トップへ

アイナ・ジ・エンドが『キリエのうた』を経て見つけた生きる理由。「自分は本当にBiSHが好きだったんだな」

2023年10月19日 12:10  CINRA.NET

CINRA.NET

写真
Text by 三宅正一
Text by 川浦慧
Text by 小財美香子

アイナ・ジ・エンドが映画初主演を務める岩井俊二監督の最新作『キリエのうた』が公開される。アイナが演じるキリエ(路花)は、人と上手く話せないが歌を歌うことはでき、その歌声の求心力で道行く人を惹きつける謎多き路上ミュージシャン。以前からキリエの存在を知っている広瀬すず演じるイッコとの出会いから物語が始まり、過去と現在の時間軸が交錯しながら、2人の真実があきらかにされていく。

筆者が3時間に及ぶ本作を観て率直に感じたのは、これは岩井俊二がアイナ・ジ・エンドというシンガーソングライターの生き様をリアルなファンタジーとして描くために物語を紡ぎ、あるいはアイナ・ジ・エンドという全身表現者の被写体をいかに生々しい美しさと気高さをもって映し出すために全精力を注いだ映画だ、ということだ。

2023年6月29日に東京ドームでラストライブを行なったBiSHの解散後、アイナは間断なくソロアーティストとしての活動をスタートさせ、そしてシンガーソングライターであり主演俳優という立場で『キリエのうた』の公開と、Kyrie名義のアルバム『DEBUT』のリリースを迎えた。

アイナ・ジ・エンド、彼女はいまこの時、表現者として何を思うのか。限られた時間のなかで、率直かつ真摯に語ってくれた。

─ご本人は肯定しづらいと思いますが、完全にアイナ・ジ・エンドのためにつくられた映画だと思いました。

アイナ:(恐縮しながら)ええっ、本当ですか? そうおっしゃっていただけることはすごくうれしいけど、やっぱり私としては岩井俊二さんの世界に飛び込んだという感覚が強くて。ただ、たしかにいただいた役がめちゃくちゃ自分のようだったので。

─ですよね?

アイナ:はい。それはかなり自分にとっても大きなことでした。だからおっしゃっていただいたことも腑に落ちるところはあります。「だって、それくらい『キリエ』の世界に没頭してたもん」って思えるので。

アイナ・ジ・エンド
大阪府出身。2015年3月に“楽器を持たないパンクバンドBiSHのメンバーとして始動。2021年よりソロ活動を本格化させる。2023年6月29日に東京ドームのラストライブにてBiSHが解散し、現在は表現者としてマルチに活躍中。10月18日にはKyrie名義でアルバム『DEBUT』を発売。

─岩井監督の世界に飛び込んだというのもまさにその通りだと思うのと同時に、岩井監督作品におけるリアルとファンタジーの真ん中に「全身表現者」とでも喩えたくなるアイナさんが3時間ずっと立ち続けているという印象が強くありました。

アイナ:ありがとうございます。今回、たくさんインタビューを受けているなかで、そういった言葉をいただけたのは初めてです。

なんていうか……スクリーンで自分の姿を見ると、やっぱり顔がちょっと個性的なので。正直、幼いころから映画に出る人は顔がめっちゃかわいくないと無理だろうと思っていたし、実際にここまでまったく自信のない人生だったからこそ、人がやってないようなダンスをしよう、人が歌ってないような歌を歌おうって、そういうふうにして自己肯定感を高めてきたんですね。だから、小さいときから奇をてらってるわけじゃないけど、自分は普通ではない感覚がずっと宿っていたと思うんです。

─自分を受け入れて、肯定するために。

アイナ:はい。でも、それって劣等感なんですよね。本当は人とわかり合いたいのに、どこかで「自分なんかがわかり合えると思ったら大間違いだ」って思ってしまったり。そういうひずみが私のなかに確実にあるんです。

岩井さんの映画には、たとえば『undo』(1994年)にしても『PiCNiC』(1996年)にしても『スワロウテイル』(1996年)にしても、そういう「ひずみ」を題材にしたような作品が多いじゃないですか。だから初めて岩井さんの映画を観たときから好きでしたし、「私のひずみを肯定してくれる」って思ってました。そういう意味も含めて、岩井さんの作品には自分みたいなもんでも飛び込んでいいんだと思えたんですよね。だから、最初から最後まで「なんでも撮ってください」という思いでやり切れた撮影だったんです。

