Text by 松井友里
Text by 川谷恭平
Text by ヨシノハナ
2023年4月末にスキーマ建築計画が設計を手がけ、リニューアルオープンした東京・狛江市の銭湯、狛江湯。
「自分の家の風呂同様の感覚なんです」。取材前日も狛江湯に訪れていたと言うスキーマ建築計画の長坂常は、狛江湯のオーナーである西川隆一と、くつろいだ様子でそう話す。
若者のあいだで銭湯やサウナを嗜むことが文化として定着しつつあり、銭湯がインフラとして求められていた時代から役割の変化を遂げゆくなかで、狛江湯はどのような構想のもと、リニューアルを試みたのだろうか。
東日本大震災やコロナ禍を通じて長坂が感じたという、デザインと街や人との関わり方の変化や、西川が考えるゆるやかなコミュニティとしての銭湯のあり方について、長坂と西川の2人に、実際にひと風呂浴びてもらいつつ、話を聞いた。
左から:長坂常、西川隆一
長坂常(ながさか じょう)
1971年、大阪府生まれ。1998年、東京芸術大学美術学部建築学科卒業。同年、スタジオスキーマ(現・スキーマ建築設計)設立。2007年、事務所を中目黒に移転し、ギャラリーとショップなどを共有する複合オフィス「HAPPA」を竣工。代表作に、BLUE BOTTLE COFFEE、桑原商店、HAYなど。
西川隆一(にしかわ りゅういち)
1978年、神奈川県生まれ。2022年10月から狛江湯の3代目オーナー。実家の葬儀業を継いで働く一方、作品などをつくる勉強がしたいと考え、2001年に23歳で多摩美術大学に社会人入学。卒業後は大手制作会社での勤務を経て、狛江湯で働き始める。狛江湯では、多様性のある「新しい銭湯」のあり方を試みている。
─まずはリニューアルの経緯についてうかがえますか?
西川:狛江湯は1955年に始まって、30年前にいわゆる煙突のある銭湯から、ビルタイプの銭湯に改修されているんですけど、去年、僕に代替わりしたことを機に、再度リニューアルしたいなと思ったんです。
銭湯をやっている人の中にはインフラとしての使命感を持っているものの、商売っ気が少ない人も多くて。いまは家にお風呂がある人がほとんどだし、各地の銭湯がどんどん閉業していくなかで、狛江湯を未来に残していくために、若い人も来たくなるような新しい銭湯にしたかったんです。
─スキーマ建築計画が2020年に改修を手がけた錦糸町の黄金湯をご覧になって、長坂さんに依頼されたそうですね。
西川:リニューアルにあたって話題になっている銭湯をいろいろと見に行ったんですけど、なかなかピンとくるところがなくて。でも黄金湯さんを見て、すごくとがっていて面白いなと思ったんです。
そこで相談も兼ねて、長坂さんに連絡しました。長坂さんの事務所で初めてお会いしたんですけど、最初は緊張しましたね。
長坂:始めのうちは僕にめちゃくちゃ遠慮してましたよね(笑)。
西川:はい。でも事務所に行ってみたら、倉庫みたいな事務所の空間や長坂さんの雰囲気に親近感が湧いたんです。僕は美大出身なので、一緒に作品をつくるような感覚でできるんじゃないかと思えました。話していくうちに、長坂さんもぜひやりたいと思ってくれていることがわかって。
長坂:自宅から近いこともあって、このプロジェクトは、自分の風呂のつもりでやろうと思ったんです。自分の生活圏内を豊かにすることにはできるだけ協力したいですし。
─長坂さんはそれまでに狛江湯を利用したことはあったんですか?
長坂:いや、なかったんです。お話があってすぐに行きましたけど、これは目立たないなと思いました。
西川:入口が少し奥まったところにあったから、通りから存在が気づかれにくかったんですよ。いまバースペースになっている場所はもともとスナックで、分厚いカーテンで締め切られて中が見えない状態でした。
だからリニューアルにあたっては「ここに銭湯がありますよ」ということをまずメッセージとして伝えたくて、暖簾を入口に出したいというのが、僕が最初に伝えた希望でした。できるだけ風通しのいいスペースにしたくて。
長坂:ただ当初は、入口に「オーニング(日よけ・雨よけ)」をつける予定で、そこに暖簾があると和と洋のバランスが悪く、一時は暖簾が消えそうでしたね(笑)。9対1くらいで負けているのに西川さんだけが粘り続けて、暖簾をかけることになりました。
─(笑)。暖簾以外についていうと、どのような部分に重きを置いて進めていかれたんですか?
