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『キリエのうた』公開。岩井俊二の音楽映画に見るChara、Salyu、アイナ・ジ・エンドの歌と、物語に与えるもの

2023年10月18日 18:10  CINRA.NET

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Text by 柴那典
Text by 川浦慧

岩井俊二監督の新作映画『キリエのうた』は、アイナ・ジ・エンド演じる路上ミュージシャン・キリエが雪原に埋もれて寝そべりながら歌うシーンから始まる。

冒頭から、真っ白なその光景の美しさと、どこか現実から疎外されて聴こえる歌声の鮮烈な響きに胸を掴まれた。単に歌が上手いというだけではない。ハスキーな歌声には一度聴けばそれとわかる強い記名性がある。そこに、特別な何かがある。それが本作の魅力を牽引している。

岩井俊二自ら「音楽映画」と位置付ける本作では、『スワロウテイル』(1996年)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)に続き、音楽家 / 音楽プロデューサーの小林武史が主題歌と劇中音楽を手掛けている。主演は今作が映画初主演となるアイナ・ジ・エンドだ。

岩井俊二監督のインタビューによると、原型となる物語を執筆しているときにアイナ・ジ・エンドのことを知り、その存在に大きく触発されたことが制作のきっかけになったという。当時はまだBiSHの活動中だったが、グループよりもROTH BART BARONの三船雅也とのユニットA_oや2021年にリリースされた1stソロアルバム『THE END』の楽曲のほうが決め手になったという。

そのことを知って、腑に落ちた。『キリエのうた』はアイナ・ジ・エンドありきで成り立っている作品だ。BiSH時代はあまり前面に押し出されていなかったソロアーティストとしての彼女の繊細さやヴァルネラブルな魅力を大きく引き出した映画である。

本作は、『スワロウテイル』や『リリイ・シュシュのすべて』がそうであったのと同じように、映画の物語のなかだけでなく、その外側で音楽が大きな役割を果たすプロジェクトになっている。

岩井俊二×小林武史のタッグは、これまでも音楽と映画を連動させ、虚構と現実が折り重なるようなかたちで作品を発表してきた。

『スワロウテイル』では主演のCharaが架空の都市「円都」に暮らす娼婦のグリコを演じている。劇中で彼女がボーカルをつとめるバンド・YEN TOWN BANDは実際にシングル“Swallowtail Butterfly ~あいのうた~”とアルバム『MONTAGE』をリリースし、ともに当時のチャートで1位を獲得するヒットとなった。

『リリイ・シュシュのすべて』は、カリスマ的な人気を持つ架空のシンガーソングライターLily Chou-Chouの熱狂的なファンである14歳の少年を巡る物語だ。劇中ではほとんど姿を現さないLily Chou-Chouは当時新人だったSalyuが演じ、一方で、小林武史とSalyuと岩井俊二による実在のユニットとしてのLily Chou-Chouはシングル“グライド”、“共鳴(空虚な石)”とアルバム『呼吸』をリリースしている。

昨年に公開された映画『アフター・ヤン』でMitskiが歌う“グライド”のカバーが引用されるなど、『リリイ・シュシュのすべて』が日本だけでなく韓国やアジア各国など海外のクリエイターに深い影響を与えた作品であることも特筆すべきだろう。

そして、いまでこそ映画やドラマやアニメなどフィクションの登場人物の名義で楽曲やアルバムがリリースされ、キャラクターや物語と連動してヒットするという例は珍しいものではなくなったが、『スワロウテイル』と『リリイ・シュシュのすべて』はその先駆的な存在だったと言える。

『キリエのうた』も、そういう系譜の中に位置づけられる作品だ。

9月26日には、役名のKyrie名義による主題歌“キリエ・憐れみの讃歌”が配信リリースされ、MVが公開された。

10月18日にはKyrie名義のアルバム『DEBUT』もリリースされた。小林武史が書き下ろした主題歌や、アイナ・ジ・エンド自身が作詞作曲を手掛けた劇中歌“名前のない街”など全12曲を収録した1枚だ。

この“名前のない街”は劇中でも印象的なシーンで使われている。物語は、歌うことでしか声を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエと、そんなキリエを新宿駅南口の路上で見かけマネージャーを買って出たイッコ(広瀬すず)との出会いから始まる。そのときに歌っていたのがこの曲だ。

