Text by 西森路代
Text by 後藤美波
Text by 西田香織
韓国を代表する映画監督のひとり、イ・チャンドンの特集上映が全国で順次開催中だ。上映されるのは、日本初公開となる監督自身のドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』と、全監督作6本。日本ではBlu-rayソフト化されていない作品も含まれ、ファンにとっても、これからイ・チャンドンの作品と出会う観客にとっても、貴重な機会となる。
今回は、この特集上映の開催に先駆けて来日したイ・チャンドンと、8月9日に開催された先行上映イベントにもゲスト出演した俳優・仲野太賀の対談が実現。仲野の心を掴んだイ・チャンドン作品の魅力、監督が仲野に語った俳優に求めること、そして二人が共感する、撮影現場に訪れる「奇跡」の瞬間。韓国と日本、世代も異なる映画監督と俳優の会話をお届けする。
―仲野さんは、かねてからイ・チャンドン監督のファンだったそうですが、監督の映画との出会いはどのようなものでしたか?
仲野太賀(以下、仲野):高校生の頃に映画が好きになって、たまたま先輩と立ち寄ったレンタルビデオ屋で、「『オアシス』(2002年)って映画知ってる? めちゃめちゃ好きなんだよね」って言われて。その先輩の映画のセレクトのセンスが好きだったので、自分も『オアシス』を見てみたというのがイ・チャンドン監督の映画との出会いでした。
仲野太賀(なかの たいが)
1993年2月7日生まれ、東京都出身。2006年に俳優デビュー。西川美和監督作『すばらしき世界』(2021)で『第45回日本アカデミー賞』優秀助演男優賞、『第76回毎日映画コンクール』男優助演賞、『第64回ブルーリボン賞』助演男優賞を受賞。2022年はドラマ「拾われた男」、「初恋の悪魔」、「ジャパニーズスタイル」の三作品で主演を務めるなどし、『エランドール賞』新人賞や『第30回橋田賞』を授賞。幅広く活躍している。近年の主な出演作は映画『生きちゃった』(2020)、『静かな雨』(2020)、『泣く子はいねぇが』(2020)、『ONODA 一万夜を越えて』(2021))、『あの頃。』(2021)、『ある男』(2022)、ドラマ「季節のない街」(Disney+)が配信中。公開待機作に映画『愛にイナズマ』(2023年10月27日公開)、『笑いのカイブツ』(2024年1月5日公開)などがある。
―監督は仲野さんの作品は見ていらっしゃいますか?
イ・チャンドン(以下、イ):二本見ました。一本は石井裕也監督の『生きちゃった』(2020年)で、もう一本は西川美和監督の『すばらしき世界』(2021年)です。素晴らしい俳優さんだと思いました。両作品で演じられた役柄は、一見似ているようでいて、まったく違っていて、印象に残りました。感情がしっかり伝わってきました。
西川美和監督とは、『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)の日本公開時に対談をさせていただいたことがあるんです。その西川監督の作品に出られた仲野さんにこうしてお会いできたこともうれしく思っています。
仲野:自分の出ている映画を監督に見てもらえるなんて夢のようです……。お忙しいなか、見ていただいてありがとうございます。
イ・チャンドン
高校で教鞭を執る傍ら、小説家として活動し幾つかの著書も出版。43歳の時に、『グリーンフィッシュ』(1997)で監督デビュー。アウトサイダーな若者の不器用な生き様を描いた。続いて『ペパーミント・キャンディー』(1999)では、時間を遡る方法で、また『オアシス』(2002)では、男女の究極の愛を描き、現実世界で生きる人々のリアルな姿を描き出した。『オアシス』では、『ヴェネチア国際映画祭』で監督賞、主演のムン・ソリは新人女優賞を受賞した。2002年、韓国文化観光部の長官に就任する。その後、4作目となる『シークレット・サンシャイン』(2007)を発表。過酷な運命に翻弄される主人公を演じたチョン・ドヨンは、2007年の『カンヌ国際映画祭』で女優賞を受賞した。監督5作目となる『ポエトリー アグネスの詩』(2010)では、詩を通して人生の光と影、美しさを探す女性を描き、2010年の『カンヌ国際映画祭』で脚本賞を受賞したほか、さまざまな映画祭で高く評価された。『バーニング 劇場版』(2018)は、『ポエトリー アグネスの詩』以降、8年ぶりに手がけた監督作品であり、村上春樹の短編『納屋を焼く』を原作に、現代の格差社会を生きる若者の姿をミステリーの要素を入れて描いた。同作は『カンヌ国際映画祭』国際批評家連盟賞を受賞、『第91回米アカデミー賞』外国語映画賞の韓国代表作にも選ばれた。
―仲野さんが『オアシス』をご覧になったときはどのような感想を持たれましたか?
