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浦沢直樹『PLUTO』原作・手塚治虫「地上最大のロボットの巻」をどうアレンジ? ポイントとなった「戦争」と「青騎士の巻」

2023年10月12日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『PLUTOデジタル』(浦沢直樹×手塚治虫 長崎尚志プロデュース 監修/手塚眞 協力/手塚プロダクション)は電子版が配信されている

『PLUTOデジタルVer. 1』(浦沢直樹×手塚治虫 長崎尚志プロデュース 監修/手塚眞 協力/手塚プロダクション)は電子版が配信されている


※本稿は、『PLUTO』(プルートゥ)および『鉄腕アトム』(「地上最大のロボットの巻」「青騎士の巻」)のネタバレを含みます。


 2023年10月26日(木)より、Netflixにて世界独占配信される話題のアニメ『PLUTO』(プルートゥ)。原作は、手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』の一編「地上最大のロボットの巻」(原題「史上最大のロボットの巻」)を、『MONSTER』や『20世紀少年』などで知られる浦沢直樹がリメイクした漫画作品だ。


 『PLUTO』の舞台は、人間とロボットが共存する近未来の世界。ある時、世界最高水準のロボットたち――7体存在する――が、何者かによって次々と破壊される事件が起きる。7体のロボットの1人、ユーロポールの特別捜査官・ゲジヒトは、独自の捜査を進めていく中で、一連の事件の背後で蠢く「プルートゥ」という存在に辿り着くのだったが……。


浦沢直樹は「地上最大のロボットの巻」をどうアレンジしたか


 手塚治虫の「地上最大のロボットの巻」は、世界の王者になる望みを捨て切れなかった元サルタンが、プルートウという巨大ロボットに命じ、アトムをはじめとした「世界でいちばん強い7人のロボット」たちを破壊しようと目論(もくろ)む物語だ。基本的にはロボット同士の壮絶なバトルの面白さで最後まで引っ張っていくエンターテインメント性の高い物語だが、本来は敵対する立場にあるプルートウとアトムの妹・ウランの間に友情が芽生えるなど、叙情的なエピソードもところどころに織り込まれている。


 一方、浦沢直樹は、『PLUTO』という作品で、(前述のように)実質的な主人公をアトムからロボット刑事のゲジヒトに変えただけでなく(※)、連載当時過熱していたイラク戦争を舞台設定に色濃く反映させ(そのことにより、原案よりも“黒幕”の正体がかなり複雑なものになっている)、さらには『鉄腕アトム』シリーズからもう一編、「青騎士の巻」で描かれていたテーマを“流用”している。


※物語の終盤は、アトムが主人公になる。


ロボットと人間を隔てるものは何か


 それでは、手塚治虫が「青騎士の巻」で描いたテーマとはなんだったのか。それは、一言でいえば、「ロボットと人間を隔てるものは何か」ということだ。もっとわかりやすくいえば、「憎しみや怒りの感情を持った時、ロボットは人間に近い存在になれる」ということであり、それを乗り越えられるかどうかが、アトムに突きつけられる展開になっている。


 ちなみに「青騎士」とは、かつてある男に妹と弟を殺されたために、人間を憎んでいるロボット「ブルー・ボン」のことである。


 『PLUTO』では、このブルー・ボンは、「ブラウ1589」という「八年前、人間を殺したロボット」に姿を変えて登場している(「1589」とは、ブルボン朝の成立した年なので、「ブルー・ボン=ブラウ1589」は断言してもいいと思う)。


 いまはある施設に幽閉されているブラウ1589は、ゲジヒトにさまざまな“助言”を与えるのだが、ある時、アトムの“生みの親”である天馬博士とも“面会”する。そこで問題になったのは、やはり、ロボットが持つ「憎悪」の感情についてであった――。


 物語の中盤、プルートゥとの戦いに敗れたアトムは、再起不能の状態に陥る(科学省が総力を挙げた修復作業も空しく、テレビのニュースでは、「死亡が確認されました」と伝えられる)。


 そこで天馬博士は、「憎悪」の感情をアトムに注入することにする。「おまえを生き返らせるためなら……私は悪魔にもなるよ……」――アトムはいま、60億の人格をプログラミングされた「完全なロボット」と等しい状態にあり、「あり得ない何かを感知して」無限にシミュレートしている人工知能を目覚めさせるには、「偏った感情」を注入するしかないのだ。


 しかしそれは、「暴走」の可能性をはらんだ危険な手段であり、じっさい覚醒したアトムは、虚ろな表情で世界を滅ぼしかねない反陽子爆弾の数式を淡々と完成させていく。そして、人知れず巨大な憎しみを抱えたまま科学省から脱走するのだったが、彼は、雨のなか傘も差さずに追いかけてきた“育ての親”であるお茶の水博士の前で、静かに“自分”を取り戻す。「もう大丈夫です。お茶の水博士……」


 良い場面だ。たぶん、この時のアトムは、“生命”の象徴である地を這うカタツムリを見つめながら、「憎しみからは何も生まれない」というゲジヒトの想いに触れたのだと思うが、それとは別に、ゆっくりと視界の片隅に入ってきたびしょ濡れの老博士の姿が、彼に本来の“こころ”を取り戻させた、という見方もできなくはないのだ。


 たとえば第8話で、アトムがゲジヒトに(かつて自分は)「サーカスに売られたんです」と告白する場面があるのだが、その辛い日々から彼を救い出してくれたのは、他でもないお茶の水博士であった(※)。


※『PLUTO』では具体的に描かれてはいないが、手塚治虫の『鉄腕アトム』(「アトム誕生」)では、ロボットサーカスに売られていたアトムをお茶の水博士が引き取る様子が描かれている。


 いずれにせよ、もし、人間と変わらないロボットがこの世に存在するなら、“彼”ないし“彼女”は、まずは天馬博士がいうところの「偏った感情」――すなわち、憎しみ、怒り、悲しみといった暗い感情に突き動かされることだろう。なぜなら、それこそが、「人間」だからだ。


 しかし、それと同時に人間は、お茶の水博士のような他者を思いやる優しい心も持っている。また、憎しみや怒りや悲しみを乗り越える強さも持っている。だからこそ生き返ったアトムは、闇に落ちることなく、再びその「鉄腕」を正義のために振るうことができたのではないだろうか。


 折しも世界各地で戦争が勃発しているいま、この『PLUTO』という作品がアニメになって広く配信される意義は、ことのほか大きいといっていいだろう。


(文=島田一志)