また、イッコに連れられて音楽プロデューサーの男と喫茶店で出会ったキリエは、「ちょっと歌ってみてよ」と言われ、“名前のない街”の冒頭の<聞きたくないや 雑音ばっか>というフレーズをアカペラでシャウトする。その声量に喫茶店の客たちがギョッとして思わず振り向くも、歌い終えると自然に拍手が生まれるという場面もある。

このときのキリエの歌声が放つ「現実と折り合いがつかない感じ」と「現実を変えてしまうパワー」が、とても印象的だ。

©︎2023 Kyrie Film Band

『キリエのうた』の物語はキリエとイッコの2人を中心に展開する。思うように声を出せないキリエと謎めいたイッコはどんな秘密を抱えているのか。路上ライブを繰り返し徐々にミュージシャンとして足がかりを得ていく現在と、過酷な生い立ちを経てきたその過去が交錯するように描かれる。

過去と名前を捨て、派手な服装で暮らすイッコは、帯広で過ごしたキリエの高校時代の親しい先輩だった。2人を引き合わせたのは、イッコの大学受験の家庭教師だった夏彦(松村北斗)。作中には一人ぼっちだった子ども時代のキリエに寄り添った小学校教師・フミ(黒木華)というキーパーソンも登場し、2023年までの13年のあいだに何があったのかが解き明かされる。

©︎2023 Kyrie Film Band

物語のキーになっているのは震災だ。詳述は避けるが、石巻で育ったキリエは2011年3月11日を境に歌うこと以外の「声」を失う。夏彦は消えない傷のような後悔を抱え続ける。

時が経って、震災の光景が多くの人達の記憶のなかで薄れていく一方、当事者が抱えた痛みは内奥で疼き続ける。そういうことを描いた作品にもなっている。

©︎2023 Kyrie Film Band

振り返ってみれば、岩井俊二×小林武史のタッグが生み出してきた音楽映画は、それぞれの時代のなかで社会に真っ向から向き合い、その歪みや軋みのようなものをモチーフにしてきた作品だった。

『スワロウテイル』は架空の街「円都」に集う外国人労働者たちを描いた作品。資本主義と貨幣経済と移民というモチーフ、異物を排除しようとする均質的な日本社会とアウトサイダーとの軋轢という問題意識は、いまの時代もまったく古びていない。予見的な作品だ。

『リリイ・シュシュのすべて』では、クラスメイトから理不尽ないじめを受ける主人公の少年を中心に閉塞感に満ちた凄惨な思春期の日々が描かれる。主人公の唯一の心の支えになっているのがリリイ・シュシュの存在で、インターネット掲示板を通じての匿名的なコミュニケーションが物語のもうひとつの軸になっている。インターネットと加害性というモチーフも、やはりいまなおアクチュアリティはまったく失っていない。

そして、『スワロウテイル』と『リリイ・シュシュのすべて』の大きなポイントは、YEN TOWN BANDやLily Chou-Chouの奏でる音楽になにかしらの「聖性」のようなものが宿っていて、それが映画の余韻に大きく作用していたこと。荒涼とした社会の闇を反映した映画のストーリーは殺伐としたものであっても、幻想的な響きを持つ歌声、壮大でドラマティックなメロディが、物語のなかでのある種の「救い」として作用していた。

音楽が持つ神秘性を突き詰め、その力を信じるからこそ、社会に深く切り込むことができる。それが岩井俊二×小林武史のタッグの本質的な作家性だと思う。

そう考えると、『キリエのうた』を単なる音楽映画ではなく、社会性を持った作品と見ることもできる。少なくとも筆者はそれを強く感じた。震災の喪失を経て、傷を抱えながら歩み続けることがひとつのテーマになっている。それだけでなく、2023年の東京という都市が抱える、どこか空虚な停滞感も映し出されているように思う。

主題歌の“キリエ・憐れみの讃歌”は、キリエの歌声に賛美歌のようなコーラスが重なり、高らかにホーンが鳴り響く、とても美しい一曲だ。

世界はどこにもないよ
だけど いまここを歩くんだ
希望とか見当たらない
だけど あなたがここにいるから
何度でも 何度だっていく
全てが重なっていくために

物語のクライマックスではこう歌われる。そのホーリーな響きも、ある種の「救い」として作用しているように感じた。