仲野:衝撃でした。脳性麻痺の女性コンジュ(ムン・ソリ)と、前科者の男性ジョンドゥ(ソル・ギョング)という二人のラブストーリーなのですが、こんなに美しい映画があるんだと思って。
最初のうちは、見ていても二人のあいだに芽生える、恋愛の火種みたいなものに気づけなかったんです。でも、人が人を愛することや、つながっている糸みたいなものって、ほかの人には見えないものなんですよね。二人にしか見えないつながりのようなものが、映画にはずっと映っているんだと気づいて、恋愛ってそういうものだよなと思いました。自分のなかの潜在的な価値観や偏見が、映画を通して浮き彫りになる。映画と自分のコントラストから、何かに気づくという体験でしたね。
それと、コンジュの願望みたいなものが映画的な飛躍をするところがありますが、あの場面を見たときは、言葉を失い、魂が震えるような感覚がありました。ムン・ソリさん、ソル・ギョングさんのお芝居も当時の僕には衝撃的でした。
『オアシス』:刑務所から出たばかりの青年ジョンドゥと脳性麻痺を患うコンジュの愛の物語。イ・チャンドン監督は本作で『ヴェネチア国際映画祭』最優秀監督賞を受賞。コンジュを演じたムン・ソリは新人俳優賞を受賞した ©2002 Cineclick Asia All Rights Reserved.
イ:仲野さんのお話を聞いて、私がこの映画を撮ろうと決心した動機や意図を映画から受け取ってくれたんだなとわかり、嬉しいです。仲野さんのような観客に出会えるということは幸せだと思います。
私は映画を撮るときに、観客とどれくらい意思疎通ができるか問いかけたいという気持ちがあるんです。ロマンスの映画だと特に、主人公に自分を重ね合わせて感情移入したいという人は多いと思うんですね。ところが『オアシス』の場合は、そうではありません。私たちが理解することが難しい、普段、なかなか出会うことがない二人が映画のなかに出てきます。そのような二人を、観客の皆さんがどんなふうに受け止めてくれるのかと問いかけてみたいという思いが、この映画を撮りたいと思った理由でした。
また、「映画」というものが、観客が理解するのが難しい二人の恋愛を受け入れられるメディアなのだろうかという考えも含めてこの作品をつくりたいと思っていたので、仲野さんがそんなふうに言ってくださって、何かいままで思っていたこととつながった感覚が持てました。
―仲野さんは長年監督のファンでいらっしゃったということですが、監督にお会いして、聞いてみたかったことはありましたか?
