2023年09月22日 10:01 弁護士ドットコム
酷暑の日本では、部活での不適切な指導などから熱中症で子どもが亡くなる事故が、毎年のように起きています。
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2009年8月には、大分県の竹田高校の剣道部員が熱中症で死亡する事件が起きました。顧問の教諭による乱暴な指導や言動があった後、適切な救護活動がとられなかったため、工藤剣太さん(当時17歳)が亡くなる痛ましい事件で、社会に大きな衝撃を与えました。
事件後、剣太さんの父・英士さんと母・奈美さんは、剣太さんを死に至らしめた当時の顧問の責任を追及すべく、法律の壁の限界まで闘い続けました。その後、学校現場や社会は変わったのか。お2人に話を聞きました。(ライター・鷹橋公宣)
——事件から14年が過ぎた今でもさまざまなメディアで、剣太さんの事件が取り上げられています。この事件を知らない人のため、改めて事件の概要を教えてください。
父・英士さん:
剣太は、高校2年生の夏ですでに剣道の段位3段をもっていました。高校2年生の夏までに3段へと昇段するには、段位が認定される年齢になってからすべての審査にストレートで合格しなければいけません。
段位の認定は技・気力ともにその実力をもっている証であり、不真面目だとか生意気といった評価を受ける子ではありませんでした。しかし、顧問にとってはどこか気に入らないところがあったのでしょう。
剣太が亡くなった2009年8月22日は、剣道部の夏合宿後の休暇が明けて2日目の稽古の日でした。
前日の稽古で、顧問は「足が動かなくなるまでやれ!」と主将である剣太に告げたそうです。
後刻、厳しい稽古を終えたことを報告するために剣太が教官室を訪ねると、顧問は剣太に向かって「お前、ここまでどうやって来たんだ? 足が動かなくなるまでやれと言ったはずだよな? 明日の稽古は覚えておけよ」と脅しました。
剣太は、顧問の脅しに恐怖し、翌日の稽古で酷い目に遭うことを予想していたようです。
翌22日、稽古のなかで剣太は顧問からの集中攻撃を受けます。相手に向かって連続で打ち続ける「打ち込み」でひとりだけ何度もやり直しを強いられたうえで、パイプ椅子を投げつけられる、防具の「面」を持ち上げて首をむき出しにした状態で叩かれるなどの暴行を受けました。
それでも必死で稽古に食らいつく剣太は、熱中症で握力がなくなり竹刀を落としてしまうのですが、その後もまるで竹刀を握っているかのような姿勢で虚ろに構えていたそうです。その状態にもかかわらず、顧問は「芝居やろうが!(注:「どうせ芝居だろう?」というニュアンスの大分の方言)」「キツイふりをするな」などと言い、さらに暴行を加えます。
「もう無理です」という言葉を発し、目を見開いて白目をむいていた剣太は明らかに重度の熱中症に陥っていましたが、顧問はすぐに救急へ通報することもなく放置しました。救急搬送が遅れたため、剣太は熱中症を悪化させた熱射病に陥り、その日のうちに亡くなってしまったのです。
母・奈美さん
亡くなったとき、剣太の体温は42度もありました。あとで聞いた話ですが、病院の体温計で計測できるのは42度までだったそうです。つまり、亡くなる前の体温はさらに高い43度を超えていたのではないかと思われます。遺体の肌色は黒く変色し、強い臭いも発していました。
司法解剖にあたった先生も「熱射病でここまで内臓が傷んでしまったご遺体は見たことがない」と言っており、剣太が尋常ではない状況のなかで亡くなってしまったことは明らかでした。
——事件が起きる前にも、剣太さんは顧問から日常的に暴行を受けていたのでしょうか?
母・奈美さん:
加害者の顧問が竹田高校剣道部の顧問に就任したのは事件が起きた2009年の春でしたが、そのころから剣太が青あざをつくって帰宅することが増えました。
以前にその顧問が勤務していた学校でも、行き過ぎた指導によって剣道を続けられなくなってしまった生徒がいたという噂は聞いていたので「なにかあるのではないか?」という疑念があったのは間違いありません。
剣道では防具を着けますし、竹刀で攻撃する部位は防具の部分に限られるはずですが、防具を着けていない部位にミミズ腫れのようなケガも増えたので、私は何度も夫に「このままだと剣太が殺されてしまう」と訴えていました。
●父・英士さん:
私自身も剣道を続けてきた身なので、剣道の稽古が厳しいことはよく知っています。必死に打ち合うなかで、誤って防具を着けていない部位を叩いてしまうことも少なくありませんが、剣太のケガは異常でした。
心身を鍛錬するには厳しい指導に耐える場面も必要ですが、教則・ルールを守っておこなわれる剣道で人が死んでしまうことなどあり得ません。
つまり、顧問の行為は剣道を逸脱した、指導を装った暴力だったのだと思っています。
——剣太さんを死に追いやったのは顧問の暴行や熱中症の放置といった行為だったはずですが、たとえば顧問が懲戒免職を受けたり、逮捕されたりといったことはなかったのでしょうか?
