Text by 生駒奨
Text by 照沼健太
Text by 佐藤麻美
全世界累計発行部数は驚異の2億7000万部(*1)超え。1994年に連載開始し、来年2024年に30周年を迎える『名探偵コナン』(以下、コナン)。
恋愛、コメディ、アクションなどさまざまな要素を内包する同作の影響力は計り知れず、いまやあらゆるジャンルで「コナン好き」を公言する新世代作家が登場するほど愛される作品となった。しかし、その核にあるのはやはり「ミステリ」。CINRAではミステリとしての、物語としての『コナン』の影響力を探るべく、推理小説家・斜線堂有紀に話を聞いた。
いまや国民的な作品となった『コナン』は、現在のミステリ小説シーンにどんな影響を及ぼしているのだろうか?
―斜線堂さんはSNSで「『コナン』原作を全巻読んでいる」とおっしゃっていたり、映画についてつぶやいたりしていらっしゃいますね。ミステリ界や文壇でも『コナン』の話題が上がることはありますか?
斜線堂:すごくあります。それこそ劇場版の上映が始まると「いつ見に行くか」という話題が盛り上がるんですよ。映画を見るまでは話ができないから、お互いに「見た?」「見た!」みたいな感じで探り合うのが恒例になっています。
斜線堂有紀(しゃせんどう ゆうき)
1993年生まれ。2016年、『キネマ探偵カレイドミステリー』(メディアワークス文庫)でデビュー。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブなどに会員として所属。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』が新世代ミステリー作品として注目を集め、第21回『本格ミステリ大賞』候補作に。その他の著作として『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』『恋に至る病』(ともにメディアワークス文庫)などがある。9月19日には新著『本の背骨が最後に残る』(光文社)を刊行した。
―『コナン』はミステリ界の人たちにも当たり前のように親しまれているんですね。
斜線堂:作家さんだけじゃなく担当編集さんたちも『コナン』が好きなので、初日に見た人に「斜線堂さん、今年のコナンはすごいですよ」みたいに煽られるのはいつものことですね(笑)。
―(笑)。では、まず初歩的な質問をさせてください。「本格ミステリ」ってよく聞きますが、「本格」ってどういうことですか?
斜線堂:これには諸説あって、よく揉める話題です(笑)。ミステリにあまり馴染みのない人も、「密室殺人」とか「山奥の館など外界から隔絶された空間で起こる連続殺人」など、「本格ミステリ」の構成要素はなんとなくわかるのではないかと思います。
そのうえで私は「本格ミステリ」について結構邪道な解釈をしていて、「謎があり、それが論理的に解決されたら本格ミステリ」だと思っていますが、王道の解釈だと「犯人の作り上げたトリックや事件についての謎が論理的な推理によって解き明かされる作品が本格ミステリ」ですね。
―では『コナン』は本格ミステリと言える作品ですか?
斜線堂:もちろんです! 『コナン』にはありとあらゆるミステリの要素が入っているので、本格ミステリであり、サスペンスであり、冒険ミステリでもあるんです。だから、正確には「本格でもある」と言えると思います。
―なるほど。
斜線堂:私自身、いろんなミステリ作品に触れていくにあたって、『コナン』を知っていたからミステリに抵抗がなかったので、「ミステリをどう楽しめばいいのか」を予め教えてもらっていたという感覚がありました。
―斜線堂さんは『コナン』をきっかけに『シャーロック・ホームズ』なんかのミステリ作品にも手を伸ばしたのでしょうか?
斜線堂:そうです。私は小さいころから病弱で、4~5歳のときに両親と「病院に行けば本を1冊買ってもらえる」という約束をして『コナン』と出会ったんですけど、それからちょっと大きくなった小学4、5年生のころに、青い鳥文庫の『名探偵ホームズ』を手に取ったんです。
―そうやって本格的にミステリの世界に入っていったんですね。『ホームズ』を読んでみてどうでしたか?
斜線堂:あまりの文体の硬さに驚いたのを覚えています(笑)。「新一はあんなに楽しそうにホームズの話をしているのに!」って。
―あはは(笑)。
シャーロック・ホームズについて熱弁する工藤新一。『名探偵コナン』第1巻より
斜線堂:古典ミステリはとっつきにくい部分はあるんですけど、「これはあそこでコナンが喋っていたことか!」とか「灰原哀の元ネタのキャラクターってここで出てくるんだ」みたいな瞬間が結構あるんですよ。だから、ミステリに限って言えば、『コナン』に触れているか触れていないかで、その後の読書人生が変わると思います。
―「ミステリといえばトリック」というイメージがある方も多いと思いますが、斜線堂さんから見て『コナン』のトリックに特徴や傾向はありますか?