仲野:監督の作品って、究極の人間ドラマだと思うんです。『ペパーミント・キャンディー』(1999年)は、光州事件のような大きな出来事に巻き込まれた男性を描いた社会的な作品ですし、『シークレット・サンシャイン』(2007年)は、絶望にいる母親が神とどう対峙するのかを描いています。
監督の作品は、6本すべてにおいて、深いテーマがあると思うのですが、毎回、このように映画を撮るうえで監督ご自身を突き動かしているものは何なのかなと思って……。
監督に話したいことを書いてきたという携帯電話のメモを見ながら話す仲野
イ:難しい質問ですね(笑)。じつは、自分でもこの質問の答えを出すのが難しくて、だからこれまで撮った作品数も6本と少ないんですけども。
いままで、準備を進めていても途中で流れてしまうプロジェクトもありました。そういう作品は、シナリオを途中まで書いていても、どうしても撮りたいという気持ちが湧かなくて諦めてしまったようにも思います。そう考えると、私の内面が突き動かされることがなければ、作品を完成させられないのかもしれません。
やっぱり、私にとっても撮る意味があり、観客の皆さんにとっても観る意味のある作品をつくりたいという気持ちがあるんだと思います。頭のなかでこういう作品をつくりたいと考えるよりも、これを撮らなくてはいけない、撮るべきだ、と体で感じたときに、作品が出来上がっていくように思います。
仲野:自分の心と体が合致して、突き動かされるということですよね。それってすごいことだと思います。僕は、自分の心の扉をノックする音を聞く前に、頭で考えてやってしまいそうだなとも思って。そんなふうに、自分の心と対話して、自分の気持ちに耳を傾けているからこそ、監督の作品には嘘がないんだと思いました。
イ:映画の出資者の方やプロデューサーさんなど、制作にかかわっている人たちは、こういう考え方はあまり好きじゃないかもしれないですね(笑)。私自身、「なんでそんなに複雑に考えるんだ」ってよく言われます。「映画は観客がたくさん入ればいいじゃないか」とか「映画をつくるのに本物だとか嘘だとか、そういうのはいいじゃないか」とも言われるんです。だから、私が「体で理解する」という感覚は、わからない人もいるんだなと思いました。
でも、仲野さんは一人の芸術家として、体でこれは本物だって感じることができる方なんだと思いますね。役者さんというのは、そうやって演じている人も多いと思うので。
―体で感じたことを脚本にして、映画にしていくときに、俳優さんとは、監督が感じたことを共有しますか? 監督が俳優に求めていることって何でしょうか?
イ:俳優に要求することは、その都度、違うんですけれども、根本的には、「本物の感情」を持ってほしいと思っています。演じるキャラクターに与えられた役割があったとして、それを一度、自分の内面に取り込んで、その人物として感じたり、考えたりしてくれたらいいなと思っているんです。
ただ、言葉で言うのは簡単なんですが、そうやって演じるのはすごく難しいですよね。そのとき、私にできることといえば、俳優を助けることだけだと思います。「ああしろ、こうしろ」と言ったり、細かく演技指導したりするのではなく、俳優が、その人物になるうえで邪魔になる要素を取り除いたり、その人物に関して、一緒に話をしたりしたいと思っています。
仲野:監督のことを追ったドキュメンタリー『イ・チャンドン アイロニーの芸術』(2022年)を見させてもらったのですが、『オアシス』のことを監督が語っている部分で、「脚本は書いてはみたけれど、誰がこの役を演じられるんだ? と思った」というようなことを言われていて。でも、その後にムン・ソリさんが演技の準備をしている動画を見て、監督が驚いている場面がありましたよね。そんなふうに、俳優から影響を受けて作品が広がっていくということは、よくあるんですか?
