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ホッチキスは、機関銃と同じ構造か? 『パワーフラット HD-10DFL』は、驚くほどの軽い“綴じ心地”

2023年10月10日 11:01  マイナビニュース

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画像提供:マイナビニュース
世の中には、実は間違いらしいが、思わず信じたくなる“俗説”がいくつもある。今回取り上げる「書類をステープラ(金属製の針)で綴じる文房具の『ホッチキス(ホチキス)』にも、広く知られている俗説がある。


それは機関銃を発明したベンジャミン・ホッチキスが、機関銃の構造をヒントに開発したもの」という話だ。

○■ホッチキスと重機関銃



ベンジャミン・ホッチキスはアメリカ・コネティカット州の出身の技術者、銃器工で、南北戦争(1861~1965)の後にフランスに移住した。そして彼が起業したオチキス(Société Anonyme des Anciens Etablissements Hotchkiss et Cie)は1904年から1954年にかけて機関銃をはじめとする銃器や軽戦車の製造メーカーとして、さらに自動車創世記のフランスの自動車メーカーとして一部のマニアに知られている。



ちなみに「ホッチキス」は「Hotchkiss」は英語読みしてカタカナ表記にしたもの。フランス語読みすると「H」は読まないのでカタカナ表記は「オチキス」になる。



ところで、なぜこの俗説が生まれたのか。また信じられたのか。その理由は、伊藤喜商店(現在のイトーキ)が日本で最初に販売したホッチキスがアメリカのE・H・HOTCHKISS社製で、ボデーに「HOTCHKISS No・1」と書かれていたこと。



そして当時、重機関銃のメーカーの名前として「ホッチキス」という名前が、日本国内で軍人を中心に知られていたこと。さらに、ひとつの砲身から連続的に弾丸を発射するホチキスの開発した重機関銃と同じように文房具のホッチキスがステープルをひとつひとつ、同じところから送り出す構造だったからだろう。



加えて、E・H・HOTCHKISS社を創業した親子がホッチキス親子であり、彼らがベンジャミン・ホッチキスと同じ姓であり、血縁関係があった可能性があることも原因のようだ。



筆者が最初に知った、そして「ホッチキス」は、もちろん紙を「ステープラ」という金属製のコの字型の針で「バチン」と刺し通して曲げて綴じるあの文房具。実家や小学校にあった日本のマックス(MAX)製が1954年に発売した「MAX・10」というモデルだった。



全面がプラスチックで覆われている今のホッチキスとは違い、ボディはクロームメッキされた鉄で、指で押す部分だけがグリーンのプラスチック製だった。たぶんあのホッチキスは今も実家にあるはずだし、皆さんの家庭で今も使われているかもしれない。


「MAX・10」の「10」は、足の長さが約5㎜、幅が9.48㎜以下の「10号」というサイズのステープラ(JISの正式表記は「ステープラ用つづり針」)を使い、コピー用紙10枚を綴じることができる。ちなみにこの「10号」という規格は、そもそもマックスが定めたもの。あとでJIS規格に採用されたもの。



握る力をテコの原理を使ってパワーアップ、軽い力で綴じられる現在のホチキスとは違い、小学生の握力で何枚もの紙をキレイに綴じるのはなかなか難しく、何枚もの紙を綴じるときは覚悟して力を入れる必要があった。ホッチキスを使うときは子どもの頃の、この最初に使ったホッチキスで何枚もの紙を綴じたときの、独特な手の痛みをふと思い出す。



その後、筆者はスポーツカーのメーカー名として「オチキス」を、さらに機関銃のパイオニアとしてベンジャミン・ホッチキスという名前を知った。だからこの俗説を20年ほど前にマックス社の取材をするまで「なるほどなぁ」と信じて疑わなかった。



だが金属製のステープルを使って紙を綴るステープラー(紙綴じ機)の原型は18世紀には誕生していたとされる。現在のホッチキスのようにワンアクションで針を刺して曲げて留めるタイプのステープラーも、19世紀後半にすでに開発されて複数の特許が成立。この権利の正当性をめぐって裁判まで起きていたという。



時代とともにそのメカニズムが洗練され、20世紀に入って世界中に普及したということが真相のようだ。



「家庭にひとつ」というレベルまでホッチキスが普及したのは第二次世界大戦(15年戦争、太平洋戦争とも呼ばれる)の敗戦後。大戦末期に群馬県高崎市に航空機の部品メーカーとして誕生した山田航空工業が山田興業に改称してオフィス機器事業に進出。



その第一弾として1946年に発売した大きな3号サイズのステープルを使うホッチキスの第1号モデル、卓上式の「ヤマコースマート」、1952年に発売した国産初のハンディサイズの10号ホッチキス「SYC・10」を経て、筆者も幼稚園児のときに初めて使った1954年発売の10号ホッチキス、「マックス」とも呼ばれた「MAX・10」が大ヒットしてから。ここからハンディタイプの10号ホッチキスは、オフィスや家庭の常備品、必需品になった。



