令和の時代ではあまり聞かないが、ひと昔前は見合い結婚しなければならない家もあった。長崎県に住む60代前半の女性(教育・保育・公務員・農林水産・その他/年収100万円)は、当時好きだった男性に、
「自分はいずれ地元に戻って地元の人と見合いをして結婚しないといけない。それに来年には東京の会社の大学部に行く予定なので、それまでで良かったら付き合おう」
と言われ、それを承知の上で付き合っていたというが……。(文:國伊レン)
東京に行っても交際は続き「彼のことが益々好きになり結婚まで考えるように…」
「社会人になって初めて大人の付き合いをした人でした。バイトに行っていた職場で知り合い付き合いました」
相手との馴れ初めはバイト先の職場だった。翌年には別れなければいけない運命にもかかわらず、
「私は彼のことが大好きだったので『それでもいい』と言いました」
と女性は綴る。付き合い始めると、彼は色々なことを教えてくれるなど、優しさに溢れていたそう。女性は「彼のことが益々好きになり結婚まで考えるように」なっていった。そして彼の方も、女性のことを好きになり、東京に行ってからも交際は続いたという。
「彼も最終的には私との結婚を考えてくれ、親に結婚したい人がいると話してくれました。しかし、私が高卒なこと、彼の地元の者じゃないこと等で反対され、彼は親の反対を押し切ってまでは結婚は出来ないと」
お互いが結婚を考えるようになってもなお、相手側の両親からOKが出ることはなかった。しかし、どうしても関係を続けたかったのだろう。彼からは、
「結婚は出来ないけど 愛人で良かったら」
と言われたと女性は明かす。そして、その言葉によって女性は別れを決意したという。
「愛人でもいいかもと、ほんの少し思った当時の自分をぶん殴りたいです。彼は鹿児島の人。今思うと本当に結婚しなくて良かったと思います」
迷いを抱きつつ、結局は別れを選択した女性。それから数十年を経た今も、その決断に悔いはないようだ。
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