©︎2023 Kyrie Film Band

─精神的にも肉体的にもハードなシーンがかなり多いですよね。

アイナ:はい。でも、そういう過激というか、危なっかしいシーンもなんの物怖じもしなかったです。「岩井さんの世界なら、なんだってするんだ」という気持ちでいました。実際にそういう気持ちで岩井さんの世界のなかで生きることができたから、さっきおっしゃっていたような印象を持っていただけたのかな、って。

─アイナさんのなかでもここまで身を預けることができたのは岩井俊二作品だったから、というポイントがとても大きいんですね。

アイナ:そうですね。あとは岩井さんの歳もお父さんと同じくらいだったので(笑)。

─安心感があった?(笑)。

アイナ:そうですね。同世代の人たち特有の勇ましさというより、年齢を重ねている方だからこその達観してる勇ましさがあって。そこがとても魅力的でしたし、そこに身を委ねることは難しくなかったんですね。

─アイナさん自身、もともと世代がかなり上の人が指揮を執ってる現場のほうがパフォーマンスしやすいと自覚してるところもあるんですか?

アイナ:いや、そこはわからないです(笑)。ただ、音楽のフィーチャリングのお仕事とかも9割くらい年上の方とのお仕事だし、最近だと岩井さん、布袋(寅泰)さん、小林武史さん、亀田誠治さんと、大御所の方たちとたくさんお仕事させていだいていて。それは本当にありがたいことだし、そこで培った実力もあると思うんですけど、ずっと娘気分、妹気分なんですよね(笑)。だから、これからは同世代や年下のアーティストの方ともお仕事したいなと思ってます。

─映画の撮影はBiSHの解散に向かう活動と並行していたと想像するのですが、実際に『キリエのうた』の撮影はいつごろ行われていたんですか?

アイナ:2022年2月にすずちゃんとの雪のシーン──帯広の雪の絨毯に飛び込んで歌うシーンから始まって。そこから、夏は『ジャニス』というミュージカルがあったのでその期間は完全にお休みをいただいて。また10月から街中のフェスなどの音楽シーンを中心に撮影していました。四季を跨ぎながら約1年通して撮影していましたね。

─そこにBiSHの活動もあるわけで。さらにはあいだに『ジャニス』の主演も挟んでいたんですか。ちょっと激動すぎませんか?

アイナ:そうですね(苦笑)。一時は微熱がずっと出てたり、社長(WACKの渡辺淳之介代表)に限界の電話をしたり。「もう、全部無理です」みたいな(笑)。

─言い方はよくないかもしれないけど、よく壊れなかったですね。

アイナ:きっと去年は人生のなかで一番過酷で忙しかっただろうなって思います。

─全部から逃げないという覚悟を決めていたんですか?

アイナ:自分はわりと楽観的なほうだなとは思っていて。忙しいことも「エモい」とか思いながら、なんやかんややれてしまうというか。ただ、それはもちろん簡単なことではないんですよね。上手く眠れないときもあるし、夜通し吐いたりとか、そういう日もあるんです(笑)。

微熱が続いてご飯が食べられなくて、社長に「もう無理です」って電話したら、次の日に映画の撮影現場に来てくれて。「がんばれ」って喉のケアグッズを大量に差し入れしてくれたり。それで「がんばろっかな」って思えたりしました。そうやって人の助けとか、BiSHのメンバーと楽屋で笑い合える時間があって復活していましたね。ずっとジェットコースターに乗ってるような感覚でしたけど。

─『キリエのうた』の撮影中にはもちろん、『ジャニス』のことは考えられないわけじゃないですか。もちろん逆も然り。

アイナ:そうですね。

─さらに『キリエのうた』も『ジャニス』もBiSHのことを切り離さないと体現し難い役柄でもありますよね。しかも両作品とも主演で。どのようにスイッチを切り替えていたのかなと。

