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森山直太朗にロングインタビュー。『素晴らしい世界』を全国で歌い続けて見えてきた「自分」のあり方

2023年10月12日 12:10  CINRA.NET

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Text by 麦倉正樹
Text by 服部桃子
Text by 西村満

世界が少しずつ、元のかたちに戻っていこうとしている。長きにわたるコロナ禍であれほど多くのことを考えたにもかかわらず、世界は少しずつ、元のかたちに戻っていこうとしている。果たして、それでいいのだろうか。あの時間のなかで得た気づきや発見は、どこにいってしまったのだろうか。

依然としてコロナ禍にあった2022年の6月に、デビュー20周年を記念したアルバム『素晴らしい世界』を引っ提げ、離島も含めた日本全国津々浦々を回る怒濤の100本ツアーへと旅立っていった森山直太朗。その長い旅路が間もなく終わりを迎えようとしている。奇しくも自身の転機がコロナ禍と重なった彼は、この長い旅で何を見て、どんなことを感じてきたのだろうか。そのなかで、あくまでも「自分らしく」あるためには何が必要なのだろうか。森山直太朗に訊いた。

―2022年の6月にスタートした、デビュー20周年のアニバーサリーツアー「素晴らしい世界」が、この10月22日にNHKホール行なわれる100本目のライブ、そして23日に同会場で行なわれる追加公演の101本目のライブで、ついにフィナーレを迎えます。

森山:20周年は、ひとつのきっかけに過ぎないというか、ツアーは自分の活動のルーティーンでありライフワークみたいなものなので、いろいろ紆余曲折はありつつも、いまはすごくフラットな気持ちでいます。ただ、そういうものの下地には、やっぱり自分の人生があるわけで。自分の人生があって日常がある。

だけどこれまでは、それを他人に預けたり、あるいは他人に計画を練ってもらったりしていたところがあって。日常の自分を、あまりそこに持ち込んでいなかったんですよね。

森山直太朗。1976年4月23日東京都生まれ、フォークシンガー。 2002年10月ミニ・アルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビュー以来、独自の世界観を持つ楽曲と唯一無二の歌声が幅広い世代から支持を受け、定期的なリリースとライブ活動を展開し続けている。近年は俳優としても活動の幅を広げ、NHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』、NHK 連続テレビ小説『エール』、テレビ東京ドラマ プレミア23『うきわ-友達以上、不倫未満-』に出演し、その演技力が評価された。2022年3月に20周年オリジナルアルバム『素晴らしい世界』をリリース。同年6月から「全国100本ツアー」と銘打った、20thアニバーサリーツアー 『素晴らしい世界』をスタートさせ、現在も尚、全国各地で実施中。2023年1月には、自身初となる弾き語りベストアルバム『原画I』『原画 II』を、また3月には全国公開の映画『ロストケア』の主題歌となる『さもありなん』を発売。同年10月からは、NHK総合テレビで放送される安野モヨコ原作のアニメ『オチビサン』の主題歌(楽曲『ロマンティーク』)を担当する。

―それは、デビュー前からの盟友である御徒町凧さんと一緒に音源やライブを制作していた頃ということですか?

森山:そうです。ただ、2019年に御徒町と別の道を歩むことを決めて、ひとりで全部をやるようになって……今回の長いツアーは、そこが地続きになったような感じがあったんですよね。日常の自分とステージに立つ自分が。

そういう意味で、今回のツアーは自分にとって「再スタート」みたいなものではあるんだけど、それはもともとの自分に還っていくようなことでもあって。そのためには、過去の自分とも対峙しなきゃならないし、それこそ素の状態でステージに立つことの怖さもあったんです。素のままで舞台に上がるのって、やっぱりいちばん怖いことだから。

―むしろ、何かの役になりきって演じるほうが、気持ち的には楽なところがある?

