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FBI尋問記録を完全再現。その狙いは?トランプ政権の疑惑をリークした25歳女性の物語『リアリティ』監督が語る

2023年11月17日 17:10  CINRA.NET

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Text by 岩見旦
Text by 稲垣貴俊

2017年、アメリカ国家安全保障局(NSA)の契約社員リアリティ・ウィナーが逮捕された。2016年の大統領選にロシアのハッカーが介入していた疑惑に関する報告書、すなわち国家の機密書類をメディアに漏洩した疑いだ。ドナルド・トランプ政権を揺るがすスキャンダルは世界を驚愕させ、リアリティは「第二のスノーデン」として注目を浴びた。

映画『リアリティ』は、FBIによるリアリティ本人への尋問音声記録を、ほぼリアルタイムで完全再現するという、野心的な仕掛けで世界中から注目された心理スリラーだ。監督・脚本は、ニューヨークの演劇界で注目される気鋭の劇作家ティナ・サッター。2019年に自身が手がけた舞台『Is This A Room(原題)』をもとに、緊迫感が終始持続する充実の82分間をつくりあげた。

なぜ、リアリティ・ウィナーという人物に注目したのか。リアリティを通じて見えるアメリカ社会とは。そして、「尋問記録の完全再現」というコンセプトに秘められた狙いとは――。サッター監督自ら、その真意を明らかにする。

ティナ・サッター
演劇・映画の脚本家・演出家。2019年秋、自身のブロードウェイ・デビュー作として初演されたものを映画化した本作『リアリティ』が長編映画のデビューとなる。これまでに11本のオリジナル戯曲の脚本・演出を手がけ、数多くの短編作品や映像作品を米国内外で上演・上映してきた。最近では、舞台作品の演出家としてベルリンのシャウビューネ劇場やオフ・ブロードウェイのプレイライツ・ホライズン劇場で仕事をしている。2020年、グッゲンハイム・フェローシップを受賞。

―そもそも、なぜリアリティ・ウィナーという女性に関心を持ったのでしょうか。

サッター:まずは、2017年当時のリアリティが25歳の若い女性だったということです。彼女はごく普通の――アニメのイラストを描くのが好きで、動物を愛する、どこか垢抜けない――女の子だった。しかし彼女は、ダリー語やパシュトー語、ペルシャ語に堪能で、兵役にも就いていました。現在のアメリカで、それは若い女性にとって一般的な選択肢ではありません。

すなわち彼女は、あらゆる意味で典型的であり、平凡な人でありながら、非凡なことをやってのけたのです。私には、リアリティが若い世代の一般的なアメリカ人を融合させたような存在に思えました。毎日仕事をしながら、自分の今後をいつも考え、よくジムにも通っていた。たしか、逮捕当日も男性とジムでデートをする予定だったのです。そして、文字通り国のために尽くす一方、X(旧Twitter)では「いまの大統領はひどすぎる」というような、多くの人々が口にすることも言っていました。

リアリティのそうした言動は、「国は嘘をつくべきではない」という理想主義から来るものです。当時の私は、それ以前からのアメリカの政治や文化的な出来事に疲れ果てて、「アメリカは最悪だ、どうすれば良い国になるんだろう?」と考えていました。けれど、リアリティを知って、「アメリカがより良くなる可能性を私たちが信じられたなら、この国はもっと良くなるのかもしれない」と思わされたんです。

© 2022 Mickey and Mina LLC. All Rights Reserved.

―リアリティが起こした事件を、発生当時はどのように見ていましたか?