長坂:繁華街にあった黄金湯とは異なり、狛江湯は恵まれた広い環境があったので、それを活かしてできることをやっていこうと思いました。まず、サウナのスペースを大きくつくることは絶対でした。
同時に、黄金湯でも僕からの提案でそうしたんですけど、日常のなかにちょっとした違う時間をつくるために、飲める場所をつくることが必要だと思いました。売り上げという意味でも、銭湯に来た人がビールを頼んでくれたらかなり大きいじゃないですか。
─長坂さんはリニューアル後の売り上げの面まで念頭に入れて提案をされたんですね。
長坂:お店をやるんだったら、それなりにきちんと儲かって楽しそうにしていてほしいので、利益を出すための仕組みはけっこう考えますね。
西川:長坂さんのそういうところ、すごいなと思います。商売というものが見えているんだなと。もともと僕自身も飲める場所はつくりたかったんです。
地元にある和泉ブルワリーさんのクラフトビールを出すことを長坂さんが提案してくれたんですけど、最初はあんまりピンとこなかったんです。風呂に来るお客さんが一杯1000円もするビールを飲むかなって。でも結果的にすごく良い関係になったと思います。
長坂:コロナ禍のなかで遠出ができなかったから、これまであまり行かなかった近場のエリアに足を運ぶようになって。あるとき多摩川の方に遊びに行った帰りに、和泉ブルワリーの存在に気づいたんです。
長坂:コロナ禍以前は都心の方ばかり見ていて、身近な場所にあまり目を向けていなかったんですけど、狛江湯のプロジェクトのように、自分たちが生活する足もとを豊かにすることって大事だなと思うようになりました。
西川:狛江湯が注目を浴びて銭湯として残っていけたら、新しい銭湯のあり方として全国の銭湯に参考にしてもらえたら良いねって、長坂さんがよく言ってくれるんです。
長坂:やっぱりこういう場所があると街が変わりますよね。
─西川さんの実感としても変化を感じますか?
西川:感じますね。東京に住んでいても、狛江のことを知らない人って多いんです。でも、いまはわざわざ都心の方から来てくれる人もいるんですよね。
狛江湯のあとに「サ飯(※)」として駅前の飲食店を利用してインスタにあげる人も増えたみたいで、「狛江湯帰りの人がたくさん来てくれてありがたいです」と、飲食店の方から言われたこともあります。最初は変化によって違和感を感じる人もいると思うんですけど、長い目で見れば街にとって良いことだと思っています。
長坂:リニューアルしてから、狛江湯のある通りを歩いている人が若返った気がしますよね。若い子たちがお風呂に入ったあと、リラックスして楽しそうに飲んでる様子を見ると、この辺りでお店を出そうと思う人も出てくるんじゃないかなと思うんです。そういうお店が3軒でもできたら、街の雰囲気がまただいぶ変わってきますよね。
西川:長坂さんの言うとおり、銭湯に足を運ぶお客さんの層は明らかに変わりました。コロナ禍で居酒屋とかに行けなかったじゃないですか。だけど若い人たちは集まりたいから、友達同士でサウナに来るんですよね。
昔はサウナに集団で行く人なんていませんでした。でもいまは、制服姿の高校生が集団で来て、牛乳瓶を持って「かわいい」って言いながら写真を撮って楽しんだりしてくれているんです。
─狛江湯もそうなのですが、長坂さんが手がけられた空間にいくつか足を運んだなかで、空間として完結しきっていないからこそ、人に対して開かれているような印象を受けます。長坂さんは建築に携わるなかで、建築というものは、街や場に対して、どのようにありたいと考えられていますか。
長坂:お店のように人が集まる場所はウェルカムな佇まいであってほしいというのは前提としてあるのですが、基本的に、威圧感のある空間がすごく嫌いなんです。「完結しきっていない」とおっしゃいましたけど、それはかなり意図的に、多様なものが絡んできても違和感がない状況をつくろうとしているんですよね。
デザインって固めすぎると、「これはしちゃいけないのかな」「あれはしていいのかな」と人の行動に迷いを起こすし、排他的にもなってしまいます。かといって全部を解放的にしてしまうと、今度はだらしなくなってしまう。そのメリハリがデザインにおいて大事なことだと考えていて、僕はとても意識的に一定のビジョンを持って取り組んでいます。
─「多様なものが絡んできても違和感がない状況」という言葉がありました。狛江湯のプロジェクトについてのお話をうかがっていても思ったのですが、完成したあとにその空間がどのように機能し、運用されていくかという点についても長坂さんは関心が高そうですね。