森山:そっちのほうが、まだ楽というか。だけど、今回のツアーはそうではなく、特に最初のほうの弾き語りで回ったツアーは、そういう素の状態でいかに居続けられるかみたいなことが、自分としてもすごく興味深かったし、そうやって自分の心を観察しながらやっていたようなところがあって。そこからこの長いツアーに入れたというのは、すごく大きかったかもしれないです。

―今回の100本ツアーは、「弾き語り」と「ブルーグラスバンド」、そして「フルバンド」という3つの編成で、日本全国を段階的に回っていて……ちょっと意外だったのですが、弾き語りでツアーを回るのは、今回が初だそうですね。

森山:初めてでした。いままで弾き語りっていうのは……それこそ御徒町がよく言っていたんですけど、「弾き語りは、森山直太朗の最終手段である」と。だから、それをできるだけ出さないようにやっていたところがあったんです。ただ、弾き語りはやっぱり自分の原点だし、より自分らしくいられる表現だっていうのがあって。

あるとき、スタッフに言われたんですよ。「バンドと一緒にやっている直太朗もいいけど、ソファとかに寝っ転がって、ぼーっと歌っているときの直太朗も(いいよね)」。……誰かに聴かせようと思ってないから、すごいへたっぴなんですよ。だけど、「そういうときの歌のほうが、よく眠れるんだよね」って。

―よく眠れる(笑)。

森山:いや、それは多分、いい意味で言っているんだと思うんですよ(笑)。そっちのほうが……というか、それがすなわち「音楽」なんじゃないかっていう。

だんだん舞台が大きくなっていくにつれて、それは自分の弱さからなのか、サービス精神からなのかわからないですけど、ちょっとおちゃらけたり、だんだん表現が大きくなっていったようなところがあったのかもしれない。「もともと、そんな曲じゃなかったよな」みたいなことも、ときにはあったりして。

5年ぐらい前、ハナレグミの永積(崇)くんが僕のライブを見にきてくれたとき、「直太朗は一回、小さなカフェとかで、弾き語りで歌ったほうがいいかもしれない。僕もそうだったから」って言ってくれたんです。舞台が大きくなってくると、関わる人が増えて、いろいろなものを背負っちゃうから。それによって、「もともとあった表現から、ちょっとずつズレてくるみたいなことがあるんだよね」と。

ーなるほど。

森山:だから、弾き語りっていうのはそれまではご法度だったというか、いちばん素の自分だからこそ、ちょっと怖いみたいなところもあったんだけど、前回のツアーのあと、御徒町と一回ちょっと距離を置くことになって、2人の関係を解消したときに、もう失うものは何もないなあって思って。それで飽きられたら、それまでだよっていう。

そう思いながら、今回のツアーの前半を弾き語りで回ってみたときに、いままで滞っていたものがすーっと循環していくような感覚があったというか、「あ、自分の心と体は、こういう状態で舞台に立ちたかったんだ」っていう発見があって。

自分の原点は、やっぱり弾き語りにあるし、何ならギターなんて持たなくても、別に鼻歌だけでも構わないというか、そういう歌声としての楽器、あるいは楽器としての歌声が、やっぱり僕の原点なんですよね。それに気づけたところがありました。

―森山さんは、このツアーの最中に、弾き語りのベスト盤『原画Ⅰ』『原画Ⅱ』というアルバムをつくって、それをこの1月からライブ会場のみで販売されていますよね。それも、いまの話と関係しているのでしょうか?

森山:そうですね。やっぱり、その前半の弾き語りツアーをちゃんとやり切れたっていうのが大きかったのかな。それで自分のなかでも、ある程度いけるなって思うようになって、去年の秋ぐらいに弾き語りの音源を自分のスタジオとか山小屋で新しく録ってみたんです。

ほとんど山小屋での録音だったから、雨の音とか衣擦れの音とかも全部入っているんだけど、その場所の空気みたいなものがすごく感じられるものになっていて。それを弾き語りのベスト盤みたいなかたちでパッケージして、今年の1月からライブ会場で売るようにしました。

―それを、通常の販売ルートや配信ではなく、ライブ会場限定で販売するというのは、どういう理由からだったのでしょう?

森山:やっぱり僕自身がCD世代だし、もっと言ったらアナログ盤とかも小さい頃はよく聴いていて、そういうフィジカルというか物体みたいなものがないと、なかなか実感が湧かないんですよね。

いちばん最初に駅前とかで歌っていたときも、自分でカセットテープとかMDに録音して、興味を持ってくれた人にそれを買ってもらったりしていたわけで。だから、弾き語りという原点に戻ることは、販売形式も原点に戻らないと辻褄が合わないんですよね。

あと、かねてからCDのリリースと配信のリリースが同時であることに、ちょっとした違和感があって。何でスタートラインを全部一緒にしなきゃいけないんだろうって、ずっと思っていて。