斜線堂:「『コナン』のトリックにどんな特徴があるか?」というか、むしろ「『コナン』にはすべてのトリックがある」という感じですね。
―すべて、ですか? 詳しく教えてください。
斜線堂:物理トリック、叙述トリック、心理トリック、科学的知識を応用するタイプのトリックだとか、いろんな種類のトリックがあるんですけど、『コナン』でやられていないミステリのトリックはないですね。そしてこれは俯瞰して読むとわかるんですけど、一定周期でトリックの種類がかぶらないようにやっていますね。
―そこまで計算されているんですね。
斜線堂:そのうえであえて『コナン』にトリックの特徴を挙げるとしたら、それは「視覚的にわかりやすい、漫画で映えるトリック」をつくっていることですね。小説家として「これは小説ではできないことをやっているな」と思うことが多いです。
―ちなみに漫画での「叙述トリック」ってどういうことですか?
斜線堂:そもそも叙述トリックというのは、読者や視聴者のミスリードを誘う演出テクニックです。「僕という一人称を使っているので男性だと思っていたキャラがじつは女性だった」とか「ランドセルが画面のなかに映っているから小学生が主人公だろうと思っていたが、じつは小学生の子を持つ父親が主人公だった」みたいな、いわゆる受け手の先入観を利用するようなトリックです。最近では「どんでん返し作品」などでよく使われるテクニックですね。
それを『コナン』でいうと、たとえばジョディ・スターリング捜査官と、「黒ずくめの組織」のベルモットの容姿を敢えて似せていたという点ですね。ジョディ先生が意味ありげにコナンくんの写真を部屋に貼っていたりと、わざと「彼女がベルモットなのでは?」とミスリードさせるように描いてますよね。
あとは赤井秀一と沖矢昴も映像的な叙述トリックです。読者には二人が同一人物であるという情報を早めに明かしておくことで、いざ沖矢昴の「中の人」が赤井秀一以外に入れ替わっていても気づかない。それって、漫画は同じ容姿で描写できますが、小説では地の文で客観的に容姿に触れなければいけないので、ここを無理矢理クリアしようとすると読者にとってちょっとアンフェアになってしまうんですよ。
ジョディ・スターリングとベルモット
赤井秀一と沖矢昴
―たしかに、小説だと難しいですね。ほかに、斜線堂さんが「これはすごい」と思ったトリックはありますか?
斜線堂:「名陶芸家殺人事件」(*2)ですね。殺したい人間を棚の上に寝かせて、その首をロープの輪っかに通しておくんですよ。その後、その人物が起きたら棚の上から落ちて首が吊られて、時間差でアリバイをつくれるっていうトリックです。
劇中では二つの偶然がきっかけで看破されてしまうんですけれど、これってじつは完全犯罪に近いトリックなんですよね。犯人の「自殺に見せかけて、自分はアリバイを確保したい」という目的に対して見事に噛み合っているトリックだから好きです。
―トリックとしての完成度の高さが斜線堂さんに響いたわけですね。
斜線堂:ほかにはインパクトがある系のトリックも好きですね。蘭のお母さんの妃英理弁護士が美容室で髪を切ってもらっているあいだに、その美容師が殺人を犯すっていう回があるんですけれど……。
―状況がすでにインパクトありますね(笑)。
斜線堂:死体を椅子に乗せて、坂から落としてごみ捨て場に捨てるっていうトリックなんですよ。
―えっ?
単行本59巻「力学とアリバイ」より
斜線堂:言葉で説明すると「そんなことあるだろうか?」という感じなんですけど、漫画の絵で見るとすごくおもしろいし納得がいくトリックになっているんです。これも『コナン』ならではですね。
多分、この系統で一番有名なトリックは「霧天狗伝説殺人事件」(*3)だと思うんですけど、私はそういう「死体をダイナミックに移動させるパターン」もすごく好きです。ミステリの言葉で言えば、派手な機械トリックですね。
―斜線堂さんご自身は、自分の作品でのトリックをつくるときに何を重視していますか?
斜線堂:理想としては「8割わかるけど、2割わからない」という塩梅を目指しています。「だいたいわかるんだけど、あとちょっとわからないから先が読みたい」と思ってもらって、最後に「それは思いつかなかったな!」となってもらえるトリックをつくりたいですね。
―『コナン』のトリックを、そういう「読者が解く」という視点から見た場合、いかがですか?