アイナ:スイッチを切り替える術みたいなものは持ってないです。それが一番難しかったことでもあります。キリエ(路花)として生きてるときはほぼスッピンだったので、メイクをしてない状態でずっと撮影するじゃないですか。だから顔とかも手でめっちゃ擦ったりするし(笑)。

でも、アイナ・ジ・エンドでいるときは基本的にメイクをしている。そんななかで、BiSHは去年、2つのツアーを同時に回っていたんですけど、ライブハウスに着いて「本番、15分前です」って言われるまでメイクの仕方がわからなくなって。「あれ、メイクってなんだっけ?」みたいな。

「なんだろう? 心がおかしいな……」ってなってました。ライブ中にシャウトが上手くできなかったり。メンバーとも目を合わせて話せなくて、鼻とか見ちゃうんですよ。そのときはキリエの心がずっとあって。そうやって自分をコントロールできない時期もありましたね。

©︎2023 Kyrie Film Band

©︎2023 Kyrie Film Band

アイナ:でも、私にはメンバーという宝人間たちがいたので。特にハシヤスメ(・アツコ)は私がそういう状態になっていた時期に楽屋で超話しかけてくれたんです。他愛もない話をしてくれたり、コンビニで買った食玩を急に「あげるよ」ってくれたり(笑)。メンバーがかなり心の支えになってましたし、メンバーと話すことで「いまはアイナ・ジ・エンドモードだ」って取り戻せるというか。

─むしろ多忙のなか、BiSHの現場があったことで助けられた。

アイナ:そうなんです。ステージに立ったら、ファンの人たちが振り付けを一緒にやってくれてる光景を見たときに「あ、いま、私はアイナ・ジ・エンド」なんだって思えた。そうやって自分が蘇ってくる感覚が、本当にBiSHの現場でありましたね。救いでした。

─BiSHが解散して、こうやって一人で主演映画のプロモーションを受けているときに一抹の寂しさを覚えたりするものですか?

アイナ:いまは寂しさを感じてなくて。解散して1か月くらいは喪失感で何も手につかなくて、ザ・ビートルズの“Blackbird”をギターでひらすら練習する時を過ごすということをやっていたんですけど(笑)。

じっとしていたら涙が出てきてしまうというか、「ああ、自分は本当にBiSHが好きだったんだな」と思って。でも、それもずっと持てる感情ではないと思うんですよね。新しいしんどいことがあったら、忘れるし。だからいまはキリエモードでプロモーションをがんばるぞという感じで切り替えてます。

─アイナさんはとてもタフですよね。

アイナ:タフなのかな? 身近な友だちとかにはそう言われますね。

─身近な人ほど心配もしているとも思うけれど。

アイナ:ああ、うん、そうですね。

─『キリエのうた』も『ジャニス』もどちらかを断って、どちらかをやるということは一切考えなかったですか。

アイナ:『ジャニス』が先に決まっていたんですね。そのあと『キリエのうた』のオファーをいただいて、岩井俊二作品と聞いただけで「やるしかない!」となっちゃいました(笑)。本当に人生で一番キツい1年だったと思います。

ジャニス・ジョプリンも27歳で亡くなった人なので、公演中はそこに引っ張られて自分も「死のう」みたいなことを考えてしまったこともありました。でも、ジャニスの公演が終わった次の日に『SWEET LOVE SHOWER』でBiSHのライブがあって。

─そのスケジュールもすごすぎるんですけどね。

アイナ:でも、そこでさっき言ったメンバーやお客さんに救われるような感覚があって。そこに生きていく理由があったんですよね。メンバーと練習してライブをすること、お客さんに会うことが生きていく理由でした。もし『ジャニス』が終わってBiSHの現場もなくて、映画の現場が続いていたらたぶんヤバかったと思います。

─幼いころから持っていた劣等感を昇華するということが、動力になってるのでしょうか?

アイナ:劣等感が動力になっていた時期もあったんです。それが『THE END』(2021年2月リリース)という1stアルバムのころで。「自分なんて」とか「自分はこんな人間です」と思いながら、「それでも生きていくしかない」という私小説をアルバムにしたという感じで。そこで正直、出し切ったんですよね。

アイナ:で、2枚目のアルバム『THE ZOMBIE』(2021年11月リリース)は正直、いま振り返るとブレてるなと思うところがあるんですね。まだ劣等感もあるのに次の段階に進んでる自分を誇っているのが2ndアルバムで。そこからいまは少し開けてきてる感覚があるんです。なんて言ったらいいのかな? 前向きに音楽と向き合えている気がしてます。

─そうなれた理由は自己分析できてるんですか?

