Text by 大石始
Text by 山元翔一
Text by 渡邉隼
音楽を通して自身のアイデンティティーをどのように表現し、なおかつ社会に問いかけていくことができるのか。古くから多くのアーティストがそうした問いに対峙し続けてきたわけだが、いまもその問いは現実的なものとして存在している。
1989年、沖縄県浦添市西原生まれのHARIKUYAMAKUもまた、音楽を通してそうした問いかけを続ける音楽家のひとりだ。沖縄の古謡や祭祀儀礼の音をサンプリングし、唯一無二のダブ/レゲエをつくりだしてきたHARIKUYAMAKUの名は、このたびリリースされるメジャーデビュー作『Mystic Islands Dub』によって全国区のものとなるだろう。
そんなHARIKUYAMAKUの活動に注目してきたのが、音楽プロデューサーの久保田麻琴だ。1970年代には喜納昌吉&チャンプルーズの“ハイサイおじさん”を本土に紹介した久保田は、2010年代以降は沖縄本島と八重山諸島のあいだに位置する宮古諸島の神唄に着目。その奥深い世界へと足を踏み入れたドキュメンタリー映画『スケッチ・オブ・ミャーク』では原案・監修を務め、国内外で大きな反響を巻き起こした。
沖縄とジャマイカをつなぐもの、沖縄の古謡・神唄とダブ/レゲエを貫くものとは何か。沖縄の地でディープなダブをつくり続けるHARIKUYAMAKU、80年代からたびたびジャマイカを訪れ、日本人プロデューサーのなかでもいち早くダブの方法論にも取り組んできた久保田麻琴。音楽とアイデンティティーをめぐるふたりの対話をお届けしよう。
HARIKUYAMAKU(ハリクヤマク)
コザ「Tower of Dub Studio」を根城に活動する音楽プロデューサー/ダブ・エンジニア/DJ。久保田麻琴とのスプリット『Kanasu Remixes』(2018年)や唄者・稲嶺幸乃と制作した『大島ヤンゴー節』(2019年)、アンビエント作品『Subtropica』(2020年)などリリース。2023年にはWOWOW製作、野木亜紀子脚本『連続ドラマW フェンス』の音楽を担当した。同年11月3日、『沖縄音楽総攬』(1965年)から厳選した沖縄古謡の音源をダブミックスしたアルバム『Mystic Islands Dub』でメジャーデビュー。
―久保田さんがHARIKUYAMAKUさんのことを最初に認識したのはいつごろだったのでしょうか。
久保田:YouTubeにアルバム(HARIKUYAMAKUの2013年作『島DUB』)が丸ごとアップされていて、それを最初に聴いた気がするな。私から連絡がきたの?
HARIKUYAMAKU:そうですね。何の前触れもなく突然電話がきました。
久保田:私はそうやって世界中に電話をかけるんです。HARIKUYAMAKUの場合は、YouTubeにアップされていた音源のなかに私がつくったもののサンプリングが入ってたんじゃないかな。
HARIKUYAMAKU:そうなんですよ、それで電話がかかってきて。
久保田:別に苦情を言おうとしたわけじゃないんです(笑)。おもしろい活動しているなと思って。1曲目は何をサンプリングしたんだっけ?