もちろん、配信で聴いてくれるのもありがたいです。でも、僕がいちばん優先したいのは、チケットを買って、電車やバスを乗り継いで、ライブを見にきてくれる人たちなんです。その人たちに、自分の真骨頂でもある「実演販売」を提供したいと言いますか(笑)。その場で歌ったものが良かったら、それを買って帰ってもらうっていう。すごくシンプルなことなんですよね。

『原画Ⅰ』『原画Ⅱ』。ノート形式になっていて、森山直太朗のアイデアスケッチや詞などが収録されている(写真提供:SETSUNA INTERNATIONAL)

―あと、多少前後した話になってしまいますが、森山さんは2021年の元旦に、『森山直太朗のにっぽん百歌』というYouTubeチャンネルを開設して。そこで、いろいろな歌をギター一本で歌われていますよね。あれは、どういう発想だったんですか?

森山:いまの『原画』の話とは少し矛盾した話になってしまうかもしれないんだけど、いまのメディアのなかで、自分にしかできないコンテンツって何だろうっていうことを考えてみたことがあって。そのときに、僕が信頼しているクリエイティブチームのほうから、ああいう案が挙がってきたんです。

いろんな場所にフラッと行って、そこで歌いたい歌をビシッと歌って、フラッと帰るみたいな感じがいいんじゃないかって。それでああいうかたちになったんですけど、結局それは、この100本ツアーの骨子みたいなものにもなったし、自分の生き方そのものに通じるものがあると思ったんですよね。フラッとやってきて、ビシッと歌って、フラッと帰る。

―全部が全部、つながっているような感じではあるんですね。ここでちょっと、100本ツアーのほうに話を戻すと……このツアーを始めた去年の6月頃は、それこそまだコロナ禍の最中だったというか、みんなマスクをしてライブを見ていたわけですよね。

森山:もう毎回、戦々恐々でしたよ。会場のキャパの半分しかお客さんを入れられなかったし。で、みんなマスクをしていて、僕がちょっと冗談を言ってもシーンみたいな(笑)。まあ、僕の場合は、芸風的にもそこまで支障はなかったほうだと思うんですけど。

そこから少しずつ、会場の人数制限みたいなものが緩和されて、マスクも必須ではなくなって。それこそ、かけ声を出したりすることも大丈夫になっていって。

ライブ中の様子(写真提供:SETSUNA INTERNATIONAL、撮影:ただ(ゆかい))

―その過程を、ツアーで全国を回りながら見続けてきたというのは、結構貴重な経験だったと思いますが、森山さんはその変化みたいなものを、どんなふうに感じながらライブをしていきましたか?

森山:月並みですけど、それまで当たり前にやってきたことは、決して当たり前ではなかったんだなっていうことを感じると同時に、だんだん以前のような景色に戻っていくことへの喜びも感じていました。

ただ、最初に言ったように、歌を歌うことの下地には、まがりなりにも人生があって生活があって日常があるわけじゃないですか。そういう意味で、このコロナ禍は、いろんな効能があったと思うんですよね。そのことで経済的に大損害を受けた人もいるだろうし、近しい人を失くした人もいるでしょう。ただ、それによって精神的に救われた人も、きっといたんじゃないかと思っていて。

―自分自身のことはもちろん、人間関係や働き方などさまざまなことを、多かれ少なかれ見つめ直す機会にはなりましたよね。

森山:ですよね。以前のような社会や生活に戻ることをみんな求めていたと思うんですけど、それはわりと社会的、経済的な理由が大きいと思うんです。

もちろん僕たちは、その土台の上に生きているんだけど、やっぱりいちばん大事なのは自分の心じゃないですか。家賃を払わなきゃとか、子どもがいるしとか、いろいろあるとは思うんですけど、そうやって何かを言い訳にしながらごまかしてきた、自分の本当の心……本当はこんなことやりたくないんだと、そのタイミングで気づいてしまったというか。

―たしかに。

森山:だから、社会が徐々に元のかたちに戻っていったときに、ある一定の「ああ、良かったね」という気持ちがあると同時に、実はもっと、個人としても社会としても、見つめ直すことができたはずなんじゃないか、もっと深堀りできることってあったんじゃないかっていう気持ちも、ちょっとあったりして。元に戻るっていうのは、元の自分の生活に戻ることでもあるわけで。それでホントに「良かったの?」っていう。

僕はたまさか、2021年の夏に、実際コロナに罹ったりしたので……しかも、かなり重い症状だったんですよね。もう息をするのも苦しくて、ちょっとだけ死を身近に感じたりして。そんなこと、なかなかないじゃないですか。

