2023年11月20日 10:11 弁護士ドットコム
ここは都内の住宅街。住み慣れた町から悠人(仮名)が引っ越して来て、丸二年になろうとしている。そろそろ賃貸マンションの更新時期だなと思っていたところ、管理会社から「値上げ」の通知があった。
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本来ならば拒否したいのだが、そこまで気に入った物件でなかったこともあり、心機一転、悠人は別の町に引っ越すことにした。現代社会において、転居に伴う手続きほど煩わしいものはなく、金も時間もかかるが、一旦心を決めるとワクワクする。
さて、住んできた部屋の引き渡しである。築浅マンションなので、きれいに使ってきたが、入居前からキズや汚れがついていた箇所がある。すぐに言うべきだったかもしれないが、悠人は仕事で忙殺されて、写メを撮ることさえ忘れてしまっていた。
こうしたキズや汚れについても原状回復のために敷金から差し引かれてしまうのだろうか。不動産トラブルにくわしい瀬戸仲男弁護士に聞いた。
原状回復とは、賃貸アパートや賃貸マンションなど、賃貸住宅の賃貸借契約が終了する際に、借主(賃借人)が借りた部屋を入居時の状態に戻して貸主(賃貸人)に返す義務のことです。
借主が故意に部屋を汚したり、壊したりする場合だけでなく、人が住んでいれば自然に発生する汚れや傷や色あせなどがあります。こうした場合に、借主が修繕する範囲なのか、貸主が自分で修繕する範囲なのか、その境界線があいまいなため、かつてはトラブルが多く発生しました。
そこで、国土交通省は1998年に「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」を公表しました。このガイドラインでは、原状回復について次のように規定しています。
原状回復とは「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」です。
これによると、「普通に住んで自然にできる汚れや損傷は、入居者の責任ではありません」ということです。
その後、2020年の民法改正の際に、この原状回復について明文化されました。
【改正民法621条】(賃借人の原状回復義務)
「賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」
この改正後の民法によって、次の2つの場合に、賃借人が責任を負わないことになりました。
1つは「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」の場合。もう1つは「損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものである」場合です。
したがって、「入居前からのキズや汚れ」が「通常の使用及び収益によって生じた」程度のものである場合は、そもそも借主側が責任を負うものではありません。
この「入居前からのキズや汚れ」が通常の使用及び収益によって生じた」程度のものではない場合(ひどいキズや汚れの場合)には、悠人君は原状回復義務を負うことになりそうです。
責任を回避するためには、悠人君が入居する前から存在したキズや汚れであること(つまり、悠人君の責めに帰することができない事由によるものであること)を明らかにしなければなりません。
これを証明するためには、入居時に写真を撮っておくなどの用意が必要でしたが、残念ながら、悠人君はそれを怠っていたようです。原状回復に必要な費用を敷金から差し引かれることになるかもしれません。
なお、仮に敷金から差し引かれる場合でも、原状回復の費用が高過ぎないか、義務のない箇所の費用まで含まれていないか、十分に注意して、貸主や管理会社が不当な要求をしているかどうかチェックしましょう。
民法改正により、原状回復義務が明文化され、ガイドラインについての理解も浸透して、トラブルは減ってはいますが、それでもなくなったわけではありません。入居者が知識不足でやむを得ずに泣き寝入りしている場合もあるかもしれません。
そこで、原状回復にまつわるトラブルを防ぐにはどうしたらよいのか、考えてみましょう。
当然ですが、契約時に契約書および重要事項説明書に書かれている内容を確認して、わからない点は貸主や仲介会社・管理会社に質問しましょう。
たとえば「専門業者による清掃を施すための費用○万円を敷金から差し引く」というような特約が書かれている場合をよく見かけます。
契約した後になって「全部払う必要はないのではないか」などと言っても、後の祭りです。この「クリーニング特約」については、裁判所の判例でも有効か、無効かの判断が分かれています。特約がある場合は、特に慎重に内容を把握して、納得できるかどうか判断することが必要です。
そのほか、実際に部屋を内見したときには、必ず不具合のある箇所、傷やシミなどの有無を確認しましょう。貸主側に修繕等を求めるべきですが、仮に、貸主側が修繕しないという場合には他の物件を探せばよいのですが、その物件に住みたい場合には、その不具合などの箇所を写真に撮っておき、貸主や管理会社と情報を共有しておくとよいでしょう。
できれば、その不具合が存在する箇所について、退去時に借主が原状回復義務を負わないという合意書を作成できればなおよいでしょう。
【取材協力弁護士】
瀬戸 仲男(せと・なかお)弁護士
アルティ法律事務所代表弁護士。大学卒業後、不動産会社営業勤務。弁護士に転身後、不動産・建築・相続その他様々な案件に精力的に取り組む。我が日本国の歴史・伝統・文化をこよなく愛する下町生まれの江戸っ子。
事務所名:アルティ法律事務所
事務所URL:http://www.arty-law.com/