Text by 垂水佳菜
Text by 生駒奨
Text by 白鳥菜都
死とは何か、生きることの尊さとは。答えがなく、忙しない日々に流れ去っていく問いに、物語をとおして向き合わせてくれる作家がいる。
『本屋大賞』を受賞した『52ヘルツのクジラたち』や『星を掬う』(ともに中央公論新社)、『宙ごはん』(小学館)など話題作を生み出し続ける作家、町田そのこ。その新作『夜明けのはざま』(ポプラ社)が2023年11月に刊行される。
今作の舞台は、葬儀社「芥子実庵」。数多くの死を受け入れる場所、葬儀屋に関わる人々が、身近な人の死にどのように向き合ってきたかを描く5話が収録されている。死を扱う作品というと、暗いイメージを抱きがちだが、本作は、読み終わったときに背中を押されるような温かさを感じる。町田が本作を通じて伝えたいこととは?
─『夜明けのはざま』は、もともと文芸誌『季刊asta』(ポプラ社)に連載されていたとのことですが、どんな経緯で書き始めた作品ですか?
町田:2021年10月に連載が始まった作品です。編集者の方に「(忙しくて)毎月の連載は厳しい」と相談したところ、「『季刊asta』なら年4回の連載です」と言われて、それならできそうと思い、お引き受けしました。
全部で5話あるので、書き上げるまでには1年以上かかっています。単行本にするにあたっては、全体を見直して、わりと大きく改稿しました。
町田そのこ(まちだ そのこ)
1980年生まれ、福岡県出身・在住。2016年に「カメルーンの青い魚」で『女による女のためのR-18文学賞』を受賞し、選考委員の三浦しをん、辻村深月ら名だたる作家から称賛される。2020年には『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)を発表し、2021年の『本屋大賞』に輝いた。その他の著作に『ぎょらん』(新潮社)『宙ごはん』(小学館)などがある。
─葬儀社を舞台にした作品は『ぎょらん』(新潮社)に続き、2作目ですね。
町田:『ぎょらん』も『夜明けのはざま』も葬儀社を舞台にしていますが、テーマとしては真逆のものをイメージしています。『ぎょらん』は、死とどう向き合うか、大事な人の喪失をどう乗り越えるかがテーマでした。それに対して今度は、「生きる」ことをテーマにしたかったんです。
人ってただ生きてるだけなのに、すごい息苦しさがあったり、困難があったりするじゃないですか。それでも生きていかなきゃいけない。言葉が大きくて壮大になってしまうけれど、「生きるって何だろう」と考えられる物語を書いてみたいと思いました。
そして、「生きる」ことを書こうとしたら、必ず死が傍らにあるなと気づきました。だから、死が身近にある葬儀社を舞台に選びました。
─「死は生の傍らにある」とはどういうことでしょうか?
町田:私は以前、葬儀社で働いていたことがあって、いろんな葬儀を見てきました。大往生のおじいちゃんの穏やかなお葬式もあれば、亡くなってだいぶ経ってから発見された人のお葬式、家族がいなくて直送された人のお葬式などなど……。いろいろな悲しみを目の当たりにしていると、「死は誰しもに平等にやってくる」と感じました。
一方で、死ぬ前の生き方には違いがあって、どう生きたかによってその人の死の受け取られ方や周りに与える影響も変わってしまうような気もする。だから、生きることと死ぬことの両方を描きたいなと思いました。
─町田さんご自身も、誰かの死によって、自分の考えや行動が変わった経験はありますか?
