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組長と直談判、喧嘩上等、シンナー厳禁…… 伝説のレディース総長・かおり、硬派すぎるエピソード

2023年10月24日 12:10  リアルサウンド

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 伝説のレディース「貴族院・女族(じょぞく)」の2代目総長を務め、暴走族雑誌「ティーンズロード」に登場するや爆発的な人気を獲得した伝説のレディース総長・かおり。そんな彼女が、壮絶な半生を振り返る本『「いつ死んでもいい」本気で思ってた…』(大洋図書)を出版した。今回は本を出版したばかりのかおりに直撃インタビュー。インタビューには「ティーンズロード」の編集長だった倉科典仁も同席した。


伝説のレディースを立ち上げるまで

――かおりさんが、レディースのチーム「貴族院・女族」を立ち上げたのは16歳の頃だそうですね。


かおり:私はそれまで雇われママのような仕事をやっていたんですが、そこを辞めて地元に戻ったら、昔の不良仲間がみんなバラバラになっていたんです。シンナーだの、男だの、いろいろとあったらしくて、このままじゃつまんないなと思ってしまったんですよ。そこで先輩に相談したら、「レディースを作ったら?」と提案されたんです。そうか、レディースという手があるんだ、面白そうだなと思って、小山にいたタメから1個、2個下くらいまでのヤンキーを招集しました。すると、みんな「やりたい~」「やろうやろう」と集まってくれたんです。そして、「ヘッドはどうする?」「かおりが言い出したらかおりがやれば」という話になって、2つ返事で私が総長に決まったんです。


――なんと! その場のノリでチームの骨格ができあがったんですね。


かおり:チームとして、ある程度の形ができたのはそれから1ヶ月後くらいかな。私の家に20人くらいが集合して、高校のサークルみたいにチームの名前や特攻服のデザインを紙に書き出しながら、考えたんですよ。特攻服の色はチーム全体のイメージカラーだから、大事なんです。私がベースの色に黒を提案したときは「ダサい」といわれたんだけど、私は「いいじゃん、かっこいい黒で!」と、半ば押し切って決めました。


――「貴族院・女族」というチーム名の由来はなんだったのでしょうか。


かおり:同じ小山に「北関東硬派連盟貴族院・神風連」というチームがあったので、その女バージョンという感覚で決めました。女の暴走族だし「女族」でいいじゃないと。読み方は、「にょぞく」や「おんなぞく」は変だし、「じょぞく」がかっこいいじゃんということで。チームの旗は、字が上手い子に絵の具で描いてもらったかな。高校の文化祭でクラスの旗をつくるようなノリですね。みんなバイクに貼るカッティングシートなどを扱ったりしているし、案外、手先が器用なんですよ。


花火大会の日に一触即発に!

――女族結成のときにたくさんの仲間を集めることができたのは、やはりかおりさんの人望なのでしょうか。


かおり:どうでしょう。でも私は中学校の時から、自分はのし上がって小山を仕切りたいと思っていたし、喧嘩もさんざんやっていたので、名前が広まっていたんですよ。それこそ、地元では「かおり」という名前が知らない人がいないくらい。だから、女族を作るときも苦労はしなかったですね。それに私は誰も来なかったら来ないでもいいし、来た仲間内で楽しくやりたかったという軽い気持ちでしたから。でも、小山の中学校の間にも横のつながりがあって、ヤンキーたちはお互いに連絡先を知っているんですよ。だから、私が1人の子に呼びかけたら、どんどん伝わって20人も集まっちゃったわけ。


