理不尽なパワハラには毅然とした態度で反撃できればいいが、なかなかそうもいかないのが現実だ。しかし東北地方に住む40代前半の男性は、単身赴任先でパワハラに遭い、相手を黙らせたことがあるという。それは男性が39歳の頃のことだった。
「派遣先の社員Aにある時期から目をつけられ、事あるごとに電話や直接無駄に長い小言を言われるようになりました。通常1分で終わるような話でも20~30分以上とネチネチと言われ続け、本当にイライラしました」
そしてあるとき、ついに我慢の限界がきたという。どんな状況だったのか、編集部では男性に詳しく話を聞いた。
「この給料泥棒」と頭ごなしに言われ
派遣先は工場内で配管工事を行う会社だった。パワハラ社員Aは当時40代の男性で、現場を仕切る立場だった。どんな小言を言われたのだろうか。
「あまりにも訳がわからないものばかりです。『給料泥棒』だの『俺は何十年もこの業界にいるんだからお前みたいなのが気軽に話しかけられる立場じゃない』だのと言われたのは覚えています。そしてある日、仕事先の現場で『この給料泥棒』と頭ごなしに言われました」
確かに許されない暴言だ。男性はこれに、「とうとう堪忍袋の尾が切れました」と憤る。とはいえ、感情にまかせて怒鳴るようなことはせず、
「派遣会社の担当者にAの言葉を一言一句伝え、派遣会社から派遣先へ苦情を出してもらいました」
と大人の対応に努めた。しかし、交渉は不調に終わったようだ。
「派遣会社へはこちらの苦情は伝わりましたが、派遣先へは残念ながら理解してもらえず……。『建設業界ではそのくらいの暴言は当たり前だから』と返されただけでした」
それどころか男性は、さらに追い詰められる事態に陥ってしまう。
パワハラ被害を訴えていたにもかかわらず、同じ部署に
その後、新たな営業所がオープンし、「あろうことかその社員Aと同じ部署になってしまった」というのだ。
「Aからのパワハラ被害を訴えていたにもかかわらずです。これはきっと私を追い出すつもりの措置だと思いましたね。案の定、社員Aの横暴は変わりませんでした」
配属先の部署は男性を入れて4人だったが、「パワハラされていたのは私一人だけ」だったという。ただ、「Aは他の社員からも煙たがられていたので、他にも被害に遭った社員がいるかもしれません」と明かす。そんな状況に、ついに男性にも我慢の限界が訪れる。
「こちらが事務所で仕事の資料を読んでいるときに、すぐ脇で訳のわからない小言をグチグチ言ってきました。私も怒鳴り返したい気持ちでしたが、机をバン!と叩いて『少し黙っててくれませんか?』と静かに返し、黙らせました」
激昂したい気持ちを抑え、冷静に言い返した。その後、社員Aの態度は変わったのだろうか。
「そのときは小言を言わなくなりましたが、態度は変わりませんでした。派遣期間は2か月ほど残っていたんですが、あまりにもストレスなので次は更新しない意向を派遣会社へ伝えました」
ところが派遣先からの対応も酷かった。「契約期間を2か月残しで終了の通知を受けました」と向こうから先に切られる形となったのだ。
辞めた後は…… 年収270万円→440万円に大幅アップ
ただ、男性はこれで良かったと振り返る。
「やっと社員Aと縁が切れると思うと清々した気持ちでいっぱいでした。更新しない意思は派遣先を去る半年くらい前からありましたが、当時は派遣会社の試用期間ということもあり本採用まで我慢するよう派遣元の担当者から言われていました。そのため、正社員昇格まで我慢して去ることができたので本当に良かったです」
派遣社員と言っても、派遣会社で正社員になる予定での勤務だったのだ。その後男性は様々な現場を経験した。あるときはスーパーゼネコンで働き「給料も地元で働いていたときの倍額」に増えたという。
「単身赴任前の、地元にいたときの年収が約220万円です。パワハラされていたときの派遣先では約270万円でしたが、スーパーゼネコンでは約440万円と大幅アップしました。おかげで在職中に自宅を新築し、中古アパートも購入してアパート経営もはじめました」
その後は自身が会社勤めに向いてないと判断し、脱サラ。不動産賃貸業を本業として副業もしつつ、年収はおよそ550万円だという。もうパワハラに苦しめられることもない。なお、後日談として
「社員Aは他の支店へ異動したようです。もう2度と会うことはありませんが、異動先ではおとなしくなっていてほしいものです」
と語った。パワハラ上司がいるような会社とは、早めに決別して正解だったようだ。
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