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ゆずが「HIBIKI」に込めた想いとは?Kアリーナ横浜こけら落とし公演を振り返る

2023年10月13日 18:10  CINRA.NET

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写真
Text by 麦倉正樹
Text by 森谷美穂
Text by 中島たくみ
Text by Masanori Naruse
Text by 藤川一輝
Text by 藤咲千明

「次のKアリーナ横浜では、圧倒的なゆずのエンターテインメントを思う存分表現してやりたいなって思っています」(北川悠仁)。

先の全国ホールツアー『Rita』が始まったばかりの頃に行った取材(記事:ゆずがいま、手放した「誰かのため」の歌。25周年を経て生まれた葛藤と向き合い、たどり着いた答えとは)で、たしかにそう語っていたけれど、まさかこれほどのものになるとは、正直思っていなかった。

もちろん、期待はしていた。けれども、こちらが期待すればするほど、その期待が集まれば集まるほど、それをエネルギーとして激しく燃え上がり、想像を遥かに超えた驚きと感動、そして喜びをもたらせてくれる。それがいまも昔も変わらない、ゆずなのだ。

横浜みなとみらい地区に新設された、約2万人を収容できる世界最大級の音楽アリーナ「Kアリーナ横浜」のこけら落とし公演として、9月29日、30日、10月1日の3日間にわたって行なわれた『YUZU SPECIAL LIVE 2023 HIBIKI in K-Arena Yokohama』。それは、あらためて2人のパワーを思い起こさせてくれるような、まさしく「圧倒的なゆずのエンターテインメント」に仕上げられていた。

「DAY1 BLUE×FUTARI」と名づけられた初日は、青をキーカラーとした北川悠仁と岩沢厚治の2人による弾き語りライブ、「DAY2 RED×ALL STARS」と名づけられた2日目は、赤をキーカラーとしたフルバンドによる一大エンターテインメントのステージになることが、あらかじめ告知されていた。結果的に「DAY3 BEAUTIFUL×FUTARI &ALL STARS」と名づけられることになった、両者のハイブリッド版である3日目は、DAY1、DAY2の即日完売を受けての追加公演だ。

「DAY1 BLUE×FUTARI」 お揃いの青いジャケットを来てギターをもつ様子は、「岡村ジャージ」を着て路上で歌っていた時代の2人を連想させる

「DAY2 RED×ALL STARS」“Frontier”でフラッグを掲げ観客を盛り上げる北川

2日間を端的に言い表すならば、「参加型」のDAY1、「没入型」のDAY2といった感じになるだろうか。路上時代から歌っていた初期の楽曲“シュビドゥバー”を生声で披露し「DAY1 BLUE×FUTARI」の幕を開け、同曲をはじめ、まるまるワンコーラスを観客が歌い上げることになった“栄光の架橋”など、要所要所で客席にマイクが向けられともに歌い合うこと――本公演のタイトルに倣っていうならば、弾き語りでステージに立つゆずの2人と観客の声が「響き合うこと」に力点が置かれたライブとなった。

とはいえ、そんな「参加型」のライブにあって、ひと際異彩を放っていたのは、「響語り」と名づけられた終盤のメドレーパートだ。“はるか”に始まり、“Hey和”、“1”、“虹”、“SEIMEI”とバトンを繋ぎながら、再び“はるか”に戻ってくるメドレー。縦12メートル、横42メートルという、この会場ならではの巨大なLEDスクリーンに映し出されたのは、それぞれの楽曲に関連して、めくるめく変化を遂げる壮大なアニメーション映像だ。

「響語り」終盤の様子

「故郷」の「郷」と「音楽」の「音」――それが上下に合わさってかたちづくられる「響」という文字。それらの映像が描き出すのは、遥か遠くの場所で失われた「故郷」を思う、異国の人々なのかもしれない。

「楽しいこと」だけはなく、ともに生きる「いま」を真摯に見つめながら、そこに向けて渾身の「音楽」を響かせること。それがいまの彼らの率直な心情であり、この「HIBIKI」というライブの背後にあるテーマのひとつだったのだろう。

一方、フルバンドにホーンとストリングスを加えた大編成で冒頭から臨んだ「DAY2 RED×ALL STARS」は、Kアリーナ横浜のスペックをフル稼働させた、まさしく「没入型」のライブとなっていた。広い会場に驚くほどクリアに響く分厚い音像に加え、2曲目の“うたエール”で早くもステージに、そして客席を取り囲む上方の回廊にまで登場した100人近いパフォーマーたち。

その盛大さはもちろん、変幻自在に稼働する18本の照明トラス、じつに70台も設置されたというレーザー、飛び交うドローン、さらには初日のステージでも観客の度肝を抜いていた巨大LEDスクリーンが、最大で14分割されながら、約80メートルという可動域を行き来するという、文字通りスペクタクルなステージだ。