斜線堂:青山先生が意識されているかわからないんですけど、ヒントの出し方をフェアにやっていらっしゃると思います。人にもよりますが、とくに子どもの読者は真剣に謎に取り組むと思うんですよ。そこで「あ、そうだったんだ!」と子供たちに納得感を持ってもらうために伏線づくりをフェアにしているんじゃないかなって。
いわゆる「トンデモトリック」だと言われがちな「霧天狗伝説殺人事件」だって、とてもフェアに情報を出してくれていますからね。
―青山先生の発言には「トリックづくりよりも、犯人の動機を考えるほうが難しい」旨の言葉がありますが、同じミステリ作家としてどう思いますか?
斜線堂:すごくわかります。犯行の動機って、読者の反発が生まれるポイントでもあるし、考えるのが難しいんですよ。
具体的にミステリとして受け入れられやすいパターンは「すっと納得いく」か「全然理解できない」かの両極端。「わかるような、わからないような動機」には読者の反発が大きくなってしまうんですよね。
―フィクションの殺人犯の動機についても「倫理的に納得したい」という欲求があるんですね。
斜線堂:そうなんですよね。でも、その一方で、突き抜けて理解できない動機は、それはそれでいいんです。『コナン』だと「ストラディバリウスの不協和音」(*4)で犯人がとある人間を殺さずに見逃して、その後あらためて殺すんですけど、その理由は「被害者の名前の頭文字が順番的に不協和音になるから」なんですよ。
―全然理解できないですね(笑)。
斜線堂:ここまで理解できないと「こいつは理解できないやつなんだ」ってすごく納得感が出てくるんですよね。
―そういえば、最初の劇場版『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』(1997年)も、高明な建築家が自分で失敗作だと思った建築を連続爆破するという、とんでもない話でしたね。
斜線堂:あそこまでいくとなぜか共感すら得られるんですよね(笑)。『コナン』では、「人間が殺人を犯しうる、ありとあらゆる動機」を描いている気がします。
―逆に言えば「自分もこういうことやってたら、殺されるかもしれないぞ」と(笑)。
斜線堂:そう、「自分もどれかには当てはまるかもしれない」というくらいたくさんの動機が描かれているんです(笑)。
―『コナン』について青山先生自ら「殺人ラブコメ」と称していることもありますが、『コナン』の恋愛要素はどう見ていますか?
斜線堂:ミステリとして、事件のなかですごく丹念に恋愛要素が描かれていますよね。私の好きな事件のタイプも「完璧な計画だったはずなのに、恋愛の情などがきっかけで綻びが出てしまうパターン」なんですけど、青山先生はそれを描くのがすごく上手いし、そこが多くの人の共感を得ていると思います。
斜線堂:9巻から10巻にかけて展開される「資産家令嬢殺人事件」(*5)もそんなエピソードですね。自分の好きな人の死体が噴水に隠されているので、「早く冷たい水の中から出してあげたい」という理由でリスクのある行動を取ってしまい、殺人を看破されるという。この辺りの作劇には、私自身も作家としてすごく影響を受けていると思います。
―新一と蘭は作中たくさんの事件に巻き込まれるわけですが、それらを解決していくなかで、いろんな恋愛を学んでいるとも考えられるわけですね。
斜線堂:新一と蘭の関係ってすごくおもしろくて、お互いに両想いである確信があるはずなのに、お互いに言葉にしない限り早合点しないんですよ。それはすごく大事だし、ユニークなところだと思います。これは私の推論が入っているんですけど、新一は名探偵なので、言質をすごく大事にしているのかなって。
―なるほど。恋愛もミステリの文脈に則っているんですね。
斜線堂:だからこそ、一つずつ共通認識を言質として積み重ねていって、確認作業の末にやっと両思いになったんだと思います。
工藤新一と毛利蘭は、単行本95巻、話数にしてじつに1004話目となる「薄紅の回答」でようやくカップルとなった
斜線堂:その段階の丁寧さや、それを大切さにしている二人の関係はすごくいいなと思っています。『コナン』はいろんな事件を通して、その関係者の感情を描いているわけですけど、それを積み重ねて「感情がこういう事件を引き起こすこともある」とか「行き違い、誤解から生まれる犯罪もある」ということを表現しているんですよね。
だからこそ、新一と蘭の二人は、その関係においてできるだけ錯誤をなくそうとしていると思うし、その真摯さがすごく好きです。
