2023年09月14日 10:21 弁護士ドットコム
文部科学省が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に過料を科すよう求める通知を東京地裁に出したことを受け、旧統一教会が全面的に争う構えを見せている。文科省は宗教法人法に基づき「報告徴収・質問権」を2022年11月以降、7回行使してきたが、100項目以上で回答がなかったとして、10万円以下の過料を科す通知を決めた。
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質問権は、解散命令を請求するかどうか判断する前提となる措置。岸田文雄首相は昨年10月19日、解散命令請求の要件である不法行為は刑法上のものを指すという従来の解釈を変え、民法上の不法行為も当たると国会で答弁した。
そもそも宗教法人とは何か。また宗教法人が解散した場合のリスクはないのか。宗教法人のサポートに特化した行政書士として活動し、宗教法人のカルト化防止対策にも力を入れる横坂剛比古氏に詳しく話を聞いた。(取材・文:遠山怜)
——宗教団体への解散命令とは具体的に何を意味するのでしょうか?
横坂氏:よく誤解されますが、解散命令が出ても「宗教団体」としては存続可能です。解散命令が意味するのは、税制上の優遇措置を受けられる「宗教法人格」の剥奪です。
——そもそも「宗教法人」と「宗教団体」とはどのような違いがありますか?
横坂氏:宗教法人とは何かについて、基本的な部分からおさらいしたいと思います。実はこれには法解釈をめぐって様々な解釈論があるのですが、一つの主流な考えとしては、宗教法人と宗教団体は法律的に異なるものです。
宗教法人法第一章総則の第一条には「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする」と明記されています。
同じく宗教法人法では、「宗教団体」とは、「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会」など、「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体をいう」と定められています(第2条)。第4条で「宗教団体は、この法律により、法人となることができる」とされています。
また文化庁のサイトでは宗教法人について次のように定められています。
「宗教法人は,教義をひろめ,儀式行事を行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体,つまり「宗教団体」が都道府県知事若しくは文部科学大臣の認証を経て法人格を取得したものです。」
宗教団体の成立には国や自治体などの公的機関による承認は必要ありません。皆さんがもし何かの教義を設定し、信仰する人を集めて宗教行為を行えばそれはもう立派に宗教団体に該当することになります。
その宗教団体が、活動実績や財産基盤など一定の規定を満たした場合、初めて宗教法人としての法人格を取得する申請を行うことができます。宗教法人となるメリットの一つが法律上の能力を有する者になれることです。
これは例えば、宗教法人が銀行口座を持ったり、法人名義で不動産を登記することができるようになります。
またご存知のように、宗教行為によって得られ、用いられる宗教法人の財産には、原則として税金がかかりません。宗教法人には所轄官庁に対して、毎年の財務諸表や活動実績を報告する義務が生じます。
この部分だけ見ると、宗教法人の解散は、法人として有していた財産の所有権を失い、宗教団体にとって大きな痛手となるのではと推測される方も多いと思います。しかし、宗教法人が解散した場合でも、解散の対象となるのはあくまで宗教法人であり、宗教団体ではありません。それによる主なダメージは宗教団体が法律上の能力と非課税の特権を失うということです。
