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ノーラン監督作『オッペンハイマー』日本公開の行方と意義

2023年10月28日 13:10  CINRA.NET

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Text by 生田綾
Text by 稲垣貴俊

「原子爆弾の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた映画『オッペンハイマー』の日本での劇場公開をめぐり、注目が集まっている。クリストファー・ノーランが脚本・監督を務め、全米での封切り以降高い評価を受けているが、日本では公開日が決まっておらず、10月28日時点で一切の宣伝がされていない。

日本公開をめぐる現状はどうなっているのか。関係者への取材を通して得た情報や、本作が公開されることの意義について、ライターの稲垣貴俊氏が執筆する。

2023年に世界的ヒットを記録した一本の映画が、日本では劇場公開されないままとなってしまうかもしれない――。『ダークナイト』3部作などの人気監督クリストファー・ノーランによる最新作、「原子爆弾の父」こと理論物理学者のロバート・オッペンハイマーを描いた伝記映画『オッペンハイマー(原題)』が話題だ。

本作はオッペンハイマーの学生時代から、原爆開発(マンハッタン計画)への参加、人類史上初の核実験(トリニティ実験)、そして戦後の水爆反対活動やスパイ疑惑に至るまでの半生を、時系列を巧みに行き来しながら描き出す趣向。アメリカでは7月21日に公開され、国内興行収入3億ドルを記録する今夏最大の人気作のひとつとなった。

海外市場でも興行収入6億ドルを突破し、累計世界興収は9億4210万ドル(※10月18日現在)を達成。『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)を抜いて、伝記映画の世界興収として歴代記録を更新した。ヒットが確約された人気シリーズ作品でないこと、多くの市場でR指定(成人指定)を受けたこと、また上映時間3時間という長尺作品であることのハンデを踏まえるまでもなく、これは歴史的快挙だろう。

作品としての評価も高い。アメリカのレビューサイトRotten Tomatoesでは、批評家スコア93%・観客スコア91%を獲得し、「ノーラン史上最高傑作」とも称えられた。すでにアカデミー賞では複数部門の受賞・ノミネートが期待されており、もしも監督賞に輝けば、ノーランにとっては自身初のオスカー像獲得となる。

クリストファー・ノーラン

『オッペンハイマー』は、興行的にも作品的にも、またクリストファー・ノーランのキャリアにおいても重要な映画だ。今後、第二次世界大戦を描いた映画を語る上で無視できない作品とも言える。しかしながら現時点で、本作の日本公開の目処はいまだ立っていない。

なぜ、『オッペンハイマー』の日本公開が決まらないのか。

そもそも原子爆弾の開発・製造を扱った作品ゆえ、夏の公開は難しいと考えられていたが、秋が深まったいまも具体的な動きは聞こえてきていない。一部では「秋ごろに公開されるのでは」「東京国際映画祭で国内初上映では」とも推測されたが、いずれも現実にはならなかった。

本国公開直後の7月29日、アメリカの業界誌Varietyは、被爆国である日本における『オッペンハイマー』の劇場公開が決まっていないことを取り上げている(*1)。記事では、配給を担当するユニバーサル・ピクチャーズの広報担当者による「全市場での公開計画が確定しているわけではない」とのコメントが掲載されたほか、ユニバーサル作品の日本配給を手がける東宝東和を名指しするかたちで、「『オッペンハイマー』の日本公開は東宝東和にかかっている」と報じられたのだ。

筆者は9月中旬より、CINRA編集部を通じて、『オッペンハイマー』の日本公開について関係各所への取材を続けてきた。ユニバーサル・ピクチャーズの親会社である、米NBCユニバーサルの担当者には質問状を複数回にわたって送付。「日本での公開計画はあるのか、日本側とは協議しているのか、日本からも公開を求める声があることをどう捉えているか」との旨を問い合わせたが、期限までに回答はなかった。