イ:当然そうあってほしい、そうあるべきだと思って臨んでいます。シナリオに現われている登場人物というのは、私の頭のなかで考えてつくり出したものなんですね。でも、俳優がその人物のなかに入っていくことによって、初めて命を持って生きることができると思うんです。そうすることで、私が予想もしていなかった姿が見ることができる。それが、「映画」が叶えてくれることの一つだと思っています。
私自身も、そんなふうに俳優が入りこむことで新しくなった人物に出会いたいと思って映画をつくっているところがあります。
『イ・チャンドン アイロニーの芸術』:フランスのドキュメンタリー監督アラン・マザールによるイ・チャンドンのドキュメンタリー。監督作全6作品を、ゆかりの地に自ら足を運びながら振り返る。©MOVIE DA PRODUCTIONS & PINEHOUSE FILM CO., LTD., 2022
仲野:監督の頭のなかから生まれたキャラクターを俳優が演じることによって、人物に命が吹き込まれ、映画となって観客と心を通わせる。それって本当に素敵なことですよね。
イ:本当にそうですね。それが「奇跡」だなと思うときがあります。『オアシス』で、ムン・ソリさんは脳性麻痺の人物を演じました。感情の面でも身体的にも難しいことでしたが、彼女がそれをやり遂げてくれたことも、ひとつの奇跡でした。
俳優は、細かな感情の変化を見せてくれますよね。もしかしたら、それはその人自身ですら気づいていないくらいの微妙な変化かもしれないし、監督である私にも予想できないものであったりするのですが、ほんの少しでもその変化から俳優のなかに「本物の感情」が生まれて、それが映画に映し取られ、見た観客に何かを感じてもらえたら、それこそが奇跡なんだと思います。
イ:仲野さんもよくご存じだと思いますが、映画の現場でこうした瞬間に出会うことは、そう簡単ではありませんよね。映画というのは、公開のタイミングも決まっているし、限られた日数のなかで準備をして計画通りに撮影を進めないといけないものです。俳優も監督もスタッフも皆、決まったシステムに従って仕事を進めていかないといけません。そのなかで「奇跡」を生むのは難しいことです。
でも私が撮影現場にいるときに、一番つらいなと思うのが、すべて決まった通りに、なんの問題もなく進んでいるけれど、何かが足りないと思うときなんです。そういうときは、すごくもどかしい気持ちになるし、不安でもあります。でも、こういう感覚って、なかなか理解してもらえないんですよね。
もちろん、すべての映画が「奇跡」を願ってつくる必要はないと思うんですが、私の場合は、そういう瞬間を待ちながら撮っています。
仲野:そういうものって、目に見えないし、言葉にはできないものですよね。なんだろう……ちょっと「祈り」に近いかもしれないですね。
僕も演じるときに、「ここまでは考えて準備していくけれど、ここから先はどうなるかわからない」という不確定要素みたいなものを持ち込みたいと思っているんです。対峙する俳優さんによっても変わりますし、そうやって演技している僕たちに、どんなふうに照明部さんがライトを当てて、撮影部さんが切り取って、監督がどの瞬間にOKを出すのかによってどうなるのかは毎回わからないもので。
でも、そんななかで監督のおっしゃるような「奇跡」が起こった瞬間は、なんとなくわかることもあります。「いま、わかんないけど、何か起きたね」って。そういう瞬間が映画の撮影にはあると思います。
イ:「誰でもやりそうな演技」ってありますよね。俳優が演じるときに、こういう状況、こういう人物設定で、こうすれば自然に見えるだろうなというような演技のことです。私はそれは警戒すべきだと思ってるんです。
自分という人間はこの世に一人しかいません。同じような状況に身を置いても、感じ方は一人ひとり違うと思うんです。だから私は、その瞬間に、その人だけが感じる、たった一つの気持ちを映画で撮りたいなと思っています。
そのために、リハーサルを重ねたり、テイクを重ねたりしていくわけですが、本当にその一回だけの、その瞬間の気持ちを映画のなかに収めるのは、難しい作業です。俳優が、その一つだけの感情にたどり着くということが「奇跡」の瞬間ですね。当たり前のことを壮大に語ってしまいましたが……。
仲野:監督の作品を見ていると、人間の複雑さや多面性みたいなものをすごく感じます。言葉にしたら、簡単に思えるような瞬間や表情だったりするかもしれないけれど、その一つひとつに、じつはすごく微妙な違いや変化が感じられて。そのような考えで映画をつくられているからこそ、監督の映画では人の奥深さを感じることができるんですね。
イ:仲野さんが言ってくださったように、私の作品に人間の複雑さや多様な感情というものが映っていて、それを観客が感じてくださっているとしたら、それは映画に出演してくれた俳優の方々のおかげと言えますね。
置かれた状況に身を置き、その時にしか感じられない複雑な感情を俳優が感じ取り、それを演じて観客に伝えてくれたということになりますから。