そして、初日とは打って変わって「ULTRA HIBIKI PARTY」と名づけられた終盤のメドレーパート。ステージ中央に設置された櫓の上に登場した、ゆずともゆかりの深いTeddy LoidをDJに見立て、“恋、弾けました。”から“マスカット”、“奇々怪々~KIKIKAIKAI~”、“言えずの♡アイ・ライク・ユー”、“RAKUEN”とつながれ披露されていった楽曲は、その華やかでビートの効いたサウンドはもとより、ダンサーを従えステージを駆け回るゆず、そして巨大なLEDスクリーンの中で踊りまくるロボットゆず太郎「YZ-TARO」の様子も相まって、観客を没入感溢れるダンスタイムへと誘ってゆくのだった。

しかしながら、この日特筆すべきは、やはり本編の最後に披露された“ビューティフル”だろう。8月23日に配信リリースされ、9月14日にはオープン前のKアリーナ横浜で撮影された、総勢45人のパフォーマーを交えた躍動感溢れるMVが発表されたことでも話題を呼んだ新曲“ビューティフル”。

初日のアンコールでも、特別にパフォーマーを招き入れ披露されていたこの曲だが、2日目、そして3日目では、総勢150人のパフォーマーによる「演舞」のようなかたちで披露されたのだった。

見渡す限りのパフォーマーに盛り立てられながら、ステージ中央に設置された舞台で、ドラマチックなかたちで熱唱するゆずの2人。そして、上空から舞い落ちるものすごい量の紙吹雪。それはある意味MV以上の躍動感に溢れた、もはや「完全体」とでもいうべき、じつに幻想的なパフォーマンスだった。

大盛況のこけら落とし公演だったが、この3日間にわたる晴れ舞台に至るまでの道のりが、必ずしも平坦なものではなかったことを、われわれは知っている。

一度は手放した「誰かのため」の歌を、再び自らのもとに手繰り寄せること。その過程で生まれたのが、今回の3DAYSのセットリストには入らなかった“SUBWAY”という「自分たちのための歌」であり、弾き語りではないグルーヴ重視のシンプルなバンドセットで臨んだ先の全国ホールツアー『Rita』だったことを知っているのだから。

そして、そこでわれわれはあらためて気づくのだ。そのツアータイトルが、奇しくも「利他」と名づけられていたことに。

かつての路上時代がそうであったように、ゆずは北川悠仁と岩沢厚治という、アコースティックギターを弾きながら声を重ね合う2人だけの力で、その場を行き交う見知らぬ人々の足を止めることができるアーティストだ。それどころか、周知の通り、たった2人で東京ドームに詰め掛けた満員の観客を沸かせることのできるアーティストでもある。

しかし、いつ頃からだろう。彼らは「誰かのために」――という言い方がやや大仰であるならば、「ゆずの力を借りたい」、あるいは「その音楽で盛りあげて欲しい」といった各方面からの申し出に応えることによって、さらに大きな存在へと進化をし続けてきたのだ。

そんなゆずが、自身が生まれ育った横浜の地に新たに誕生したKアリーナ横浜のこけら落とし公演を依頼され、さらには横浜を代表する企業のひとつである日産自動車株式会社が特別協賛に入ったこのライブで、燃えないわけがない。

期待が大きければ大きいほど、それをエネルギーとして激しく燃え上がり、その期待を凌駕する感動と喜びを生み出す。それが、ゆずというアーティストの稀有な本質なのだから。

<響き合うよ僕らは / 変わりゆく時代の中で / たどり着いた場所で / 今君は何を思う?>

長きにわたるコロナ禍を経た、新しい時代を生きるすべての人々に向けて放たれた“ビューティフル”の歌詞。“SUBWAY”、そして『Rita』という過程を経て、ついに彼らはこの「HIBIKI」という祝祭にたどり着いた。

そして、その曲のサビの中にそっと添えられ、この3DAYSそれぞれの終演後、巨大なLEDスクリーンに映し出された「BEAUTIFUL never give up!!」という言葉。

あきらめないことの美しさ。それが、いまのゆずのテーマであり、何よりも伝えたいメッセージなのだろう。思い返せば思い返すほど、考えれば考えるほど、その感動があらためて押し寄せるような、本当に見事なライブだった。

しかし、当の本人たちは、そこに留まるつもりはないようだ。DAY3の終演後には、11月18日、19日に行なわれるアンコール公演の開催が発表されたのだから。

こけら落とし公演のアンコールとは、異例中の異例であるように思える。けれど、彼らがそれほどまでに長い年月と労力をかけて、このライブをつくり上げてきたことの何よりの証左なのだろう。否、それ以上にこのライブを、ひとりでも多くの人に見てほしいと率直に思った。とりわけ、完全体となった“ビューティフル”の多幸感と臨場感溢れるパフォーマンスは、是が非でもその身で体感してほしい。心からそう思えるような、本当に圧倒的なエンターテインメントだった。