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なぜ『ゴーストワールド』は20年以上の時を超え、愛され続けるのか。制作秘話とともに監督が語ったこと

2023年11月23日 11:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 村尾泰郎

今年、22年ぶりのリバイバル上映が行なわれる映画『ゴーストワールド』(2001年)。ティーンエイジャーのリアルな心模様、アメリカ社会のグロテスクな日常をシニカルな笑いとともに描き出した本作は、かつてなかった青春映画として公開当時よりカルト的人気を誇っている。

いまなお伝説的に語られる『ゴーストワールド』は、なぜここまで観る者を惹きつけるのか。テリー・ツワイゴフ監督がインタビューで語ってくれたことを通じて、ライターの村尾泰郎が考える。

『ゴーストワールド』は、2人の鬼才の出会いから生まれた。原作を手がけたのはアメリカのグラフィックノベル(文学性が高いコミック)を代表する作家、ダニエル・クロウズ。そして、伝説的なコミック作家、ロバート・クラムを題材にしたドキュメンタリー映画『クラム』(1994年)で注目を集めたテリー・ツワイゴフが監督を務めた。

物語の主人公は高校を卒業したばかりの2人の少女、イーニドとレベッカ。2人は地元の街をぶらつき、世の中に毒づきながら退屈な毎日を過ごす。自分を取り巻く社会に対する苛立ち。コントロールできずに暴走する自意識。のちに「こじらせる」という表現で語られるようになる、大人になれない若者をシニカルに描き出したダニエルの原作に、ツワイゴフが映画的なヒネリを加えることで、『ゴーストワールド』は2000年代を代表する青春映画となった。

2人は出会ってすぐに意気投合したそうだが、彼らを結びつけたものは何だったのか。

左から:レベッカ(スカーレット・ヨハンソン)、イーニド(ソーラ・バーチ) © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―ダニエル・クロウズの原作とはどんなふうに出会ったのでしょうか。

ツワイゴフ:もともとダニエルの作品が大好きだったんだ。私以上に妻がダニエルのファンで、私が初めてフィクションの作品を作ろうと思ったときに「『ゴーストワールド』を映画にしたらおもしろいんじゃない?」と勧めてくれた。改めて読んでみると、イーニドとレベッカのキャラクーは魅力的だし、セリフもいい。それでクロウズと会ってみたら、すぐに意気投合して一緒に何かをつくりたいと思ったんだ。

―どんなところが気があったのですか?

ツワイゴフ:一緒にいると笑い合えるんだ。一緒にいてすごく楽しく過ごせるというのはとても大事なことだよ。

―ユーモアのセンスが似ているんですね。

ツワイゴフ:そうだね。「悲劇は簡単だけど喜劇は難しい」とよく言うけれど、笑いの好みは人それぞれ。スラップスティックなコメディが好きな人、ダジャレが好きな人、いろいろいるけど、ダニエルと通じるところがあるとしたら、2人とも知的な笑いを好むところかな。自分でそんなことを言うと自惚れているみたいだけどね(笑)。

テリー・ツワイゴフ
1949年5月18日ウィスコンシン州生まれ。初監督作はブルース系ミュージシャン、ハワード・アームストロングのドキュメンタリー映画『Louie Bluie』(1985年)。初めてのフィクション作品である『ゴーストワールド』で、新境地を開いた。その他監督作品は、ビリー・ボブ・ソーントン主演の『バッドサンタ』(2003年)、再びダニエル・クロウズと組んだ『アートスクール・コンフィデンシャル』(2006年)など。2017年にAmazonプライムより配信されたテレビドラマ『Budding Prospects』のパイロット版でも監督を務めた。

ツワイゴフ:ダニエルとはユーモアのセンスだけではなく、世の中に対する見方が似ているんだ。世代は違うけど、どちらもシカゴ育ちで、見てきたものも似ている。だから笑いのツボが近いのかもしれないね。

―ダニエルはあなたと一緒に脚本を書くだけではなく、作品全体に関わってアイデアを出したとか。ダニエルとの共同作業はいかがでした?

