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「未和は今も活躍している」NHK記者遺族、“過労死ゼロ”に向けて亡き娘と歩んだ十年

2023年11月06日 10:11  弁護士ドットコム

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NHKの記者だった佐戸未和さん(当時31)が過労死してから10年が経った。佐戸さんの死は報道業界の働き方を見直すきっかけとなり、両親は今も「過労死ゼロ」の社会を目指す活動を続けている。


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死後10年が経過した今年10月、仕事で亡くなった人たちの慰霊式に初めて参加した両親は、こう話した。「気持ちに区切りをつけるために……。でも、未和は私たちの心の中にずっといます」



●今年度、新たに産業殉職者「2389人」を合祀

東京・八王子のJR高尾駅から南へ少し歩くと、釣り鐘の形をした金色の塔が見えてくる。「高尾みころも霊堂」という。塔の高さは65メートル。最上階の11階には、仕事中の事故や過労などが原因で亡くなった「産業殉職者」の霊位を安置した拝殿がある。





10月25日昼、この「高尾みころも霊堂」前の広場で、今年度の慰霊式(主催・独立行政法人労働者健康安全機構)が始まった。新たに2389人の産業殉職者の霊位を合祀するという。約500人の式典参加者たちの中に、故・佐戸未和さんの父守さんと、母恵美子さんの姿があった。2人がこの慰霊式に参加するのは初めてのことだ。遺族席の後方に、隣り合って座っていた。



「2013年に未和が亡くなってから10年が経ちます。一つの区切りとして、私たち自身の気持ちにも一区切りつけようと、そう思って今日はここに来ました。もちろん、これで何かが変わる訳ではありません。未和は私たちの心の中にずっといます。ここにも未和の霊は眠っていますけれども、私たちは未和のことを一瞬たりとも忘れないし、どこにいても、私たちの未和ですから」(守さん)



●「天国なんて、遠いところには行ってない」

全国から集まった遺族の代表者が祭壇に霊簿を捧げ、岸田文雄首相や武見敬三厚労相のメッセージが代読された。守さんと恵美子さんは静かな表情で式のなりゆきを見つめていた。



その後、1分間の黙祷。慰霊の詩の朗読が終わった頃、霊堂のテラスから色とりどりの風船が空に放たれた。





風とたわむれながら次第に小さくなっていく風船を見て、こらえきれなくなったのだろう。母の恵美子さんは両目をつぶり、肩を震わせて泣いた。



それでも、恵美子さんは「お別れ」とは感じていなかった。むしろ「帰ってきてくれた」と感じていた。



「天国なんて、そんな遠いところには行ってないの。私の心の中に帰ってきてくれたの。本当に。だからね、未和には『お疲れさん』って言いたいです。10年休んだから。心の準備はしたから。『これからは一緒に生きて行こう』って言いたいです」(恵美子さん)



●報道現場で起きた過労死

佐戸未和さんは3人きょうだいの一番上。母の恵美子さんを助けて妹や弟の面倒を見る親孝行な娘だった。



一橋大学を卒業し、2005年にNHKに入った。鹿児島放送局で報道記者としてのキャリアをスタートさせ、2010年から東京の首都圏放送センターへ。都政の取材を担当していた2013年夏は、都議選と参院選という二つの大型選挙が実施された。選挙取材に明け暮れた未和さんは、参院選の投開票日から3日後の同年7月24日、うっ血性心不全で亡くなった。31歳だった。





翌2014年、渋谷労働基準監督署は未和さんの死を労災と認めた。同労基署の認定によると、亡くなる直前1か月の時間外労働は159時間37分。いわゆる「過労死ライン」(月平均80時間の時間外労働)を大幅に超えていた。



上記はあくまで労基署が認定した時間外労働である。未和さんの両親や弁護士たちが携帯電話の使用記録などを分析したところ、死亡前1カ月間の時間外労働は209時間に上ったという。



「未和はNHKで誇りと生きがいをもって働いていました。働き盛りで、今から充実した人生を送れたかもしれないという時に、不幸にして亡くなってしまいました。それを思うと、胸が張り裂けそうです」(守さん)





●過労死ゼロの社会を

慰霊式は終盤を迎え、佐戸さんたちが献花を行う順番になった。守さんと恵美子さんはそろって白い花をもらい、祭壇に手向けた。2人が願うのは、未和さんのように働きすぎて亡くなってしまう人がゼロになることだ。



「未和みたいに無念の思いの人を増やさないように。私のような気持ちの遺族がいなくなるように。未和が私の背中を押してくれている。私も未和の背中を押しながら。未和も活躍してくれると思う。いえ、すでに活躍しています」(恵美子さん)



未和さんの過労死が公表されたのは2017年のことだった。大きな話題になり、翌年閣議決定された過労死等防止対策大綱では、長時間労働が多い「重点調査業種」の一つにメディア業界が加えられた。



母の恵美子さんが言う通り、亡くなった未和さんはすでに「活躍」している。未和さんの両親も、NHKに対して継続的に働き方の改善を求めたり、過労死問題についてのシンポジウムに登壇したり、活動を続けている。





●遺族が感じる「社会のもどかしさ」

過労死が社会問題になったのは1980年代のことだ。すでに約40年の歳月が経過している。労災認定基準の見直しや、残業時間の上限規制など「働き方改革」は行われてきた。しかし、いまだに「悲劇」は起き続けている。



2022年度、脳や心臓などの病気で亡くなり、過労死として労災が認定されたのは54人。長時間労働やハラスメントが原因で心の病に苦しみ、自死後に労災認定された人も67人にのぼる(未遂を含む)。



これらは氷山の一角にすぎない。遺族が労災申請したのに認定されなかったケースもあれば、そもそも労災申請に至っていないケースもある。警察庁の統計によれば22年に自死した人(合計21881人)のうち、1割強の2968人は仕事の疲れや職場の人間関係など「勤務問題」が理由の一つだった。



愛する娘を亡くした2人には、今の社会の在りようがもどかしい。



「過労死などというバカなことが起こらない社会になってほしいです。そのためには働く方一人一人に対して、自分の命や健康を守るという意識を持ってもらう必要があります。そして、そうした一人ひとりの意識を支える社会であってほしいです。法律をはじめとして、社会全体で過労死をなくしていく仕組みを充実させなければいけません」(守さん)



「命と健康が守られる社会、安心して働ける社会。普通に生きていける社会。親より先に亡くなるなんて……。そういう社会にしてはいけません」(恵美子さん)





「未和がこんな形で亡くなって……。そういう中でも私たちは生きていくことになるのですが、親として、未和に対して恥ずかしくないような生き方をしたい。そういう気持ちは非常に強いです」(守さん)



「そうですね。未和に恥ずかしくない生き方をしないと……。私も本当は胸が張り裂けそうですけど、未和が私を慰めてくれていますから。世の中では『慰霊』と言いますが、私たちが未和を慰めているのではなくて、亡くなった未和が、生きている私たちに言葉をかけ、私たちを慰めてくれているのだと思います」(恵美子さん)



毎年11月は「過労死等防止啓発月間」である。(文・写真:牧内昇平)