——解散命令といっても、宗教団体の解散は要求できないのですね
横坂氏:宗教団体そのものの解散を要求することは日本国憲法第20条第1項の信仰の自由、及び21条第1項の結社の自由に反しますから、国が関与することはできません。したがって、仮に解散命令が実際に出されたとしても、残された信者や指導者による宗教団体として活動を継続することは可能ですし、現実的にそのような結果になると考えられます。
もし宗教団体自体を解散させたい場合には破壊活動防止法(破防法)の適用が必要になりますが、これはあのオウム真理教に対しても適用されなかったほど抑制的に運用されており、旧統一教会に対して適用されることはまず考えられません。
——解散が命じられた組織が、再び法人となることもあるのでしょうか
横坂氏:実際に、解散請求が出され宗教法人が解散した例を通じて、解散後に生じる問題について考えたいと思います。
日本ではこれまで過去に社会的な問題を引き起こしたことで解散命令が出されたのは「オウム真理教」(1995年)と「明覚寺」(1999年)の二例しかありません。
宗教法人法を細かく読めば、代表の一年以上の不在や活動実績が一定期間確認できない等、宗教法人の要件を満たさなくなった宗教法人は、問題活動がなくても、本来は解散命令を出す対象となり得ます。しかし今のところ自主解散を勧告する程度に止まり、現状ではこの条件によって実際に解散命令によって解散する例は多くありません。
過去の例を見てみると、解散して宗教団体に戻った場合、教団としての求心力は以前より衰えるため、指導者が複数乱立したり別の宗派を作ったりして、分裂していく傾向が見受けられます。オウム真理教も2000年にアレフと名称を変更したのち、「ひかりの輪」「山田らの集団」などに分派していきました。
旧統一教会に対して解散命令が出るかもしれない現在、「外部機関が教団内の資金の流れを明確にして追跡できるようにするためにも、解散するべき」という意見をお持ちの方もいます。
しかし実際には法人格がなくなれば宗教法人に対して課せられている毎年の所轄官庁への報告義務も失われますから、財産管理に関しても各宗教団体内の判断に任せられてしまうので、外部から掌握することはさらに難しくなるでしょう。さらに教団が分裂するとなれば、なおさらのことです。
また、すでに旧統一教会として所有している財産の行方についてですが、宗教法人の規則の中にはいわゆる「解散条項」というものがありますから、その規則に従って分配されることになるはずです。
一般的には他の宗教法人か公益法人に帰属させることが多いですが、国庫に帰属させるケースはまれです。いずれにせよその規定に基づいて財産の所有権が移動するはずです。
旧統一教会の場合は韓国に「本部」がありますから、残余財産はおそらくそこに、あるいは国内の関連団体やダミー団体に移転されることになるでしょう。つまり旧統一教会が宗教法人として解散したとしても、その財産を関連団体や指導者、信徒が手放すことにはなりにくいと考えられます。
とはいえ、国が質問権により提出している膨大な質問に対して、旧統一教会が回答拒否をしながらも応じているのは、やはり宗教法人としてのメリットを失いたくないという判断があるからでしょう。別法人を設定したり抜け道は多数ありますが、それでも現状まで拡大した宗教法人としての法人格を手放したくはない。何より非課税の特権を失いたくはない。だからこそ要求に対して答えざるを得ないのです。
しかし、反対に言えば、宗教法人が解散したら、国や自治体の要請が何か今後あったとしても素直に従わなくなるかもしれません。従うメリットがなくなるからです。信仰と結社の自由の名の下、国の管理下からは外れてしまいます。いわゆる地下結社化する恐れがあるわけです。
——一度解散した宗教法人に関わっていた団体は、再び法人化できるのでしょうか?
