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立花もも 新刊レビュー 生と死、マルチ、単調な日常……社会的問題について考えさせられる4作品

2023年11月09日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

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 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。数多く出版された新刊の中から厳選し、今読むべき注目作品を集めました。(編集部)


長嶋有『トゥデイズ』講談社

  先日、新宿駅で衆人環視のなか「肋骨が折れる~!」「折れた折れた折れた!!」と叫びながら取り押さえられているスーツ姿の男性がいた。何事かと思ったが、みな無言で見つめるばかり。SNSで検索しても誰ひとり話題にしておらず、何もわからないまま。物騒な世の中なので多少の恐怖は感じたものの、何事もなかったかのように今も頻繁にその道を通っている。そんなことを、本作を読んでいて思い出した。


 『トゥデイズ』の主人公は、子育てのため築50年のマンションを購入し、越してきた夫婦である。ある日、マンション内で住人の誰かがみずから飛び降り、亡くなるという事件が起きる。だけど、住人のほとんどが詳細を把握しないまま、日々はゆきすぎていく。親切に概要を教えてくれる刑事や噂好きのおばさんといった、ドラマや小説には必ず登場する野次馬好きで口の軽い脇役は、現実には存在しない。その町には、実は世間をにぎわせた猟奇的な殺人犯が住んでいたこともあるのだけれど、その事件が夫婦に直接関係することもなければ、恐怖のあまり外に出られるなんてこともない。うっすら気にしつつ、日々の雑事のほうが優先されて、かき消されていく。


  非日常の衝撃は日常を圧倒する、と思いがちだけど、意外と逆なんじゃないかと思う。淡々と積み重ねられる日常の単調さには、非日常をいつのまにかかき消してしまう強度があり、派手さはなくても十分ドラマティックなんじゃないか。息子を育てるという使命のもと、否応なしにルーティン化していく毎日のなかで、ふとした瞬間に気づかされる変化や些細な気づきが、いったいどれほど愛おしいものか。本作を読んで、思い知る。



津原泰水『夢分けの船』河出書房新社

  映画音楽を学ぶため、22歳で四国から上京し、専門学校に通う修文が借りたのは、ピアノつき・防音の部屋。格安の理由は、幽霊が出るという噂があるからだった。かつて音楽の道を志し、みずから命を絶った花音という女性。見た、という人には何人も出会うのに、修文は気配すら感じない。ただ、彼女が生きていた痕跡だけが、修文のまわりにうっすらまとわりついていく。


  不思議な小説だった。修文には確かに夢があって、誘われるがままにバンド活動にもいそしむのだけど、彼の青春はそういうわかりやすい事象からは感じられない。同じマンションで客をとる風俗嬢や、同じ専門学校に通うやたらと親切で世話焼きの男、階下で修文をモデルに作品を描いているらしいマンガ家、バイト先の雇い主である花音の姉。そうした人たちと言葉をかわすことで感情が揺らぎ、人生の景色が少しずつ色づいていくことにこそ意味があるのだと、切々と浮かび上がってくる。青春小説といえば、汗と涙を流しながら苦難を乗り越え、友情を深めながら何かを成し遂げたり挫折したりするもの、などではなく、うまく言葉にできない未分類の感情を内側に抱いている、ただそれだけで成立するものなんじゃないかと、今作を読んで思った。


  現代の小説を(夏目)漱石の文体で、という著者の試みも大きく作用しているのだろう。2022年の10月に急逝した著者にとって、最後の長編となった本作。花音の死にまつわる謎を解いていくミステリーのような読み心地もあり、一度読んだだけでは味わいつくせない。何度も繰り返し読んで、著者を悼みたい。



西尾 潤『マルチの子』徳間文庫

  あとがきで著者いわく、マルチにハマりやすい人の特徴は、①自分に満足できていない人、②勉強熱心な人、③自己評価の低い人だという。かつてマルチにハマったことのある著者が、22歳で背負った借金は700万円。自分はきっともっと成功できるはず、という無根拠の強気に背中を押され、勤勉さをもって学生時代よりも勉強に励み、コツコツと活動に励み、仲間から賞賛されることで自尊心を満たすことを繰り返すうちに、いつしか抜け出せなくなっていた。本書は、そんな体験をもとにマルチ商法の闇を描いた小説である。


  優秀な姉と愛らしい妹に比べて、これといって誇れるもののない真瑠子は、せっかく就職した会社も、人間関係がこじれて一年で辞めてしまう。そうして、家族で自分だけが落ちこぼれていく感覚から抜け出せないまま、どうにか決まった次の職場でネットワークビジネスに誘われるのだ。


  “すごい結果”を手に入れて周囲を見返したい、という気持ちはわかる。高望みをしすぎて、大学や資格の浪人生活や婚活が長引くのも同じだろうが、くすぶる気持ちが根深いほど、一発逆転で狙う結果も大きくなる。真瑠子はただ、自分の存在を認めてもらいたいだけだった。誰にも引け目を感じず、胸を張って生きていきたかった。都合のいい夢ばかり見て、現実から逃げ続けた真瑠子は確かに弱くて愚かだけれど、その承認欲求はきっと誰の心にも潜んでいるものだ。かりそめの賞賛と承認を手に、坂道を転げ落ちるように追い詰められていく真瑠子を、愚かと笑うか明日は我が身と震えるか。あなたはいったい、どっちだろうか。



岩井圭也『楽園の犬』角川春樹事務所

  一作ごとにまるで違う顔を見せる作家である。以前紹介した『付き添うひと』は、少年犯罪において弁護人の役割を担う付添人をテーマにした小説だったが、今作の舞台は1940年。喘息持ちで、就職しようにも身体検査でことごとくはねられ、ようやく得た英語教師の職も、発作を起こして続けられなくなってしまった麻田は、妻子を養うため、日本の植民地である南洋サイパンで庁の庶務係として派遣されることとなる。だが、それは表向きの口実。実際は、海軍大佐のもとでスパイとして働くことを命じられたのだった。


  スパイといっても、どこかにもぐりこんで、情報をとってくるわけではない。太平洋戦争開戦寸前の当時、海軍の前線基地であるサイパンには、米英のスパイをはじめ、さまざまな立場の“犬”が紛れ込んでいた。麻田の役目は、誰がスパイで、どんな情報が持ち出されているのかを知ることだ。麻田は、漁師の自殺や島民の心中、スパイと疑われていた男が殺された事件など、裏に何かあると疑わしき事案を探っていく。


  いつ発作が起きるとも知れない死と隣り合わせの生活で、時代に望まれる日本男児になれなかった麻田は、人とは異なる視点で情報を見きわめ、真相を暴いていく。そして、人の命があまりに軽んじられ、踏みにじられる時代の理不尽に、彼なりに立ち向かおうと心をさだめていくのだ。そういう時代だから、では済まさない。どんな秩序が敷かれていたとしても個人としての想いを貫く麻田の姿は、読み手である私たち自身がどう生きるべきかをも突きつける。