しかし、その後の取材を通して、Varietyの「日本公開は東宝東和にかかっている」という主張が、現時点では事実ではないことがわかった。また、一部の報道やSNSなどでささやかれてきた「日本サイドが難色を示している」との情報は、その信憑性を保証する根拠を確認できなかった。

さらに、固有名詞を挙げることは避けるが、日本での配給・公開に関して、国内で新たにポジティブな動きを確認できている。ただし、現時点で具体的なことは未定の状況という。確かな情報は今後の正式発表を待ちたい。

なお、映画の原作となったカイ・バード&マーティン・J・シャーウィン著『オッペンハイマー』も、2024年1月10日に早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)より復刊される。編集担当の山本純也氏によると、文庫化の企画は映画の製作が発表された約2年前から動き出しており、日本公開をめぐる状況を考慮したものではないという。山本氏は「ピュリッツァー賞に輝いた、非常に強い力をもつ作品。ひとりの天才物理学者の姿を通じ、国家・科学・平和・善悪を問い直す名著として長く読み継がれてほしい」と語る。

文庫版の内容は、単行本『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(上・下)』(PHP研究所刊)と同一。ただし、翻訳監修として『TENET テネット』(2020年)の字幕科学監修を担当した山崎詩郎氏が新たに参加し、より読みやすくなるよう訳文が改められる。

ちなみに10月17日には、『オッペンハイマー』の海外盤ソフトとデジタル配信版が、アメリカを含む世界各国で11月21日にリリースされることが発表されたばかり。もっとも、NBCユニバーサル傘下で日本での音楽・映像ソフト販売を手がけるNBCユニバーサル・エンターテインメントジャパンによると、日本盤の発売は現時点(10月20日)で未定だという。何よりも、まずは日本配給の動きが今後どうなるかが先だろう。

よく指摘されるように、日本ではハリウッド映画の公開が大幅に遅れることがある。話題作に関しては近年是正されつつあるようにも感じられるが、本国から3か月遅れての劇場公開もそう珍しくはないのだ。

もっともクリストファー・ノーラン作品に関しては、アメリカでの公開からさほど間を空けることなく日本公開が叶ってきた歴史がある。『ダンケルク』(2017年)が1か月半遅れとなったのは近作では稀なことで、それ以前は『プレステージ』(2006年)の約8か月遅れまで遡るのだ。出世作『メメント』(2000年)は1年2か月遅れだったが、当時と現在では状況が大きく異なる。

前出のVarietyによる記事は、日本におけるノーラン作品の興行収入が、ほかの海外市場よりも低い傾向にあることを指摘した。ところが『オッペンハイマー』は、海外映画の市場規模が日本より小さい国や地域の多くでも劇場公開が実施されている。したがって、「日本では儲からないから公開しないのではないか」という仮説には疑問の余地がある。

またノーランの名前を横に置いたにせよ、本作の話題性が変わらず高いことも確かだ。出演者には、オッペンハイマー役を演じるキリアン・マーフィー、『アベンジャーズ』シリーズでおなじみのロバート・ダウニー・Jr.のほか、エミリー・ブラント、マット・デイモン、フローレンス・ピュー、ラミ・マレック、ゲイリー・オールドマンら映画界のオールスターキャストが結集。作品の高評価ぶりも本国公開前から広く知られていた。

すなわち、日本公開がここまで決まっていないのは、やはり本作が「原子爆弾の父」ロバート・オッペンハイマーの物語であり、広島・長崎への原爆投下を扱っているためだと考えるのが自然だろう。

すでに報じられていることだが、本作は原爆投下や実際の被害を直接的に描いてはおらず、そのことは賛否両論となっている。映画監督のスパイク・リーも、作品性には一定の理解を示しながら、「もしも自分だったら、日本に原子爆弾を2発投下したことで何が起きたのかを映画の最後に示すだろう」との持論を述べていた(*2、ノーラン自身の見解は後述)。

