Text by 岩見旦
Text by 佐藤久理子
今年50周年を迎えたベルギーの『ゲント国際映画祭』で、10月18日、濱口竜介監督と音楽家の石橋英子による共同企画『GIFT』のワールドプレミアが、複合アート施設「Vooruit」で開催された。
『ゲント国際映画祭』は「ワールド・サウンドトラック賞」を設けるなど、以前から映画音楽に注目してきた。石橋は昨年『ドライブ・マイ・カー』で「ディスカバリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。一方、濱口監督は今年、優れた監督に与えられる「ジョゼフ・プラトー栄誉賞」を授与された。
本プロジェクトはもともと石橋の発案で、彼女のライブパフォーマンス用の映像を、濱口に依頼するところからスタートしたという。それが発展し、ひとつの撮影から石橋のコンサートで流すための無音の映像である『GIFT』と、9月の『ヴェネチア国際映画祭』で銀獅子賞(審査員大賞)を受賞した映画『悪は存在しない』の2つの作品が生まれた。
『GIFT』のワールドプレミアでは、映像を観ながら伴奏をつけるように演奏する石橋のライブパフォーマンスとともに上映された。ワールドプレミア終了後、若者が目立った熱気溢れる会場は、スタンディングオベーションに包まれた。翌日のまだ興奮冷めやらぬ空気のなか、現地でふたりに話を聞いた。
左から:濱口竜介、石橋英子 ©Kuriko Sato
濱口竜介(はまぐち りゅうすけ)
2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(2015)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(2021)で『ベルリン国際映画祭』銀熊賞(審査員グラランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(2021)で『第74回カンヌ国際映画祭』脚本賞など4冠、『第94回アカデミー賞国際長編映画賞』を受賞。地域やジャンルをまたいだ精力的な活動を続けている。
石橋英子(いしばし えいこ)
石橋英子は日本を拠点に活動する音楽家。ピアノ、シンセ、フルート、マリンバ、ドラムなどの楽器を演奏する。Drag City、Black Truffle、Editions Mego、felicityなどからアルバムをリリース。2020年1月、シドニーの美術館Art Gallery of New South Walesでの展覧会『Japan Supernatural』の展示の為の音楽を制作、シドニーフェスティバル期間中に美術館にて発表された。2021年、映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当、World Soundtrack AwardsのDiscovery of the yearとAsian Film Awardsの音楽賞を受賞。2022年『For McCoy』をBlack Truffleからリリース、アメリカ、イギリス、ヨーロッパでツアーを行う。2022年より英ラジオ局NTSのレジデントに加わる。
—おふたりが参加された、『悪は存在しない』の『ヴェネチア国際映画祭』の記者会見で、本プロジェクトの経緯について、石橋さんは自身のコンサートで流す『GIFT』を、よくある抽象的な映像作品にはしたくなかったとおっしゃっていたと思います。ただ単純に考えると、物語性のある映像作品にした場合、観客がそちらに集中してしまう恐れがある、あるいは逆に、石橋さんのコンサートを聴きに来た観客があまり映像を観ない可能性もあるわけで、音楽と映像、どちらにとってもリスクがある試みだったと思うのですが、それは意図されていたのですか。
石橋英子(以下、石橋):正直お客さんがどうとらえるかとか、実際のところあまり考えていませんでした(笑)。そもそも自分の音楽をつくるときも、そこまで考えていたら手も足も出なくなってしまうので。抽象的な映像が嫌だったというよりは、映像自体が独立して面白くて、音楽も独立して面白ければ、ライブをするたびにいろいろな可能性が出てくるのではないかというのが、漠然としたイメージとしてあったんです。いままでの濱口さんの作品が音楽なしでも集中できる強度の高い作品ばかりでした。映像やセリフ自体が音楽的なので。そういった理由でも濱口さんにお声をかけさせていただきました。
濱口竜介(以下、濱口):自分のほうは企画をいただいた当初、じつはいま言われたようなリスクを多少心配していました。基本的にお客さんは石橋さんの音楽を聴きに来ると思っていたので、じゃあ映像はどういうふうにすればいいのだろうと。最終的にはかなり出しゃばったものになりましたけれど。
石橋:全然そうは思わないですよ(笑)。
『ゲント国際映画祭』の『GIFT』ワールドプレミアでライブパフォーマンスを行なう石橋英子 ©Storm Calle