ツワイゴフ:彼は積極的に映画に関わって一生懸命手伝ってくれたよ。監督は現場でいろんな判断を迫られるんだ。たとえばセットの飾りつけについて聞かれたり、「ドレスは赤にしますか」とか「この靴は茶色がいいですか」とか、すごく細かいことを10秒ごとに聞かれる。

いちいちそれに答えている時間がないので、そういったビジュアル的なところは結構ダニエルに任せていたんだ。そして、1日の最後にまとめて私がチェックをしていた。ダニエルは私と趣味がまったく同じというわけではなかったけれど、彼は映画のことをよく理解してくれていたので最終チェックのときに直すことはほとんどなかったよ。

左から:イーニド、イリアナ・ダグラス演じる美術講師のロバータ © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―グラフィックノベルの作家だけに、ビジュアルのイメージがはっきりとあったんでしょうね。

ツワイゴフ:彼からはセリフの書き方も学んだよ。ディテールの見せ方もね。たとえばイーニドとレベッカがシーモアの郵便ポストを勝手に覗き見るシーン。

「ローレル&ハーディのファンクラブ」や「全国タムシ協会」からの郵便物が届いているんだけど、最初はどこにでもあるような会社からの郵便にしていた。シャンプーの広告とかね。でも、ダニエルがもっと具体的なもののほうがおもしろいって教えてくれたんだ。

ダニエルが全面的に協力することで、映画に原作の世界観を濃密に反映することができた。そのうえでツワイゴフは、原作にはいなかったキャラクター、シーモアを登場させる。イーニドは冴えない中年男のシーモアに出会って興味を持つ。古いブルースやジャズのレコードを集め、自分の世界に生きている洗練された変わり者、シーモアはイーニドにとって大きな発見だった。そして、イーニドとレベッカの間にシーモアが加わることで奇妙な三角関係が生まれる。

イーニド役のソーラ・バーチ。レベッカ役のスカーレット・ヨハンソン。そして、シーモア役のスティーヴ・ブシェミ。これ以上ないほどの見事なキャスティングだ。

レベッカ(スカーレット・ヨハンソン)、イーニド(ソーラ・バーチ) © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―イーニド役のソーラ・バーチ、レベッカ役のスカーレット・ヨハンソン、シーモア役のスティーヴ・ブシェミ、それぞれ見事なキャスティングでした。なかでも、それまでになかったタイプのキャラクターでもあるイーニド役を見つけるのは大変だったのでは?

ツワイゴフ:スタジオ側が提案してくる俳優は正反対なタイプばかりだった。そんなときに映画の話を聞きつけてソーラ・バーチが何度も電話してきたんだ。どうしてもイーニドを演じたいようで、一緒に本読みをしないかって何度もランチに誘われたよ(笑)。

でも、その頃の彼女は『アメリカン・ビューティー』(1999年)で注目を集めたばかりで、同じような演技をやろうとしていたんだ。それが私には引っかかってね。でも、何度もミーティングを重ねていくうちに少しずつイーニドになっていった。キャスティングで大変だったのはレベッカのほうだ

―スカーレット・ヨハンソンが? 意外ですね。

ツワイゴフ:最初、彼女はニューヨークから本読みをしているビデオテープを送ってきてくれたんだけど、本読みの相手が身内なのか全然彼女の助けになっていなくて見るも無残な内容だったんだ。

しかも、当時、スカーレット・ヨハンソンは無名な存在で、スタジオのスタッフもダニエルさえも彼女を起用したがらなかった。いまから考えると不思議な話だよ。でも、私はどこか彼女に惹かれるものを感じたんだ。

レベッカとイーニド © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―彼女はこの映画で大きな注目を集めましたね。シーモアはブシェミにあて書きしたようにぴったりでした。

ツワイゴフ:原作を読んだとき、イーニドとレベッカのやりとりはおもしろいけど、ストーリーはあってないようなものだと思った。だから映画ではシーモアというキャラクターをつくって、イーニドとのラブコメディにしようと思ったんだ。ただ、年齢差があるからキャスティングが重要で、シーモアは初めからブシェミに決めていた。

ラブストーリーとなるとスタジオ(映画会社)は典型的な主役タイプの俳優を使いたがる。タフで男性的な、たとえばロバート・デ・ニーロとかね。でも、そういうタイプの男優がシーモアをやると、ちょっと気味悪い話になってしまうと思ったんだ。シーモア役はスター俳優より個性派俳優にやってほしかった。

その点、ブシェミは男性的でありながらも品があるんだよ。それがシーモア役には重要だった。この映画はシンプルで心温まる作品にしたかったからね。だからブシェミがやってくれなかったら、この映画はできなかったかもしれない。

ツワイゴフが映画で描こうとしたのは、社会で自分の居場所を探そうとする人々の姿だった。

ツワイゴフが10代のころから感じているという、周りの社会にフィットしていない居心地の悪さ。それがイーニドやシーモアの孤立感にも通じている。レベッカはバイトをはじめ、少しずつ自立の道を歩み出すが、イーニドはどんなバイトをやっても長続きしない。レベッカとのあいだに次第に距離が生まれていく一方で、イーニドは自分の世界に生きるシーモアに惹かれていく。学校を卒業して社会に向き合う10代のしんどさ。そして、自分の趣味に生きる中年男の悲哀が胸に迫る。

