2023年10月21日 08:11 弁護士ドットコム
不登校の人や還暦を過ぎた人、中卒のシングルマザー、中には少年院や暴力団にいた経験がある人も。そんな人生の回り道をした人たちを受け入れ、ゼロから勉強を教えている個性的な学習塾が広島県福山市にある。
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その「フジゼミ」は2004年の設立以来、とくに宣伝はしてこなかったが、難関大学の合格者が相次いだことなどが評判を呼び、現在は全国から生徒が集まっているという。一体、どんな塾なのか。(ノンフィクションライター・片岡健)
JR福山駅からそう遠くない閑静な住宅街。「フジゼミ」の塾舎は、二階建ての普通の住宅を改築した建物で、見るからにアットホームな雰囲気だった。 現在は約70人の生徒が在籍。近年、高校を中退した少年院出身の男性が早稲田大学に合格したり、42歳で入塾した元暴力団組員の男性が慶應義塾大学に合格したりするなど驚くような合格実績を挙げたことが評判を呼び、以前に比べると、現役高校生の生徒が増えているそうだ。だが、塾長の藤岡克義さん(47)はこう話す。
「学力、年齢、経歴は一切不問。ゼロから教え直す。それは塾の設立当初から変わりません」
フジゼミはこの指導方針に基づき、新たに入塾した生徒には、必ず基礎力テストを実施。その結果に基づき、生徒一人一人の実力に合わせて指導している。たいていの生徒は小学校、中学校のレベルからのやり直しになるそうだが、反復学習で基本基礎から徹底的に固めているという。
また、「うちは生徒が毎日来るのが前提です」と藤岡さん。フジゼミでは、生徒が毎日長時間勉強できるように自習室は日曜日以外の週6日、朝10時から夜10時まで開放。生徒たちは自習中、近くにいる講師にいつでも質問や相談ができる。こうした「勉強漬けになれる環境」も塾の特徴という。
自習室で勉強していた生徒たちにも話を聞いてみた。
遠藤文誉さん(20)は埼玉県出身。地元の高校を卒業後、独協大学の経済学部に入学したが、好きだったプログラミングを勉強できる理系の大学に行きたいと思い、中退。現在は二度目の大学受験のため、一人暮らしをしながらフジゼミで学んでいる。
「受験に必要な物理は、現役の頃に勉強していなかったので、普通の予備校では勉強についていけないと思ったんです。フジゼミで物理を勉強してみて、基礎がおそろかになっていたことがわかり、基礎からやり直せて良かったと思いました」 フジゼミでは、他の生徒たちとの交流も良い刺激になっているという。
「高校を中退した人やニートだった人、専門学校を一度卒業した人など、ここには今までの人生で会ったことがないような色んな人がいます。そういう人たちと話したりしていて、視野が広がりました」
一方、徳島県出身の長井正彦さん(24)は高校卒業後に4年、工員として働いたが、夜勤のある仕事で心身共に疲弊し、退職。そんな時、フジゼミで勉強し、慶應義塾大学に合格した元暴力団の男性が取材を受けていたテレビ番組を観たのをきっかけに大学受験を志し、単身で福山にやってきた。第一志望は首都圏の私立大学の文学部地理学科だ。
「体験授業の時は先生が何を言っているのかわかりませんでしたが、塾に入ってゼロから勉強を始めて、英語の長文が読めるようになりました。やはり基礎が大事なんだな、と思っています」 塾内の人間関係については、こう話す。
「塾長も他の講師の人たちも勉強以外のことでも相談にのってくれます。高校生の生徒たちとは5歳くらい離れていますが、トシの差を感じることはなく、同じ目標に向けて頑張っている戦友のような感じです」
ゼロから始めた者同士で切磋琢磨し合えることも学習意欲の向上や維持につながっているようだ。
このようなフジゼミの独特なスタイルは、どのように生まれ、どのように確立されたのか。背景にあるのは、塾長の藤岡さん自身の経歴だ。
2004年1月にフジゼミを始める前は大手ゼネコン・大林組で働いていた藤岡さんだが、実は自分自身も中学卒業後に回り道し、ゼロから勉強をやり直した人だ。
「10代の頃はチンピラのようなことをしていました」
藤岡さんは屈託なく話すが、その経歴はかなり破天荒だ。中学時代から非行に走り、高校は2回進学しながら2回とも中退。16歳の時、友人が無免許運転する車の助手席に乗っていて事故に巻き込まれ、右目の視力を失った。職を転々とし、19歳の時はトイチの金貸しや違法なゲーム喫茶の店長をしていたという。
この当時、藤岡さんは同い年の友人たちよりはるかに多くの収入があった。しかし、将来に漠然とした不安を感じていたという。