公開未定の背景には、こうした題材や描写を踏まえた上で、被爆国である日本や、被爆者とその遺族に対する配慮があるのかもしれない。また、原爆開発・投下というデリケートな史実をアメリカの視点から扱っているため、日本では激しい反応を受ける可能性もあり、劇場公開を控えることでリスクを回避する狙いではなかったかと推測することもできそうだ。

事実、同じくマンハッタン計画と科学者たちを描いた『シャドー・メーカーズ』(1989年)も劇場公開が見送られ、その3年後にVHSビデオがリリースされていた(理由は不明)。また過去には、日本が悪役となった戦争映画や、戦時中の日本を辛辣に描いた映画の数々が、国内での反応を考慮して劇場公開を見送られてきた事実もある。

一方、『不屈の男 アンブロークン』(2014年)のように、小規模ながら劇場公開に漕ぎつけられた作品もあり、公開の有無はケース・バイ・ケースなのが実情だ。ただし、これまでにそのような扱いを受けた映画は、多くが日本や日本人を批判的・露悪的に描く作品だった。

『オッペンハイマー』は、むしろ原爆投下を直接的に「描いていない」作品である。これらの映画を同じ土俵で語るべきだろうか?

もうひとつ、影響を与えた可能性として挙げられるのは、7月に起きた「バーベンハイマー(Barbenheimer)」現象の炎上騒動だ。「バーベンハイマー」とは、映画業界がコロナ禍からの回復に向かうなか、ともに話題作である『オッペンハイマー』と『バービー』が本国で同日に公開されることを受け、映画ファンやジャーナリストたちが両作のタイトルをもじって「2本とも観に行こう」と興行を盛り上げようとしたムーブメントだった。

イギリス・マンチェスター市内に設置されたゴミ箱。『バービー』と『オッペンハイマー』、気に入った作品にゴミを捨てると投票ができるという仕組みだ。

しかし、この現象は日本からの激しい反発を招いた。「バーベンハイマー」という呼称がネット上に初めて登場したのは2023年4月のことで、それ以来、SNSには2作品をモチーフにした非公式のファンアートやコラージュなどが次々に投稿されていたのだが、その中には原爆(核実験)の炎やキノコ雲をデザインしたものが多数含まれていたのである。

とりわけ大きな批判が寄せられたのは、『バービー』の米国公式Twitter(現X)が、原爆を想起させるファンアートに「It's going to be a summer to remember 😘💕(忘れられない夏になりそう)」と反応したことだった。もともと「バーベンハイマー」現象自体に原爆を肯定する意味はなかったが、日本発信の「#NoBarbenheimer(#Noバーベンハイマー)」なるハッシュタグも広く拡散され、最終的には『バービー』を手がけたワーナー・ブラザースのアメリカ本社がSNS投稿の謝罪文を発表するに至っている。

現代のSNSにおける炎上は、ビジネスにも、またブランドイメージにも大きなダメージをもたらす。その点で言えば、この炎上騒動は『オッペンハイマー』に対する日本国内のイメージに一定の影響を与えただろう。『オッペンハイマー』とユニバーサルは「バーベンハイマー」現象に一切反応しておらず、一方的に巻き込まれたかたちだったが、日本では問題のファンアートを『オッペンハイマー』の公式宣伝やコラボ企画の類だと誤解したままの方もいるのではないか。日本から始まった炎上騒動を受け、劇場公開のリスクが懸念されたとしても不思議ではないだろう。

『オッペンハイマー』が世界の劇場で公開された直後から、日本語で読めるニュース記事やSNS投稿には、本作の評価や日本公開をめぐるさまざまな言説があふれた。本国の評価と同じく、映画としてのクオリティを評価する声も少なくないなか、やはり目立ったのは、この作品がいかなるメッセージをはらんでいるかというものだ。