そのとき、僕なりにいろんなことを考えたんですよ。実際、 “素晴らしい世界”は、そのときにできた曲なんですけど、それまで抱えていたものを、少しずつ手放して整理できた。いわゆる経済とかに侵食されない、自分の心の在り方みたいなものをたしかめたり観察したりする、すごく良い機会になったんです。だから、それが元に戻るっていうのは、どういうことなんだろうっていうのは、いまでもずっと考えていることです。

―実際、今年(2023年)の夏や人々の様子を見ていると、自分も含めて、みんなあの頃のことを、急速に忘れ始めているような気もして……果たして、これでいいんだろうかって、ちょっと思ったりもするのですが。

森山:それは、僕も同じです。それこそコロナであんなに苦しい思いをして、生きていることに真正面から向き合ったはずなのに、もはや当たり前のように欲に溺れているというか。

それはでも、しょうがないんですよ。環境っていうのは、人の精神とか人格を知らないあいだにつくりあげていくものなので。だから、この社会のなかで生きるのは、実はすごく危険なことなんですよね。自分が心の底で本当に感じていることを全部フラットにしてしまう。価値観を同一化してしまうので。抜き差しならないなとあらためて思いますよね。

―ただ、森山さんは、シンガーソングライターでもあって……先ほど言った“素晴らしい世界”がそうであったように、そのとき感じたことや思ったことを、歌詞に綴って歌うわけですよね。しかも、それを何年にもわたって歌い続ける。それは、どんな気持ちなのでしょう。歌うたびに、その頃の気持ちを思い出すのか、あるいはその曲が新たな意味を持ち始めるのか。

森山:そうですね……それを言ったら、“さくら”にしても“夏の終わり”にしても、多分もう何千回も歌っていると思うんですけど、それは実演家として、もっとこういう表現がしたいという欲望があるからなんですよね。

その一方で、曲を創作する過程に関して言うと……僕の場合、自分の考えやメッセージを歌っているわけじゃないんですよね。何も考えないで曲をつくり始めるから。ただ曲が行きたい方向に自分がついていくような感じなんです。だから、言葉に意味なんてない。でも、何かあるんだろうなって思いながら歌っているというか。

たとえば、“生きとし生ける物へ”という曲のなかに、「もはや僕は人間じゃない」という歌詞があるんですけど、それを目の前で歌われても、ちょっと困るじゃないですか(笑)。

森山:だけど、歌うしかないんですよ。そこに辿り着いてしまったから。“生きていることが辛いなら”とかもそうですよね。「いっそ小さく死ねばいい」って歌うしかなかった。それは僕が歌いたいことではなく、ずっとそこにあった景色に辿り着いたっていうことだから。

そこから先は、実演家としてこの辿り着いた景色をどう表現したら第三者に伝わるんだろうと考えて。やっぱり、誰もいなかったら僕は歌を歌ってないと思うし、誰かとつながりたくて音楽をやっているんだと思うんですよね。

―こうしてじっくり話を聞いていると、その活動の仕方も含めて、ますますユニークな存在になっているような気がします。

森山:そうですね(笑)。ただ、おしなべて言えるのは、単純に自分の生理に従っているだけということです。

これって必要かな、意味あるのかなとか、あなたにとっては意味があるかもしれないけど、自分にとっては何の価値もないなと感じることが、「個性」なんですよね。でも、それを同一化してしまうのが、この社会であり教育でありメディアだと思うんです。

―なるほど。ただ、そうは言っても、そういう「自分の生理」みたいなものを見極めること自体、なかなか難しいところがありますよね。

森山:そうですよね。自分の心って、いちばんよくわからないから。心っていうのは、自分でごまかすことができるし、ある程度妥協することもできる。それは、社会人としては大切なスキルだったりするのかもしれないけど、やっぱりいちばん大事なのは、自分の心であって……それが自分ではわからなくても、可視化することはできると思うんです。

日々何かを書いたりするとか、何でもいいと思うんですけど、それを外に出すっていうのが大事で。今日あった出来事を書くでもいいし、そこで思ったことを書くでもいいし‥‥…あのとき、めちゃめちゃ腹が立ったとか(笑)。とにかく、それを外に出して、客観的に見てみることが大事だと思うんです。自分のなかでグルグル循環させていても結論は出ないですから。

『原画Ⅰ』『原画Ⅱ』にも収録されているアイデアスケッチ(写真提供:SETSUNA INTERNATIONAL)