HARIKUYAMAKU:「中屋津の兼久」(※)です。
久保田:ああ、そうだっけ。もとはといえば、あの歌は宮古の人たちの財産だからね。
―HARIKUYAMAKUさんは久保田さんのこれまでの作品をどうとらえてきたのでしょうか。
HARIKUYAMAKU:宮古島で『スケッチ・オブ・ミャーク』の試写会が行なわれたことがあったんですけど、そのときたまたま宮古島にいて、僕も行ったんですよ。
久保田:もう10年以上前だよね。
HARIKUYAMAKU:そうですね。ちょうど沖縄民謡をチェックしはじめた時期で、そういうタイミングで『スケッチ・オブ・ミャーク』と出会ってしまった。人生で初めてなんですけど、ずっと泣きながら観てたんです。本当に涙が止まらなかった。
久保田:そこなんだよ。人は嬉しいときにも悲しいときにも泣くわけで、つまりは魂が震えるということだよね。
HARIKUYAMAKU:本当に震えました。あと、シリアスなシーンなのにみんな爆笑していて、僕には何を話しているのかまったくわからなくて。
久保田:第一回目の宮古上映会はすごかったよ。みんな知ってる人が映画に出てくるわけだし、喋ってる内容もすべてわかるわけで。
HARIKUYAMAKU:会場で呑み会をやってましたよね(笑)。だから、映画を観たというだけじゃなくて、宮古島のあの空気に触れたことが大きかった。トータルですごい体験だったんですよ。
―劇中で話されている宮古の方言は、HARIKUYAMAKUさんでもまったくわからないものなんですか。
HARIKUYAMAKU:まったくわからないですね。沖縄と宮古の言葉は違うし、僕は沖縄本島のおじいちゃんおばあちゃんの方言も細かくは聞き取れない。僕はそういう世代です。
―遡れば70年代には“ハイサイおじさん”(※)との出会いもあったわけで、久保田さんと沖縄の関わりも長いですよね。
久保田:沖縄との関係は何度もキープカミングバックするわけだ。
久保田麻琴(くぼた まこと)
1949年、京都市生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。1972年に結成した夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ニューオーリンズファンクなどを独自のグルーヴで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、Harry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行なう。
久保田:“ハイサイおじさん”との出会いも偶然みたいなものだったんです。初めて西表島に行ったとき、観光用のマイクロバスで“ハイサイおじさん”を聴いてね。メロディーだけ覚えておいて、那覇に戻ってから「マルフクレコード」で聞いたんですよ、「こんな曲なんだけど、知らない?」って。
そうしたら「売れ残りがある」と言われて、2、3枚買ってきたんです。それを東京の友人たちに聴かせても誰にもウケない。唯一ウケたのが細野晴臣さん(※)だった。それがケミストリーみたいなものだったんだね。
―喜納昌吉さんとの縁はそれから5年ほど続きますが、沖縄と久保田さんの関係はそこで一度途切れますよね。
久保田:私は沖縄民謡愛好家というわけではなかったからね。フォーシスターズみたいに最高のガールグループはいたし、大工哲弘さんみたいな人もいる。ただ、すべての民謡を追いかけていたというわけではなかった。なかなか難しいところがあってね、沖縄に行かなくなってしまったんです。
―そもそもHARIKUYAMAKUさんはなぜレゲエ/ダブと沖縄民謡をミックスしようと思ったのでしょうか?
HARIKUYAMAKU:沖縄民謡が気になりはじめた時期と、レゲエ/ダブを気になりはじめた時期がまったく一緒だったんですよ。その前はハードコアが大好きで、そういうバンドをやっていました。
沖縄民謡とダブをミックスしようと思ったのは友人のアイデアでもあって、「混ぜたらおもしろそう」という思いつきといえば思いつき。そこまで深いことは考えていなかったんですけど、いざつくってみたらなんか本当にハマったような気がしました。
久保田:まさしくチャンプルーだよ(※)。
HARIKUYAMAKU:そうですね。
―音楽制作を通して沖縄民謡に向かい合っていったわけですよね。制作作業を通じて気づいたことはありましたか。
HARIKUYAMAKU:いろんなことに気づきましたけど……まず歌の意味を調べるようになりました。最初は言葉の意味をそれほど意識してなかったんですけど、ひとつの曲を何度も聴くうちに、何を歌っているのか気になりはじめたんですよ。
―久保田さんもこれまで沖縄民謡に限らず、多くの民謡・古謡のリミックスを手がけてこられたわけですが、歌の内容はどれくらい意識しているのでしょうか。
久保田:ほぼ意識していないです。意味が入ってくるべきものはあとから入ってくる。言葉はなかなか難しいね。HARIKUYAMAKUも言うように、沖縄の人でも宮古の言葉はわからないわけで。
HARIKUYAMAKU:僕も曲をつくる前に意味を調べることはないです。つくりながらだんだん気になってくるんですよ。
久保田:そういうものですよ。私も最初は意味がわからないで“ハイサイおじさん”を歌っていたから(笑)。言葉の意味より先にイントネーションや言葉のリズムのおもしろさが入ってくる。
HARIKUYAMAKU:自分も同じです。イントネーションとか言葉の流れというか。
