戸田健太の個展『HYPER SOLE』が11月18日から明治神宮前・BLOCK HOUSEで開催される。独学でスニーカーの製作技術を学び、昨年からシューズメイカーとして東京を拠点に活動している戸田健太。スニーカーの持つ記号性や身体性、意匠に強い関心を持ち、それらをモチーフにした作品を制作している。初個展となる同展では、スニーカーカルチャーやカスタムの文脈を基礎にしながら、物体としての「スニーカー(シューズ)」や「履く」という行為そのものの境界線を問う13作品を発表。人々が「スニーカー」と呼ぶものに植え付けたイメージと向き合うことを誘い、スニーカーをマーケティングによって定められた価値基準から解放する試みだという。【戸田健太のコメント】私が創作する動機の中心にはスニーカーに対する「愛情」と「嫌悪」が常に同居しています。私はスニーカーが持つ「運動靴」以上の文化的な側面に魅了されており、「スニーカーカルチャー」と呼ばれる文化圏の存在自体にも愛を感じますが、同時にそれらが大企業によるマーケティングを中心に形成され、私たちに与えられた選択肢が「消費」しかないという現実にも絶望しています。絵画も彫刻も音楽も映像も文学も、素晴らしい作品を鑑賞するだけでなく、私たちはそれを引用し、ミックスし、オリジナルをつくることができます。スニーカーはどうでしょうか?二次創作は度々訴訟の種となり、多くのカスタマイザーによるアイデアが潰されています。しかし、彼らは単に違法行為をしたくて作品を作っているのではありません。全てがスマートフォン上で完結し、毎週のように何かが発売されてはそれが購入できるかどうかに一喜一憂する現状への疲弊と、その反動としての創作エネルギーをスニーカーに注ぎ込んでいるのです。私はそれらを権利の侵害やブートレグとして一口に片付けてしまうことに若干の抵抗感があります。マイケルジョーダンをはじめとする数々のスタープレイヤーやコラボレーターたちによって、スニーカーが「機能フレーム」から「意味フレーム」へと転換したのがこれまでの歴史だとすると、次は「表現フレーム」へとスニーカーを解放するべきなのではないでしょうか。つまり、ビジネスから限りなく遠い世界線であらゆる表現が許されるアートの文脈へと脱出させることができるのではないかと思うわけです。実際のところ、一部の希少な製品が高値で取引され、ソーシャルメディアで自慢合戦が巻き起こる消費主義的なスニーカーブームは終焉を迎え、シーンは完全に崩壊しつつあります。私はスニーカーを愛するからこそ、消費のみで完結する現状を憎み、創作するわけです。そこで着目したのが、スニーカーカルチャーとアートシーンの構造的な類似性です。非常にハイコンテキストな基準で作品や商品が評価され、一部の人間がその価値と文脈を共有し、過去の作品を引用してそこに新たな解釈を生み出すという点において、この両者は共通しています。しかし、スニーカーにおいてはこの行為主体が一部のメーカーに限られてきました。前述した通り、今でも国内外の多くのカスタマイザーが個人の活動として、より新しいデザイン、質感、メッセージを表現すべく、スニーカーを制作しています。そこには既存の社会システムを嘲笑した前衛的なコンセプトをもったものから、環境問題に言及したもの、視覚的な新規性を追求したものなど様々な表現が見られます。これはスニーカーカルチャーという大衆文化の反動で生まれた、ポップアートの要素をもつ一種の芸術的な運動とも言えるのではないでしょうか。そこで、私は今回の展示を通して、既存のスニーカーカルチャーの文脈を盗用し、ときにはそこから逸脱したコンセプチュアルな表現としてスニーカー(シューズ)を追求する表現形態を「HYPER SOLE」という名の芸術運動として文脈化してみようと思います。