2023年11月18日 09:41 弁護士ドットコム
フリーランスライターの畠山理仁さんの選挙取材に焦点を当てたドキュメンタリー映画『NO 選挙, NO LIFE』(監督:前田亜紀/プロデューサー:大島新)が11月18日から上映される。
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大手メディアがほとんど取り上げない「泡沫候補」(無頼系独立候補)と呼ばれるユニークな候補たちを追ってきた畠山さん。2017年に『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)が第15回開高健ノンフィクション賞を受賞した。
畠山さんのポリシーは「選挙に立候補した全員を取材すること。取材できなければ記事にしない」。コスパやタイパを度外視した畠山さんが、自分の目で候補を確かめようと、文字通り命を削りながら全国を飛び回る姿をカメラはとらえている。
「独立候補は"自由のお手本"」と話す畠山さんに今回の映画や選挙取材について聞いた。(ライター・渋井哲也)
――そもそも選挙に関心を持ったきっかけは何でしょうか?
1992年に大学に入学して、翌年から編集プロダクションでライターの仕事を始めたのですが、そこの社長の知り合いが、ある市長選に立候補したんです。その選挙を手伝ったことがきっかけです。選挙カーを運転したり、マイクを持ってアナウンスをしたりしました。選挙中、事務所にいろいろな人が来るので、単純に面白いなと思いました。
――それから選挙取材をするように?
いえ、まだ、このころは選挙取材は始めていません。デジタル機器や就職情報、社会問題や時事問題の記事を書いていました。編プロの仕事が楽しかったから、大学の授業はほとんど出なかったです。結局、大学を4年間で卒業できず、1996年に除籍になりました。
――初めて選挙取材をしたのはいつですか?
1998年です。『週刊プレイボーイ』の取材で、大川豊総裁(大川興業)と一緒に行くようになりました。選挙に限らず、政治全般を取材していましたね。一番印象に残っているのは、2000年に自由連合(2005年に解散)から衆院選挙に出馬した山口節生さんを取材したときです。もちろん、どんな候補かということは大川総裁の著作を読んで事前に知っていました。
その日、山口さんは住宅街で街頭演説をしていたんですが、僕と大川総裁に向かって「キミたちも選挙に立候補してくれないか?」とマイクで呼びかけたんです。「いや、出ない、出ない」と首を振ったら、「政治に意見したいのに立候補しないのはなぜか? みんな自分がかわいいんであります!」と言われました。やっぱり覚悟が違うと思いましたよ。
――独立候補といえば、東京都知事選や参議院選挙などに出馬していたマック赤坂さん(スマイル党)が、2019年の港区議選(東京都)で当選しましたね。
マックさんは当選後、ほとんど議会に出席していません。だから私は、「マックさんは独立候補の星なんだから、その人が議会に出なかったら、他の独立候補が変な目で見られる。議会に出られないなら、早く議員をやめたほうがいい」と言いましたよ。それからマックさんは議会に少し顔を出すようになって、何回か質問もしています。ただ、有権者の「大暴れしてほしい」という期待には応えられていないと思います。
――映画『NO 選挙, NO LIFE』の中で、畠山さんは「(立候補者)全員取材しないと記事にしない」と言っていました。その姿勢はいつからですか?
選挙取材を始めた当初から、ずっと思っていました。さすがに条件があって、実際に会えなくても、接触できればいいとしています。取材拒否ならそれでもいい。中には、写真すら撮らせてくれない候補もいますが、説得して撮らせてもらったことは何度もあります。
大川総裁と取材していた1999年の選挙では、『週プレ』の記事1回分で全員を紹介できませんでした。読者は主要候補のことを読みたい。でも、僕と大川総裁は、独立候補たちの戦いを記録に残したい。選挙中は主要候補を記事にして、選挙後に独立候補の記事を出しました。紙面という限られた制約の中では、それが精一杯でした。
――映画の後半では、2022年の沖縄県知事選での出来事が取り上げられています。選挙活動に使われた「道具」のことについて話すシーンがありました。
選挙活動の道具がどう扱われているのか、取材ではよく観察しています。道具を大切に扱うことは大事だからですね。選挙のビラも、演説のあとにその場でクシャクシャになって落ちていたら、普通はボランティアが拾いますが、ビラが道路に落ちて車にひかれているシーンをよく見かけます。
候補の主張を伝えるために一生懸命に作ったはずなのに、ぞんざいに扱われていたら、支援者たちも候補のことを大事に思っていないんじゃないかと思います。独立候補の場合、ビラが少ないこともあり、一枚一枚を大事にします。通行人などに渡して、いらないと捨てられるわけですが、それを拾ってきれいにして、次の人に渡す。尊い行為だと思います。
――沖縄県知事選のあと、候補だった下地幹郎さんのインタビューで「(落選することは)ダメージは受けるけど、国を良くしたい、県を良くしたいという思いとダメージと、どっちが強いかといったらこっちが強い。ダメージのほうが大きい人はやめたらいいんだよ」などのコメントを引き出していました。畠山さんは「見習わないといけない。お金がないと言っている場合じゃない」と自分に向けても言っていましたね。
あの沖縄県知事選は、僕自身、本当は"卒業旅行"でした。ライターを引退しようと思っていたんです。一方で、僕からしても「なんで続けるの?」と思うようなことをやり続ける独立候補たちは、"自由のお手本"のような存在です。彼らに自分の背中を押してほしい気持ちがあったのだと思います。下地さんは大負けしたのですが、あの言葉で「やめなくていい」と勇気づけられましたね。