―久保田さんがリミックスするときに意識していることはありますか。
久保田:「自分の心の深いところに触りたい」というだけですかね。「民謡だから、トラッドだから」と意識することはないです。自分の知識とか道理を超えたところで音をつくることになるので、自分でルールは設けないようにしています。
阿波おどりの人がうまいことを言ってたね。ものすごくハードコアな連の人でね、「阿波おどりは何をやってもいいんだ。でも、粋じゃなきゃいけない」って。その話に近いとも言えるかもしれない。「じゃあ、粋とは何なの?」と聞かれても答えはないよね。私は答える立場にはない。
―それぞれの土地にそれぞれの粋があるということでしょうか。
久保田:根本にあるものは同じじゃないかな。それはもうジャンルではないんだよね。それぞれの言葉がリズムとともに表出し、そこから発せられる「I am here!!」というメッセージがすごく大事なんだと思う。私はそういう「声」を聴きたいし、そういう声があるんであれば、できるだけヘルプしたい。それは“ハイサイおじさん”と出会ったときから変わらないんです。
―沖縄民謡とレゲエの融合は知名定男さんのアルバム『赤花』(1978年)以降、たくさんの作品で試みられてきたわけですが、沖縄民謡とレゲエ/ダブの親和性を感じることはありますか。
久保田:沖縄とジャマイカに限らず、島には独特の感覚があると思う。つねに海のことを近く感じているわけで、それだけで感覚が違うじゃない? もちろん島によって違う部分もある。たとえば宮古島と石垣島と多良間島は全然違うわけで。
久保田:「島の宇宙」はわかりやすいんだよ。どこからどこまでが自分たちの土地で、どこからが海なのか、すごくわかりやすい。だから、人間が土地とともに生きるということを意識せざるを得ない。
―自分がどのような場所に生きているのかという自覚があるわけですね。HARIKUYAMAKUさんにもそういう意識はありますか。
HARIKUYAMAKU:あると思います。地元の友達をイメージしてみても、みんな「島にいる自覚」を強く持っている気がする。
久保田:移住者の場合、そういう意識を持てない人はやがて島を出ていく。でも、10人にひとりぐらいはそういう意識を持てる人がいるんだよね。
―そういった自覚と、その土地から生まれる音楽は密接に結びつくものでもありますよね。
久保田:もともとはそうなんだろうね。いまはネットの時代だけど、島の人たちの「環境をとらえる感覚」には独特のものがあるんで、一種の体質としていまも残っているとは思う。
―そもそも久保田さんがダブという手法に最初に関心を持ったのはいつごろだったのでしょうか。
久保田:1973年か74年ごろには(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの)『Catch A Fire』や『The Harder They Come』(※)のレコードを聴いていたけれど、ダブはもっとあと。
1981年に初めてロンドンに行って、いろいろレコードを買ったんだけど、そのなかにエイドリアン(・シャーウッド)がプロデュースしたものがあった。New Age Steppersとかね。ちょうどサンセッツのファースト(1981年の『Heat Scale』)をつくろうとしていた時期で、「エイドリアンと一緒につくろうよ」と提案したんだけどレコード会社に却下されてしまった。
―えっ、サンセッツのファーストをエイドリアン・シャーウッドとつくるという話があったんですか?
久保田:そうそう。向こうまで会いに行った。エイドリアンが家族を連れて私の家に来たこともあった。
―それは知りませんでした。
久保田:そのころにはデモでもダブ的なことをやっていて、『リズム・ロマンス』(※)でもダブみたいなことをやってますね。だからね、ダブはジャマイカじゃなくてイギリス経由で入ってきたんですよ、私の場合は。ジャマイカに行くようになるのはもう少しあとですね。
―ダブのどこにおもしろさを感じたのでしょうか。
久保田:ジャマイカの感性だよね、やっぱり。機材を使いたおす、遊びの感覚。それと実験精神。
久保田:リー・ペリーなんかまさにそうだよね。Kraftwerk的なサイエンスじゃなくて、ジャマイカ的なサイエンス。ジャマイカ人はヴードゥーもサイエンスなんですよ。魔法を起こしたいときは、「Science!!」って叫びますから。
ジャマイカのおもしろさはそこだよね。すべてを遊ぶ。実験も生きることも全部一緒なんです。そういうバイブレーションを感じたんだろうね、ダブから。HARIKUYAMAKUもそういう自由さを感じたんでしょ?
HARIKUYAMAKU:はい、まさに。ダブは楽しいんですよ。久保田さんがおっしゃったダブの実験精神は僕も共感するところで。聴いていると笑えるものもあるじゃないですか。突然「ピシャーン!」とノイズが入ってきたり。本当にルールに縛られていない感じがする。
久保田:失敗がないんだよね、出たとこ勝負で大丈夫。
HARIKUYAMAKU:それすら完成品と言ってしまうところがかっこいいんですよ。自分もそうありたいと思っています。
―HARIKUYAMAKUの『Mystic Islands Dub』を聴いて久保田さんはどう思われましたか。
久保田:よくできてるなと思いました。YouTubeで初めて聴いたときと変わらないHARIKUYAMAKUらしいテクスチャーがあってね。機械いじりが好きなんだなっていうのが伝わってくる。だいぶ好きじゃないとこんなことはできない。何年ぐらいこういうことをやってるんだっけ?
