コミックナタリーは2023年12月25日に15周年を迎える。これを記念し、コミックナタリーでは読者にも人気の島本和彦&藤田和日郎コンビにマンガ界の15年を振り返る対談を依頼。これまでにもマンガやトークで数々の“バトル”を繰り広げてきた2人だが、今回の対談では最近の気になるマンガから、マンガと社会の関わり方、お互いの関係についてまでたっぷりと真剣に語ってもらった。なお11月11日発売のゲッサン12月号(小学館)にも2人の対談を掲載。本記事とは異なるエピソードを披露しているので、ファンはこちらもチェックしてみては。
【大きな画像をもっと見る】取材・文 / 島田一志 撮影 / 武田真和
■ 最近面白かったマンガは?
──本日は、コミックナタリー15周年を記念する企画の一環として、ナタリー読者にも人気のおふたりにお越しいただきました。と言っても別に堅苦しい対談ではなく、ざっくばらんにここ15年のマンガ界や、おふたりの関係などを振り返っていただければと思います。
藤田和日郎 まずはコミックナタリーさん、15周年おめでとうございます。ここ15年のマンガ界については、電子書籍の台頭などハードの面でいろいろな変化があったとは思いますが、内容面で言えば、暗いバッドエンドの物語よりも、読後感がいい作品が求められるようになってきている気がしますね。食(しょく)に関するマンガが増えているのも、そういう傾向が関係しているのではないかなと。
島本和彦 食のマンガが増えているのはなぜだろう。
藤田 やっぱり、食べ物を通して、人と人とのつながりがうまく描けているからだと思いますよ。あとは、“食べる”ということは“生きる”ということと直結していますからね。コロナ禍になってからは特に、その手のマンガが増えているような気がします。島本さんの最近気になっている作品はなんですか。
島本 いろいろあるけど、今パッと頭に浮かんだのは、「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」かな。特に1巻と2巻は死ぬほど読んだ(笑)。あとは、「歴史に残る悪女になるぞ」というラノベ原作の作品とか。まあ、タイトルを挙げていけばきりがないんだけど、お世辞抜きでどんどん新しい才能は生まれていると思います。ただ、ちょっとだけ厳しい意見を言わせてもらえれば、最近SNSとかで話題になってるほとんどの作品は、最初の3巻くらいまではやたらと面白いんだけど、急に「あれ?」って思うような感じになっちゃって……。
藤田 流行りの異世界転生もののマンガでも、基本のアイデアや序盤の展開は秀逸なものが多いんだけど、すぐに尻すぼみになるというか、こちらの予想を大きく裏切ってくれる作品は少ないですね。
島本 せっかく最初に読者の心を掴めても、その段階で離れてしまう。
藤田 要は、キャラクターが練られていないということではないでしょうか。主人公をはじめとした登場人物たちの人生や死生観、彼ら彼女らがどういう思考をしている人間なのかを作者自身が理解していないから、ある程度物語が進行した段階で、うまく(キャラを)動かせなくなっているのかなと。
島本 それもあるだろうし、あとは、1・2巻が多くの読者にウケた段階で、何がウケたのかをきちんと自己分析すべきなんだよね。読者にウケた要素をきちんと分析して、中盤以降もそれを繰り返せばいいだけなのに、焦っていろいろ試行錯誤して、結局、全然違う物語になっちゃってる。それは、1巻を面白いと思ってくれた読者が求めているものではなくなっているということなんですよ。
藤田 ちなみに、僕らが今話しているのは新人のマンガ家さんが陥りやすいケースであって、ベテランのマンガ家さんたちは当然そのへんのことはわかってらっしゃいますからね。そう言えば、僕のマンガも、やたらと長い物語が多いせいか、途中で中だるみしてるって言われることがあるんですよ。でも、それは本当に心外というか、こちらは命を懸けて毎回毎回描いてるんだ、中だるみなんてどこにもないぞ!とこの場を借りて主張しておきたいです。
島本 私はちゃんとしたストーリーを追わせるような連載をしたことがないから、そういう批判はされたことがないな。うーん、たまには言われてみたいかも(笑)。