父・英士さん:
ひとりの生徒を死に追いやった責任は非常に重いので、当然、顧問は懲戒解雇されるものだと思っていました。
しかし、県教育委員会が下した処分は停職6カ月の処分だけです。「たった6カ月が過ぎれば、また指導者として学校に戻るのだ」と思うと、当然、納得できる内容ではありませんでした。
母・奈美さん:
もし、顧問の行為が街角で起きたことなら、とんでもない暴漢として間違いなく警察に逮捕されるはずです。ところが「学校は治外法権だ」とばかりに、その行為は「教育上のミス」であるかのような評価を受けて逮捕さえされませんでした。
法律は「体罰の禁止」を定めていますが、そもそも剣太がなにかしら「罰」を受けるようなことをしたのでしょうか? 顧問の行為は、体罰という言葉さえも相応しくない、単なる「暴力」だと思っています。
——事件当時、地元警察などの捜査機関はどのような対応をしたのでしょうか?
父・英士さん:
当初、私たちは「学校が厳しく処分してくれるはずだ」と思っていたので、加害者の刑事責任を追及したいとまでは考えていませんでした。
しかし、学校側の処分は思いのほか軽かったので、私たちの想いは「それならば厳しい刑罰が科せられるべきだ」という方向へと変わっていったのです。
事件が発生した時点で、すでに地元の竹田警察署はさまざまな犯罪の成立を見据えて捜査を進めており、業務上過失致死罪で書類送検されました。
母・奈美さん:
書類送検の当日、担当の刑事さんが我が家まで訪ねてきました。
剣太の仏前にどんっと大量の捜査書類を置いて「剣太、これから書類送検するぞ」と報告してくれたときは、剣太のためにできる限りの捜査を尽くしてくれたのだと感動したことを覚えています。
——しかし、結果は不起訴でした。剣太さんに暴行をふるい、熱中症の状態を放置したうえで死亡させてしまったのに不起訴というのはあまりにも被害者・遺族への配慮を欠く結果に感じられますが、なぜだったのでしょうか?
父・英士さん
剣太の直接の死因は熱射病でした。法的には「顧問の行為と熱射病を引き起こしたことの因果関係が弱い」という考え方から、不起訴になったようです。
犯罪の被害者や遺族になったことがなかったので、最初は「なぜ?」という憤りが膨らみましたが、初めて犯罪が成立する要件を学び、人ひとりに刑罰を下すことの難しさを実感しました。
それならば、明らかな暴力行為があった点をとらえて暴行罪で責任を追及するという方法もあったはずです。
しかし、暴行罪の法定刑は非常に軽く(※2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料)、その程度の刑罰で許されていいはずがないという思いから、暴行罪での処分は望みませんでした。
●母・奈美さん
最初に不起訴という判断が下された時点で「もう諦めよう」と考えてしまう遺族は多いかもしれません。しかし、私たちは夫婦お互いが「まだできることがあるはずだ」という考えをもっていたので、ここで諦めませんでした。
法律の知識をもつ方々の協力を受けて、顧問という立場にありながら救護措置を取らなかった点をとらえ、保護責任者遺棄致死罪での刑事告訴に踏み切ったのですが、ここでも結果は不起訴でした。
検察官から不起訴の理由について説明を受けるなかで「たとえ適切に救護措置を取ったとしても、剣太さんが助かったとは断言できない」と聞かされましたが、いまだに納得できていません。
——剣太さんの事件が全国で注目されたひとつの理由として、学校や自治体の責任だけでなく、国家賠償法に定められている「求償権」に着目して顧問個人の責任を追及したという点が挙げられると思います。なぜ求償権にこだわったのでしょうか?
(注:工藤さんの両親が、当時の顧問教員らに賠償責任を負わせるよう、県に求めた国家賠償請求訴訟。福岡高裁は2017年、元顧問の重過失を認め、100万円の賠償を求めるよう県に命じた一審・大分地裁判決を支持し、県側の控訴を棄却。2017年、最高裁で確定した)
父・英士さん
竹田高校は県立高校なので、顧問は地方公務員という立場です。
公務員がその職務において他人に損害を加えた場合は、国家賠償法の定めによって国や地方公共団体が賠償責任を負うわけですから、たとえ民事的な面で責任を追及しても国・地方公共団体が賠償を肩代わりすることになります。
被害者や遺族は賠償を受けられますが、これでは税金が使われるだけで顧問個人は痛くもかゆくもありません。
そこで、国家賠償法第1条2項に定められている「求償権」にもとづき、支払った賠償金を顧問個人に請求するよう求めて、顧問個人に責任を取らせるかたちを実現したのです。
懲戒処分と刑事処分では満足できない結果になりましたが、求償権を発動させて顧問が賠償額の一部を「個人として負担した」ことで、やっと一矢報いることができました。
前例もほとんどない難しい挑戦でしたが、私たち遺族としては「法律の壁に挑み、できることを限界までやり尽くした」と自負しています。
私たちの事件以後、同じような事例で求償権の発動を求めるケースが増えたと聞きました。 私たちと同じ気持ちで苦しんでいる遺族の方々に「まだできることがある」という道筋を示す良い前例になれたと感じています。
ただ、今になって振り返ると、民事裁判で顧問の重過失が認められたのだから、刑事事件としても重過失を焦点にすれば顧問の刑事責任を追及できたのではないかと後悔しています。
もっと早い段階で法律の知識をもっている方々にサポートをお願いするべきでした。
被害者といえども弁護士にアドバイスを求めることは重要だと強く実感しています。
——昨今、SNSを中心に被害者・遺族に対する心ない誹謗中傷が浴びせられ、たびたび問題になっています。工藤さんご夫妻もやはり誹謗中傷に苦しむ場面があったのでしょうか?