HARIKUYAMAKU:もう10年ぐらいですね。もっとエレクトロニックな音に集中していた時期もあって、そのころはシンセサイザーとかリズムマシーン中心の音づくりをしてたんですけど、今回はちょっと原点に戻ったところもあります。「打ち込みではなく生音でやる」っていうことが自分にとっても新しい挑戦だったんです。
久保田:まだまだHARIKUYAMAKUは旅の途中だと思うし、これからどう進んでいくか、楽しみだよね。テープに行くこともあるかもしれないし。
HARIKUYAMAKU:テープ、興味ありますね。
久保田:ジャマイカ人はスタイルを重んじるところがあって、ダブもまたひとつのスタイルだからね。HARIKUYAMAKUもジャマイカに行ったらおもしろいと思う。
―『Mystic Islands Dub』ではさまざまな古謡がサンプリングされていますが、なかでも宮古諸島の歌が数曲選ばれていますよね。
HARIKUYAMAKU:そうですね。理由はないんですけど、なぜか選んでいました。
久保田:宮古のものはリズムに乗ってくるようなところがあると思う。聴いていると、リズムが聴こえてくるというか。言葉自体がリズムを持っているんだろうね。
HARIKUYAMAKU:「平安名のマチャガマ」なんかはまさにそんな感じでしたね。聴いた瞬間、「これはスカだ!」と思いました。
久保田:「平安名のマチャガマ」はすごいよね。たしかにカリビアンみたいな歌だから。
―沖縄のなかでも宮古はやはり特別な場所なのでしょうか。
久保田:さっき話に出たように言葉も違うし、沖縄でも宮古だけカルチャーが違うんですよ。宮古の人たちはもともと一種反抗的だったんで、人頭税(※)の時代には楽器とかいろんなもの取り上げられて、三線すら持っていなかった。
そうしたらもう身体でリズムを刻むしかないわけじゃないですか。手足バタバタして踊るのが楽器代わり。身体で音楽をやる場所だった。そういう影響はあるかもしれない。
HARIKUYAMAKU:「平安名のマチャガマ」はまさにそういう感じですよね。ラップみたいな感じ。
久保田:楽器の代わりにレコードでライブをやるという意味でジャマイカにも近いのかもしれない。そしてそれがラップの原点なわけだよね。
―『スケッチ・オブ・ミャーク』に登場していた神唄の歌い手ももうほとんどいないそうですね。
久保田:年齢的にももう仕方ないよね。ライフスタイルが変わりすぎて、継ぐ人もいない。島自体もずいぶん変わったし、いま行くと南の島に行った感じがしないんだよね。ただ、宮古の人たちはそういう変化も案外たくましく受け入れちゃうんだよね。
HARIKUYAMAKU:エンジョイしちゃってるところもありますよね。
久保田:それでいて、宮古の精神というものは残っている。ジャマイカだってそうですよ。カリブのなかでもジャマイカだけちょっと変わっている。そういうところはやっぱりあるよ。どうしてかわからないけれど。
―宮古にはそうした精神を表す「アララガマ」という言葉がありますね。「不屈の精神」という意味で、久保田さんはこう書いています。
ジャマイカが理不尽な奴隷制度からレゲエを生み出したように、宮古はアララガマを生んだ。一般的には、何クソと歯を食いしばることだそうだが、それではこの精神をあらわしていない。ジャマイカではCool Runningという。 - BLUE ASIA『Sketches of MYAHK』(2009年)のライナーノーツより―HARIKUYAMAKUさんはこうした宮古の精神とどのように向き合っているのでしょうか。
HARIKUYAMAKU:「平安名のマチャガマ」をサンプリングしている“MACHAGAMA”はほぼ曲が完成したぐらいのタイミングで言葉の意味を理解したんですよ。これはまさにアララガマ的な精神が刻まれた曲で、(支配者を)おちょくってるんですよね。やっぱりこういう歌だったのか、と。
久保田:薄々わかっているんだよね、そのバイブレーションっていうものは。だからこの歌を選んでいる。
久保田:神唄も本人たちでさえ言葉の意味がわからないまま歌っているものは結構あるんですよ。わからないけれど、どこかでわかっている。「平安名のマチャガマ」にしてもリズムのなかに人の心と情報が詰まっているわけで、HARIKUYAMAKUはそこに惹かれたわけですよね。
