗撮したと分かるようなもので、児童ポルノに該当するものが公然と街のビデオショップで売られていたのだ。VHS形式のビデオはやがてDVDと変わり、販売が続く。
1991年、WACのメンバー2人が逮捕された。夫のYが1980年代から盗撮に凝りだして雑誌投稿を行っていて、賞金をもらい始めてからエスカレート。Yは妻に洗面道具にカメラを隠して風呂の盗撮をすることを思いついたそうだ。WACのシリーズは全部で百巻以上。1本およそ5000円で販売して1億円以上を売り上げたという。女性に撮影させる方法というWACの手口は、いまも踏襲され続けている。
和歌山を拠点に盗撮防止の活動を続けている「社団法人盗撮防止ネットワーク」代表の平松直哉氏はこう語る。
「温泉盗撮がスタートした場所は和歌山です。WACがやり始めて、そのビデオをみた人たちが真似させて、温泉盗撮は発展してきました。当時は法律も未整備でした。また警察も事の重要さに気が付いておらず、長らく野放し状態が続いたのです。温泉盗撮の発祥地・和歌山は不名誉な称号です」
平松氏は当時流通していたビデオを取り寄せて、映像を解析。被害にあった温浴施設の特定を行ってネットで公開していたところ、販売業者サイドから追及を止めるように圧力があったこともあったという。
「裏社会で私を拉致しろという指令がまわっていると聞きました。実際に車で移動中につけまわされたり、怖い目にあいました。当時はかなり気を付けて行動していました」
1990年代、盗撮は条例さえまともに整備されていない状態で、ほぼ野放しの状態が続いた。そして2000年代になると衝撃的な事件が発生する。
和歌山有数の海水浴場で大規模な盗撮事件が起きた。当時、海水浴場に無料のトイレがあったのだが、じつはこれは盗撮メーカーが盗撮をするためにわざわざ作ったものだったことが判明。ここを利用した人たちが盗撮されていたのだ。
実行した盗撮メーカーとは、大阪のなにわ書店の関連だと言われている。当時はニュース特集が組まれるなど大々的に報じられた。2005年になって、なにわ書店の社長Mは3年で4億1600万円を稼ぎながら、正しく税金の申告をしていないとして脱税で逮捕されている。
2000年代ころから、盗撮が個人だけでなく組織的なものに変わっていく。プロ化の時代が到来したといっても過言ではない。技術だけでなく、"芸能人がこの温泉旅館に泊まる"といった情報や"関係者"でないと入れないところで撮影するなど、複数の人間が分業して撮影するスタイルが増えていったのだ。
背景には機材の小型化・高性能化がある。インターネット技術を使って、遠隔操作する輩まで登場している。これらに加えてネットを使って、仲間を集めやすくなったのも、盗撮がプロ化していった原因だと思われる。
・モデル似の女性が露天風呂に入る映像が販売(2004年)
・女子バレーボール実業団チームのトイレ盗撮ビデオ流出(2006年)
・
・
・
・100m以上離れた場所から露天風呂を「望遠」盗撮(2022年)
上記、2022年の露天風呂「望遠」盗撮事件では、なんと12人が逮捕されている。撮影する人間に加えて、露天風呂に女性を誘う「盗撮依頼」など様々な役割があったという。
筆者が直接取材したケースだと、ラブホテルに盗撮カメラを許可なくしかけて部屋の様子を撮影していたグループが印象に残っている。このグループのメンバーは盗撮歴自称20年のリーダーを始め3人。カメラを設置するスタッフと映像を編集するスタッフ、監視役がいた。カメラの設置スタッフは、ラブホテルの天井裏に侵入して、電気配線を勝手に工事してしまい、撮影機材の電源を確保していた。警察の摘発を受けたが、彼らはプロだった。
筆者が取材した別のケースでは、架空のレースクイーンのオーディションをでっちあげて、オーディション会場や更衣室に盗撮カメラを仕掛けていたグループもあった。彼らは、本格的な募集ホームページを作って、芸能事務所にオーディションの参加を呼びかけるなど金も時間もかけていたグループだった。後で分かったことだが、この組織のリーダーは映像を大規模に販売する予定だったという。このようなプロの盗撮集団は今もどこかで暗躍しているだろう。しかしあまりに巧妙なため表に出ることは少ない。
2000年代は盗撮のジャンルが爆発的に増えていった時代でもある。風呂、夜の公園、チアリーダー、運動会、スポーツイベント、車内のカップル、レースクイーンなどから始まって、更衣室、トイレ、ホテル、家の中、風俗店内などありとあらゆるところが盗撮のターゲットになった。
変わった例でいうと、「風チラ」というジャンルもあった。風で短いスカートがめくれるところを撮影する、という盗撮ジャンルだ。都内でもビル風が強いサンシャイン60付近はそのスポットとなっていて、「風チラ」を撮影するために怪しい男たちが多く集まっていた。現在は、警備も強化されるなどあって、そのような人は激減している。
2010年代以降は携帯電話・スマートフォンの普及で盗撮はさらに増えていく。昨年の警察白書によれば、盗撮の検挙件数のうち79%がスマートフォンによるものだった。筆者もエスカレーターをのぼっているところでスカートの中を撮影している男を見たことがあるが、女性は盗られていることに気が付かない。時間にしてほんの5秒程度しかカメラを向けない人間も多いので、周囲も気づくのは難しいだろう。最近はスマホ操作や音楽に夢中になっている女性も多いのでなおさらだ。
盗撮する機材で二番目に多いのは偽装型のカメラで全体の14.3%。偽装カメラとはペンやメガネを装った小型カメラのことだ。これらは秋葉原の防犯グッズ店に行くまでもなく、ネットで調べれば簡単に実物を買うことが出来る。カメラは超小型で、撮影に気づく人はいないだろう。この偽装型カメラは年々新しいタイプが発売されていることもあって、今後もこれを利用した盗撮事案は増えていくだろう。。年間5000人以上が検挙される盗撮大国ニッポン。”黒歴史”はいつまで続くのだろうか。