アイナ:やっぱり去年、キリエとジャニスを演じたからだと思います。キリエという役にも死生観が大きく横たわっているし、ジャニスも死がつきまとうシンガーだったので。それについてめっちゃ考えていた1年だったし、8年間やり遂げたBiSHが、ずっと夢だった東京ドームで解散できたり。

いろんなことを自分は達成できたんだと思えるようになったというか。こんな自分でも夢は叶えられるんだ、と思えてから開けだしましたね。

─自分の表現がこれだけの人に届き、動かせられるんだという実感をいろんな現場で感じることができて、やっと自分を認めることもできた。

アイナ:そうかもしれない。すごい、一番深い話をしてるインタビューです(笑)。

ここ2、3年ですかね。いままではエゴサをすると普通に「キモい」とか「死ね」とか出てきて、「え、そんな?」と思うようなことを書かれるようになったんです。前はいちいち傷ついていたんですけど、いまは自分でも面白いくらいポジティブに「ほんまに死んだらどうするの? あなた殺人犯になるで? そんなん言わんほうがいいんちゃう?」って思えるというか。「ほんまに人はその一言で死ぬこともあんねんで」って昔は思えなかったんですよね。

─当然だけど、そんなことを書かれたらつぶれそうになりますよね。

アイナ:はい。「そっか、やっぱり死んだほうがいいんか」って傷ついていたんですけど、本当にキリエとジャニスを経て変わりましたね。

─キリエとご自身のシンクロニシティは撮影をしながら感じていったんですか?

アイナ:撮影が終わってからのほうが強いですね。ただ、たとえば自分も4歳からダンスをやっていて、人と上手くお話ができなくて学校に行かなかったりしたことがあったり。でも、ダンスは辞めなかったし、言葉を介さないコミュニケーションのほうが友だちができたし、しゃべると友だちが減るみたいな。そういう時期もあって。

路花ちゃんも小さいときから声をうまく出せないけど、歌は歌える。歌を歌っていたら、大切な人が近くにやってくる。そういうところはちょっと似てるなって。だから、自分の心の引き出しをガッと開けて、上手くしゃべれなかった小さいときの自分を引っ張って、いまの自分の心にパズルのピースのようにはめる感じでした。だから、役作りはしてなくて。過去の自分を引っ張り出すような感じだったんです。

©︎2023 Kyrie Film Band

─アイナさんの歌唱シーンも映画の中軸を担っているわけですが、カバーもかなり多いですよね。オフコースの“さよなら”などの古い曲よりも、“Lemon”や“ドライフラワー”、“マリーゴールド”などアイナさんと同時代の曲をカバーするのは心情的にもかなりハードルが高かったんじゃないかと思ったんですね。そのあたりはどうですか?

アイナ:ああ、なるほど。そこも私は路花と似ていて、もしかしたら自分のよくないところでもあるんですけど、いつまで経ってもインディーズ精神というか。『NHK紅白歌合戦』に出たり、東京ドームのステージに立ったり──って、いまも口にしてみたけど、やっぱり自分だけで達成したことではないので。どこかでチームやファンに連れて行ってもらったという感覚もあるんです。

あとは、たとえば一人で焼肉を食べに行ったり、天一(天下一品)に行ったりしても気づかれなかったりとか。『紅白』に出たらもっと街中でも気づかれて大変になるのかなと思ってたんですけど(笑)、意外とそんなこともなくて。それもあっていまもインディーズ精神が消えないんですよね。だから、同時代に大ヒットしているJ-POPを歌うことにも、いい意味で自分と距離感があるんですよ。

─あくまで時代を彩ってる曲として歌える。

アイナ:そうそう、それです。自分がいま生きてる世界は、やっぱりこの道の端っこの暗がりにあるという感覚はずっとあるんですよね。

─ストリートマインドがね(笑)。

アイナ:そう! そうかも(笑)。

─そのマインドはアイナ・ジ・エンドというソロアーティストがさまざまなことが成し遂げていくことで変化していくと思いますか? それとも自分はずっと地べたの感覚を持ち続けると思いますか?