藤田 例えば、「うしおととら」で、主人公のふたりが北海道の旭川まで旅するエピソードがあるんですけど、なんでそんな遠回りな話をだらだら描いてるんだって言われましたから。いや、これがのちのち物語の本筋に絡んでくるんだよ!って。
島本 旭川で思い出したけど、ここ数年の作品では、「ゴールデンカムイ」が面白かったね。
藤田 今、さりげなく僕を踏み台にしましたか!?(笑)
島本 いや、そういうわけじゃないけど(笑)、最近のヒット作のわかりやすい例として、あのマンガは中だるみがなかったでしょう。あと、ネタバレするのは悪いから濁して言うけど、宝探し系のマンガって、ラストを読んでがっかりすることが多いじゃないですか。「宝はなかったけれど本当の宝は俺たちの心の中に……」みたいな(笑)。でも、「ゴールデンカムイ」はきちんと読み手が納得のいく形で結末が描かれていて、そこも素晴らしいと思ったんですよ。
■ 「アオイホノオ」で迷走の時期を抜け出した
島本 ところで、(コミックナタリーが開始した)15年前と言えば、自分は何をしてた頃だろう? あ、「アオイホノオ」を連載してたヤングサンデーが休刊になって、続きをどうしようって思ってた頃か(笑)。
※「アオイホノオ」は2007年から2008年までヤングサンデーにて不定期連載。その後、2009年のゲッサン(ともに小学館)創刊号にて連載再開した。
藤田 僕が島本さんと初めてお会いしたのも、その頃でしたかね。
島本 いやいや、何言ってんの! もっと前でしょ(笑)。藤田さんが「うしおととら」を描いてた頃だから、90年代の頭のほうですよ。
藤田 ありゃ、そんな前だったか。いずれにしても、島本さんと初めてお会いしたのは、小学館の年末の謝恩会でしたよね。なぜか示し合わせたかのように、2人ともセーターを着てて、僕が白で、島本さんが赤。それを見た島本さんが、「おお! 紅白だな。それじゃあここで決着をつけるか!」とか言って、いきなりファイティングポーズですよ! こっちゃピヨピヨの新人なのに!(笑)
島本 ごめん、全然覚えてない(笑)。藤田さんが「うしおととら」で人気だった頃ってのは、逆に私は低迷してた時期だからな、あまり細かいことは思い出したくないのかもしれないけど。
藤田 低迷してたってことはないでしょう。
島本 いや、「炎の転校生」が終わって、その後の(週刊少年)サンデー(小学館)での連載がことごとく納得いかなくて、なぜ面白いものが描けないんだと思ってた時期がしばらく続いてたんですよ。藤田さんと初めて会ったのは、ちょうどそのピークの頃だったかもしれません。それでも足掻いて、マンガ業界にしがみついて、なんでも来た仕事は受け続けて、ようやく迷走の時期から抜け出せたのが、まさに15年前くらいだったんですよ。
藤田 つまり「アオイホノオ」が転機になったということですか。
島本 そう。あの作品で、久しぶりに自分が面白いと思ってることと読者が求めてることが合致した。ただ、「アオイホノオ」はね、高橋留美子先生とあだち充先生のファンを取り込めば、おふたりの発行部数分がプラスになると考えて始めた企画でもあるんですけど……。
藤田 どうでした?
島本 いやあ、見事なまでの皮算用だったね(笑)。自分では完璧な計画だと思ってたんだけど、今にいたるまで部数が大きく化けることはありませんでした。あ、いや、せっかくのめでたいコミックナタリーさん15周年の場なので、しょっぱい話はこのへんでやめておこうか(笑)。
※「アオイホノオ」は作中に「かわいそうなあだち充……」「高橋留美子は…タイミングだけで生きている!!!」など、著名なマンガ家たちへの暴言が飛び出すことでも知られている。2017年にはあだち充、高橋留美子、そして藤田和日郎も参加した「アオイホノオ被害者の会~島本和彦への暴言~」という企画が展開された(参照:
「アオイホノオ」被害者の会が逆襲!あだち充、高橋留美子ら島本和彦に物申す)。
■ 同じ時代にいてくれてよかった存在
藤田 ちなみに、僕のほうの話をすれば、あのとき、島本さんから話しかけられて素直にうれしかったんですよ。島本さんが「炎の転校生」を連載していた頃、僕はあさりよしとお先生のところでアシスタントをしていたんですけど、毎回毎回よくこんな面白いことを思いつくなって感心してましたから。
島本 本当に?