濱口:コンサートのライブパフォーマンス用の映像というのはミュージックビデオほど音楽と同期しているわけでもない、言ってみればライブを装飾する「添え物」的なものが多い印象でした。でもそうじゃなくて、本当に単純に石橋さんの音楽と拮抗するようなものをつくる、というのが石橋さんとの関係のなかではいいのではないかと考え、こういうものをつくりました。
でも実際に昨日初めてライブパフォーマンスを観て、自分が心配していたことは杞憂だったと思えました。石橋さん自身が映像を見つめながらパフォーマンスをされている、そういう関係性を観客が観る。石橋さんがインプロビゼーション(即興演奏)でやっていらっしゃる部分がかなり大きく、映像と石橋さんのインタラクションが観客の側にそのまま乗り移ってくるような体験だったと思いました。結果的にはすごく調和していたのではないか、と感じました。
石橋:ありがとうございます。そう感じていただけてよかったです。
—『GIFT』のライブパフォーマンスは、映像を観ながら、即興とあらかじめ用意してきたものを織り交ぜて演奏するという形態でした。それは石橋さんのなかではかえってイスピレーションをもらうような、プラスの要素があったのでしょうか?
石橋:そうですね。自分がそもそも音楽をやっていることも、自分に何か表現したいものがあってやっているというのともちょっと異なるので。自分が何かを受け取って、それに対する自分の感覚に嘘をつかないで演奏をしたり、曲をつくったりすることのほうが、自分には合っている。映像の細かい動きなどを観ながら、それによって自分の演奏や作品が変わってくる、というのは逆にありがたいことですね。それ自体がわたしにとってはギフトと言える感じがします。
—それはつまり、誰かと一緒にセッションをしたりすることに近い感じでしょうか?
石橋:そうです。『悪は存在しない』の音楽の制作自体もそんな感じで、手紙のやりとりのようにつくってきました。昨日は楽屋で「バンドだね」と、みんなで言っていたんです。ゲントにいらっしゃった撮影監督の北川喜雄さんや、主演の大美賀均さんと話をしても、「これはバンドだよ」と。ひとりで演奏していても、ひとりじゃないというか。
濱口:そうですね。大美賀さんは昨日、ライブ後の楽屋で「(画面内の)自分たちの存在が肯定されているようで、すごく嬉しかった」と言っていて、ぼくもそれは本当にそうだなあと思いました。いいセッションを観ているような気持ちになった。それはまったく想像していなかったことでした。
©Storm Calle
石橋:これは監督にも言ってなかったんですが、正直なところ『悪は存在しない』が完成した時点で、自分のなかでは「もうこれでいいかな」という気持ちになっていたんです。ツアーのことなど話には出ていて、今年の春頃には『ゲント国際映画祭』の話もあって、ヨーロッパに行くことは決まっていたんですが、ある意味すでに満足してしまったところがあったんです。
濱口:でも、それはそれだけ『悪は存在しない』の楽曲制作に全力投球していただいたということですよね。
石橋:『悪は存在しない』ができあがったことも、わたしのなかですごく嬉しかったのです。この音声があるバージョンがつくられたということ自体、わたしにとって思いがけない、嬉しい出来事でした。こういうことが人生で起きるんだなと感じました。
—しかも『ゲント国際映画祭』の直前に開催された『BFI ロンドン映画祭』では、作品賞を受賞されましたね。
濱口:こういうこともあるんだなあ、とひたすら思えました(笑)。
石橋:映画作品になったこと自体でもう驚いていたのに、それが『ヴェネチア映画祭』に行き、『ロンドン映画祭』までと旅をして。もちろん、素晴らしい映画をつくってこられた濱口さんなので、こういう事態はそれほど驚くべきことではないのかもしれないですが、あれよあれよという間に短時間でこういう状況になったことに驚きました。
『GIFT』場面写真 © 2023 NEOPA / Fictive
濱口:驚きということで言うと、プロジェクト全体が本当に初めての体験で、それがいったいどういうことなのかも、じつは自分のなかで昨日体験するまでわかっていなかった、みたいなところがあります。
石橋:わたしもそうですよ。昨日、Vooruitという大きな会場で演奏して初めて、「ああ、こういうことなのか」と実感しました。
濱口:映像が石橋さんに与えている影響が、音楽として表現されている感じがしました。そしてそこに至るまで何度も作品を観ていただいたのだということが、音を入れるタイミングなどからわかりましたし、これからまた10回、20回とやっていったら、映像と石橋さんの関係もどんどん新しくなっていくのだろうと思うと、すごく果てしないことを始めたんだな、と思いました。
石橋:そうですね。ここゲントに来てから、実際に大きい会場でやる前に、ホテルの小さい部屋で3回ぐらい通しのリハーサルをしたんですが、大きい会場で大きい音とスクリーンでやると、まったく違うものになっている。自分に入ってくる余韻みたいなものも変わる。これからもスクリーンや会場の大きさによって、また変わってくるのだろうと感じました。
©Storm Calle
—編集のプロセスはどのようなものでしたか?