本作を海外で鑑賞した批評家や観客のなかには、「明らかな反戦映画であり、劇中のオッペンハイマーは原爆投下を後悔している」と見た人もいれば、「原爆投下を直接描かず、実際の被害から目をそらしている」と指摘する人もいる。「結局はオッペンハイマーを英雄として描き、アメリカの視点で原爆投下を正当化した作品だ」という批判も見られた。日本公開についても、「日本人こそ観るべき映画だ」という主張や、「日本人としては不快、上映すべきでない」といった意見が対立している。

筆者は8月末に韓国で本作を鑑賞し、この映画から反戦・反核のメッセージを読み取った。決して原爆の開発や投下を肯定する映画ではない、と考えている。むしろ本作の肝は、物事の肯定・否定、描写の適切・不適切という二項対立では論じきれない複雑さにあるとも感じた。そもそも映画の主題は、原子爆弾ではなくオッペンハイマーの半生なのだ。観客は何ひとつ単純に割り切れない曖昧さの渦中に放り込まれ、オッペンハイマーの間近にいるかのように、歴史的災禍に至った経緯とその人生を追体験する。複雑な問題を複雑なまま、圧倒的な強度で描き切ろうとする作り手の強い意志を見た。

自ら脚本を執筆したノーランは、物語の大部分をオッペンハイマーの視点から描いた。脚本のト書き(※台詞以外の動作や描写)まで主語を「私(I)」にするほどの徹底ぶりで、広島・長崎への投下を直接描かなかったのも、現実のオッペンハイマーがその事実をラジオで知ったからだと説明されている(*3)。あくまでも「オッペンハイマーが何を見て、何を感じ、何を考えたのか」に焦点を合わせた構成だ。

しかしながら筆者の意見も、海外で『オッペンハイマー』を観ることができた、ひとりの日本人観客の考えにすぎない。まずは無事に劇場公開され、一般の観客が「普通に」観られるようになってはじめて、この作品を日本で考えるための土壌ができあがるのだ。

『オッペンハイマー』が原爆投下を正当化しているのか、また表現が不快かどうかの判断や、あるいは一本の映画としての評価は、本来ならばそのあと、観客の個々人――「日本人」という大枠ではなく――によって考えられ、議論されるべき問題だ(したがって筆者は、「日本人として◯◯だから上映すべきでない」という姿勢には反対の立場である)。

原子爆弾が投下された世界唯一の国である日本で、極めて当事者性の高い地で、この映画を「普通に」映画館で観られる環境がなければならない。ほかの国々や地域と同じく、自国の言語で触れることができなければ――。

そうでなくては、映画として本来あるべきかたちで、また劇場体験を最も重視して作品をつくりあげるノーランが想定したかたちで、日本の観客は『オッペンハイマー』を判断・評価することができない。それはまた、原子爆弾の開発者であるロバート・オッペンハイマーや、原爆の開発・投下、自国をめぐる歴史などについて、映画を通じて再考する機会が奪われることでもある。

そうした視点を抜きにしても、現代屈指の映画監督であるクリストファー・ノーランの新作が、世界の映画界をリードするオールスターキャストの揃った映画が、いま非常に高い評価を受けている作品が日本で上映されないことは、国内の映画文化における大きな損失だ。ノーラン作品の歴史から見ても、本作は過去に登場してきたモチーフの数々を扱いなおし、それらを新たな次元に昇華した、まぎれもない「クリストファー・ノーラン作品の集大成」であることを付言しておきたい。

ウクライナ侵攻後、多くのハリウッド映画が正式に劇場公開されていないロシアでも、『オッペンハイマー』は短編映画の同時上映という形でひっそりと海賊版上映が行なわれている。数分間の短編映画に3時間の『オッペンハイマー』が同時上映されるのだから奇妙な話だが、政府は見て見ぬふりをしているそうだ(*4)。

いまは少しでも早く、『オッペンハイマー』の日本公開が正式に決まることを心から祈っている。実現の暁には、リスクを承知で公開に踏み切る関係者に敬意を払うとともに、この「いま最も重要な映画」の登場を喜んで迎え入れることにしたい。