町田:ほかのインタビューでも話していたり私のWikipediaにも書かれていたりするのでみなさんご存知だと思うのですが、私は作家の氷室冴子さんが大好きで。やっぱり、氷室さんが亡くなったときは大きな衝撃を受けました。
子どものころから作家になることが夢でしたが、その夢は作家になって氷室冴子さんにお会いして、「あなたのおかげで作家になれました」ってお礼を言うところまでがセットだったんですよ。
でも、高校卒業のとき、「手に職をつけなさい」と親に言われて深く考えずに美容学校に入って、生活に追われて小説を書く時間もなくなってしまった。またいつでも書けると思いながら油断していたら、ある日氷室さんの訃報が出て。もう2度と、氷室さんに会うという夢は叶わなくなってしまったんです。
町田:そのとき、死ぬほど自分が情けなくて、「何してたんだろう」と思いました。せめて作家になるという夢だけでも叶えようと、それから携帯小説を書き始めました。あの日があるから、いまの私があります。
作家になってから、氷室さんを知る方々とお話する機会に恵まれて、「生きておられたら喜ばれたと思うよ」と言われるたび、何だか悲しくなるんですよね。人はいつ亡くなるかわからないので、明日に任せずできることは早くやったほうが、後悔しないと思います。
─『夜明けのはざま』を書き進めるなかで、キーとなった部分はどこですか?
町田:今回は最初の2話ぐらいは、自分でもこの方向性で合ってるのかな? とふわふわした気持ちで書いていましたが、3話を書いたときに方向性が見えました。私が書きたいのって、生きていくうえでの痛み、苦しみ、喪失感、悔しさとか、そういうものをどう乗り越えるかなんだなと。
いろいろな差別や、「女性らしさ」「男性らしさ」、学校でのカーストなど、世の中にある括りのなかでそれぞれの人が痛みを抱えながら生きている。その痛みを戦い抜くのか、消化するのか、逃げるのか、どう向き合うのかを描きたいんだと気づきました。
3話でようやくわかったので、4話、5話は良い流れで書けたように思います。連載が終わって、単行本にする際には1話と2話も3話に合わせて改稿しました。
─3話は、貧しい家庭に生まれ、それを理由にいじめられてきた主人公が芥子実庵で働くなかで、過去に自分をいじめてきた同級生に再会し、過去の痛みと向き合うお話ですね。どのように着想を得て書き進めたのでしょうか?
町田:1話、2話では、葬儀が大事なセレモニーであるという書き方をしたのですが、人によっては「葬式なんて、後始末じゃん」くらいに思っている人もいるだろうなと考えていました。そんななかで、生まれたのが3話の主人公、須田くんです。
町田:須田くんのことを考えながらストーリーを書き進めていくなかで、『夜明けのはざま』の舞台となる「芥子実庵」の名前に関するエピソードを入れたいなと思いました。じつは「芥子実庵」という名前が、この小説を書き始めて最初に浮かんだアイデアだったんです。
いろいろな死生観を学びたいなと思って仏教の本を読んでいたら、芥子の実に関する話が出てきました。自分の子どもを亡くした女性が、釈迦に「自分の子どもを生き返らせてください」と頼む。すると釈迦は、「いままで死人を出したことのない家から芥子の実をもらってくること」と条件を出す。女性は必死に探すけれど、誰も亡くなったことのない家なんてどこにも見つからない、という話です。
それを読んで、本当にどこにでも死があって、そこには貧富の差がなくて、みんな一律で悲しいんだよなと思いました。そのエピソードを使いたいと思い、3話ならと思って入れてみたら上手く繋がりました。
─3話に続く4話、5話ではとくに顕著でしたが「女性らしさ」や「男性らしさ」によって生きづらさを感じている登場人物も多かったですね。
町田:進路の話とも重なりますが、私自身がすごく世の中や周囲の常識に無意識に従ってきたなと思うんです。文学を学びたかったのに、「女の子なんだから大学に行かなくてもいい」と言われて、ほとんど抵抗せずに諦めてしまった。いまでも、あのときこうしていればと後悔することが多々あります。
きっと私以外にも同じような後悔や生きづらさを感じている人は多くいると思います。それは、女性だけではなくて、男性も同じことで、「1人で家族を支えなきゃ」とか「男だったらこれくらいできなきゃ」とか、そういう意識がまだありますよね。
ただ自分の好きなように生きたいだけなのに、何でこんなにつまずくんだろう、どうしたら良いんだろうと感じている人に読んでもらいたいなと思って書いていました。とくに、5話には私もこれまで感じてきたモヤモヤを散りばめました。
─なぜ、人はこういった「らしさ」にとらわれてしまうのでしょうか?