藤田 本当ですよ。で、それからは、島本さんが活動の拠点を北海道に移されるまで、ちょくちょくお会いしてましたよね。いつも唐突に仕事とも遊びともつかない“何か”を頼まれる(笑)。あるときなどは、いきなりうちの仕事場に女性のアナウンサーと一緒に来て、その場でラジオ番組の収録をやったこともあったでしょう(笑)。
島本 あったね!(笑) 「マンガチックにいこう!」(注:島本がパーソナリティを務めていたラジオ番組)だ。藤田さんは普通に出てくれると思ったし、しゃべりもいけると思ったので、アポなしで(笑)。
──島本先生の「吼えろペン」に出てくる藤田先生がモデルの名キャラクター、「富士鷹ジュビロ」も、そうしたおふたりの関係から生まれたキャラだったわけですね。
藤田 ええ。これはさっき言ったのとは別の年の謝恩会での話ですが、島本さんが僕に向かってツカツカと歩いてくるんですよ。で、「見せたいネームがあるんだ!」って、これもまたいきなりで(笑)。
島本 (笑)。
藤田 勢いに押されて拝見しましたけどね。それが富士鷹ジュビロ初登場のネームで。「どうだ?」と言われましたけど、どうもこうもないですよ!(笑) いや、正直に言えば、めちゃめちゃ面白かったので、僕が描きたいくらいだと思いましたけどね。とにかく島本さんはドラマみたいな人で。一緒につるむようになってからは、僕もついでに面白い人みたいになってますけど、本当に面白いのは島本さん自身なんですよ。
島本 いや、私自身はそんなに有名なマンガ家じゃないから、藤田さんみたいな触媒になってくれる人が必要なんですよ。私自身を輝かせる同時代の存在として、富士鷹ジュビロ、すなわち藤田和日郎は最高のキャラクターなんです。マンガ家にはメンタルの弱い人もいるけど、これだけ売れてて、他人に対してズバズバものを言える人はそうはいませんからね。
藤田 それ、褒めてませんから!(笑) あと、島本和彦が有名じゃないなんて誰も思ってませんから。
島本 でも、藤田さんが同時代にいてくれてよかったというのは本心だよ。
藤田 あと、島本さんとの思い出で言えば、一緒に参加した、遠軽町(北海道)での安彦良和先生主宰のイベントも印象に残っています。安彦先生のほか、萩尾望都先生、いがらしゆみこ先生、一条ゆかり先生、花輪和一先生、星野之宣先生など、僕らにとって神みたいな人たちが集まったイベントだったんですけど、そんな巨匠たちの中に入っていっても、島本さんはいつの間にか中心人物になってるんですよ(笑)。1つは、島本さんがほかの先生方の作品をきちんと読み込んでるから、向こうも話していて気持ちがいいんでしょうね。その様子を見ていて、「ああ、この人がマンガを好きだという言葉に嘘はないんだな」って改めて思いましたよ。「マンガエリート」というか。
島本 やめてくれ! 恥ずかしい(笑)。だいたい、その遠軽のイベントでは、サイン会もやったんですけど、藤田和日郎の前だけ、女の子の長蛇の列ができてましたからね。さすがにこれには愕然とした!(笑) あのときの中心人物は間違いなくあなたでしたよ。一方、私の前にはリュックを背負った汗だくの兄ちゃんばかりが……。
藤田 それはそれでうれしいじゃない!(笑)
島本 まあ、そうなんだけどさ(笑)。「今度、友人がPKOで海外に行くことになったので、力が出るようなメッセージを書き添えてください」とか。
藤田 そっちだって絶対すごいですって。やっぱり島本さんには、人に元気を与える力があるんですよ。
島本 だから、そういうことを言うのはやめてくれって(笑)。
■ マンガと社会の関わりについて
──この15年というのは、東日本大震災や原発事故、新型コロナウイルスのパンデミックや異常気象など、予想もつかない出来事が次々と起きた時期でもありました。そして、その多くは未だ収束していませんし、マンガ界にも少なからず影響を及ぼしています。島本先生と藤田先生は、これまでもさまざまなチャリティ企画などにも参加されていらっしゃいますが、「マンガと社会の関わり」について、お話しいただけますか。
藤田 ここ数年、さまざまなチャリティーのイベントの機会は増えてきていて、僕と島本さんも細野不二彦先生の呼びかけに応えて、「
ヒーローズ・カムバック」という東日本大震災復興のための企画に参加しました。でも、基本は、普段通りマンガを描き続けることしかないんじゃないかなとも思います。
島本 普段通りって大事だよね。例えば、新型コロナウイルスが最初に流行(はや)り出した頃、SNSを見てるとネガティブな話題ばかりが上がっていました。中には必要な情報もあったかもしれないけど、総じて暗い話題は社会にいい影響は与えないよね。だからというわけじゃないけど、あれ以降、X(旧Twitter)上では、なるべく人を傷付ける可能性のあるコメントや、世の中にアレコレ文句を言う発言は控えるようにしてる。要するに、自分のアカウントでは笑えるネタや、明るい話題しか出さないようにしてますね。人々に元気を与えるって言うとおこがましいかもしれないけど、少なくとも、私のアカウントさえ見ていれば、陰鬱な気持ちにはさせないぞと。それはSNSだけじゃなく、描いてるマンガについても言えることだけど。
藤田 たまにはネガティブな発信をしたくなるときもありませんか?