濱口:『ドライブ・マイ・カー』と同様に、山崎梓さんが編集しているのですが、今回はまず『GIFT』をメインに編集していただきました。撮影が終わった時点で山崎さんには脚本も渡さず、ラッシュ映像だけを見て編集してもらったんです。というのは、物語映画とはまったく違う可能性を探索してみたかったので。実際そんなやり方ができることも今後はないだろうと思いましたし。
だから山崎さんは何の物語かもわからない映像を、音も無しで、ひたすら10時間以上も見せられて(笑)。それを彼女なりにたとえばアクションとか、似たような視覚的なモチーフとか、そういうものを関連させながらつないで、最初は40分ぐらいの映像ができたんです。ただ、もともと求められていたものが75分から90分ぐらいの尺だった。でもやっぱり物語がまったくないと40分ぐらいが観ている側の集中力を保てる限界なのかな、とは感じました。
『ゲント国際映画祭』で「ジョゼフ・プラトー栄誉賞」を贈られた濱口竜介 ©Jeroen Willems
濱口:もともとショットのひとつひとつは、物語を構築するために撮られており、物語を語るときに一番力を発揮するわけなので、じゃあ物語をある程度取り入れていこうと。でも山崎さんが発見したようなモチーフでつないでいくことなどは残していくとするとどうなるか、ということをやっていったときに、全体的により夢っぽい感じの映画になったという印象があります。
ちょっとわかりづらいんですけれど、『悪は存在しない』という映画が観ている夢、というイメージを持っています。夢と同じように現実的な因果関係からショットが解き放たれている場合も多くて、その分ショットひとつひとつの豊かさがちゃんと生きているような気がしました。
—個人的な印象としては、『GIFT』はより自然と対話する要素が増している気がしました。
濱口:自然の印象ということに関して言うと、それはまあ必然的な結果と思います。サウンドがあるとき、登場人物が喋っているセリフを聞く場合、その人の身体のことまで伝わってくるので、人間という要素がより前面に浮き出てくる。一方で無音にすると画面上のぜんぶがフラットになって、自然も人間も同じようなオブジェクトになる、とは感じました。わずかに字幕だけが人物をちょっと浮き立たせることになるわけですが、サイレントになっておのずと自然そのものを描くという方向が強まったと思います。
『悪は存在しない』場面写真 © 2023 NEOPA / Fictive
—映画監督によって映画音楽の考え方も異なるわけですが、音楽家から見た濱口映画の特殊性とはどんなところにあると思いますか?
石橋:濱口さんは、とても音へのこだわりがあるかただと思います。監督自身が音楽的な感覚で映画をつくっているのが、観ていてよくわかります。たとえば昨日のコンサートで自分が感じたのは、音が始まるところと切れるところはとても大事なんですが、濱口さんの映画は、それをすごく大事にされているのが感じられます。あと、音楽をそれほど多く使っていなくても、とても印象的な心に残る使い方をされていると思います。音楽家としては、とてもありがたいことです。
濱口:そう言っていただいて、自分もありがたいです。本当に、いいセッションでした。