「ゲーム喫茶などの仕事はいつか行き詰まるのはわかっていました。実際にそうなった時、他にどんな仕事をするか考えてみても、中卒の自分には、魅力的な選択肢が思い浮かばなかったんです」
そんな中、転機となったのはゲーム喫茶の女性オーナーの言葉だった。
「あなたは頭がいいんだから、こんなところにいたら勿体ない。通信制の高校でもいいから卒業して、表の社会に行きなさい」
藤岡さんはこのオーナーの言葉を素直に受け入れ、試しに大学入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)、いわゆる「大検」を受けてみた。すると、まったく勉強していなかったのに、合格に必要な11科目中10科目に一発で合格した。
そしてこの時、それまで思いもしなかった将来の新たな選択肢が見つかった。「大学進学」だ。
「当時の自分には、大学に行って何があるかはわかりませんでした。でも、自分の目指すべき“正解ルート”は、大学に行った先にあるという確信めいたものがありました」
藤岡さんは19歳の時の決断をそう振り返る。
もっとも、大検では良い結果が出たとはいえ、藤岡さんは中学の途中からまったく勉強していなかった。大学進学のための受験勉強はどうすればいいのか。何もわからなかった藤岡さんが友人の紹介により訪ねたのが、塾や予備校ではなく、「近所の呉服屋」だった。
「その呉服屋のおっちゃんは、同志社大学の英文科を出ていて、近所の子どもたちを店に集め、趣味で勉強を教えているという人でした。大学に行きたいと相談したら、『2年かかる』と言われ、私は『2年で大学に行けるのか』と感動し、全部をなげうってでもここで勉強しようと思ったんです」
一念発起した藤岡さんは、本当に仕事を全部やめ、呉服屋の2階で毎日、朝から晩まで10時間勉強する生活に切り替えた。
「最初、国語は小学校4年生の漢字ドリルと国語ドリルからやらされ、英語はおっちゃんが言う例文をひたすら書き写させられました。一対一だから、勉強についていけないということもなく、勉強漬けになれる環境でひたすら勉強しました」
こうした日々を過ごし、実力がついていく中、藤岡さんは「おっちゃん」から「今年ひょっとしてひょっとするかもしれんぞ」と言われ、模試も受けずに大学入試に挑戦した。その結果、実際に進学した国学院大学の経済学部をはじめとする複数の大学の複数の学部に合格。当初の目標より早く1年だけの勉強で大学進学を果たした。
「ゼロから教える」「勉強漬けの環境を用意する」「講師にいつでも質問できる」などといったフジゼミの指導法は、「呉服屋のおっちゃん」に教わった藤岡さん自身の成功体験がベースになっているわけだ。
「大学生活は、想像したより数百倍楽しく、数百倍世界が広がりました」
藤岡さんは大学時代をそう振り返る。何より貴重な経験になったのは、本気で勉強したい学生たちが集まるインカレのゼミへの参加だった。
「経済」「グローバル」「地方分権」という3つの部会に分かれ、部会ごとに勉強会を行っていたそのゼミで、藤岡さんは経済部会に所属。東大や早慶など名門大学の学生たちと議論を繰り返し、大企業の会長や有名大学の教授を招いた講演会を開催したりした。
そんな日々を経て、卒業後はゼネコンか、不動産業界で働きたいという思いを抱いた藤岡さんは、希望通り、大林組への就職を果たした。高校を中退し、ゲーム喫茶の店長をしていた10代の頃からすると、ドラマや映画のような逆転人生だ。
ところが、藤岡さんは大林組を3年でやめ、故郷の福山市で学習塾を始める道を選んだ。この大胆な転身のきっかけは、入社2年目に帰省した際の飲み会での出来事だ。
その飲み会には、中学時代の友人が30人ほど集まっていたが、誰もが中卒、高卒で、大学に進学したのは藤岡さんだけだった。大企業でエリートコースを歩んでいた藤岡さんは、友人たちから「すごいな」「すごいな」と言われたが、素直に喜べなかったという。 「中学時代に一番仲の良かった2人のうち、1人はニートで、もう1人は覚醒剤中毒になっていました。2人とも元気がなく、『お前はいいなあ』『俺はだめだ』などと言ってきて、それが私にはショックでした」
自分はこのままでいいのか。この時以来、藤岡さんはそんなことを考えるようになった。そして思い出したのが、「呉服屋のおっちゃん」のもとで勉強した日々だった。
藤岡さんのもとには、当時使ったノートや問題集など受験勉強の記録が積み上げれば1メートルくらいの高さになるほど残っていた。これをもとに自分が教わったゼロからやり直す勉強をシステム化すれば、多くの人が自分と同じように勉強ができるようになるのではないか。藤岡さんはそんな思いが日増しに強くなった。そして思い切って会社をやめて、学習塾を始めることを決めたという。
