大学時代の留年はできることなら避けたいものだが、卒業前に思うような就職先が決まらず「就職留年」を選ぶ人もいる。新卒カードのためとはいえ、また1年就活を行うのだから、相当な覚悟が必要だろう。ところがそれを「2年」も続けたという40代の女性がいる。
「就活にことごとく失敗して、2年粘りました。でも結局は諦めて、ブラック企業にヤケクソで就職しました」
最初の就活では「投資銀行とコンサル」以外に興味がなかったため、内定していたIT企業は断った。しかし3回の就活を経て「結局就職したのはブラックSIer(エスアイヤー)」だったという。
「だったら最初に内定もらったところに就職しておけば無駄なくて良かったのではないかと言われそうな留年です」
と自嘲気味に語る女性が、編集部の取材に答えてくれた。
過酷な就活「エントリーは100社以上、セミナー等は50社以上」
女性は旧帝大卒。最初の就活は就職氷河期にあたる1999年からだった。「2000年3月に卒業予定でしたが、2000年と2001年の2年留年して、2002年3月に卒業しました」と振り返る。
「エントリーは100社以上、セミナー等は50社以上だったかと思います。希望業界としてこだわったのは、投資銀行とコンサルでした。企業の成長を支援する意味で、やりたい仕事がそこにしかなかったんです。某有名コンサルファームと大手証券会社は最終面接までは行きましたが……」
残念ながら本命企業は落とされたが、最初の就活では「都市銀行のシステム子会社」から早い段階で内定が出ていた。しかし「当時は文系でブラインドタッチすらできない状態だったので、SEが自分に向いているとは思えませんでした」と、このIT企業は断った。
「なにより受け入れられなかったのは、男女平等に仕事をしていて男女同数いるのにも関わらず、当然のように女性のみ制服着用という文化に違和感をおぼえたためです」
まだまだ根深いジェンダーギャップが目立った時期でもあったのだ。この年、留年を決めた女性は「今度こそきちんと準備をして臨もうと思いました」と決意を新たにした。
しかし、奮闘も虚しく翌年の就活も希望通り企業から内定は貰えず、再び留年を決意する。
「2回目の留年を決めたときは、これで最後にしようとは思っていました。業種などにこだわらず、どこでもいいから就職はしなければいけない、という気持ちでしたね」
だが、やはりその年の就活も厳しく、「結局、ヤケクソで就職したのはブラックSlerでした」と語る。
「当時はうつ状態になっており、自分はもうこの世の中に必要とされていないのだと絶望して、就活もほとんど出来ない状態でした。そんな時、前の年に内定していた企業がまだ待ってくれていたため入社を決めました。本当は、もう一社内定していたベンチャー企業に行きたかっのですが、親の許可が下りなかったので諦めました」
どこまでも希望に反する就活結果だった。
入社後は「誰も何も教えてくれず、独学でなんでも対処」
それでも入社した以上、なんとか仕事をしなければならない。だがブラック企業の常として、教育体制は整っていなかった。
「配属先では上司がいても誰も何も教えてくれず、独学でなんでも対処しなければいけない状態でした。客先に派遣された際も、一緒にいる唯一の上司は何も教えてくれないため、英語のマニュアルを自分で必死に読み、ネットで調べ、客先の要求に応えられるよう努力しました」
一度は向いていないと断ったIT系の業務を、自力でこなしたのだからたいしたものだ。だが会社の都合で給与の一部カットや年に2回のリストラで人件費が削減されるなど、経営状態も常に危うかった。
結局は「入社して1年1か月でITコンサル系のSIerに転職しました」と短期間で職場を去った。ところが、
「転職した会社は1社目よりもさらにブラックな働き方で、体調を崩し2年半で辞めています」
と困難は続く。
その後、証券会社や外資系コンサルファームなど実に7回の転職を経て、現在は8社目。「情報・通信系企業の監査部門で、内部統制業務全般を行っています」とのことだ。簡単に言えば企業運営が適正に行われているか監督する仕事で、年収は1000万円だという。
「どこに行ってどんな仕事をさせられてもなんとかなる」
最後に自身のキャリアについて思うことを聞くと、「最初から負け組確定ですし、地の底をはいつくばってなんとか今まで生きてきたという自覚もあります」と自嘲気味に語る。
「今では、どこに行ってどんな仕事をさせられてもなんとかなるという考えで、意に反する要求をする会社なら『転職すればいい』とも思えるようになりました」
積み上げてきた経験が自信に繋がっているようだ。ブラック企業で働いたことも今となっては笑い話で、「ある程度きつい働き方でも厳しい上司や変わった同僚とでも苦にならず仕事をこなせるのは、この経験のおかげかもしれません」と話す。
「いろいろと無駄に苦労はしてきましたが、今はやっと定年までいられるかもしれないと思える企業に出会えてちょっとほっとしているところです。決して賢い・要領の良い生き方ではありませんが、経験したすべての企業・仕事のどれ一つなくても今の自分は存在しないと思いますので、特に後悔はありません」
と、さっぱりした様子で語った。また、親からは転職するたびに色々と小言を言われたそうだが、「なんとか独力で生きている様子を見てなのか諦めなのか、いつしか何も言わなくなりました」ということだった。