島本 すっごくあるよ! 不平不満の文章まで打ち込んで送信の前にぐっと耐える。私のポスト(ツイート)やマンガを見てくれる人には全員がハッピーになってほしいからね。だからマンガの中では、藤田和日郎(富士鷹ジュビロ)を殴らせてもらったり(笑)。で、藤田さんのファンに怒られる。
藤田 どうぞどうぞ、思う存分殴ってください(笑)。繰り返しになりますが、やっぱり僕らは“普通”にマンガを描いていくことが大事なんだと思います。これは適切な例えかどうかわからないけど、タイタニック号が沈んでいく中、音楽を奏で続ける楽団。あれですよ。震災が起きてもパンデミックが起きても、僕らは普段のように淡々とマンガを描く。その“日常性”が、読む人に安心感を与えるのだと思う。何も震災みたいな大変なときじゃなくても、例えば学校でちょっと嫌なことがあって落ち込んでいた子が、家に帰って、マンガで島本さんと僕が殴り合ってる様子を見てくすっと笑ってくれたら、それでいいと思いますもん。
島本 そうだね。藤田さんはよく、ラーメン屋さんでラーメンを待ってるお客さんが、自分のマンガを読んで数分間楽しんでもらえればいいんだって言ってるじゃない? あれはひとつの真実だと思う。私もマンガがもし社会のためになれるとしたら、そういうことでしかないと思いますよ。
■ フィクションを越えたところにある真実
島本 あとさ、これも「マンガと社会」の話だと思うんだけど、この間、バスケットボールの男子日本代表がパリ五輪の出場を決めて、国中が盛り上がったじゃない? 井上雄彦さん、すごくうれしかっただろうなって。彼はマンガでバスケブームを牽引しただけでなく、実際に奨学金制度(「
スラムダンク奨学金」)を作ったりして、現実の世界でもバスケ界を支えていたわけでしょう。なかなかできることじゃないですよ。ひと昔前では、「キャプテン翼」の高橋陽一さんが、サッカーの世界に同じような影響を与えていた。これらは比較的わかりやすい例だけど、スポーツに限らず、マンガが世の中の流れを変えるということはなくはないんです。
藤田 あと、日常生活の中でも、ちょっと困ったときなどに、昔読んだマンガの1シーンが問題解決のヒントを与えてくれることもありますよね。
島本 そう、マンガや映画や小説には、そういう力があるんですよ。フィクションだからといって、嘘ばかりが描かれているとは限らない。普段はあまりこういう真面目なことは言わないんだけど、今日はコミックナタリーさん15周年の場だから、あえて言っておきたい。だからナタリーさんは、そういう目に見えない部分で社会と関わっているマンガの存在価値みたいな話も、これまで以上に率先して記事にしていってほしいと思いますね。
藤田 そうですね。それと、ここ何十年も、常にマンガはピンチだと言われ続けているわけじゃないですか。最初はコンピュータゲームが流行り始めたときで、その次はインターネットが普及したとき。さらに最近では、出版不況だのなんだのとも言われています。でも結局、ゲームやネットとも共存していますし、マンガという表現は滅びていませんよね。それは、いつの時代でも、ベテランから新人まで、多くのマンガ家が、自分が面白いと思うものを信じて作品を描いているからなんです。なのでコミックナタリーさんは、これからもそういう現場の情報をまんべんなく取り上げて、僕らと読者のかけ橋になっていただきたいですね。
■ 島本和彦のプロフィール
1961年4月26日生まれ、北海道池田町出身。1982年、週刊少年サンデー2月増刊号(小学館)にて「必殺の転校生」でデビュー。代表作に「炎の転校生」「逆境ナイン」「吼えろペン」などがある。現在はゲッサン(小学館)にて「アオイホノオ」を連載中。同作は2014年に第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2015年に第60回小学館漫画賞の一般向け部門を受賞した。
漫画家島本和彦 (@simakazu) ・ X■ 藤田和日郎のプロフィール
北海道旭川市出身。1989年、第22回小学館新人コミック大賞佳作受賞作「連絡船奇憚」が週刊少年サンデー増刊号(小学館)に掲載されデビューを果たした。1990年より週刊少年サンデー(小学館)にて代表作となる「うしおととら」を連載。同作で1992年に第37回小学館漫画賞少年部門、1997年に第28回星雲賞コミック部門賞を受賞した。そのほか代表作に「からくりサーカス」「邪眼は月輪に飛ぶ」「双亡亭壊すべし」など。今年9月にはモーニング(講談社)で連載していた「黒博物館」シリーズの最新作「黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ」が完結した。
藤田和日郎 (@Ufujitakazuhiro) ・X