HARIKUYAMAKU:そうですね、まさに。
―神唄に向き合うとき、「これは手をつけちゃいけない」みたいなことは感覚的にわかるものなのでしょうか。
久保田:直接言われたこともあったね。「これは録っちゃダメだ」と。とある神唄も6番まではいいけど、7番でやめようと言われたこともあった。なぜかというと、「7番で神様が降りてくるから」と言うんですよ。
そういう感覚はもう信じられるよ、そりゃ。ヴードゥー・サイエンス。だからこっちも命がけですよ。背いたらマジ、ヤバいよ。ポップミュージックとは違うところに存在する世界だからね。
―HARIKUYAMAKUさんはかつて古謡のリズム/拍子を4分の4拍子に組み替えながら制作をしていたそうですが、今回の作品では極力そのままにしたそうですね。古謡独特の拍子をそのまま活かす方向に向かった理由は何だったのでしょうか。
HARIKUYAMAKU:以前はループの気持ちよさを追求していたので、ループにはめられるようにうまく隙間をごまかしていたんですね。違うところの三線の音を入れたりして拍子を整えていた。でも、「沖縄独特の節回しやリズムを変えたくない」と思うようになって、そういうつくり方をやめたんです。
久保田:悩むところだよね。
HARIKUYAMAKU:そうですね。今回も悩んだんですけど、やっぱりそのままにしようと決めました。そこに沖縄音楽のアイデンティティーのひとつがあると思ったので。
―西洋音楽とは違うリズムの感覚、言葉のイントネーションということですよね。そこにどう向き合うか。
HARIKUYAMAKU:そうそう。
久保田:とはいえBPMには左右されますよね、やっぱり。そういう種類の音楽なので、これはもうしょうがない。そうじゃなきゃ手拍子だけの音楽にするかどっちかですよ。いまのヒップホップはそこでもがいているわけだけどね。グリッドに沿わないリズムというか、揺れのあるリズム。どうやってズッコケようかってとこに腐心している。
ー久保田さんがリミックスした“INKYARA NU UTA”(※)には11拍子(4+4+3)も出てきますよね。
久保田:11拍子? そうだっけ(笑)。
久保田:郡上おどり(岐阜県郡上市八幡町)の拝殿おどりも20何拍子とかあるし、そういうものはいっぱいありますよ。3拍子とか4拍子っていうのはあくまでも産業革命以降の話だから。きっと歌詞に合わせてああいう拍子になってるんだろうね。
―もともとの言葉が持つイントネーションやメロディーに由来する歌の節回しに合わせて後づけ的に拍子が決まってくるというか、3拍子や4拍子に合わせて歌がつくられたわけではない。
久保田:私たちは西洋的な音楽教育で育てられちゃったけど(※)、昔の人はそんなダサいことやりたくないわけですよ。いまも民謡の人って1拍端折ったりするでしょ?
HARIKUYAMAKU:しますね。当たり前のように端折ります。人によって端折り方が違ったりするし。
―久保田さんもまた西洋的な拍子の概念に則らない音楽をつくろうとしているわけですね。
久保田:そうじゃないところで私は音楽をやってるんで、(拍子に)縛られるのはちょっと不自由に感じる。とはいえ、ドラムマシーン以降の音楽をやっているわけだけど。
それにそもそも深夜3時ぐらいに作業していたりするんで、自分も朦朧としているしね(笑)。チューナーもほとんど使わない。歌のピッチまで微調整するのは、それこそオートチューンとかボカロの世界だからね。
―現在のポップスのスタンダードは徹底的にピッチ補正し、ちょっとしたズレも調整しますよね。でも、ズレや揺れのなかにもまた豊かさがあり、アイデンティティーがある。そこに「粋」もあるという気がしてきました。
久保田:ああ、そうかもしれない。私は古典の人ではないからあくまで私の感じるところとしてだけど、徳島の人たちが語った「阿波おどりは何をやってもいいんだ。でも、粋じゃなきゃいけない」って言葉は宮古にも言えるのかもしれない。
HARIKUYAMAKU『Mystic Islands Dub』と『沖縄音楽総攬』