母・奈美さん
事件当時はまだ今ほどSNSなどが普及していなかったので、どこの誰かもわからない誹謗中傷にさらされる場面は少なかったと思います。
しかし、街頭で求償権の発動を求める署名をお願いする活動をしていたとき、近づいてきた男性から「子どもが死んで大金をもらえたのだからよかったじゃないか!まだ金をもらいたいのか?」と言われたことがありました。
見知らぬ子連れの女性からいきなり「先生いじめはもうやめたら?みんなに迷惑だ」と言われたこともあります。
とくに目立って誹謗中傷しなくても、私たちが住む竹田市久住は山間部が多く人付き合いも盛んな地域なので「面倒ごとに関わりたくない」という意識からか、周囲から人が離れていきました。
見ず知らずの人による匿名の誹謗中傷よりも、親しかったはずの人が突然ソッポを向くようになったことのほうが辛かったですね。
——事件後、工藤さんご夫妻は講演などの依頼があれば積極的に応じており、犯罪被害者遺族のネットワークのなかでも精力的に活動していますが、どのような思いで活動しているのでしょうか?
父・英士さん
とにかく事件が起きた当時は剣太を失ったつらさのやり場がなく、今思い返せば、加害者に対して「どうやって苦しめてやろうか」という気持ちばかりが先行していたと思います。
たとえ自分が罪を問われることになったとしても、顧問をこの世から消してやりたいとまで考えていました。
しかし、私がそんなことをすれば残された次男・長女をさらに苦しめる結果になると思いとどまり、次第に「剣太や私たちのような人を生んではいけない」という気持ちが強くなっていったのです。
現在も、私たちは同様の被害者・遺族を生んではいけないという想いで活動を続けています。
母・奈美さん
剣太は17歳という短い時間で人生を終えましたが、普通に生きていれば剣太のことを知る由もないような人たちにまで剣太の事件を知ってもらえるようになりました。
もちろん、剣太自身にとっては、全国で名前を知ってもらうよりも大分県の田舎町で平穏に暮らせることのほうが幸せだったはずですが、生前に会ったこともない人からも「剣太!」と身近な人のように呼んでもらえるのは私たちにとっても大きな救いです。
——最後に、剣太さんのような被害者や工藤さんご夫妻のような遺族を生んでしまう悲惨な事件を起こさないために、社会はどう変化するべきでしょうか?
父・英士さん
同様の事件を起こさないためには、学校の教育や部活動などの指導という名目があっても、暴力や暴言は絶対に許されてはいけないという意識が大切です。
しかしながら、学校・部活動などはブラックボックス化されている面も多く、子どもたちも熱心に稽古や練習に取り組むあまり「ダメなことはダメなんだ」と言えない状態になっています。
学校・指導者に任せきりでは子どもの安全を守れません。PTAや保護者会による監視の強化は必須なので、当事者としての意識を強くもって積極的に学校活動や部活動に保護者が参加するべきだと考えています。
母・奈美さん
熱中症の知識と対策を知ることも大切ですね。剣太が死に至るまでのプロセスには顧問の暴行がありましたが、熱中症に陥ったときの対処が正しければ生命までは奪われずに済んだはずです。
剣太が通っていた竹田高校では、剣太の命日である8月22日を「健康・安全の日」と定めて集会を開いています。
私も2021年の集会に招待され、教員向けの研修会と生徒向けの集会で講演しました。2022年と今年2023年の集会にも参加しています。
竹田高校としても、私たちを招くことは大変な決断であったはずです。今年の集会では、現校長が「仲間が『危ない状態だ』と感じたら、教員・顧問の指示がなくても自分の判断で119番通報すること」と生徒に指導していました。
事件当時の竹田高校は、幹部を中心に責任から逃れようと必死でした。その竹田高校で、ついに校長が「自分の判断で119番」と指導したのをみて「やっとここまできた、この体制なら剣太は生命まで奪われずに済んだ」と気持ちが高まり、涙があふれました。
まさに、この指導が「生命を救うこと」につながります。学校・部活はもちろん、ほかの場面でも熱中症に陥っている人を見かけたら、そばにいる人が積極的に通報し、救助活動を実践してもらいたいと思っています。