なお、「マックス」という名称は1954年に商標登録され、それから10年後、同社は社名もこの「マックス」とした。この商標と社名には、マキシマムの技術、クライマックスの製品(能力・技術の最大限を発揮して、最高の製品を供給する)という祈りが込められているという。

その後もA4のコピー用紙が20枚綴じられる「HD-10」(1973年)、テコの原理を応用して20枚がこれまでの半分の力で綴じられる「10号 軽とじホッチキス」(1979年)、ステープルを平らに打ち曲げて針の裏側がフラットになって留めた部分が高くならず書類全体がフラットになるフラットクリンチ機構を搭載した「10号フラットクリンチ ホッチキス」(1987年)、「HD-10」の改良進化版「HD-10D」(1991年)、ステープルの方向が90度変えられて15枚が綴じられる10号タテ・ヨコホッチキス「ホッチくる」(1998年)、軽とじ機構とフラットクリンチ機構の両方を搭載して最大26枚もの書類が綴じられる10号ホッチキス発売50周年モデル「パワーフラット」(2002年)と、着実に進化していった。


そして2007年に発売されたのが、20枚綴じで綴じるときの力を従来モデルより約50%も軽減し、予備針を100本も収納できる「SAKURI(サクリ) HD-10NL」と、加えてフラットクリンチ機構を搭載した「SAKURI FLAT(サクリフラット) HD-10FL」が登場する。

○■あまりに軽い綴じ心地



筆者がマックスのホッチキスに関する取材記事(雑誌『MACPOWER』アスキー・メディアワークス刊の連載)を書いたのはこの数年前。



現在も筆者が愛用しているのは、これより前の2002年に発売された、フラットクリンチ機構が付いた「パワーフラット HD-10DFL」。A4のコピー用紙なら26枚が綴じられる。仕事の資料や経理・会計作業で領収書を綴じるとき、20枚綴じタイプではうまく綴じられないので購入した。



初めて使ったときは、あまりに軽い感触で綴じられるので「本当にこれで綴じられているのか」思わず点検してしまった。あれからすでに15年以上。今もほぼ毎日使い続けているが、今も新品同様で、綴じ心地も購入時と変わらない心地良さだ。


そして「最新モデルはどうなっているのかな?」と思って、ご近所にある文房具マニアの間では有名な「街の文房具屋さん」を訪れて購入したのが「プロ仕様 道具ホッチキス」「進化版ホッチキス」というキャッチコピーが付けられた「HD-10TL」。  



20枚綴じだが「サクリフラット」よりもひとまわり大きく、可変倍力機構という新機構を搭載し、サクリフラットとはひと味違う軽快な「綴じ心地」。ステープルを3連、つまり50✕3=150本、本体に内蔵できるうえに、綴じる書類を挟む間口も奥行きも深く、ヘッドを突き当てての「キワ綴じ」もできる。改めてその進化に感心する。


「サクリフラット」はその後、本体上部に予備の針が収納できるなどの改良が施されて、もちろん現役バリバリ。また、日本はもちろんのこと世界中で愛用されているいちばんベーシックな「HD-10」を筆頭にマックスはさまざまなモデルを展開し「ホッチキスといえばマックス」と誰もが認める存在だ。



発売されているモデルの中にはフルメタル製のモデルや、子どもが喜ぶペンギンやライオン、サメのシリコンカバーを被せた動物モチーフのモデルもある。


SDGsの要請から、紙製の針を使ってそのまま簡単に捨てられる「紙針タイプ」の「P―KISS10」のようなホッチキスも登場しているが、やはり、綴じられる枚数も20枚~32枚と多く、綴じた後もキレイに書類をバラせる金属製の10号のステープルを使ったハンディタイプのホッチキスがやっぱり使いやすい。



マックスの10号ホッチキスは昔のモデルも、今のモデルもとにかく丈夫。だから、あなたの手元にあるホッチキスはその気になれば一生使えるはず。



だが、今のホッチキスにちょっと不満がある人は「サクリフラット」や「プロ仕様 道具ホッチキス」などの現行最新モデルに買い替えてみてはどうだろう。1000円前後の出費で、ホッチキスを使う事務作業が驚くほど軽快で楽になって、きっと感激するはずだ。



文・写真/渋谷ヤスヒト



渋谷ヤスヒト しぶややすひと 時計ジャーナリスト、モノジャーナリスト、雑誌編集者。大学法学部入学後、書評誌「本の雑誌」の助っ人を経て卒業後は出版社で文芸編集者、モノ情報誌の編集者に。食品からおもちゃ、文房具、家電、スマートフォンやPC、時計、クルマ、ファッションまであらゆるジャンルで「本当に良いモノ」を追求した記事を企画・編集・執筆中。時計ブーム最初期の1995年から開始したスイス時計の現地取材がライフワーク。編著書にセイコー腕時計の歴史をまとめた「THE SEIKO BOOK -時の革新者セイコー腕時計の奇跡」(1999年刊・絶版)がある。 この著者の記事一覧はこちら(渋谷ヤスヒト)