―正直なところ「黒の組織が絡まない事件って必要?」と疑問に思っていた部分もあるのですが、すべての事件は彼らの成長につながっているんですね。めちゃくちゃおもしろいです。
斜線堂:「焦らしすぎだろ」という読者の声もありますが、『コナン』のメインキャラクターたちの恋愛は本当に特別なものなんですよね。高木刑事と佐藤刑事もあの惚れっぷりなのに「告白していない以上、ここには何の気持ちもないです」みたいな態度を途中まで貫き通しますから(笑)。
言葉として明言しない感情は、『コナン』のメインキャラクターたちの恋愛においてはないことになる。逆に言えば、「言ったことは証拠」なんです。
―ここまでいろいろとお話をうかがってきましたが、あらためていまのミステリ界、ひいてはエンタメ界全体にとって『コナン』とはどんな存在か、斜線堂さんお考えを聞かせてください。
斜線堂:日本は人口比でミステリファンが非常に多い国だと言われているのですが、そこには『コナン』が本当に大きな影響を与えていると思います。
具体的には「名探偵とは」「事件の解決とは」「トリックとは」「アリバイとは」といった、普通の生活からは本来縁遠いはずの概念や言葉を、ミステリマニアじゃなくても、みんな子どものころから知っている人が多い。それは『コナン』が漫画やアニメ、映画として身近にあり、当たり前のように接しているからなんですよね。
―誰もが普通に知っていますよね。
斜線堂:じつはミステリに親しみのない人って、まず「探偵って何?」ってところで躓くんですよ。「探偵がなぜ謎を解くの?」って。
―たしかに。斜線堂さんの作品『楽園とは探偵の不在なり』でも、探偵が「興信所をあたってくれ」という旨の発言をするユニークな場面がありますが、現実世界には謎を解く「探偵」っていないですもんね。
斜線堂:そうなんですよ。あの概念は現実には存在しないんですけど、でも日本では「コナンみたいな奴」ってことで存在を確立しているんです。そういう、みんなが「ミステリってこうやって楽しめばいいんだ」という前提を持っているところに、私たちのようなミステリ作家たちが勝負できる状況ができているのは、ミステリ界にとって本当に大きなことだと思います。
―斜線堂さんご自身も、『コナン』がつくった土壌の上に作家として立っていると感じられているんですね。
斜線堂:はい。私も作家としては「特殊設定もの」など一風変わったミステリを書くタイプなんですけど、それも『コナン』があるおかげで「こういうタイプのミステリもあるよね」と受け入れられやすくなっていると感じていて、すごく感謝しています。
私の新刊短編集『本の背骨が最後に残る』(光文社)でも、その表題作は、動機や状況証拠の納得感だけで勝負するという特殊なミステリとなっているんですけど、それもやはり『コナン』で前提を共有してもらっているからこそ自由にできた作品だと思います。
―では、そんな『コナン』の今後の展開についての質問です。斜線堂さんが現在注目しているポイントはどこでしょう?
斜線堂:悩ましいですね……。個人的には、一番推しているキャラは羽田秀𠮷なので、彼の今後の出番が気になっています。あとは探偵甲子園に出てきた、白馬探くんも(笑)。
羽田秀𠮷
斜線堂:みんなと興味が一致しそうなところとしては、若狭留美がどうやって因縁に決着をつけるのかは気になるところです。最近になって登場した若狭瑠美は、目的の為には人の命に頓着しないキャラクターで、それって100巻以上続いてきた『コナン』史上いなかったタイプのキャラクターなんですよ。そういったいままでと異なる価値観のキャラクターが出てきただけじゃなく、黒の組織に肉薄しているので、その落としどころは本当に気になりますね。
―最後の質問です。数ある日本の探偵ものやミステリのなかで、『コナン』だけが持つ魅力は何だと思いますか?
斜線堂:コナンの独自性は、漫画的な嘘・ハッタリを一個だけ効かせたところにあると思います。
毎回の事件を丁寧にフェアに描きつつも、「大人が子どもになる」というファンタジーを1点だけ許している。そういう「漫画的な作劇」を恐れなかったことによって、「大人が子どもになって、事件を解決するって?」という引きが生まれ、ミステリに興味がない人も作品に触れるきっかけをつくることができた。それが大きいんじゃないでしょうか。
そして、そのファンタジーを許せたのは、やはり毎回の事件をしっかりと描けているからだと思います。