1940~1950年代にハリウッドで流行した犯罪映画を、フランスの映画評論家は「フィルムノワール(暗黒映画)」と呼んだ。そこでは荒廃したアメリカ社会、欲望や愛憎に翻弄される人間ドラマが描かれ、主人公を破滅に導く謎めいた女性キャラクターは「ファム・ファタル(宿命の女)」と呼ばれた。フィルムノワールはフランスで人気を博して、フランス産のフィルムノワールも数多く制作された。テリー・ツワイゴフはフィルムノワールが大好き。ダニエル・クロウズの絵のタッチにもフィルムノワールの影響が感じられる。

イーニドとシーモア © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―イーニドは社会に出たものの、そこでどんなふうに生きていったらいいのかわからず悩んでいます。一方、シーモアは趣味の世界というシェルターに引きこもって生きている。そんなシェルターにイーニドが飛び込んできて、最後にはシーモアの生活はめちゃくちゃになってしまうわけですが、ある意味、イーニドはシーモアにとってファム・ファタル的な存在ですね。

ツワイゴフ:それはおもしろい見方だね(笑)。じつは私はこの映画をフィルムノワールっぽく撮りたかったんだ。ダニエルの作品にもそういうタッチがあるけど、それ以上にフィルムノワールっぽくしたかった。

といっても、モノクロで撮ったり、影を強調したりという、いかにもフィルムノワールっぽいビジュアルではなく、カラフルなビジュアルでやりたかったんだ。そうすることで、大量消費社会のアメリカのチープな感じを出したいと思った。オルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』(1932年)みたいにね。

―アメリカ批判という点でいうと、劇中でシーモアが「ナイキとビッグマックの国」と毒づきますね。

ツワイゴフ:本当は体や環境によくないものなのに、大企業は嘘を言って人々にものを売りつけている。コンサートに行くと、偽物のブルースバンドがブルースを騙って演奏している。というふうに私には見える。

そういう私の世界の見方を、さらに悪夢っぽくしたのが『ゴーストワールド』なんだ。この映画のプロットのベースになっているのはアメリカ社会に対する批判で、それをフィルムノワール風に描こうと思ったんだ。

―これまでの映画にも社会に馴染めないアウトサイダーが描かれてきましたが、その多くは手におえない不良だったり、精神的に厄介な問題を抱えている特別な存在でした。しかし、『ゴーストワールド』ではアウトサイダーが身近な存在で、普通の人が持つ歪さを描いているのが特徴です。

ツワイゴフ:原作を読んだとき、イーニドとレベッカが社会や文化を批判しているところが一番おもしろかったんだ。私はアメリカ人をグロテスクだと思っていて、その見方を映画で表現することが大切だと思っている。そうすることで観客は映画に描かれたものをリアルに感じられるんだ。

イーニドの友達のジョシュが働くコンビニに現れるヌンチャク男 © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

ツワイゴフ:そういう作品にするために、プリプロダクションの初日に撮影監督や美術のスタッフ、キャスティング・ディレクターなんかを連れて大きなショッピングモールに行った。そして、1階のエスカレーターに全員を集めて、エスカレーターに乗っている人々を私がどう見ているか説明した。

たとえば120キロくらい体重がある女性がジョギングパンツを履いていたり、とんでもない髪型をした男性が歩いていたり。そういう人たちに、なぜ自分が興味を惹かれるのか、どういうところをグロテスクに、奇妙に感じているかをみんなに説明した。それが映画をつくっていくうえで、すごく役に立ったよ。

―映画の冒頭では、そんな「グロテスクな隣人たち」の生活が窓ガラス越しに紹介されていきますね。そして、最後にイーニドの部屋が映し出されるという印象的なシークエンスです。

ツワイゴフ:そういえば、撮影中にブシェミが怒ったことがあったんだ。「エキストラばかりに演出して自分には何も言ってくれない」ってね。だから言ったんだよ。「だって君の演技は間違ってないから。エキストラはみんな間違っているんだ」って。エキストラはみんな楽しそうな顔をするんだよ。でも、私が必要としていたのは、死んだ親友のお葬式から帰ってきたときみたいな憂鬱さだったんだ。

廃線になったバス停のベンチに毎日座りバスを待っている老人とイーニド、レベッカ © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―グロテスクな人々が憂鬱な顔で暮らしている。まさに「ゴーストワールド」ですね。

ツワイゴフ:他人がどう思おうと、自分のビジョンを映像化するのが重要なんだと思う。それが自己表現だと思うからね。映画を観て「いいな」と思うのは、その作品に個人的なつながりを感じるとき。「こんなことを思うのは自分だけじゃなかった」と思えるときなんだ。だから、自分の作品にも自分が感じていることを盛り込みたい。