アイナ:地べたの感覚を持ち続けると思いますね。もともとコンテンポラリーダンサーなので、それこそ「地面を舐めるようにして踊りなさい」とか「地面があっての踊りです」ということを教えてもらってきたので。

だから、ずっとストリートとか地面が好きなんだと思う。暗がりも好きだし、天井のない空も好き。基本的に下にいたいんですよね。ご飯も床で食べたり(笑)。そういう感覚はすべてにおいて変わらないと思います。

─ある意味では、ずっと孤独を大事にしていたい人なのかなと思います。

アイナ:そうかもしれないです。でも、毎日のように友だちと飲み明かしてる同年代に憧れたりしますけどね。「俺らは10年、このライブハウスで育った」みたいなバンドとか。私はずっと1人でやってきて。で、BiSHになって、BiSHがすごく大切な場所になって。なんて言うのかな? たとえば私は明るめの、「友だち最高!」みたいな映画でお芝居はできないと思います(笑)。だから、本当に岩井さんでよかったと思うんです。

─今日、この時点では音源としてKyrie名義のアルバム『DEBUT』の全貌を聴けてないんですけど、小林武史さんとの制作はアイナ・ジ・エンド名義のソロとも、もちろんBiSHの制作とも様相が異なったと思います。その経験はどうでしたか?

アイナ:いや、最高でした。誤解を生みたくないけど、本当に昭和だったんです。

─それはレコーディング環境が贅沢だったりとか、そういうことですか?

アイナ:そう! いまってだいたい歌を録るときでも13時から17時まで、休憩はその内の1時間って決めてレコーディングするじゃないですか。でも、小林さんとのレコーディングは1時間小林さんとしゃべって、1時間歌を録って、「今日はもういいか」って解散するとか。途中で犬が遊びに来て、ずっと犬と戯れてるだけとか。そういうことがザラにあって。

もちろん、ガッツリ録るときもあるんです。音楽に対して余白を持った向き合い方が贅沢だなと思いました。「だから小林さんはこんなに自由なんだ」って思った。邪念にまみれて、くすんでいくことがよくある世界でもあるのに、小林さんはまるっきり透明な感性の水でひたひたなんですよ。音楽で心が泣けるし、笑えるし、音楽に救われてる人で。そんな小林さんを目のあたりにしたときに「音楽はここまで自由でいいんだ」って思えた。自分の感覚がすごく変わったし、より音楽が楽しくなりました。

─キリエとしてリリックを書くのも特殊な体験だったと思います。

アイナ:本当にそうですね。キリエは小学生から人と話せなくなってしまって、だけど歌は歌えるという子だったので。人と言葉を交わしてないから、そんなに言葉を知らないのかなって。だから楽しい、うれしい、悲しい、寂しい、とか。わかりやすい単語を使うことを意識して。

アイナ・ジ・エンドで作詞をするときは、たとえば「楽しい」ことを「華々しい時間だった」とか言い換えるだろうけど、キリエはしない。一方で、“燃え尽きる月”とかは〈月ぐらいなら 行くよ〉って、あどけない勇ましさを描いていたり。そういうあどけなさを意識して歌詞を書いたと思います。

©︎2023 Kyrie Film Band

─時間がなくなってきてしまったので、最後に。アイナ・ジ・エンドとしてもちろんこれからシンガーソングライターとして生きていくのは間違いないと思いますが、俳優としても表現していきたいと思ってますか?

アイナ:そう思ってはいるんですけど、やっぱりいろんな面で私は癖が強いと思うので。自分の顔に関しても自信は一生ないと思うし、あとは今回、岩井さんの作品だったから全力で臨むことができたと本心で思っているので。正直、まだ「俳優の世界で生きていきたい」って胸を張って言えるような感じではないというか。

─これからも俳優としてのアイナさんを求める映像作家がたくさん手を挙げると思いますけどね。

アイナ:本当ですか? そうなったらうれしいなぁ。そうであるなら、がんばってもいいかもしれないっていま、思いました。