2023年11月24日 10:31 弁護士ドットコム
10月7日に起きたイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃。現在は連日、それに続くイスラエル軍によるガザ地区への攻撃、地上侵攻のニュースが飛び込んでくる。
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日本にとっても決して、対岸の火事ではないはずだ。テレビドラマ『VIVANT』(TBS系) では、海外で自衛隊が秘密作戦を展開して話題を呼んだが、日本はどのような情報活動を行っているのだろうか。防衛相直轄部隊である自衛隊の情報保全隊などで海外情報収集の最前線で活躍した、安全保障ジャーナリストの吉永ケンジさんに話を聞いた。(ライター・和久井香菜子)
——今回の奇襲を許したのはイスラエル側の情報活動の不備が招いたのではないかとの指摘もありますが、吉永さんはどのように捉えていますか?
情報活動の手段には、報道や主張などを分析する(OSINT)、通信や電子信号を傍受する信号情報(SIGINT)、偵察衛星で画像を分析する画像情報(IMINT)、科学的な変化を捉える計測情報(MASINT)、情報機関同士の協力である交換情報(COLLINT)、それから人的情報のHUMINT(ヒュミント)などがあります。これら複数の手段で得られた情報を総合的に分析して精度を高めるのがセオリーです。
よく言われることですが、情報の9割は公開資料で得ることができ、秘密情報は1割しかありません。この1割を公開情報以外の手段で情報収集するわけですが、その中では信号情報が圧倒的に優位です。
ただし、戦闘機や軍艦、戦車、ミサイルなど主要兵器を持たず、小規模な人的兵力に依存するテロ組織に対しては、さまざまな情報収集手段のうちHUMINTの比重が高まります。HUMINTとは、情報機関に所属するケースオフィサーが現地人などエージェントを運用して情報収集する、いわゆるスパイ活動のことです。
指導者の肉声や思考など、他の手段では得難い情報を入手できるメリットがある反面、エージェントの先入観や意図によりバイアスがかけられたり、偽情報が混ざったりするデメリットがあります。よって、重要な政策や計画、命令に際してHUMINTで得られた情報だけに頼ることはありません。
——今回の奇襲は、イスラエル側のHUMINT能力が低下したためとの指摘もありました。
10月7日の奇襲を受けてイスラエルを訪問したオースティン米国防長官が13日の記者会見で、「もし同盟国に対する差し迫った攻撃を知っていたら、我々は明確に伝えていた」と述べ、情報活動の不備を認めました。
またイスラエル地元紙は、攻撃前日に異変を示す断片情報が寄せられたが、国内情報を担当する情報機関「シンベット」と軍の情報機関「アマン」が、兆候を軍事演習と評価し、ガザ地区周辺に駐屯する部隊に警告を発しなかったと報道しています。
これらを受けて、多くの専門家がハイテク頼みの情報活動が仇となった可能性を指摘しました。ガザ地区に出入りする人や車両、船舶などの監視は顔認証を含むさまざまな電子的なセンサーが活用されており、イスラエル側に侵入するためのトンネル探知には電磁波探査装置を使用しています。
総体的にみれば、HUMINT以外の手段のリソースが多い状況ではあります。そのため、HUMINT能力の低下が奇襲を許した原因と判断するのは早計です。
——では、他に考えられる要因は何でしょうか?
実際のところは、2つの要因があると私は考えています。
1つ目は「稲と籾殻(もみがら)の問題」。得られる情報が多くなるほど、重要度や正確性の判定に大きな負荷がかかり、指導者に報告される情報の精度がかえって低下します。情報活動のデジタル化、ネットワーク化が進んだ弊害とも言えるでしょう。
2つ目は「イスラエル政府の機能不全」。2023年7月、ネタニヤフ政権は政府に対する裁判所のチェック機能を弱める法案を可決、いわゆる「司法改革」を断行しました。これが国論を二分し、全国で大規模デモが勃発していました。ネタニヤフ首相は対立する国防相を解任しましたが、国内の対立が国家安全保障上のボトルネックとなった可能性があります。
「HUMINT能力の低下」は、わかりやすい言い訳となり、米国とネタニヤフ政権への批判を回避できる材料になり得ます。一見してわかりやすい話に飛び付いてはいけないという、情報リテラシー問題の好例でしょう。一般国民の私たちも、情報を咀嚼する能力は重要です。偽情報などを用いて他国の世論・意思決定に影響を及ぼす認知領域の戦いがありえるからです。
——現在、日本の情報活動はどのように行っているのでしょうか?