サッター:事件が起こった2017年6月当時、私は事件にほとんど関心を払っていませんでした。アメリカでも大きなニュースにはなっていなかったし、彼女の名前もさほど報じられなかったのです。「リアリティ・ウィナー」って変わった名前ですよね。多くの人は名前を聞いてもリアリティ番組か何かだと思ったでしょうし、それゆえに彼女の名前がさほど認知されなかった側面もあったでしょう。

当時、私も彼女が逮捕されたことは知っていて、ニューヨークタイムズに顔写真が小さく載っていたことは覚えています。しかし、彼女が何をしたのかは半年後まで知りませんでした。たまたま2017年12月に、ニューヨークタイムズに掲載されたリアリティに関する長い記事を読んだのです。事件の詳細のほか、音声記録へのリンクもありました。そのときに初めて、リアリティ本人と彼女がリークしたものに興味を持ったのです。

―リアリティを「若い世代の一般的なアメリカ人を融合させたような存在」とおっしゃいましたが、特定の世代や時代を象徴する存在として描く意図もあったのでしょうか?

サッター:いいえ。私はリアリティという人物を詳細に描きつつも、何か特別なものを押しつけないようにしたかったのです。人はそれぞれいろんな物を持っていますが、リアリティは黄色いコンバースの靴を履き、ジーンズのショートパンツを着て、ピカチュウやハローキティのグッズを持ち、家にはコーランも置いていた。そして保釈聴聞会では、そのコーランが、リアリティがテロリストを目指している証拠であるかのように使われました。アメリカではイスラム教が非常に大きな意味を持つためです。

この映画で目指したのは、リアリティのあらゆる側面を見せること。ときには混乱を招くかもしれませんが、非常にリアルな姿を提示することです。だから特定のイデオロギーを彼女に押しつけたり、彼女を決まった枠に押し込めたりしたくなかった。リアリティの魅力は、むしろそういうものを吹き飛ばすところにあると思うからです。

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―リアリティ役のシドニー・スウィーニーとは、どのように人物像をつくり上げていきましたか?

サッター:シドニーの出演が決まったあと、彼女から「リアリティ本人と話したい」という申し出がありました。そして、リアリティ自身も快諾してくれた。実際に本人と話せたことは、シドニーにとって非常に有益だったと思います。彼女はとても知性的な俳優で、リアリティを知ったうえで脚本を読み込み、この役柄を表現してくれました。

この映画は音声記録に基づいているので、台詞はすべて実際のリアリティが口にしたもの。彼女が発した言葉の意味を、ともに脚本段階からじっくりと考えられたことは大きかったと思います。私自身はリアリティのことを考えるために時間を費やし、シドニーはリアリティ本人と話したことでつかめたものがあった。リアリティがどのような人物で、どんなユーモアやタフさを備えているのかを早くから共有していました。

―尋問記録を映画化するうえで、または原案の舞台『Is This A Room(原題)』を手がけるうえで、創作の突破口となったターニングポイントはありましたか?

サッター:音声記録を舞台の戯曲としてとらえる点で、俳優たちと一緒に何度も記録を読み返したことが大いに役立ちました。記録のなかには、あらゆる言葉や言い淀み、咳、犬の鳴き声などがすべて記されています。しかし、いざリアリティたちが家のなかに入ると、人物の動きや演出のト書きはまったくありません。

稽古を数週間続けたころ、この台本も三幕構成なのだということがだんだんわかってきました。第一幕は、捜査員が家を片づけ、銃などを確かめているあいだ、リアリティが芝生の上で待っている場面。第二幕は、家の奥にある部屋で実際に行なわれた尋問の場面。そして、第三幕は彼女が告白を終えたあとです。この三幕構成が、舞台であれ映画であれ、各シーンをどう展開させ、どのように第一幕と第二幕を終えるかのヒントになりました。三幕構成なのだと気づいたことが、おそらく最初の大きな創造的発見だったと思います。

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―音声に記録されない動作の部分こそ、監督や俳優陣が想像によって創作した部分だと思います。撮影現場ではどんなプロセスで演技をつくりあげていきましたか?