――凄いネットワークですね。でも、その頃はまだまだレディースの存在はマイナーだったといいます。レディースのチームは身近に結構いたのでしょうか。


かおり:私が知る限り、女族を作ったときは、近隣には他のチームはいなかったはずです。あったら耳に入ってきますからね。でも、後からどこそこに新しくレディースができたみたいなので潰しに行きましょうよ、と後輩に言われたことはあったな。でも、レディースを作った頃の私は、そこまでは望んではいなかったですね。私は仲間内で楽しみたかっただけなので、そっちはそっちで楽しくやれればいいし、喧嘩をしてでも制覇しようとかは思わなかったんです。でも、向こうが喧嘩しに来ちゃったら、そのときはねえ……という感じで(笑)。


――他のレディースと、栃木県にある小山駅の前で一触即発になったことがあるそうですね。


かおり:そう、花火大会があった日のことです。小山駅前に特攻服で、確か悪女会だったかな、10人くらいを連れて来たレディースがいたんです。私たちにとって、特攻服を着ることはチームの看板を背負ってくる行為。そこまでの覚悟がないなら、別に私服で来ればいいわけですからね。まさか地元に来るなんて話も通っていなかったから、行くじゃないですか、当然(笑)。そのときにも「何やってんの?」「ここをどこだかわかってる?」「私を誰だかわかってんの?」とガンの飛ばしあいになって、「これは…くるな」と思ったけれど、先に手を出すわけにはいかないじゃない。だから、「わかっているなら、10秒数えるうちに帰れ」と言ったら、向こうはあっさり帰っちゃったんだよね(笑)。せっかく小山に来たんなら、お祭りで買い物でもして地元にお金を落としてくれればいいな、と思ったけど(笑)。


かおりに手を出したら300人集まる!?

――女族は結成当初から、シンナー厳禁で、恋愛にも厳しいルールを課していたそうですね。


かおり:私は『花のあすか組!』『ビー・バップ・ハイスクール』みたいな、ちゃらちゃらしていないヤンキー漫画が好きで、硬派を目指していたんです。『花のあすか組!』は大勢いる中に一人で立ち向かう場面がカッコ良くて、私の理想の硬派はそれだったんですよね。薬物は私がシンナーの怖さを知ってしまったこともあって禁止しましたし、恋愛についてはまずヤリマンはありえない。ヤリマンを蔑んでいた時期でもあったからです。とにかく私の中では、硬派で一途がかっこいいという感覚でした。もちろん、クラブやディスコにも行きたいと思ったことはありましたけれどね。


――恋愛にルールがあったといいますが、かおりさんは名前も知られていたでしょうし、当時の写真を拝見すると美しくてなおかつかっこいいですよね。周りから相当モテたんじゃないですか?


かおり:それがね、男がぜんぜん寄ってこなかったんですよ(笑)。町を歩いていても、ナンパの兄ちゃんも誰一人声をかけてこなかったなあ。「かおりに手を出したら300人集まる」という都市伝説が流布されていたらしいんですが、私のバックにヤバい人がついていると思われていたみたい。特攻服ができあがった直後に集会をやったとき、周りからみかじめ料を徴収していたヤクザの若い衆がいたんです。私は払いたくないから、断るつもりで直接、組長のところに行ってしまったんです。喧嘩をする時ってそうでしょ。頭さえ押さえておけば、末端はどうにでもなるという考えがあったんだと思います。


――ヤクザの事務所に単身乗り込んだんですか!


かおり:事務所に行って「みかじめ料を払えと言われたけれど、払いません!」と言ったんです。そしたら組長は私に度胸があると思ったようで、「女一人で来るのは根性あるな!」「俺の愛人にならない?」と言われました(笑)。私は「なりません!」とキッパリ断ったけれどね。このときの一人で事務所に行った事実に、いろいろ尾ひれがついて広まっちゃったんでしょうね。