フジゼミの設立に際しては、数学が得意だった貿易会社勤務のお姉さんも頼み込んで講師になってもらい、講師2人体制でスタートした。教室は家賃9万5000円、3LDKのマンションの一室。宣伝はせず、中卒の友人たちに声をかけるなどして生徒を集めたところ、男性の友人は誰ものってこなかったが、女性の友人が2人入塾してくれた。
1人は、ラーメン店などの仕事を掛け持ちしながら3人の子どもを育てているシングルマザーの女性。もう1人は、高級クラブの売れっ子ホステスだが、将来を考え、もともと憧れていた保母になりたいと考えていた女性だ。このほか、高校を中退して引きこもっている男性が2人と高卒で24歳のフリーターの男性も入塾し、当初の生徒は全員で5人だった。
この一期生5人の学力は、藤岡さんたちが想定していたよりずいぶん低かったという。
「3人の子どもがいる女性は九九や筆算ができませんでした。このレベルから教え直さないといけないから、どうやったらわかるかな、と工夫しながらやっていきました」
藤岡さんが英語、お姉さんが数学の指導を担当したが、2人とも人に勉強を教えた経験は無く、最初の2年間は手探りだった。だが、この一期生たちが結果を出してくれた。
九九や筆算ができなかった女性は、准看護学校に合格。その後、准看護師をしながら正看護師の資格も取り、子ども3人を大学まで行かせた。ホステスだった女性は短大に合格し、憧れだった保育士に。不登校だった男性の1人は日本大学に合格した。
この一期生たちの結果は、藤岡さんにとっても自信になったという。
「塾に通って東大や京大に行くのは凄いことです。でも、『3人の子どもがいるシングルマザーが看護師になった』とか『ホステスが働きながら短大に行って保育士になった』『不登校の子が日大に行った』などというのとどっちが凄いかといえば、どっちも凄い。それが私の考え方です。後者を追っている塾は他に無いので、そういう意味で手ごたえがありました」
その後、フジゼミは難関大学の合格者も出るようになったことなどから、生徒が増え、普通の高校生や浪人生も入塾してくるようになった。しかし、今も一期生たちのような学力の人が学べる高卒認定コースや、看護受験コースなどは続けている。
「生徒を難関大学に行かせたいという思いはありますが、それだけを目指す塾にはしたくないんです。勉強にかけられる時間や学力は生徒一人一人みんな違いますから」
指導は生徒一人一人に合わせてオーダーメイド。それもフジゼミの変わらない特徴だ。
2004年1月に開校し、もうすぐ20年。この間、塾で学んだOBたちの存在もフジゼミの財産になっている。OBたちが塾に来て、自分の経験を話してくれることが現役の生徒のモチベーション向上につながっているからだ。
「うちで勉強し、4年遅れで青学に行ってテレビ局に入ったOBや、大学時代にベンチャー企業を起こしたOBが『自分は大学時代、こういうことをしたよ』とか『大学に行けば、将来こんな可能性があるんだよ』とかいうことを話してくれています。先輩が後輩にたすきリレーをするような形になっているんです」
そう語る藤岡さん自身も塾経営のモチベーションが上がった忘れられない思い出がある。『家栽の人』などの作品で知られる漫画原作者で、中津少年学院で篤志面接委員を務めていた故・毛利甚八さんにかけられた言葉だ。
「毛利さんによると、少年院などの矯正教育は、『やったことを反省し、これから先は社会をちゃんと支えるような人間になっていきなさい』という教え方をしていて、危険物取扱者などの資格を取らせたりするそうです。毛利さんは、『そういう子たちでも進学できる可能性を示したという意味で、フジゼミの存在意義は大きい』と言ってくれました。それは嬉しかったです」
そして現在、フジゼミが新たに取り組んでいるのがオンラインでの遠隔指導だ。
「指導法のノウハウは全部、ネットで無料公開しつつ、個別指導をオンラインで行います。今は世の中に情報があふれているので、基礎固めと正しい勉強法が確立できていれば、あとは自分一人で伸びることが可能です。そこまでいくには3カ月あればいいので、それを集中的に鍛えます」
来年(2024年)1月には、塾史上で最高齢の生徒となる75歳の男性が大学進学を目指し、東京から単身でやってきて、入塾する予定だという。
「今いる生徒たちに刺激になると思うし、相乗効果もあると思っています。楽しみにしています」
学力、年齢、経歴は一切不問。そんなオンリーワンの塾でまた新たに何か凄いことが起きるかもしれない。