横坂氏:法律の建前上は、一定の条件を満たした場合、国や自治体が「法人化」を断ることはできません。なぜなら宗教法人は「認証」することとなっており、「許可」することにはなっていないからです。
「許可」制になっていれば、国や自治体の裁量で法人化の可否を判断をする余地があります。一方、「認証」は法律上の要件を満たしていることの証明ですから、要件を満たしさえすれば国や自治体がそれを拒否する余地はありません。
先に述べた通り、日本国憲法で信仰の自由が保障されているために、国や自治体が宗教団体の活動に関して原則介入できないからです。日本国憲法には、国家の宗教的中立を示すものとして『政教分離の原則』もあります。
そのため、関連団体が名称を変更したり、別法人を設立することが今後起きたとしても、国がそれを差し止めることができないのは法律を文字通り読めば不可能です。ただ実際は、「膨大な要件成立の証明書類を要求する」とか「申請書を受け取っても経過観察と称して時間稼ぎをする」などでそう簡単には通らないことと思います。
しかし、そういうわけですから旧統一教会として法人が解散しても、別の形の宗教法人として事実上存続していくことは可能性としては十分にあり得るということです。
ただし、宗教法人の新設には時間がかかります。法人格を取得できる要件を満たしてから3年以上は活動実績が求められますし、国や自治体も以前解散した宗教法人の関連団体が新たに宗教法人を取得すること自体は警戒します。
そのため新しく宗教法人を設立する道を取らずに、ペーパーカンパニーを利用して活動を続けたり、法人格としては存在しているが存続が難しくなった宗教法人を「買い取って」実態は旧統一教会の残党が運営する組織をつくったりすることも可能なのが現状です。宗教法人を解散させる場合、こうした先々まで波及するリスクが存在することは、考えておかなくてはなりません。
——解散命令が実際に出た場合は、旧統一教会が別団体として形を変えて存続していく可能性を考えておかなくてはいけないということですね。それを踏まえて、今後私たちが気をつけるべきことはなんでしょうか。
横坂氏:一般的に、日本人は宗教に関するリテラシーが他の諸国と比べて低いと感じています。
そのため、キリスト教や仏教の皮だけ被ったような教義を持つ教団が現れても、「教義のこの箇所がおかしいので怪しいのでは」と指摘することが難しい。旧統一教会に限らず、元々カルトとして問題視されていた団体が、その後名称を変えて潜伏して活動していることは十分あり得ますし、実際にも多々あります。それに気づくためにも、一般的によく知られている宗教の概要だけでも知っておくことは防衛のためにも良いと思います。
また、信仰によって明確に利益を得られると謳う団体も距離を取った方がいいでしょう。「必ず儲かる」もそうですが、「信仰しないと病気になる、家族が不幸になる」などもそれに該当します。このような宗教団体に対して、「ご利益がなければすぐに目が覚めてやめられるだろうから、少しぐらいは信じてみてもいいだろう」と楽観視して一旦受け入れてしまうことは非常に危険です。
もし仮に利益や思ったような効能が得られず、教団に文句を言ったとしても「あなたの祈りが足りないからだ」と反論され、日常生活にまで教団から指示が入ることも考えられます。そうなると、冷静な判断力を失い客観的な判断をしてくれる周囲の人との縁が途切れがちになり、余計に深みにハマってしまうのです。
宗教上で得られる利益を考えるうえで、非常に興味深い事例があります。1965年に起きた「板まんだら事件」では、とある宗教法人の会員複数名が、曼荼羅の書かれた板を安置する本堂の建設に対し、一度は寄付をしたのですが、後からその板に宗教的な価値はないとして返金を求め、訴訟を起こした事件です。
元会員たちは宗教的な価値はなく、錯誤に基づく寄付は無効であると訴え、訴えられた教団側は板まんだらは本物であり、宗教的な価値を持っているため錯誤には該当しないと反論し、司法に判断を委ねました。
しかし、結果としては訴えを却下するという判断が下されました。これは教団側の主張が全面的に認められたということではなく「法令を適用して終局的な解決が不可能」という結論を裁判所が出したということです。法律の立場から特定の行為や対象について、ご利益のあるなしを判断することはできないとしたのです。
たとえば「信じれば数年以内に事業の収入が2倍になる」などと具体的な利益と期間を謳っていたような場合ならともかく、「信じれば心が安らかになる」など抽象的、精神的な利益に対しては、外部の客観的な視点や司法を以て正否を判断することは難しいのです。これはたとえば「合格祈願」のお守りを買ったのに受験に失敗した、と言ってもそのお守りを授けた神社を訴えるのが難しいのと同じです。
教団の名称や教義で判断することができないのであれば、勧誘手段や献金手法など宗教を運営する上で取っている手段について着目してみることが大切です。国や自治体が宗教団体の活動を管理することに限界がある以上、日常生活を送る私たちが自分たちでカルト宗教の存在に気づき、警戒していくことが求められます。