――かおりさんの喧嘩の強さはもちろんですが、芯の強さを感じるエピソードです。


かおり:喧嘩といえば、宇都宮まで友達と遠征したとき、私たちがカラオケボックスから出てきたら、駐車場でちょっと年上っぽいヤンキーな金髪のお姉ちゃんに、「おめえらどこのチームだ」と因縁をつけられたんです。私は「何、やんの?」と応じるわけ。すると、「おまえら小山なのか。小山のかおりって知らねーのかよ。かおりはあたしの友達なんだけどさ、あんた、このあたしに手を出したら小山にいられないよ!」とか、私を目の前にして言うわけ(笑)。笑っちゃうよね。私は「そんな奴、知らねーよ!」と言って、そいつを喧嘩でボッコボコにしたけどね。


――まさか、その子もかおりさんの名前を騙って、本人に喧嘩を売るとは運が悪すぎますね。かおりさんはボコボコにした後、水戸黄門や暴れん坊将軍みたいに正体を明かさなかったんですか。


かおり:明かさなかったね(笑)。明かしたときの反応を見たいという好奇心もあったけれど、言わないのもかっこいいじゃない。後から、喧嘩を売った相手がかおりだとわかったときの相手の顔を想像したら、面白いよね。こんな感じで、私の名前を悪用する人もいたんですよ。


「ティーンズロード」の伝説

――かおりさんの名前は北関東ではじわじわと有名になっていたわけですが、大洋図書が出していた暴走族雑誌「ティーンズロード」で紹介されて、かおりさんは全国的な知名度を獲得しました。「ティーンズロード」は既に廃刊になっていますが、レディースのみなさんにとって、どんな雑誌だったのでしょうか。


かおり:あの頃に暴走族雑誌は「ティーンズロード」のほかに、「ライダーコミック」「ヤングオート」「チャンプロード」などがあって、先輩からよく見せてもらっていました。「ティーンズロード」は私が読み始めた頃はまだレーシングチームが多くて、レディースは胡蝶蘭のひろみさんがちょっと出ていたくらいだったかな。私たちも若かったから、載っている他のレディースを見て、「なんだよこんな、ブッ細工な奴を載せんなよ」とか、「この煽り文句、ありえないんだけれど!」みたいに、勝手なことを喋っていましたね。


――初めて掲載されたのは何歳のころですか。


かおり:16~17歳の頃ですね。女族を結成して3~4か月くらいだったと思います。友達が勝手に編集部に応募して、取材に来てくれることになったんです。みんなに話したら凄く喜ばれましたよ。憧れの雑誌に載るなんて記念になるね、という感じでした。硬派と口では言うけれど、なんだかんだでみんなミーハーなんだよね。


――取材当日はどんな感じだったのでしょうか。


かおり:小山の運動公園に集まりました。全員で20人くらいですね。ところが、撮影が始まろうとしたら、どこから聞きつけたのか、赤い特攻服を着た地元の一個上の先輩たちが来てしまったんですよ。先輩たちは、勝手に女族の初代として取材されようとしたんです。


――それはさぞや、撮影会場が緊迫した状況になったのでは……。


かおり:私はかかっていこうと思ったんですが、撮影のスタッフも端っこでスタンバイしているから、手を出せないわけ。私が尊敬していた5個上の先輩に、「こんなの冗談じゃないっすよね」と言ったら、「かおり、相手を立ててやんなよ!」と言われちゃって。私はこの先輩に言われると弱いんだよね。だから、赤い特攻服を着た奴らに、「今回は写りたかったら写っていいけれど、終わったら帰れよ、二度と関わるな」と約束させました。


――結局、赤い特攻服のレディースは写真に収まったんですか。


かおり:それが、よりによって最前列に写っているんですよ(笑)。私なんか、真ん中の後ろあたりにサラシを巻いて写っているだけ。ひどくないですか。


倉科:僕は編集者としてこの撮影に立ち会っているんです。でも、そんな揉め事があったなんて、全然知らなかったな。かおりちゃんは当時からオーラがあって、雰囲気も大人びていたし、話も上手だったんだよね。後から、女族を作る前にクラブのママをやっていたと聞いて納得しました。