長坂:デザインは、人の営みをコントロールしている側面があるという意識を2011年の震災以降持つようになったんです。「コントロール」というと、語弊があるかもしれないですが、人のにぎわいを生み出すものであるという意味合いです。それまではデザインが人をコントロールするなんておこがましいと思っていたし、そもそもデザインというのはもっと研ぎ澄まされたものだと考えていたんです。
けれども震災によって、それまでに考えていた「デザイン」というものがはかなく壊滅してしまいました。たとえばそれ以前は窓が開かないことによって、「シャキッとしている」と評価されていたビルが、これほどまでに不自由を生むのかと思いましたし、ショールームのようにすベてを制御するのではなく、素朴な光や風のありがたさに気づいたりもしました。
そうしたなかで、デザインとは関係のないものだと思っていた街中の飲み屋のにぎわいのような人の営みが、デザインを扱ううえですごく大事なキーだと考え始めたんです。それは僕だけの話じゃなくて、この12年のあいだに震災があって、コロナ禍もあって、建築やデザインというもの全体の動きとして相当変わりましたね。
─コロナ禍を経た建築の変化についていうと、どのような点で感じますか。
長坂:クライアントやユーザーの目線が変わったように思いますね。都心部は別ですが、どかんとお金をかけて大きなものをつくろうというバブル的な発想が段々と薄まってきているように感じます。どちらかというと、あまり変な無理をせずに納得のいく気持ちになれるようなお金の使い方をしている人が増えてきている気がします。
それに、前までは良いものを買うなら渋谷や新宿のような都心に行かなければいけなかったけれど、ずいぶんきちんとした情報がネットで入ってくるようになって、「中心に行かないと何かが得られない」という意識がこの数年であまりなくなっているような気がします。
そうなったときに、あらためて自分たちの日常や、室内や、近所を見直すようになっていて。僕も最近は地方の仕事が本当に多いんです。都心に対するコンプレックスがなくなってきたぶん、自分が住む場所に対する関心が高まっているように感じます。
─いまのお話や、人の営みから生まれる街のにぎわいについてのお話に関連して言うと、最近、たとえば渋谷などは再開発によって駅周辺に高層ビルが増えている一方で、街中の空きテナントが目について、街の風景が貧しくなっている印象があるのですが、行政などが主導する再開発と街のにぎわいの関係についてはどのようにご覧になっていますか。
西川:再開発について話をする機会があったのですが、住んでいる人のための町おこしと言われても、行政主導のものってなかなかピンとこないんですよね。
長坂:街の人ではなく、企業や投資家の事情でしかないですよね。「神宮外苑の再開発(※)」についても思うのですが、おそらくもうちょっとお金が取れる可能性のある場所だからという発想で、生活のなかにどんどん課金が必要な世界が増えていく。
お金の匂いばかりする建物が増えると、代わりに人の営みが消えてしまうんです。だからこそ、銭湯のように生活に根ざした場所を維持したり、適切な方法で変えていくことが、住民の喜びになる仕事だと思うんです。
─生活に根ざした場として、狛江湯は今後どのような場所でありたいと考えていますか?
西川:いま毎月「えんがわ市」というイベントを狛江湯の縁側でやっていて、市外から出店してもらっているんですけど、そうやって狛江から情報発信していきたいし、狛江にほかの街の風も取り入れていきたいですね。
この辺りに住んでいるお年寄りのなかには狛江から出ないという方も多いんです。でも、単純にここで若い人たちと同じ空間にいるだけでも楽しく過ごせたり、大げさなことが起きなくても、豊かな気持ちになれたりすると思うんですよね。
─銭湯という身近な場所でありながら、日常に少しの変化や刺激をもたらすきっかけにもなりそうですね。
西川:銭湯って一人で来ても充実できる場所なんです。いまは家で仕事をする人も多いですし、一人暮らしをしていて、仕事のあと一人で過ごすことに寂しさを感じる人もいると思います。でもここで風呂に入って、コーヒーやビールを飲むだけでもかなり違う時間になると思うんです。
みんなそれぞれ携帯をいじってるだけだったりするんですけど、喋らなくても、公園のように周りに人がいる空間ってそれだけで安心するし、寂しさもなくて、充実感がある。いま狛江湯はそういう場所になれているのかなと思います。