でも、スタジオは予算が大きい作品になるほど自己表現を嫌う。昔はヒッチコックの『めまい』(1958年)みたいに娯楽作でありながらも監督の作家性がしっかりと刻み込まれた作品があったけど、最近はめっきり少なくなった。アート系の作品以外は、自己表現をするのが難しくなってきていると感じるね。

イーニドとシーモアを結びつけたのは音楽。奇妙(ビザール)なものに目がないイーニドは、シーモアを通じて古いブルースやジャズに興味を持ち、自分の世界を持つことの大切さを知る。

1990年代終わりごろからアメリカではルーツミュージックの再評価が進み、やがて「アメリカーナ」という言葉が一般的に使われるようになる。そんななかで、『ゴーストワールド』のサントラも話題になった。

もともとツワイゴフは、ロバート・クラムのバンド、The Cheap Suit Serenadersに加入して古いジャズやブルースを演奏するほど音楽好き。シーモアの部屋のレコードコレクションはツワイゴフの私物が使用された。大量生産されてきたステレオタイプな青春ドラマをなぞるのではなく、つくり手が本当に興味を持っているものを魅力的に描いたことで、『ゴーストワールド』は特別な作品になったのだ。

―この映画は音楽が重要な役割を果たしています。当時のハリウッドの青春映画で古いジャズやブルースの曲が流れることはほとんどなかったので、若者たちにとって新鮮だったのではないでしょうか。

ツワイゴフ:最初、スタジオはこうした音楽を使うことに反対していたんだ。もっと若者が聴くような、たとえばブリトニー・スピアーズみたいなポップミュージックを使えって言われたけど、私は自分が好きな音楽を使うことにこだわった。驚いたのは試写会を開いたときに、若い観客が音楽にすごく反応したんだ。大好評だった。若者たちがこの映画の音楽に興味を持つなんて思いもしなかったよ。

―あなたの作品からは音楽に対するこだわりや愛情を感じさせますが、映画を制作するうえで音楽は重要ですか?

ツワイゴフ:私は映画をつくるときに、まず音楽を決める。音楽を決めると映画のトーンが決まって、うまくまとまる気がするからね。編集をしているときも、ずっと音楽を流している。

『ゴーストワールド』で使っている音楽は私が個人的に集めていた音楽で、ほとんど1920年代のブルースだったり、ジャズだったり、ボリウッドの音楽だったりするんだ。シーモアをレコードコレクターという設定にしたのは、自分が好きな音楽を使うための言いわけだった(笑)。

そして、シーモアをイーニドやレベッカとどう絡ませるのかを考えるなかで、大好きなスタンリー・キューブリック監督の『ロリータ』(1962年)を思い出して、この映画に『ロリータ』っぽい要素を取り入れてみようと思いついた。それがイーニドとシーモアの関係になったんだ。

イーニドとシーモア © 2001 Orion Pictures Distribution Corporation. All Rights Reserved.

―あなたの音楽への愛がストーリーを膨らませたんですね。古いレコードが好きで自分の趣味の世界に生きているシーモアは、あなた自身に通じるところもあります。

ツワイゴフ:じつはシーモアにはモデルがあるんだ。私が10代のころに年上の友人がいてね。彼とよくつるんでシカゴの街を歩き回って、古いレコードや古いコミックを買っていた。現代のものより古いもののほうがおもしろくて、自分たちにフィットする世界を探していた。そんななかで、その年上の友人はいろんな本やレコードを教えてくれたんだ。

―監督の生い立ちも映画に反映されているんですね。

ツワイゴフ:いまとなっては消去したいくらい暗黒時代の思い出だけどね(苦笑)。そういえば、映画のなかでスキップ・ジェイムズの“Devil Got My Woman”のレコードが出てくるだろ? ガレージセールでイーニドが落とすふりをしてシーモアが青ざめる。

もちろん、あそこで使ったレコードは本物ではなく、オリジナルのレーベルをコピーして貼ってつくったダミー。当時、オリジナル盤は2万ドルくらいしたからね。それが最近、9万9千ドルに跳ね上がっていたんだ。びっくりして、どうしてそんなに高くなったのか調べたら、『ゴーストワールド』に登場したかららしい。ほんと、奇妙な話だよ(笑)。

消費社会を嘲笑った映画に登場したレコードにプレミアがつく。そんなシニカルなオチもまた『ゴーストワールド』らしいといえるかもしれない。

この映画が20年以上も熱烈に愛されてきたのは、自分を取り巻く社会に居心地悪さを感じながら、音楽や映画、文学など、アートによって救われてきた人々の気持ちが描かれているからでもあると思う。シーモアがうっとりと耳を傾け、イーニドも心惹かれたスキップ・ジェイムズ“Devil Got My Woman”のように、これからも『ゴーストワールド』は虚ろな世界で生きる者たちの心の拠りどころになることだろう。