読者からのファンレターが殺到

――掲載後の反響はいかがでしたか。


かおり:反響が来たのが2ヶ月後くらいですかね。「ティーズロード」が出て、私たちは記念になったねと満足していました。すると、倉科さんから「かおりちゃん個人の取材をしたいんだけど、いい?」と電話があったんです。チームじゃなくて私個人なの、とびっくりしました。だって、載った写真ってさっきも言ったけれど、サラシ一枚で、しかも最前列でもないんですよ。


倉科:かおりちゃんの写真が載ったらファンレターや似顔絵が来て、とにかく読者の反響が凄かったんです。僕が取材したときにかおりちゃんから感じたオーラを、読者も誌面から感じ取ったんでしょうね。


――ファンレターが届くようになり、かおりさんの心境に何か変化はあったのでしょうか。


かおり:何度か掲載されるようになると、毎号の人気投票で私も上位に入るようになりました。私の似顔絵を描いてくれた子もいたし、人生相談もよく受けましたよ。印象に残っているのが、親の虐待を受けている子からの手紙ね。親が構ってくれなくて、不良になりたいけれどどうすればいいんですか、と聞かれました。ほかにも、いじめられているから相手にどう立ち向かえばいいのか、とか。私も必死に考えて返事を出していましたよ。


――かおりさんは女族を引退後、18歳で「ティーンズロード」のビデオのレポーターをやったり、誌面では他のチームの取材も行ったりと多彩に活躍しています。


かおり:よく、地方のレディースのチームを倉科さんと一緒にレポートに行きました。最初の取材で、私は絶対に喧嘩になると思ってドキドキしながら行ったら、全然逆で、みんなめっちゃフレンドリーなんですよ。「かおりさんだー!」「写真を撮ってください!」と寄ってくる子ばっかり(笑)。仕事はいろんなところに行けて、楽しかったですよ。


迷惑はかけたけど、レディースをやってよかった

 


――かおりさんは「ティーンズロード」で、今でいう読者モデルのような活躍をなさっています。特攻服のカタログでモデルをやったり、おしゃれな服を着こなしたりして誌面に登場していますね。


かおり:雑誌に出るようになってからは、前みたいに喧嘩ができなくなってしまったんだよね。ファッションにもこだわりがあって、硬派で見栄っ張りだったので、他のヤンキーの子たちとは別路線でいきたかったんです。私はあんまり髪の毛を染めなかったんです。中学のときに染めたのが一度きりで、以降はずっと黒。みんな染めているのに、私一人だけ黒だと目立つんですよ。服も柄物よりも、白や紫の単色のシックな感じが好きでした。


――ちょうど、当時の「ティーンズロード」が手元にあります。かおりさん、たくさん誌面に登場していますね。


かおり:読み返すと懐かしいし、この一問一答の質問が面白いね。「ケンカの得意技」に「パンチ、蹴り」はわかるけれど、「流血の経験は?」に、「月一回の女の日」、「好きな言葉」に「時は今、二度とない人生だから……」って、私、こんなこと答えていたんだ!? バカだろー(笑)!


――レディースの総長を務める重責を担ったことは、その後のかおりさんの人生にも影響を与えていると思います。やってよかった、つらかったことなどの想いをお聞かせください。


かおり:責任感を持って、人、仲間のためにと思ってやってきたことは、今もずいぶん生かされていますね。言葉は取り消せないので、自分の発言に対する重みと責任は痛感します。女族のときは周りに凄く迷惑をかけてしまい申し訳ないと思っていますが、一方で、レディースはやってみてよかったと思います。最近、当時のメンバーと交流する機会があったのですが、「かおりとやって良かった!」と言われたので、純粋に嬉しかったですね。私が今までやってこれたのは、私があまりにどうしようもないから周りがしっかりしてくれたおかげ。私は人に支えられてきましたし、恵まれた人生だったんだなと、最近になってひしひしとそう感じています。


 





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