町田:これも私自身の話になってしまいますが、なぜ人の言うことを聞いていろんなことを諦めてきたのかと訊かれたら、その相手が大事だからこそ、「悲しませちゃいけない」「私がわがままなだけかもしれない」と思ってしまったんです。とくに20代のころは「あなたの幸せを考えて言っている」なんて言われてしまうと、自分の考えが足りなかったんだと感じてしまっていました。
町田:意志が弱いと言ってしまえば、それまでですが、相手を大事に思うから、相手の望む「らしさ」にとらわれてしまう。そんな人に対して、相手を傷つけても良いから、自分らしくなんて言っても無理ですよね。だから、対話が大事だと思います。自分の意見を受け入れてほしい人、気持ちをわかってほしい人には椅子を用意して、同じテーブルに着いてとことん話し合う。
─なるほど、「椅子」は4話でも登場しましたね。亡くなってしまった人と対話するために、自分の心のなかにその人のための「椅子」を用意する。素敵な表現だと思いました。
町田: 4話は亡くなった人に対して謝罪したいことがある主人公が出てきます。亡くなった人に直接謝ることって絶対できないじゃないですか。じゃあ、どうやってそれを乗り越えるのかと言ったら、自分のなかで折り合いをつけるしかない。そのときに、自分のなかにいる相手に向き合って、自分がした悪いこと、後悔を話して、あなたにしたことは絶対にもうしないと決めて生きていくしかないのかなって思っていて。
でも、死んだ相手と対話するってどうやってやるんだろうと思ったときに、「椅子」だなと思いました。大事な話をするときに、「〇〇の席につく」とか言うじゃないですか。ごく普通にあるアイテムだけれど、椅子だったら誰でも想像できるので椅子にしました。
─『夜明けのはざま』には、死と深く向き合う人が多く出てくる一方で、死を怖がって逃げる人も出てきますよね。
町田:私、作中でも「死を乗り越える」などと書いていますが、本当は死ぬのがすごく怖いんですよね。生きるとか死ぬとか、自分のなかで向き合いたいテーマではありますが、同時に、別に死を怖がったままでもいいじゃないかとも思うんですよね。
『夜明けのはざま』だと、芥子実庵の社長、芥川さんが一番死を恐れています。葬儀社の社長なのに死に慣れていないって不思議かもしれませんが、「慣れれば平気だから、痛くても毎日殴ってもいい」というのが認められないのと同じように、死が怖いのだって変わらない人は変わりません。
怖かったら、目を逸らしても別に良いんじゃないかなと思っているんですよね。芥川さんが死と真っ向から向き合うのも良いかもしれないけれど、向き合えないまま右往左往して悩んでいる姿や、そのなかで何気なく出てきた一言が、誰かのためになるかもしれない。
町田:生きることや死ぬことへの考え方は千差万別です。そして、生と死のはざまのグラデーションも人によって濃さが違う。生と死がかなり近い位置に感じている人もいれば、遠くに感じている人もいる。作品タイトルも、そんなふうに人によって違う死生観の表現として「夜明けのはざま」としました。
─この作品は、どんな人に読んでほしいですか?
町田:自分の悩みや、悔やんでることがある人は読んでほしいなと思います。もし自分がいま持っている痛みと似ているものがあれば、ちょっとだけこの本が寄り添ってくれると思います。日々が少し辛いなと感じている人はぜひ手に取ってもらいたいです。
─最後に、今後の目標を教えてください。
町田:いま、本を読まない方が増えているというニュースを見ました。個人的には、もっと多くの人に本を楽しんでほしいなと思っています。
そんななかで、私の作家としての役割って、読書の入口になることかなと考えているんですよね。『芥川賞』を獲るような素晴らしい純文学作品ももちろん大切だけど、まず読書の楽しさを知ってもらうための読みやすい作品も必要だと思っていて。だから、私の作品はとにかく読みやすいことを意識しています。
その延長上で、いつか、児童文学も書きたいなと思っています。じつはもともと、児童文学も書きたくて、小学校低学年の子どもでも読めるペンネームにしたんです。私を入り口にして、「読書って楽しいな」と思ってもらえるような作家になりたいです。