―たしかに。それこそ、良からぬ不安が妄想を生んでしまったり……。

森山:そうそう。あとは、自分の内にあるものを他人に話すでもいいと思うんです。いまって、ソーシャルメディアが発達してみんなとの距離が近くなったり、自分を表現できるツールが増えたりしているけど、その一方で、自分の心の深い部分に触れる感覚は、どんどん希薄になっている気もしていて。それは、若い人に限ったことではなくて。

30代とか40代とかって、ホント大事な時期なんですよ。そこから先、何十年かを豊かに生きていくためには、一回どこかで、ずっと我慢してきた自分の心と向き合わないといけない。それは、温泉に行って「あー、癒された」みたいなことでは解消されないと思うんですよね。

―そこで、表面的な癒しは得られたとしても。

森山:そう。ストレス解消とか発散とかではなく、実は心はもっと泣いているし、もっと怒っているし、幼児のように恐怖を感じているんですよね。それをつぶさにアウトプットして、認識することが大事。たとえ、解決することができなかったとしても、自分の状態を認識できれば、いろいろ変わってくると思うので。……何か自己啓発セミナーみたいな話になってきちゃいましたけど、大丈夫ですか(笑)。

―大丈夫です(笑)。

―森山さんの活動を見ていると、ともすれば「孤高のシンガー」みたいな感じに思えなくもないですが、こういう取材であったり、映画やドラマへの出演や楽曲タイアップであったり、外の世界への接点みたいなものは、必ずしも閉ざしてないような気がしていて。そこが、すごく面白いなって思っているのですが。

森山:程よい距離感というか、特にメディアのみなさんとのつながりっていうのは、それなりに大事にしているようなところがあって。

森山:僕がいちばんやっていて面白いのは、ツアーを組んで、そこに新しくつくった曲とか、いままでの曲とかを並べてライブをする、舞台表現をすることなんですけど、それを多くの人に伝えていくときに、メディアのみなさんといろいろ接点ができるわけじゃないですか。そこで、「じゃあ、面白いことをやりましょう」って、自分たちでは経験できないようなことができたりもするし、自分たちでは届かないところまで、その思いを届けることもできわけで。

それは、映画やドラマのタイアップや、歌番組とかにしても同じことなんですよね。まあ、向こうの都合に振り回されて、ストレスフルなときもないわけではないけど(笑)。

―(笑)。

森山:ただ、その違いを知るってことも、実は大事なんですよね。「それは、僕らはできません」って断ること……そう、断ることって、実はお互いのことを知る、すごくいいきっかけになったりするじゃないですか。「あ、そこはダメな人なのね」みたいな。

でも、僕たちって、なかなかそれができなかったりするんですよね。関係上、誰かの顔を立ててとか。だけど、ホントはできないことや嫌なことは断っていいんですよ。断ってしまうと、その人と物理的な距離ができるような感覚になってしまうけど、これはできるけど、これはできないみたいなことを話すことで、その関係性が近づくこともあるじゃないですか。

―たしかに。いろいろなものを閉ざして己が道をゆくのではなく、そうやっていろんな人たちと接点を持ちながら活動しているいまの感じは、すごく森山さんっぽいですよね。

森山:まあ、僕も以前は、いろいろなことを飲み込んで、「オッケー、やりましょう」って結構言ってきた気もするし(笑)。でもやっぱり、再スタートを切るなかでそれをやったら、過去の自分に対しても申し訳が立たないし。繰り返しになりますけど、そこは何よりも自分の生理に従って……そこだけは、すごく大事にしながらやっていきたいって、いまは思っています。

―ちなみに森山さんは、他のアーティストの動向とか、それこそ「音楽シーン」みたいなものって、気にされるほうなんですか?

森山:ああ、そんなに気にならないかなあ。だって、“さくら”を出した頃って、多分安室奈美恵さんとか、それこそR&Bとかが全盛だった時代ですよ? そういうなかで、ああいうピアノと歌だけの曲を出すっていうのは……とはいえ、実は敏感なのかもしれない(笑)。やっぱりいつも、カウンターでありたいなっていうのは、どっかにあるから。みんなと同じことをしてもしょうがないというか。

だけど、僕にできることっていうのは、すごく限られていて……シンプルに歌声と自分の音楽観だけで勝負するっていう。そのスタンスは、絶対変わらないというか、もう変えられないですから(笑)。そのなかで自分ができることを、そのときそのときでやっている感じなんだと思います。