2023年11月15日 07:01 リアルサウンド
※本稿はアニメ『「進撃の巨人」The Final Season 完結編(後編)』の内容に触れています。ネタバレにご注意ください。
約10年にわたって続いてきたTVアニメ『進撃の巨人』シリーズが、ついに完結。最終回となる『「進撃の巨人」The Final Season 完結編(後編)』では、原作を踏襲しつつ、アニメオリジナルのシーンがいくつも追加された。原作とアニメでどのような変化があったのか、とくに物語の解釈に大きく関わってくる部分を取り上げてみたい。
(参考:【写真】「別冊少年マガジン」12月号発売の付録は『進撃の巨人』特製クリアファイル" )
もっとも大きな変更点と言えるのは、エレンとアルミンが“道”の世界で繰り広げた対話だろう。エレンが「地鳴らし」を行った理由を打ち明けていくシーンだ。そこでアルミンはエレンに対して、仲間たちに自分を討ち取らせることで、「人類を滅亡から救った英雄」に仕立て上げることが目的だったのではないかと問いかける。エレンはその質問を肯定すると、アルミンたちが「生き残った人類すべての恩人」「この世でもっとも敬意を表される存在」になるという構想を語るのだった。
ここまでは原作にある描写だが、アニメではアルミンがエレンの構想する未来を否定。「残念だけど、僕もみんなも、君の思い通りに英雄を演じるつもりはないよ」と、望まれた役割を演じることをきっぱりと拒否している。
さらにその後、人類の8割が虐殺されることを聞かされたアルミンは、人類が分かり合う未来が失われることを泣きながら語り、「残された教訓は殺すか殺されるか、それだけだよ」と深い絶望を打ち明けていた。
原作のアルミンは非情な運命を背負わされたエレンに対して、どちらかといえば同情的で、虐殺行為を直接糾弾するセリフはほとんどない。しかしアニメではエレンが人類に行った仕打ちに向き合い、その罪の重さに絶望している。
そしてエレンの側にも、大きな言動の変化があった。原作のエレンは人類の虐殺について深く悩みながらも、最後までそれを全否定はしていない。しかしアニメでは、サシャやハンジが犠牲になったことなどに想いを馳せ、「どうしてこうなったのか……やっとわかった。バカだからだ」「どこにでもいるありふれたバカが力を持っちまった。だからこんな結末を迎えることしかできなかった」と、己の愚かさを直視しているのだ。
さらに「地鳴らし」から3年後、アルミンたちが連合国側の大使としてパラディ島を訪れるエピローグでも、同じようなアニオリシーンがある。船に乗った面々は和平交渉に対して悲観的で、コニーやライナーは無事に生きて帰れるとは思っていない様子。ジャンに至っては、「あのバカ野郎が押し付けた“世界の英雄”の役がこれだ……何が長生きしてほしい、だよ」とぼやいていた。
またヒストリアの手紙でも、“戦わないための戦い”に身を投じなければならない……という考えが示されている。こうした改変から、原作よりも徹底して「地鳴らし」の成果が否定されていることを読み取れるのではないだろうか。
エレンを“1人”にさせなかったアルミンたち
しかし「地鳴らし」が徹底的に否定されたからといって、エレンが仲間たちに突き放される結末となったわけではない。むしろある意味では、原作よりも救いのある最後だと言えるだろう。
“道”の世界での対話にて、アルミンは自分の愚かさを語るエレンに対して、共犯者としての態度をとる。そもそも外の世界の本を見せて「誰もいない自由な世界」をエレンに想像させたのは自分だと語り、「“これ”は僕たちがやったことだ」と共に責任を引き受けようとするのだ。
さらにアルミンは「これからはずっと一緒だね」と言い、いつか地獄で「8割の人類を殺した罪」を受けて一緒に苦しむことを夢見るのだった。その後2人は原作と同じく抱擁を交わすが、アニメではその文脈が異なり、共犯者同士が罪を分かち合うための抱擁となっているように見える。
またヒストリアの手紙では、「地鳴らし」後の混乱について「この結果はエレンだけの選択ではありません」という言葉があり、自分たちの選択がもたらした結果が「この世界」だと綴られていた。これはエレンの行為を他人事とせず、主体的に引き受ける態度と言えるだろう。
さらに言えば、アルミンたちが命の危険を重々承知しつつ、和平交渉に赴くのも、エレンの存在があるからだ。言うなれば彼らが選んだ「戦わないための戦い」とは、エレンが選べなかった“もう1つの戦い”を選ぶ行為なのではないだろうか。
終盤の過激な展開から、作品のメッセージを誤解されることもあった『進撃の巨人』。最終回では原作者・諫山創が自ら内容に手を加えたそうだが、それによって“真に伝えたかったメッセージ”がより明確になったのかもしれない。
(文=キットゥン希希)