防衛省・自衛隊には、国内最大の情報機関である情報本部をはじめ、陸上自衛隊の中央情報隊、海上自衛隊の艦隊情報群、航空自衛隊の作戦情報隊など情報専門部隊が置かれており、スパイ活動などを調査する防衛大臣直轄の自衛隊情報保全隊があります。
防衛省はこれら情報機関・部隊の正確な規模を明らかにしていませんが、人的リソースは6000人程度とみられています。単独の情報官庁である公安調査庁が約1800人なので、その3倍です。ただし自衛官は約14万8千人、割合は約4%にとどまっています。
そのうちHUMINTに従事しているのは、88の大使館と6つの代表部に勤務する防衛駐在官(いわゆる駐在武官)75人、陸自部隊がPKOなどで海外派遣される際に同行する現地情報隊約50人、空自作戦情報隊のうち約20人、自衛隊情報保全隊約1000人。海外で日常的にHUMINTに従事しているのは防衛駐在官のみで、非常に限定的です。
——これらのHUMINT部隊はどのようなシステムで活動を行うのでしょうか?
駐在武官は主に一佐(大佐相当)が任命され、任地国の国防省や軍隊を訪問して、軍事政策や兵器、練度を情報収集します。また、各国ではその国に駐在する武官で武官団が構成されていて、武官団の間で情報交換も行っています。
駐在武官は「軍服を着たスパイ」と喩えられますが、ウィーン条約により保護された外交官でもあるため、合法的な活動に制限されています。
ちなみにイスラエルを含む中東諸国でのHUMINTは、過激派から派生したテロ組織「日本赤軍」がパレスチナ解放人民戦線(PFLP)と共闘して、テロ事件を頻発させた経緯があるため、伝統的に警察庁が強い特徴があります。
——今後、日本の情報活動はどのような方向で進むべきだと考えますか?
現在の安全保障環境を考えると、防衛省・自衛隊による情報活動はより強化すべきです。2022年12月に策定された安保三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)でも、情報戦に政府全体として取り組み、HUMINTを含む情報収集能力を抜本的に強化する方針が打ち出されました。
ロシアによる米大統領選挙への介入などを受けて、偽情報対策など認知領域の戦いに注目が集まっています。しかし軍事情報に関するHUMINTは上述のとおり、勢力と活動が極めて限定的です。
例えば、北朝鮮や中国に対するHUMINTは公安調査庁が伝統的に秀でていますが、公安調査官には軍事的素養がないため、軍事情報を収集・分析することができません。せめて、日本の直接的な脅威である中国、北朝鮮、ロシアに対しては、防衛省が独自のHUMINTを実施すべきです。
——情報は得るだけでは意味がなく、どう集約・解釈して活用するかが重要ではないでしょうか。そのためにはどうしたらよいのでしょう?
防衛駐在官は将来有望な一佐が任命されていますが、彼らは情報の専門家ではありません。武官補佐官として情報の専門家を派遣して、情報収集に専従させる必要があります。この情報専門家を武官補佐官として派遣する制度は、主要国が取り入れています。
また、サイバー戦分野でホワイトハッカーやセキュリティ専門家を公募しているように、地域研究の学者や商社員、ジャーナリストなど民間の専門家を公募する取り組みも必要です。
——TBS日曜劇場『VIVANT』で陸自の秘密情報機関「別班」が注目を集めました
「別班」が存在するかは読者の判断にお任せしますが、視聴者から好評を得たように、日本人の軍事アレルギー、情報機関アレルギーは大幅に払拭されたことは評価できるのではないでしょうか。ただし情報活動が国民の基本的人権の侵害に抵触するおそれがあることが一部で指摘されているのも事実です。
米国家安全保障局が大量の個人情報を収集していた、2013年の「スノーデン事件」は懸念を白日の元に晒しました。実は、日本政府の情報コミュニティのトップである内閣情報官と、情報本部の最大部署であり通信傍受を行う電波部の部長は警察官僚の指定席となっています。
この慣習に不満を抱く情報関係者は多く、また、マスコミや市民団体からも批判が寄せられています。政府と防衛省の情報活動を純粋に対外的・軍事的なものにするためには公権力を持つ警察官僚が情報機関を支配する体制から脱却する必要があると考えます。
【プロフィール】 吉永ケンジ(安全保障ジャーナリスト、セキュリティコンサルタント) 防衛省などで30年以上にわたり、対スパイ活動や海外情報収集などHUMINT(人的情報活動)の最前線に従事した元インテリジェンスオフィサー。現在は、安全保障ジャーナリストとして活動しつつ、経済安全保障に関する脅威分析や産業スパイ、営業秘密漏洩、盗聴・盗撮などセキュリティインシデントに関して、企業へのコンサルティングや講演を行う。また、修士(国際情報)、日本国際情報学会に所属し、主に韓国の政軍関係、情報機関、防衛産業をフィールドに学術研究する。著書に監修『わたしたちもみんな子どもだった 戦争が日常だった私たちの体験記』、翻訳『韓国建国に隠された左右対立悲史 - 1945年、26日間の独立』(ともにハガツサブックス)がある。 Twitter:@yk_seculligence