サッター:撮影上の制約が多く、基本的には準備万端で臨まなければならなかったので、動作はすべて事前に計画していました。時間の都合上、急ピッチで撮影を進める必要がありましたし、尋問が行なわれる部屋はリアルに見せたかったので、本当に小さな空間で撮影を行なっています。また屋外のシーンでは、つねに捜査員がリアリティにつき添っている。映画を現実的に演出するうえでは、どうしても制約が伴うものです。

幸い、撮影監督のポール・イーとは綿密に計画を練っておいたので、撮影をスムーズに進めることができました。当日、その場で考えなければいけない問題に対処する余裕もありましたし、私のアイデアで、俳優たちと撮影現場で共同作業をすることも時々ありました。

―リアリティ本人の写真やSNS投稿なども劇中に登場しますが、なぜ実際の資料を使ったのでしょうか?

サッター:実際のリアリティの姿を少しでも登場させたい、と当初から考えていました。脚本にも本人の画像が映し出される箇所を――最終的に完成した映画とは位置が異なりますが――いくつか書き込んでいたのです。しかし役柄に命を吹き込み、観客と接するのはシドニーや俳優たちですから、微妙な決断ではありました。

けれど、これが現実の出来事であることを思い出してもらいたい理由が2つあったのです。ひとつは記録のなかに、たとえば猫の話のようにおかしな台詞が時々入っているためで、どれも私たちが創作した台詞ではないからです。そしてもうひとつは、この出来事が実在の若い女性に起こった現実にほかならないから。

いつ、どのように資料を使うべきかと試行錯誤しましたが、最終的に決めたルールは、「音声記録のなかで言及されているものか、当日に撮影されたものだけを使う」というもの。劇中にはリアリティが自宅を背にして写真を撮る場面がありますが、ほかにもピンクの銃や捜査員との様子、Instagramの写真など、使えそうな資料はいろいろあったのです。

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―演劇の世界には、実際の歴史や事件に関する記録を上演する「ドキュメンタリー演劇」と呼ばれるジャンルがあります。映画化にあたり、その方法論も意識しましたか?

サッター:おかしな話ですが、舞台をつくっていた当時もまったく意識していませんでした。創作に没頭していたあまり、あとから「ドキュメンタリー演劇の系譜ですよね?」と言われて気づいたんです。そのとき、「たしかにドキュメンタリー演劇の伝統はあるけれど、私は自分の作品をつくるだけ。気にしなくていいんだ」と思い直しました。この映画も同じで、私はただ自分がつくりたいものをつくっているだけです。

もちろん、映画にもカテゴリーはあります。「これは劇映画なのか、ドキュメンタリーなのか、その両方なのか?」と言われたら、私がつくりたかったのは長編の劇映画でした。リアリティ本人のドキュメンタリーはすでに存在しますし、私が大切にしたのは実際の記録をドラマにすること。実際の資料も使いましたが、私はそれらを映画の世界に持ち込んだだけで、映画には映画の詩学があります。「ドキュメンタリースタイルだからこうしよう」といったことは考えませんでした。

―興味深いのは、本作がリアリティという人物や、彼女の行為に善悪の判断をしていないことです。リアリティを決まった枠に押し込めない、イデオロギーを押しつけないという判断に関連しているのでしょうか?

サッター:その通りです。私が最もこだわったのは、「最初の言葉はこれ、最後の言葉はこれ」というふうに、あくまでも記録に忠実な作品にすることでした。もちろん自分の解釈は入っていますが、より中立的になるよう心がけたつもりです。なぜなら特定のメッセージを押し出すよりも、そちらのほうがより興味深く、また政治的にも強い意味を持ちうると考えたから。特定のメッセージを強調しやすい要素もありますが、仮にそうしたところで、観客がどう反応するかはコントロールできません。

リアリティは刺激的かつ複雑な人物で、彼女には法律を破ったという事実がある。だから、彼女という人をそのまま見せたいと思いました。また音声記録のおかげで、FBIによる本物の仕事ぶりを見られることも、この驚くべき文書をそのまま示したいと考えた理由のひとつです。あらゆるものが想像以上に奇妙で、予想外。だからこそ、観る人に何も押しつけず、この記録がそのまま通用するかどうかを確かめたいと考えました。