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有罪確定の元鳥取県議・平井伸治氏「逮捕時は万感胸に迫るものがありました」手記寄せる

2023年11月15日 10:21  弁護士ドットコム

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今年4月9日、鳥取県議選で初当選した平井伸治氏の有罪判決が11月2日、確定した。知事と同姓同名であり、過去に詐欺罪で有罪判決を受け服役したことを明かした異色の議員として注目を集めたが、最初の定例県議会が閉会した6月30日に詐欺の疑いで逮捕され、8月末に議員辞職。松山地裁は10月18日、新型コロナ対策の国の助成金を計約2800万円騙し取ったなどとして、懲役3年6月の実刑判決(求刑懲役6年)を言い渡していた。 


【関連記事:【逮捕前のインタビュー】「ガーシー扱いされているんです」鳥取県知事と同姓同名、県議に初当選した平井伸治さんの覚悟】



弁護士ドットコムニュースの記者は当選後の4月、大阪市内で平井氏と面会し、出馬に至る流れや現在の思いについて話を聞いていた(「ガーシー扱いされているんです」鳥取県知事と同姓同名、県議に初当選した平井伸治さんの覚悟)。飄々とした、とらえどころのないとの印象を抱いたが、平井氏はその時「私の過去もありますので、本当に当選していいのかな」との率直な思いも吐露。また釈放されてから出馬までに何らかの罪に問われたことはないか?という記者の質問に対しては「ないです」と即答していた。



その平井氏は今、何を考えているのか。平井氏に手紙を送ると、「さすがに求刑6年と言われた時は落ち込みましたが、判決は3年6月、未決50日と、ほぼ半分になりました。今はもう早く刑務所へ行って、早く帰ろうという気持ちです」との返信があった。



平井氏の手記を紹介したい(*一部、編集部で表現を変えた部分もあります)。



●「県民の方々には申し訳ないとの気持ちしかない」

まず、県民に伝えたい事としては、お詫びの言葉しかありません。



今回の件は、2年半前の事であり、当時は県議では無く、ましてや県民でもなかったのに、鳥取県議と言う言葉が一人歩きし、いやでも僕と鳥取を結びつけてしまう報道にいきどおりを感じており、県民の方々には申し訳無いとの気持ちしかありません。



ではなぜ犯行に手を染めたかと言えば、当初、私としては書類を作っただけであり、罪の意識はありませんでした。



今回の件は2年半前にさかのぼります。私の知人(今回一緒に逮捕された人)から「愛媛にコロナで困っている人がいる。助けてもらえないか」と相談を受けました。私は当時、コロナ助成金(編注:新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金)を知っていたので、書類を作ってあげるくらいならと、作成してあげました。



私はこの時、書類を作ってあげただけと思っており、罪の意識は全くありませんでした。



ただ後日、この申請が通り、私は手数料を受け取ってしまう事に。これが、いわゆる今回の助成金不正受給詐欺となったのです。



その後も、この知人から「別のホテルもコロナで苦しんでいる。助けてあげてほしい」と言われ書類を作ってあげる事になりました。この時も同じく申請通り、手数料を受け取っています。



その後は、この2社の方と連絡を取ることはなかったのですが、昨年(2022年)2月頃に、その内の1社に何らかの調査が入ったとうわさで聞きました。まだ出馬を決める前のことです。紹介者に確認したところ「いや、調査は受けたようだが、弁護士を入れ対応してるらしいので大丈夫です」と言われ、安心していました。



後でわかったのですが、この1社は、私の申請の後、自分で助成金センターとやりとりをしていたようでした。すっかり安心していた私はその後、選挙モードで鳥取へ行き、今年(2023年)4月の選挙で当選しました。



議員活動を開始すると、初めは議会でも“際物”扱いだったのですが、少しずつ馴染んでいったように思います。さあこれからと言う6月、家に警察が来て、その後逮捕となりました。私は前回の服役後、前科者であると言う事を隠して生きて行く事を望まず、履歴書に全て記載した上で就職活動をしていた為、50数社の面接に落ちるなど大変苦労しました。



その為、議員としての活動に再犯防止を掲げ、初めての一般質問で再犯防止を述べた一週間後に本人が再犯で逮捕されると言うオマケ付きで。これが今回の件のあらましです。さすがの私の心も、この逮捕時は万感胸に迫るものがありましたが…。



今(10月下旬)はまだ拘置中であり強制される事は何も無く、1日2通出せる手紙と読書で過ごしています。ただそれもあと数日、判決後14日で刑が確定する受刑者となり多分、全国どこかの刑務所へ移送されるまでは、1日中洗濯バサミを作ることになります。



私の求刑は6年でした。同種の前科のある私に、猶予刑は望めず、今回の3年半は最短であったのではと思っています。さらに未決を50日もらっています。であるなら、余計な戦いをするより、早く刑を終わらせればと思っています。なので控訴はしませんでした。